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「オケバトル!」 92. 小太鼓の意味するところ


92.小太鼓の意味するところ



「《泥棒かささぎ》は、ジョアキーノ・ロッシーニ、25才の頃に書かれたオペラです。バトル2曲目《ウィリアム・テル》序曲から、再びのロッシーニですね!」

 オーケストラの大まかなセッティングだけ施された人気のない舞台にて、スポットライトを浴びた宮永鈴音が語り出す。
 ベートーヴェンの交響曲やシューマン特集では解説から外されていたこともあり、ここぞとばかりに張り切っていた。
 準備段階からバトラーの指導に顔を出していた謎のゲスト審査員、森脇遊との衝突を避けるべく、リポーターとしても現場に顔を出さず、本番の司会で登場するまで数日間、雲隠れしていたのだから。
 語りのトーンとしては、前回の《フィデリオ》系だが、今回は劇の再現といったドラマティックな演出はせず、ヴァイオリンも持たず、ただ上品なメイドの扮装のみ。古風な茶色系ロングスカートに、パフスリーブの白ブラウス、同じく白いエプロンと小さなヘアキャップが可憐ながらも、さすがに30代に入った大人の女性として、一応のアーティストとしての貫禄も伴って、軽いメイド風に終わらず、一流オペラの舞台に小間使い役で登場する歌い手を思わせる存在感を見せている。

「オペラ作曲家としての地位を既に確立していたロッシーニが、ミラノ・スカラ座からの依頼を受けて、速筆の彼にしては3ヵ月を要してじっくり取り組んだ作品です。オペラ台本コンクール応募作品の中から題材を選択、候補に上がっていたコミカルな入賞作ではなく、落選作であった『裁判官らへの警告』と題された、この物語に着目、『最高に美しい題材!』と気に入って作曲が施されました」
 そこで少し改まって声を低め、
「物語は、パリ近郊で実際に起きたとされる事件が題材にされています」
 史実とオペラの物語を静かに語ってゆく。
「あるお屋敷にて高価な銀食器が頻繁に紛失し、盗みの嫌疑をかけられた女中が処刑されたものの、後日、近くの鳥の巣から銀食器の数々が発見され、無実であったことが判明したのです。
 このオペラが作られた19世紀初頭のパリでは、使用人による窃盗は、極刑という法律でした。
 軽快な序曲の明るい雰囲気とは裏腹に、オペラの舞台では始終深刻に事が運ばれてゆきます。ヒロインは脱走兵である父親をかばう為に沈黙を守り抜き、お屋敷の息子である恋人からも疑われ、裁判では死刑判決が言い渡されます。ですが、刑の執行前に、カササギの巣から銀食器が発見され、『犯人はカササギでした』と判明。ヒロインの容疑は晴れ、恋人とも結ばれてハッピー・エンド。先の《フィデリオ》同様、はらはらドキドキの救出オペラというわけです」
 ここでいったん、ひと呼吸。
「カササギはカラスの一種でもあって、カラスたちって、光る金属類なんかを好んで集める習性があるんですよね」
 鈴音は本日の小道具、シルバーのスプーンやフォークをエプロンのポケットから取り出して見せた。舞台照明にキラキラ映える。
「光り物を集めるって、何だか可愛いと思いません? それに一生懸命たくさん貯め込むなんて、健気ですよねえ!」
 輝くカトラリーをうっとり眺めながら明るく言ってから、声のトーンを再び落とし、
「ですがそのせいで、盗みの冤罪で召使いが処刑された悲劇が現実に数知れずあったことを思うと、胸が痛みます。本当に恐ろしい」
 鈴音は本気でぶるっと身を震わせた。
「元となった台本の『裁判官らへの警告』というタイトルにも、こうした深刻な社会背景への切実なメッセージが込められていたのでしょう」

 舞台下手側に立っていた鈴音は、マイクを持って話しながら、後方のティンパニや小太鼓などが並んでいるエリアにゆっくりと足を向ける。オーケストラの舞台は段差があるので注意が必要だ。舞台照明が少しずつ明るくなっていく。

「初演は大成功を収め、ロッシーニは『序曲から熱狂が始まるなんて前代未聞のこと!』と、大喜びで母親に手紙を書いています。今日では3時間級の全幕が上演されることは稀ですが、序曲は演奏会でもよく取り上げられる親しみやすい名曲です。ただし! この『オケバトル!』では、バトルならではの難題が......」
 鈴音は持っていたハンドマイクを近場のスタッフに手渡し、胸元のピンマイクにスイッチを切り替える。
「この序曲、小太鼓の鋭いトレモロから始まるんですよね」
 言いながら、脇の台に乗せてあった2本のバチを取り上げ、タタタタタタッと叩いて見せる。
「ああ、これでも少しは練習したんですけどね」
 ため息をついて降参のポーズ。
「いわゆる、始まり始まり〜! の、開始のドラムロール。これがロッシーニ原典版スコアでは、舞台の右端と左端で対になって、片方ずつ叩かれるんです。実に印象的なステレオ効果ではありませんか」
 上手後方にも置かれた小太鼓を指し示す。

「つまり打楽器奏者が2人、必要となるわけです」

 その言葉を合図のように下手と上手、各々の舞台袖から若い男女が現れて小太鼓の前に立つ。互いに目線を交わしてうなずいてから、まずは下手の女性が、次に上手の男性が小太鼓を叩いた。《泥棒かささぎ》序曲の冒頭の譜面どうりに。

「はい! 地元の学生さんに協力して頂きました〜」
 鈴音は拍手で称えてから、どうぞこちらへと奥の青年を促し、下手側小太鼓の前に2人を並ばせ、カメラに向けて紹介する。
「折しも夏休みで帰省されていた、学生オーケストラのパーカッション、岬 彩菜(ミサキ アヤナ)さん、金光 時生(カネミツ トキオ)さんです」
 普段の服装で構わないと言われていたものの、やはりテレビに映ることを考えて、2人ともきちんとスーツの装い。女性の方はリクルートっぽくならないよう、華やかなマルチカラーのスカーフをさらりと首元にあしらっている。
「このドラムロール、もし私のような打楽器未経験者が挑戦しようとしたら、どのくらいの期間が必要なんでしょうかねえ?」
 リポーター宮永鈴音の質問に、
「そうですね。適当で良ければ半日くらいの猛特訓で、ある程度はトレモロっぽく叩けるようになるかも知れませんが」
 まず先輩格風の岬彩菜が答え、
「ですが演奏会で人さまにお聴き頂くレベルの演奏となると、やっつけ特訓ではボロ、でますよね」
 後輩っぽい金光時生青年が補足する。
 大方は、先ほどなされたばかりの打合せの台本どおりである。
「ありがとうございます。つまり打楽器奏者が抜けてしまったBチームは、相当な苦戦を強いられる、ということになりますね。そして両チーム間での奏者の貸し借りは厳禁、との通達が番組側から出ています」
「ティンパニ奏者の方は、どっちのチームにも残ってるんですよね?」
 女性の質問に、鈴音が質問で返す。答えは分かっているのだが、視聴者の為に。
「ティンパニ奏者というものは、基本の打楽器はこなせるものなんですかね?」
「ひとたびパーカッションというパートに属したら、それが音大オケ、普通の学生オケ、小中高のJr.オケ、吹奏楽であろうと、大方の打楽器は学ぶものですからね」
「とはいえプロオケとなると、ティンパニストとパーカッショニストは別枠なんですよね」
 と、鈴音。
「小太鼓のトレモロって、プロの方でも長年ティンパニオンリーで続けられて他の打楽器から離れていたりすると、勘を取り戻すには時間がかかると思います」
「普通は基本を習得さえしていれば、すぐに勘が戻りそうなものですが、ドラムロールに限っては僕たちパーカス奏者でさえ難しいんですよ」
 学生2人が交互に答え、鈴音も納得。
「冒頭だけは頼みの綱のティンパニストさんに頑張って頂くにしても、下手から上手に瞬時移動はできませんものねえ。それにこの序曲、その後も始終活躍する小太鼓のみならず、ティンパニ、シンバル、トライアングルと、打楽器が華やかに目白押しですからね。さあ、正念場のBチーム、どう対処されるんでしょうかねえ」
 そうですねえ......。と心配げに相槌を打つ2人。鈴音は雰囲気を明るめに方向転換。
「実は本日、岬彩菜さんには、ゲスト審査員を単発で務めて頂くことになってるんですよね?」
「はあい。彼には、このシーンだけ助っ人で来てもらいました。部活では後輩ながら、全国大会常連の吹奏楽部で少年時代から鍛えられて来た、凄腕なんですよ」
 当の助っ人くんは少し照れながら、
「ついでに審査員もどうですか? って、番組の方から誘われたんですが、僕、クラシックにはまだ疎いんで」
「お二方とも、このバトルシリーズの大ファンだとか?」
「はあい。毎年のテーマ、楽しみなんです。まさか素人のあたしが審査員なんて」
「せっかくなので、自分も袖か客席で本番、聴かせてもらってもいいですかね?」
「もちろんどうぞ」
 青年の希望に鈴音は明るく答えてから、
「ただし、ここで起きていること、勝敗も含めたバトル内容に関しては、ご家族にもオケ仲間にも、友人恋人にも、一切他言無用ですからね。番組放送時までは、何も口外しないで下さいね」
 と、しっかり釘を刺しておく。
 先輩女性の方は少し不安そう。
「寄せ集めチームによる演奏の、どちらに軍杯を上げるか、単に白黒つければ良いものと思ってたんですが......。脱落で足りない奏者が出てしまうとか、複雑な裏事情、あるんですね」
 少々怖気づく彼女に対し、鈴音は優しく励ました。
「ゲスト審査員さんは自由に楽しんじゃっていいんですよ! 難しいこと考えなくて大丈夫。打楽器奏者の身としても、一般視聴者ゲストとしても、クラシック音楽愛好家の視点としてでも、全く自由ですので、どうぞ楽しみに両チームの演奏を堪能なさって下さいね!」
 それから2人に対し、客席からメインロビーに出るのが近道で、レストランにも行きやすいし、裏で迷わずに済むことを伝えた。
「バトル開始は先攻Bチームが15時からですからね。それまではお二方とも、この豪華で素敵な施設で、のんびりと。充実のライブラリーやアートギャラリーなんかもありますし、美味しいランチやスイーツもお好きなだけ、ご自由にお楽しみ下さいね!」




 さて、Bチームでは皆がプンプン怒っていた。

 打楽器奏者が消えた直後に《泥棒かささぎ》?
 主催者、わざとこの時を狙ってたわけ?
 いや、課題曲は順番も含めて予め決められてるそうだから、偶然でしょう。
 仕組まれた偶然ってわけじゃないんですかね!

 そんな中、有出絃人がテキパキと策を進めていた。
「フルートはピッコロ持ち替え、間に合わなそうなところはピッコロ優先で。その際にどうしても抜けちゃいそうな音は、一瞬だけ他の木管、クラかオーボエ、あるいは一部のヴァイオリン辺りに助けてもらって」
 貴重な打楽器奏者を皆で勝手に、いとも簡単に手放しちゃったんだから、皆さんでどうにか対策練ってよね! と丸投げしたい怒りの気分であったが、一刻も早く先に進まないことには話にならないのだ。
「だけど弦楽器からは何人か打楽器に回ってもらうことになるんで。小太鼓にシンバルに。まあ、トライアングルに限っては、元楽器と掛け持ち可能かも? ともかく谷内さんが抜けた今、小太鼓だけは絶対に必要なんです。一応お尋ねしますが、鼓笛隊とか吹奏楽で、小太鼓の経験ある方、いらっしゃいます?」
 反応ナシ。
「知らん顔しても、後で経歴探ればバレるんですよ。正直に白状してもらわないと——」
「絃人さん、ちょっとお耳を......」
 と、コントラバスの多岐川勉が有出絃人に、たった今、バックステージで仕入れて来た情報をこそこそ耳打ちする。
 トムくんの話を聞いた絃人は、「何をコソコソと? 我らにも教えてよね」と訝しがるチームメイトに対し、しいっと口元に人差し指を当てるそぶりで、
「壁に耳あり。皆さんは知らないことに」
 と警告。ちょっと譜面さらっといて下さい。と、皆に告げてティンパニ奏者の元に赴き、トムくんに説明を促す。
「打楽器やってる学生が2人、ゲストで来てるんですよ。冒頭スネア、軽く上手に叩いてました。腕前は信頼できるかと」
 撮影スタッフはまだ入っておらずとも、固定カメラは回っているので、カメラを避けて小声で報告。
「つまりそ奴らを巻き込もうと? またしてもの掟破りで?」
 ティンパニ奏者の強面が更に厳つくなるも、小太鼓の助っ人は不可欠なのだ。
「1人は審査員として入るらしいので、おまけの方を借りれればと」
「2人必要なんだがね」
「番組にバレないよう事を運ぶなら、審査員の方はムリでしょう。森脇さんみたいな発言権は全くなさそうな、大人しそうな学生さんですし」
「原典版は対の小太鼓になってますが、ブライトコプフ版では一台ですし、小編成の我々だったら、ドラムロール以外は1人でもバランス、大丈夫じゃないですかね」
「では内密に、おまけさんをお借りしますかね。こちらは先攻だから、その点、有利かも」
 絃人は違法行為を即断し、ティンパニストに提案する。
「申し訳ないんですが、頭のトレモロだけは......」
「やるっきゃないでしょ。再び出てくるところも」
 既に覚悟を決めていたティンパニ氏。
「だけど他はティンパニも出ずっぱりだから、やはりスネア叩きは絶対必要。確実な腕も。チーム内の鼓笛隊経験者なんて、話にならんでしょう。ゲストの誘拐、必須ってことで」
「僕、彼を説得して来ます」
 有出らの返事も待たずに多岐川勉はリハーサル室を飛び出して行く。
 実はトムくん、機転を利かせて既にこっそり打診はしてあったのだ。
 ゲストの2人が撮影を終え、ラウンジにお茶に向かう前にロビーにて。通りすがりを装い、軽く挨拶を交わしながら、小声で「もしかしたら、秘密のエキストラお願いすることになるかも.....」と。
 青年は怖気づくどころか、憧れのバトルに自分も参加できそうな展開に、目を輝かせていた。

 Bチームからの正式なこっそり依頼に、先輩女性からも背中を押され、ケーキと紅茶もそこそこに、トムくんに付いてこそこそと人目を忍んでリハーサル室へ。
 道すがら、とにかく目立たないようにと、トムくんが注意する。
「リハでは皆、ラフな格好なので、ジャケット脱いでタイも外して、腕まくりなんかしてくれれば」
 了解です! と、歩きながらスタイルチェンジ。「本番では?」
「僕たちの方で君に合わせることに。マチネだし、フォーマルでなくていいので、男性全員がスーツに、カラー自由なタイ着用ってことで」
「嬉しいなあ! バトルの舞台に乗れるなんて」
「うちらのチーム、先攻だから、正体バレても舞台で紹介ってことはないと思うし、もしかしたら、うるさ型の審査員とか番組側に気づかれないまま、名前も出されないで終わるかも」
「いいです。さっきの収録でちらっと紹介してもらえましたし。えっと、名もなき弦のトゥッティ族の1人に成りきればいいんですよね? ボラで志願した元鼓笛隊少年ってことで」
「上手く乗り切った暁には、放送時テロップで『この奏者はBチームの極秘スカウトによる勇敢なる潜入工作員です』なんて流してもらうとか」
 トムくんの素敵な案に、金光青年も大いに張り切るのだった。
「なんか、面白くなってきたなあ!」
 事態を察した長岡委員長に、こっぴどく叱られるかも知れない。という可能性は、今のところは伏せておこう。



 一方のAチームでは、かつて鼓笛隊で小太鼓を受け持っていたという、名もなきトゥッティ族のヴァイオリンくんが勇敢にも2台目の小太鼓に名乗りを上げていた。バトル2曲目の〈ウィリアム・テル序曲〉ではトライアングルを、次の〈軽騎兵序曲〉では小太鼓を受け持っており、もう1人、彼と同じ2曲でシンバルを務めたヴァイオリンくんも、3度目のシンバルに挑戦。2人とも、名もなき身分としては、本職の弦楽器以外でも役に立っておこうとの意欲的行動であった。
 ボランティアのパーカッション部隊も板についてきた2人。Aでは生き残ったパーカッショニストの平石昇が、シンバルは自主練に任せ、小太鼓のトレモロのコツを、根気強く指導していく。

 上之忠司による「命取り」の一喝で、平石の命と共に救われたAチーム。

 コンサートマスターは以前に戻って五十音順にするか、これまでに指揮も務め、既にチームの信頼を得ているヴァイオリンの浅田の指揮と稲垣コンマスの黄金コンビで守りを固めるか。判断の分かれるところであったが、単純明快ながらも、冷静な印象のAチームでさえ、統率者ナシでは暴走破綻の危険をはらんでいる課題曲ゆえに、公平さよりも安全を優先、浅田と稲垣にリードを委ねる決定がなされゆく。




 Bチームでは、有出絃人本人も含めて、暗黙の了解の如く既に仕切っている彼が振る流れとなっていた。そしてコンサートマスターは、さほど重荷がかかる曲でもないでしょうと、アルファベット順が復活され、名もなき若い女性が担うことに。嫌々でも大張り切りでもなく、淡々と。
 ともかく人数が最小限のBチームでは、打楽器、木管群どうしの入念な調整が必要だった。
「トライアングルなんですがね」
 有出絃人は始終スコアとにらめっこ。
「私、同じくロッシーニでトライアングル、〈ウィリアム・テル〉でやってますので」
 ヴィオラの女性が名乗りを上げた。
「やりましょうか? 多分できると思うので」
 多分? 思う? じゃ困るんですが。という言葉は呑み込んで絃人は言った。
「ヴィオラは5人残ってるんですね。なら1人抜けても大丈夫でしょうけれど、全抜けは勿体ない。トライアングルって、後半まで出番ないんですよ。しかも初出はティンパニが抜けてるとこなので、そこはティンパニさんにお願いしようかと」
「やりますよ」とティンパニ奏者。
「だけど2度目に出てくるとこはティンパニ優先なので、そこだけお願いしますよ」
「じゃあ、その箇所以外はヴィオラ弾いてていいんですね」
「ヴィオラパートからトライアングルの音って、ちょっと違和感アリですが、最後尾で目立たないように参加して頂ければ」
 絃人は2人の共同作戦に感謝し、ヴィオラさんには楽器庫から自分用のトライアングルを調達してくるよう指示。
「ついでにフィルハーモニア版のミニチュア・スコア、あったらあるだけ持って来てもらえると助かるので、お願いします」
 それから木管楽器群の助け合い調整を確認していると、トムくんが助っ人を連れて戻って来た。
「皆さ〜ん」と大声で紹介して拍手で迎えたいところであったが、何しろ極秘作戦なのだ。助っ人くんをティンパニさんにそっと引き渡し、トムくんはさり気なくコントラバスの自分の持ち場に戻りゆく。

 トライアングルさんがポケット版スコア数冊と共に戻って来たところで、いよいよドキドキの音出し開始。
「皆さん、何か『おや?』と思っても、決して振り返らないで下さい。質問もナシですよ。知らぬが仏ですので」
 かえって意味深な釘を刺してから、有出絃人はタクトを構えた。
「気持ちゆっくり目に行きます。ともかく止まらずに、ラストまで通しましょう」

 冒頭、小太鼓のトレモロが下手側から、次に上手側から威勢よく叩かれる。それまでは自身の譜面と必死ににらめっこだった多くの者が、おや? っとつい振り返りたくなる。

 完璧な叩きぶり!
 え? 誰が?
 振り返っちゃ、いけないんですよね。
 またしても、まさかの掟破りエキストラ?

 なんて思う間もなく、お助けさんの続くトレモロに乗って、全合奏による晴れやかな行進曲が展開してゆく。

「楽隊みたいな響きにならないで」
「歯切れ良く! 重く引きずらないで」
「もっと格調高く!」

 初っぱなから、思い描いていたイメージに程遠くも、こんな調子が固定されてはたまらない、止まらずに、なんて言うんじゃなかったと、絃人は早くも後悔する。
 やはりこのチームには危険な曲だ。

 華々しい行進が終わり、左右対のトレモロの再現を合図に、管楽器のロングトーンが弦の刻みやティンパニのトレモロに乗って、ピアノから一斉に盛り上がり、フォルテシモの全合奏。次なる展開は、哀愁のメロディーをリズミカルに奏でる弦楽器によるシリアスなドラマ調。フルートも加わるところから曲想はさり気なく長調に転じつつも次第に緊張感は高まりゆき、威勢のいい大合奏が鳴り渡る。いったん落ち着いてからは、ゆったりとしたユーモラスなテーマが現れ、鳥の鳴き声を思わせるフルートやピッコロ、木管楽器が楽しげに活躍する。曲は静かな静かなピアノから、今度はじわじわ少しずつ次第に盛り上がってゆくはずが、勢い余って早くも大音量に......、

「ロッシーニ、クレッシェーン!」

 たまりかねた指揮者が悲鳴のごとく叫ぶと、楽隊は待ちに待ってましたとばかりに一挙に大暴走。大音量だけでなく、指揮者の必死の抑制も効かず、テンポも勝手にアップ。コンサート・ミストレスを含めての、完全なる勘違いであった。

 まさか意味、分かってない?

 絃人は諦めて棒を止めてしまおうかとも思ったが、すぐにいったんは元のシリアスなテーマに戻ったので、次こそは破滅に至らせまいと、皆にあり得ない警告をする。

「クレッシェンド、譜面から消し去って」
「クレッシェンドしちゃダメ。テンポもキープで」

 そして再び魔のロッシーニ・クレッシェンドに差し掛かるところで、

「クレッシェンドしないで!」

 と釘を刺す。
 
 ロッシーニ・クレッシェンドとは、同じメロディーをじわじわ繰り返しながら少しずつ音量を増し、管楽器の高音パッセージと共に、より充実したオーケストレーションへと導き、テンポも自然に速まる形で全体を盛り上げていく、ロッシーニ特有のクレッシェンドである。
 バトル2日目の〈ウィリアム・テル序曲〉では見られなかった手法で、オペラの序曲としては、これから始まりゆく物語への期待、わくわく感を高める絶大な効果がある。
 たとえ有出絃人がクレッシェンドするなと命令しようと、音自体が少しずつ重なり増えてゆくことで、意識せずとも音量は自然と大きくなるもの。しかしクレッシェンドを早くから意識してしまうと、アンサンブルは乱れに乱れ、音量、速度共に収拾がつかなくなる危険もはらんでいる。

 Bチームの面々は、指揮者があえてクレッシェンドするなと言った時点で、コンミスも含め、指揮者殿、ご乱心? と思った鈍い者も居るには居たが、多くの者は初めて、彼の意図するところを理解した。そして2度目の大きなロッシーニ・クレッシェンドでは、理解できなかった者も含めて皆が素直に従った。
 結果は......? 最初の音出しにしては、まあ何となく感触は掴めたか? といったところ。

 オケ人でありながら、「ロッシーニ・クレッシェンドについて分かるように説明を」なんて指揮者に要求する者は居なかったし、指揮者本人も、あえて自分が説明する気にもなれなかった。仲間内で知識と常識を伝え合えば良いだろう。それより肝心の問題は......。
 指揮者がコンミスさんに目線を注ぐ。
 そして2人はしばし、睨めっこの根くらべ。
「Cの前の三連符、ヴァイオリンもヴィオラも乱れまくり。クレッシェンド意識しなくても自然に音、増えてゆきますし、アッチェレランドも意識しないで」
 絃人が口を開き、その言葉には彼女への非難の全てが集約されていた。センスなさすぎの弾き方であったから。
「というより、むしろ速くなり過ぎないように気をつけて。しゃかりきにならないで、もっと落ち着いて。毅然と構えて」
 ただ「はい」と言えば済むことなのに、態度を決めかねてコンミスが返答に迷っていると、指揮者は容赦なくたたみかける。
「フレーズの終わりにくるスラーの頭にアクセントついてるとこ、スコアに沢山ありますが、アクセント、あくまでも頭だけですよ」
 コンミスは肩を落として、ため息をつき、
「あたし、降りたほうが良さそうな気がします。どうも指揮者の要望に応えられそうにないんで。今のうちに」
 無能コンミスが消えてくれる! わあっと拍手したいところを一同は控え、隣のアシスタントコンマスの女性も、お疲れさまでしたね、と軽く肩を撫でて傷心彼女を労う姿勢を見せる。かといって、自分が代わりにその座に収まる気も毛頭ないのだが。
「別所さん? 浜野さん?」
 有出絃人が問いかける。2人がジャンケンしようとしたので、
「ダメ。ちゃんと話し合って決めて下さい。どちらがこの曲に向いてるか」
 と、ぴしゃり。曲をラストまで通したことで様々な問題点が判明したので、貴重な時間を無駄にしたとは思いたくなかったが、安易なコンマス選びは今後改めてゆかねばと、絃人も皆も痛感する。

 ひえ〜。これぞバトルだわ〜。と、助っ人の金光青年は、感激しつつも、これは真剣勝負なのだと気持ちを引き締める。
「ところで冒頭なんですが」
 新コンマスをどちらが引き受けるべきか2人が相談している間に、絃人は小太鼓の助っ人くんが怯えてしまわないよう、オブラートに包んでの助言を試みる。しかも彼の存在が際立ってはマズイので、ティンパニスト氏と両方に話しかける雰囲気で。

「ご存知とは思いますが、このトレモロは、パンパカパーンてな晴れやかな場面じゃなくて、死刑台への行進を導くドラムロールなんですよ」

 この辺りから、おや? 彼は誰? あれは誰だ? という反応が仲間に広がってゆく。謎のエキストラをどっからか調達してきたのか! これが、「誰も見てはならぬ」お達しの所以というわけか!

 そらきた、と覚悟はしていた助っ人くん。視線の集中砲火を一身に浴びつつも冷静に反省する。小太鼓の意味するところがまさか死刑台への導きだったとは知らなかった。ティンパニさんの入り方を完全模倣したつもりだったんだけどな。輝かしい行進と、死刑への導きでは、心持ちも変えねばならないのだ。岬先輩から曲について教えてもらう間もなかったし。

「なので、あんまり嬉しそうに叩かないで頂けると、ありがたいかなあ」

 鬼監督有出にしては、かなり優しい言いようだったし、
「あ〜、すみませんね。なんかつい張り切っちゃって」
 と、ティンパニ奏者の方が気を利かせて罪を被ってみせるという、素晴らしきチームワーク。
 彼のにこやかな表情など誰も見たことがなかったので、強面のまま叩いていたであろうことは皆が分かっていた。しかも楽曲を熟知している傾向の打楽器族。この小太鼓の意味するところだって、当然ながら知っていたはず。流し撮りの録画にも証拠が残っているだろうし。

 ティンパニ氏、意外と優しいんだね、と感心する一同。
 お仲間だった打楽器奏者、健気な谷内みかを、チクチクいじめて脱落に追い込んだという意地悪疑惑は解消された。



93.「誇り高き戦場…には遠く及ばぬ茶番劇」に続く...



♪ ♪ ♪ 今回初登場の人物 ♪ ♪ ♪

学生オーケストラの打楽器奏者(地元民)

岬 彩菜 (ミサキ アヤナ) ゲスト審査員
金光 時生(カネミツ トキオ) 素直な助っ人くん 




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