引きこもりが10年ぶりに体力テストを受けてみた
2023年12月9日 (土)
午前5時。僕は宙にいた。
着地し、手を前につくと、コンクリートの冷たさが体に沁み込んできた。
この時間はまだ薄暗い。川沿いの公園は人気がなく、立ち幅跳びの練習をするにはもってこいだ。
いよいよ明日は体力テスト。高校3年生以来なので実に10年ぶりだった。地域のイベントとして無料でやっているというのを、子どもたちと行った児童館の張り紙で知った。
日頃から体を動かしたいと思っていた僕たち夫婦は、その存在を知るなりすぐに申し込みをしたわけだ。それがおよそ1か月前。今日までの間、僕は体力テストに向けて練習をして……こなかった。
まあ学生じゃあるまいし、普通そんなことはしない(学生でも練習なんてしないだろう)。が、僕は中高時代、体力テストでずっと(ほぼ)学年トップだった男。
いくら在宅勤務で平日は家から一歩も外に出ないとはいえ、1日の歩数が1,000歩にも満たないとはいえ、夏は髭ボーボーパンツ一丁姿なので髭ダンならぬ「髭パン」と妻に呼ばれていたとはいえ、下手な記録は出せない。というか著しく運動能力が低下していたら普通にショックだ。
追い込まれるまでやらない性格は学生の頃から変わっていない。前日になって急に危機感を覚えたらしい僕の体は、僕を朝4時に起こしたというわけだ。
明日の体力テストのために少しでも体を慣れさせなければならない。メジャーでしっかり記録を測りながら、僕は何度も何度も跳んだ。
そういえば今年の年越しのときも一人で跳んでいたなと思い出す。大晦日は9時に家族4人で寝室に行き、子どもを寝かしつけた。と、同時に妻も寝てしまったのだ。
僕も寝ようかと思ったその時、頭に静電気を食らったような衝撃が走った。布団を抜け出しリビングへ向かう。スマホのセルフタイマーをセットし、兎年ということでうさぎの被り物をしてその時を待つ。
そして零時になった瞬間、特大ジャンプをかました。これだけでは年越しの瞬間地球にいなかったというよくあるおもんない写真になってしまうが、明らかに必死な僕の顔と、壁についている電気のスイッチよりも高いジャンプ力も相まって、なかなかおもしろい出来になった。
翌朝、起きたばかりの妻に写真を見せた。そこには「あけましておめでとう」と書かれている。特製の年賀状だ。大した思いつきではなかったが、無事妻の初笑いをいただくことができた。
と、そんなことを考えながら跳んでいたが、まったく記録が伸びない。ずっと220cmくらいだ。これではかなり低い点数になってしまう。あの年賀状のときの僕はどこへ行ってしまったんだ!?
しかし時間もないので次の種目へ移る。今はユーチューブで『シャトルラン 音源』と検索するだけで、あの悪魔みたいなメロディーがいつでも聞ける便利な時代だ。
モスキート音、黒板を爪でキー!に並ぶ三大不快音を、まさか自発的に聞く日がくるとは。二十メートルの距離は目測。モチベーションを下げないために、気持ち短めにとった。
この頃になってくると早起きのおじいちゃんおばあちゃんがちらほら見えてくる。でもそんなの関係ねえ。散歩中の犬に変な目で見られながらもなんとか百回達成した。そこで時間が来てしまった。明日の本番に向けて、少しはウォームアップになっただろうか。
12月10日 (日)
体力テスト当日。妻と3歳の娘、1歳の息子の家族総出で近所のスポーツセンターに乗り込んだ。計測できるのは6歳からということで、子どもたちは見学。一人は子どもを見なくてはならないので、僕たち夫婦は交互に計測を行った。
実際やってみて、あまりに自分の体がなまっていることに驚いた。握力測定で肩を痛め、上体起こしで胸筋がつり、長座体前屈で息が上がる。せめてその種目で使う筋肉を痛めてほしいものだ。一人だけ別の競技をやっているのではないかと不安になる。1種目を終えるごとに水飲み休憩をしてしっかりインターバルをとった。
「そんなガチでやってる人いないよ」
妻は呆れて笑うが、記録のためにできることをすべてやるのは当然。「なぜベストを尽くさないのか」と、TRICKで上田次郎も言っていたではないか。
体は悲鳴を上げているものの、学生時代に安パイだとしていた反復横跳びや上体起こしでは難なく十点を獲得。不安視していた問題の立ち幅跳びでは、なんと260cmを叩き出した。まさかの10点だ。おいおい、本番強すぎだろ。
最後はいよいよシャトルラン。休憩を長くとりすぎたせいか、午前の部はもう僕しか残っていなかった。一人で走るのは嫌だなあと思っていたら、「お昼食べた後だからお腹きついけど」と、係りのお兄さんが一緒に走ってくれることに(体育会っぽくてめっちゃ強そう)。
そしていよいよ地獄が始まった。とはいえ最初の方はゆっくりだ。遊んでいると思ったのか、娘が僕の後ろを走ってついてくる。
「こっちおいで! パパ走ってるから!」
という妻の叫びにも耳を貸そうとしない。ずっと待っているだけなのに飽きたのだろう。そんな娘を振り切るのは心苦しかったが、記録のためだ致し方ない。
罪悪感にも負けず、走る、走る。ネットで調べたシャトルランのコツを頭の中で反芻する。半分くらいから減速し、ギリギリで線を踏む。脚の負荷が均等になるよう左右交互に踏み切る。呼吸は2回吸って、2回吐く。
60回を超えた頃、僕は思った。ああ、もう無理だと。きつすぎる。昨日、目測で測った距離はおそらく15メートルくらいしかなかったに違いない。横を見れば係りのお兄さんが軽快に走っている。くそう。きみはお腹が苦しいのではなかったか。
よし、このお兄さんにゲロ吐かせてやろう。そう思うと急に元気が湧いてきた。なんて性根が腐っているのだろう。しかしその性格の悪さが今は僕を突き動かす原動力となる。限界はとうに超えていたが、やるしかないのだ。
できるだけ心を無にし、ただ脚を動かすだけのロボットになった。すると90回を目前にしてお兄さんがリタイアしたではないか。おそらくリバースしそうだったのだろう。なんだ残念。モチベーションがついえたせいか、僕も脚が動かなくなり、90回でフィニッシュ。あと5回で10点だったのに!(すべての種目で10点をとれる回数は頭に入っている)。しかし全力を出し切った僕は爽快だった。
はい、ということで総合結果の発表です。どぅるるるるる、だん! 55点/60点で総合評価A!
いやあ、若さと気合でなんとか乗り切菖蒲園。無事Aはとれたものの体の衰えは確実に感じたので、これからは日々運動をしないといけないなあと強く思った27歳なのであった。
12月11日 (月)
本当は早朝にランニングでもしようかと思っていたのだが、前日の疲れもあってか、目覚めたのはまさかの8時だった。
月曜は資源ゴミの日。8時回収なので、慌てて出しに行く羽目に。というか脚が筋肉痛すぎて、仮に起きられたとしても走れなかっただろう。痛みというよりも、疲れ。疲労の塊みたいなものが脚のいたるところに絡みつき、付き合いたてのカップルのように離れてくれない。自分の想像以上に限界突破していたのだと気づいた。
体力テストの熱は冷めない。夫婦の朝の会話は体力テストの話題で持ちきりだった。僕たちは前日にもらった成績表を見比べながら話した。
「あと1回で1点上がるのが意外と多いんだよね」
「点数表は頭に入れとかないと。それにしても握力で減点されすぎなんだよなあ」
「わたしも。ここが上がればAいけるかもしれない」
こんな会話をしている夫婦が我々のほか、この世のどこにいるというのだろう。とはいえなにかに一生懸命になるというのはおもしろい。そうそう、それを子どもたちに伝えたくて僕らは体力テストに参加したのだ(後付けも甚だしい)。
頭の中は体力テストのことでいっぱいのまま、機械的に在宅勤務を開始する。おいおい、キーボードがキンキンに冷えてやがるぜ! 氷を触っていた方がまだ温かいんじゃないだろうか。
仕事部屋に暖房はないので、僕は昨日も使用した体育館シューズを履き、コートを羽織って仕事をする。本当はスクワットでもして体を温めたいところだが、今日は難しそうだ。震える体を擦り合わせ、僕はパソコンに向かった。
夫婦共々、弱点は握力だということがわかったので、早速ネットで手ごろなハンドグリッパーを探した(勤務中)。するとあるではないかぴったりのものが。
なんでも5キロから60キロまで負荷の調節が可能らしい。妻と一緒に使えるし、フリマアプリで値段は1,000円もしない。すぐさまぽちった(勤務中)。
ほかの種目は気合で何とかなるとしても、握力だけは当日の頑張りではどうにもできない。逆に日ごろ鍛えていれば、身長体重を測るかの如く難なく記録が出ることだろう。よし、これで僕に死角はない。来年こそ必ず満点とるぞ!(勤務中!)
カレンダーを見れば、今年ももうすぐ終わるのだと気づかされる。僕は年末年始のことを考えた。年末にお互いの実家に帰る予定はないので、おそらくまた一人で年を越すことになるだろう。
でもそれはさびしいというより、なんだか楽しみなのだった。来年は辰年か。さて、どんな年賀状で妻を笑わそう。
(2023年12月某日)
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