お正月には、インドから電話がくる

実家の固定電話には、1月1日に必ずインドから電話がくる。日本で大きな災害があったりすると、まれに元旦以外の日にもくるのだけど、基本的に他の364日間は音沙汰なしだ。

電話の相手は、インドの首都・ニューデリーに住んでいるチャンドラさん。電話に出ると「Happy New Year!カズヒコサン、イマスカ?」と聞かれて、私は父に受話器を渡す。

彼から電話がくるようになったのは、今から30年以上前のこと。私が生まれる前からの恒例行事ゆえに、なぜインドから電話がかかってくるのか?なんて疑問に思うことすらなかった。

「サンタさん」と同じように、「チャンドラさん」は誰でも知っている人物だと思っていたほどだ。
クリスマスにはサンタさん。
お正月にはチャンドラさん。

小学生になってから電話が星家にしかきていないことを知り、私は衝撃を受けた。
え、みんなチャンドラさん知らないの?


***

うちの父は、ひとりでインド一周の旅をしていたことがある。さっき電話をして聞いてみたら、22歳の時らしい。奇しくも私がバックパッカーをしていた時期と被っていて、血の繋がりを感じる。

消防学校を卒業して、勤務先が決まってからの春休み期間を使って旅に出たということだった。(いまでも現役で消防士をしている)。

幼なじみが地元で有名なお寺の息子さんで、仏教の話を昔からよく聞いていたことから、いつかインドに行きたいと思うようになったらしい。

寝台列車の周遊きっぷを使って都市間を移動し、1日100円ほどの安宿に泊まりながら各地を楽しむという、ハードモードな旅のスタイル。
宿といっても与えられるのはベッドひとつのみで、戦争中に軍の病院として使われていた、野営病棟みたいなものだ。仕切りも何もない、ただベッドが並べられた空間。

一番ひどい時には、屋根もない雑居ビルの屋上に放置されているベッドだったらしい。「朝起きたら足元にカラスがいてなぁ。あの光景、今でもよく覚えてるよ」と笑っていた。
私も旅は好きだけれど、そんな世界は絶対に無理。

30年以上前のインドってどんな感じだったの?と聞いたら、1980年代の『地球の歩き方』と写真、日記が残っているから実家に帰ってきた時に見せると言うので、当時のインドについてはまた別のnoteで紹介しよう。

旅が終盤に差し掛かった頃、劣悪な環境で夜を過ごすことが多く疲れが溜まった結果、父は高熱を出し、5日ほど何も食べられずに寝込んでいた。

何か大変な病気かもしれないけれど、英語が話せない。ヒンディー語はもっとわからない。
体重が一気に7kgほど減り、まともに歩くこともできない状態になっていた時に助けてくれたのが、チャンドラさんだった。

大手企業に勤め、当時のインドでは富裕層にあたる彼は父を大きな病院へ運び、自宅に招いてしばらく泊めてくれたらしい。
そのおかげですっかり父は元気になって、無事にインド一周の旅を完遂した。

チャンドラさんから電話がかかってくるようになったのは、その翌年からのこと。

当時のインドは日本よりもデジタル化が遅れていて、日本では90年代後半に携帯電話が主流になるけれど、インドで普及するのはもっと先の話。電話をかける手段は、基本的には公共の電話ボックスのみだ(父曰くなので、他にも手段はあったかもしれない)。

道端に置かれた電話の前に小銭を用意した人たちがずらっと並び、順々に使う。国際電話となると、2,3秒のスパンで小銭を投入する必要があるため、父は日本にいる母にも電話は滅多にかけず、近況報告を手紙でしていたらしい。届くまでの日数を考えると、もはや近況報告ではない。

そんな時代がしばらく続いたインドでは、うちに一本の電話をかけるのも楽ではなかっただろうに……
。「あけましておめでとう。元気に過ごしてる?」と確認するための電話を、チャンドラさんは元旦に欠かさずくれていたというわけだ。

しかも、チャンドラさんは日本語がわからず、父は英語がわからない。

確実に意味を理解できる言葉は、
「Happy New Year」
「ゲンキデスカ」「元気だよ」
「Take care」「Thank you」くらい。

私が中学に上がり簡単な英語を通訳できるようになってからは、もう少し日々のことを伝え合えるようになったけれど、それまで彼らは10年以上も挨拶程度の言葉しかまともに交わせていなかった。

とんでもないな……

「単語の意味はわからなくても、何を伝えたいかはわかるんだよ。マブだから😏」

ドヤ顔でそう言う父に、「うそつけ(笑)」と思っていたけれど、今考えればあれは、お互いにとって真実だったんだろうな。

***

年に一度電話で話すだけだった2人が、2年ほど前から『What's app(約40ヶ国語に対応しているLINEのようなもの)』を覚えて、毎日のようにやりとりをしている。

父の英語力は1ミリも変わっていないし、チャンドラさんも相変わらず日本語はほぼわからないのだけど

「あけましておめでとう、元気?」という確認のみでこれまで交流してきた2人が、「最近こんなことがあってさ〜」とか「そっちはコロナどんな感じ?」とか、気軽に会話を楽しんで、写真も動画も送りあっているのだから、これはすごいことだなぁと思う。

彼らは30年越しに、「雑談」や「相談」を出来るようになったわけだ。

スマホでいつでも電話をできる時代になっても、相変わらず元旦には家電に電話がくる。

父だけでなく、きっと私たち家族とも会話をするためだ。「ゆきさんの友達も、みんな元気にやってますか?」と英語で聞いてくれるから、毎年私も少しだけおしゃべりしている。

チャンドラさんから電話がかかって来るのは、だいたい年を越してから3〜4時間後くらいだったなぁと思って調べてみたら、日本とインドの時差は3時間半だった。わーーーーお。

帰国して間もなく父の消防士人生が幕を開け、インド一周旅以来、2人は一度も顔を合わせていない。それなのに30年以上も、新年を迎えてすぐに父を、星家を思い出してくれていたんだなぁ。


もはや当たり前になっていたインドからの電話について書きながら、2人の関係性の凄さをじわじわと感じている。

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