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脚本版 「オケバトル!」 2. 地獄のオルフェ



目 次

水のしたたる妖魔の独白
ねずみのオーケストラ
2人の鬼監督
ねずみオケの奮闘
華麗なるスタンドプレイ
地獄のオルフェ


登 場 人 物
  (各枠各々登場順)

主要人物
Aチーム
山岸よしえ(52)ヴァイオリン奏者
安部真里亜(47)ヴァイオリン奏者
倉本 早苗(24)クラリネット奏者
沢口江利奈(43)ヴィオラ奏者
有出 絃人(33)ヴァイオリン奏者
白城 貴明(42)チェロ奏者
安条 弘喜(43)トロンボーン奏者
芳村 三咲(37)フルート奏者
桜井さくら(26)ヴァイオリン奏者

Bチーム
会津 夕子(18)ヴァイオリンを学ぶ音大生
倉本 香苗(23)オーボエ奏者
上之 忠司(60)トランペット奏者
阿立 真美(45)ヴァイオリン奏者
山寺 充希(27)ヴァイオリン奏者
紺埜 怜美(43)フルート奏者
多岐川 勉(21)コントラバスを学ぶ音大生
        母がロシア人
別所 正道(39)ヴァイオリン奏者
安方   修  (26)ヴァイオリン奏者

番組スタッフ
宮永 鈴音(32)リポーター
藤野アサミ(54)番組ディレクター
岩谷 則男(45)ステージマネージャー
長岡  幹   (63)番組プロデューサー
青井 杏香(52)作家
ジョージ    (27)画家 本名:丈治清川
           母が英国人

脇役(セリフなし)
よしえの(回想)両親
よしえの(回想)指揮者(老紳士)
  〃     事務員(女性)
谷内みか(28)打楽器奏者
山寺の(回想)両親と祖父母
夕子の(回想)友人

その他
Aチームのメンバー
Bチームのメンバー


第2話 「地獄のオルフェ」



水のしたたる妖魔の独白

◯バトル館の独白ルーム内(夜)
   3人掛けのソファ1台だけの小部屋。
   山岸よしえ、頭や服から水を滴らせな
   がら腰掛け、ため息をついてから前方
   壁面に埋め込まれたカメラ脇の録画ス
   イッチを入れる。
   カメラは見ずに、目をさまよわせなが
   ら低い声でボソボソ語り始める。
よしえ「幼い娘でも......、週に1度だけ、1人
 で大通りの信号を渡るくらい、大丈夫と思っ
 てたんです」
   苦悩に顔を歪め、唇を噛み締め、しば
   し沈黙し、再び話を続ける。
よしえ「小学校では集団の登下校でしたし、
 お友達の家も近所でしたし、何の心配もあ
 りませんでした。週に1回は1人で通って
 いたピアノのレッスンだって、途中に信号
 があっったんです。信号をただひとつだけ」

◯大劇場の舞台(夕)(よしえの回想)
   オーケストラのリハーサル風景。
   大御所風の老紳士がオーケストラを指
   揮している。
   ♪ チャイコフスキー交響曲第5番
    第3楽章の終盤
   40才くらいのよしえ、1stVn.後方で
   ヴァイオリンを奏でている。
   曲が一旦終わったところでスーツ姿の
   女性が下手から足早に現れ、続けよう
   とする指揮者を制止する。
よしえの声「連絡が入ったのは夕方で、ゲネ
 プロの終盤、第3楽章を終え、そのまま重
 厚な終楽章のテーマが鳴り出すところで、
 事務局スタッフが割り込んできて......」
   女性が指揮者に耳打ち(よしえの視点)。
よしえの声「あり得ないことでした。楽章の
 合間とはいえ、高名なマエストロの集中を
 妨げるなんて」
   指揮者と女性がこちらを見る(よしえ
   の視点)。
よしえの声「2人の視線が自分に一直線に向
 けられ、ぞっと戦慄が走りました」
   事務員の女性に促され席を立つよしえ。
よしえの声「身内に何かあった。それとも家
 が焼けたとか? 覚悟しなきゃならない。
 夫か? え? まさか娘が?」

◯バトル館の独白ルーム内(回想終わり)
   よしえ、ソファに半分横になり、放心
   状態で天井を見ている。
よしえ「信号は赤だったそうです。おてんば
 でしたが、赤信号を無謀に突っ切る子では
 なかった。でも、脇にいた若い女性が車両
 の途切れを見計らって、さっと渡ったのに
 つられて、青になったと勘違い、安心して
 足を踏み出してしまったんでしょう。信号
 無視の女性から少し遅れて何の疑問もなく。
 直進の車の前に飛び出す形で」
   身を起こし、カメラに向かって真っ直
   ぐに座り直すも、身体をこわばらせ下
   を向いて話し続ける。
よしえ「何の恐怖も痛みも感じなかったと思
 いたい。そう信じたい。いえ、そうに違い
 ない。車の青年も避けようがなかったはず。
 ですが赤で渡った張本人の女性は永遠に行
 方知らず」
   カメラを凝視してしっかりと告げる。
よしえ「子どもの前で信号無視はいけません」
   再び力なく横たわり、
よしえ「自分だけ渡りきればいいなんて自己
 責任は通用しません。浅はかな自分の行為
 が無垢な女の子の命を奪い、家族を絶望の
 どん底に突き落とし、運転手の純朴な青年
 の将来をも巻き込んで、周囲を大変な悲し
 みや絶望のどん底に陥れたことを、彼女は、
 信号無視の女は、知ってか知らずか」

◯大きな交差点(夕)(よしえの回想)
   片隅に花が供えられている。
   交通量が多い。
よしえの声「花の供えられた交差点の夕刻の
 同じ時間帯に、しばらくの間は亡霊のよう
 に佇んでおりました。信号無視の女がまた
 現れるかも知れない。とんでもない過ちを
 犯したことを思い知らせてやろうと」

◯バトル館の独白ルーム内(回想終わり)
   よしえ、ソファに寝転がった状態。
よしえ「でもそのうち、近所のママ友さんら
 に止められてしまいました。ふらっと車道
 に飛び込みやしないか気が気でないと、毎
 日、交代で見張りに来てくれてたんです。
 そうした友人らの支えで、分からない相手
 を恨んでも憎んでも絶望の思いは空回りす
 るだけと、いつしか気づき、女を追うのは
 諦めました。
   よしえ、身を起こして胸を叩く。
よしえ「だって責めるべきは、オケの仕事を
 優先して娘のレッスンに付き添ってやれな
 かった自分なんです。夫も最初からそう感
 じてたに違いありません。無言の訴えに耐
 えられなくなって離婚しました。オケ生活
 の人生にも別れを告げました。というより、
 もう戻れなかったんです」
   そう言って顔を覆う。

◯パーティー会場(夜)(よしえの回想)
   壁際でピアノを伴奏に奏するよしえ。
よしえの声「ですがヴァイオリンは弾き続け
 ましたよ。私にはそれしかないから。人脈
 パーティーや結婚披露宴などで」
   談笑するビジネスマンら。
よしえの声「殆ど誰も聞いていないような状
 況でしたけどね」

◯結婚披露宴(よしえの回想)
   新郎新婦の入場シーン。
よしえの声「そのうちに、与えられた時間や
 曲数を事務的にこなすだけで、義務は果た
 した気になってきました。
   新郎新婦によるケーキカット。
よしえの声「有名どころを抑えたプログラム
 さえこなせばと。芸術性なんて、どうでも
 いい」
   新郎新婦から両親への花束贈呈
よしえの声「最初のうちはピアニスト同行で
 したが、それもだんだん煩わしくなって」
 
◯セミナー会場(よしえの回想)
   スピーカーの脇で奏するよしえ。
よしえの声「ピアノ伴奏の入ったカラCD持
 参で気軽に1人で巡業するように。ギャラ
 の独り占めってわけですよ。収入なんて全
 然足りないんですもんね。淡々と無難にこ
 なすだけの、魂の宿っていない音楽。心の
 こもっていない演奏」

◯バトル館の独白ルーム内(回想終わり)
   よしえ、落ち着きなくあちこちを見な
   がら、
よしえ「不労所得を提唱する、ちょっと怪し
 いネットビジネスなんかにも、誘われるま
 まに手を染めてみたりしましたが、慣れな
 い上に、結局は信頼を失うだけ。寄り添っ
 て支えてくれてた音楽仲間や友人ら、親戚
 までもが、気づいたら私の周囲から消えて
 たんです」

◯リハーサルスタジオ(よしえの回想)
   弦楽四重奏の練習風景。
   年輩の女性が首を振り、ため息をつい
   ている。
よしえの声『演奏がすっかり亜流になってし
 まいましたね』学生時代の恩師に室内楽に
 誘われた折、ぴしゃりと指摘された上で共
 演もキャンセルされ、ようやく目が覚めま
 した」

◯山岸宅のレッスン室(よしえの回想)
   真剣にヴァイオリンを奏でるよしえ。
よしえの声「ボウイングや運指の練習も、ろ
 くにしていなかった。安売り演奏を続ける
 のは、もうやめないと。実家に戻って、割
 り切って」

◯ひなびたカフェ(よしえの回想)
   ハキハキと、客から注文を取るよしえ。
よしえの声「音楽とは無縁の近所のカフェに
 パートで入ったりして何とか収入を得て、
 一からやり直し」

◯山岸宅のダイニング(夜)
   ダイニングテーブルで、高齢の両親に
   何か言いながら、雑誌を見せるよしえ。
      ×   ×
   『臨時オーケストラ人員オーディション』
   1年後、長期参加可能のプロの音楽家、
   もしくはプロを目指す学生求む。
   と記された広告。
よしえの声「そんな矢先、音楽雑誌の広告で、
 この番組の公募を知ったんです」

◯テレビ局の一室(よしえの回想)
   3人の試験官を前に伸び伸びとヴァイ
   オリンを弾くよしえ。
よしえの声「番組に己の音楽人生を投じるこ
 とで生まれ変わりたい。音楽家として、
 ヴァイオリニストとしての新たな人生を踏
 み出したい」
      ×   ×
   ヴァイオリンを膝に座り、同じ試験
   官らに、涙ながらに訴えるよしえ。
よしえの声「実情を涙で訴えてのオーディショ
 ンを経て参加が決まって......」
   涙ぐむ女性試験官。

◯山岸宅の居間(よしえの回想)
   通知を両親に見せるよしえ。
   力強く頷き、よしえの肩を叩く父親。
   喜んではしゃぎ、拍手する母親。

◯山岸宅のレッスン室(よしえの回想)
   真剣にヴァイオリンを弾くよしえ。
よしえの声「合格から1年間、猛特訓を重ね
 ての挑戦でした。

◯バトル館の独白ルーム内(回想終わり)
   よしえ、前を向き、しゃんとした姿勢
   で座りつつも、視線は定まらない。
よしえ「これが私、山岸よしえの事情です」
   かぶりを振って、
よしえ「ああでも私、やっぱりダメですね。
 初日から浮いてしまいましたからね。皆に
 責められて。オケ人としては、最悪。まだ
 まだ負の波動から脱しきれないんですかね」
   よしえ、再びそわそわし始める。
よしえ「そうそう、今、こうして独白の部屋
 で1人、カメラに話しかけている私が、ど
 うしてずぶ濡れになっているのか、訳をお
 伝えしないといけませんね」
   ゆっくり顔を上げてレンズを直視する。

◯宿泊B棟、倉本香苗と会津夕子の部屋(夜)
   テレビのモニター画面に映るよしえ。
   濡れて垂れ下がる前髪からのぞく生気
   のない瞳。青ざめた不気味な無表情。
   乱れた黒髪から水がしたり落ちている。
   妖怪にしか見えない。
香苗「きゃああああーっ!」
夕子「いやーっ!」
   恐怖の悲鳴を上げて互いの腕にしがみ
   つく、パジャマ姿の香苗と夕子。

◯バトル館のカフェテリア(朝)
   ビュッフェ形式の明るく開放的な空間。
   窓際のテーブルに、沢口江利奈、倉本
   早苗、香苗、夕子の4人。
香苗「何で悲鳴? 何でそこで怖がらなきゃ
 いけないわけ?」
   江利奈と早苗は既に食事を終え珈琲を
   飲んでおり、香苗と夕子は、てんこ盛
   りのプレートをつついている。
香苗「だって彼女、最愛の1人娘を失った悲
 しみを乗り越えようと、希望を胸にバトル
 に参加したってのに、チームの仲間から理
 不尽に責められちゃったわけでしょ」
   香苗がもぐもぐし始めたので、夕子が
   後を続ける。
夕子「で、絶望したあの彼女がずぶ濡れでカ
 メラの前に現れたってことは、私たち当然、
 思い込んじゃったわけですよ。つまり、そ
 の……」
香苗「中庭の池にでも飛び込んで、死んで蘇っ
 て来たとでも?」
   香苗と夕子、気まずそうに顔を見合わ
   せる。
江利奈「大丈夫。彼女ちゃんと生きてるから。
 あそこでルームメイトらしき人と朝ごはん
 食べてる。何食わぬ顔で」
   奥の席で朝食をとる、よしえと安部真
   里亜の姿。
江利奈「夕べは『自分は降ります!』って、リ
 ハ室飛び出してったんだけど、気が変わっ
 たみたいね」
早苗「有出に攻撃されてね」
香苗「やっぱ拒絶男だ」
   江利奈、少し腹を立て、
江利奈「あら、有出さんは逆に彼女をかばっ
 たのよ。自分たちは勝ったんだから、降り
 る必要ないって」
   江利奈、不審の目で倉本姉妹を見る。
江利奈「そのシーン撮影されてたし、きっと
 放送されるでしょうよ。いかにもバトル番
 組にありがちな見せ場だったしね」
夕子「チームに戻るのも気まずいでしょうね」
江利奈「ルームメイトの彼女が説得してくれ
 たのかな」
香苗「そうそう。真里亜っていう同じくヴァ
 イオリンのルームメイトに———」
早苗「安部真里亜さん」
夕子「アベ・マリア!」
早苗「彼女、うっかり『安部さん』と結婚した
 せいで、あんな崇高な名前を持つ身分になっ
 ちゃったんだそうな」
香苗「その神々しい名前の真里亜さまに、よ
 しえはコップの水かけられたんだそうな。
 頭から」
早苗「じゃあ入水自殺未遂とかじゃ、なかっ
 た訳じゃん」
香苗「いやそれは録画の後半に出てきた話で」

◯宿泊B棟、香苗と夕子の部屋(夜)(回想)
   テレビ画面。よしえが語っている。
よしえ「ルームメイトの真里亜さんに、頭か
 ら水をぶっかけられましてね」
   よしえ、乱れた髪を振って水しぶきを
   飛び散らす。
よしえ「『しっかりしなさい!』って。この番
 組のオーディションに受からなかったアー
 ティストのことを考えろと、期待の若手も
 多い中で、経験を積んだ年配の女性として
 の誇りを持って挑み続けるべく使命を認識
 せよと、説得されましてね」

◯バトル館のカフェテリア(朝)(回想終わり)
夕子「『独白ルームで洗いざらいぶちまけてし
 まいなさい』って、そのまま部屋から閉め
 出されたそうなんです」
江利奈「やるじゃない」
早苗「マリアさまのバプテスマ、受けたって
 訳か」
江利奈「ヴァイオリンどうし、ライバルって
 いうのに。愛情深い方なのね」
香苗「彼女、缶ビール飲んでながら、頭に来
 てぶっかけたのがビールじゃなくて、優し
 くもわざわざ洗面所から汲んできた水道水
 だったってところが、独白のオチ、でした」
   香苗が笑う。
早苗「あんたたち、お暇なのね。あたしなん
 か神経クタクタに疲れ果てて、速攻でベッ
 ドに潜り込んだってのに」
   早苗が大あくびをする。
早苗「爆睡したのに。珈琲2杯でも、まだ目
 が覚めない」
夕子「私たち、ただBチームから脱落したヴァ
 イオリン2人の独白、聞きたかっただけな
 んです」
香苗「この先、自分たちが落ちた時の言い訳
 の、参考にしようかと......」
   香苗、もじもじしながら続ける。
香苗「そしたら、先に山岸さんの悲しき告白
 が出てきちゃって」
早苗「あんたたち、意識低すぎ」
   早苗が呆れて妹らを諭す。
早苗「脱落の参考なんかじゃなくて、勝ち残っ
 た時の喜びの声や抱負の言葉を用意すべし!」
   言いながらも、身を乗り出して声を落
   とし、
早苗「で、脱落ペアは、どんな捨て台詞だっ
 た?」
香苗「2人ともおんなじ。『レベル低すぎ。深
 入りせずにすんで、せいせいした』とか、
 『さっさと離脱できて、むしろほっとした』
 って」
江利奈「それ、正解かも」
   江利奈が肩をすくめて続ける。
江利奈「さ、私たちもさっさと引き上げましょ。
 9時からはリハーサルなんだから」
   江利奈、テーブルの上をまとめ始める。
バトラーHの声「ウィリアム・テル!」
   バトラーHがぼそっと言いながら、4
   人のテーブル脇を通り過ぎる。途中、
   他のテーブルにも同様にさりげなく知
   らせながら足早にカフェを出て行く。
早苗「何?」
江利奈「ってことは......、次の課題曲?」

ねずみのオーケストラ

   平穏な朝食の場にざわざわと不穏な空
   気が漂い始める。
   そそくさと席を立つ者も。
江利奈「〈ウィリアム・テル序曲〉って名曲の
 はずなのに、ディズニー・アニメのせいで、
 どうしてもおバカなどんちゃん騒ぎのイメー
 ジが強烈でね」
   江利奈がぼやく。
江利奈「しかもアニメでは曲の構成順、あべ
 こべだしね」
香苗「それって『ミッキーのオーケストラ』?」
夕子「違います~」
   夕子が遠慮がちに訂正する。
夕子「それは〈軽騎兵〉のほう。〈ウィリアム・
 テル〉は、『ミッキーの大演奏会』ですよう。
 音楽とアニメの動きが見事に調和してて、
 脚本がすごいのかな。アニメ史上でも最高
 傑作と思います」
   夕子はすっかりきらきらモード。
早苗「アイスクリーム売りのドナルドが、横
 笛を吹いてオケの邪魔するやつよね?」
香苗「〈ウィリアム・テル〉を演奏してたのに、
 ドナルドにつられて違う曲になっちゃう」
   姉妹が交互に話し始める。
早苗「指揮者のミッキーが怒って取り上げた
 笛を折っても」
香苗「ドナルドは意に介しもせず、マジック
 みたいに懐から何本も出してくる」
早苗「あたし、クラで大まじめにこの曲吹い
 てても、頭のどっかではドナルドの笛の音
 がどーしても聞こえちゃうのよね」
   早苗、〈ウィリアム・テル序曲〉のクラ
   イマックス、「スイス独立軍の行進」の
   テーマ歌い出す。
早苗「タラランタララン、タラランタンタン」
   香苗、ドナルドの〈オクラホマ・ミキ
   サー〉を重ねて歌う。
香苗「タラランランラン、タラランランラン」
   姉妹、手拍子もつけて大はしゃぎ。
   夕子は圧倒されつつも、楽しそう。
早苗と香苗(ハモリながら)「きゃはははー!」
   江利奈、逃げ出すべく椅子を引く。
   早苗がけろっと言う。
早苗「でもアニメでは、オーケストラじゃな
 くて、ブラバンだったよね」
夕子「そう。原題は『ザ・バンド・コンサー
 ト』でした」
江利奈「大昔のアニメなのに、若い皆さんも
 良く知ってるのね」
夕子「私、ああいったディズニー・アニメが
 大好きで、それで育って音楽にも自然と興
 味を持てたんです。ストコフスキーが実際
 に指揮で登場する映画『ファンタジア』な
 んかも」
香苗「夕子さん、ディズニーおたくなんです
 って」
   香苗と夕子は気心も知れている様子。
香苗「しかも、プリンセス系でなくて、ミッ
 キーとかのぬいぐるみ系が好きってね」
夕子「知ってます? 着ぐるみの中の人って、
 ディズニー・リゾートなんかでどんなに暑
 くても、息苦しくても、お客さんの前では
 必ず笑顔でいるんですって」
早苗「見えないのに?」
香苗「すごいサービス精神!」
夕子「中でふてくされてたりしてると愛情は
 伝わらないって。見えてなくても、お客さ
 んには分かっちゃうんですよ」
   江利奈、深く考え込む。
江利奈「演奏にも同じことが言えるかも......」
   香苗、はっとする。
香苗「イングリッシュ・ホルン!」
   香苗、椅子を倒さんばかりに勢いよく
   立ち上がる。
香苗「Bの管楽器は交代で首席を回すルール
 になったんで、次はあたしなんだわ」
   オロオロしながら、
香苗「テルの序曲、イングリッシュ・ホルン
 持ち替えての長大なソロがあるんだわ」
早苗「あたしはどうなるかな」
   早苗も不安そうに席を立つ。
早苗「クラも首席のソロが。もう課題曲、知れ
 渡ってるなら首席の座、また強気男に奪わ
 ちゃったかも」
   江利奈と早苗は先に行く。
   夕子と香苗が食器を片付け終えると、
   カフェはもぬけの殻となっていた。

◯ Bチーム、リハーサル室(朝)
   両翼配置に並びつつ、各々が控えめに
   音出しをしている。
   ティンパニ男性が「皆さーん?」と、
   注意を呼びかける。
   室内、静まり返る。
ティンパニ奏者「パーカッション、今回はエキ
   ストラがいないそうなんです」
   傍には小柄でか弱そうな谷内みか(28)。
ティンパニ奏者「大太鼓は彼女がやるそうな
 ので、トライアングルとシンバルに、どな
 たか回ってくれませんかね」
   多くは我関せずのそぶり。
バトラーF「きのうのこと考えると、指揮者、
 立てますよね?」
   メンバーが状況を整理する。
バトラーH「打楽器2名と、つまり3名は、
 自分の楽器から離れないといけない計算か」
バトラーK「はーい、有志の方〜?」
   誰も手を挙げず、知らん顔。
上之忠司(60)「管からは1人たりとも出せま
 せんよ」
   きっぱり告げるや、弦楽器の面々から
   不満の声が上がり始める。
ヴァイオリンH「いつも弦から犠牲者出せって?」
ヴァイオリンI「そんなの不公平!」
コントラバス首席「弦が大勢だから、1人2
 人減っても音が変わらないだろうなんて、
 とんだ偏見ですよ」
ファゴット首席「だったら弦楽器の譜めくり
 の時はどうなんです?」
   ファゴット奏者がひょうひょうとした
   調子で突っ込みを入れる。
ファゴット首席「譜めくりの瞬間って、プル
 トの片方は弾いていないわけだから、弦の
 音が半分になるはずですよね? でも実際
 の演奏自体には何の影響もない。というこ
 とは、つまり、弦の人数が半分減っても、
 音量は変わらないってことですよ」
2ndVn.A「へりくつだ」
   2nd Vn.の半ば辺りから声が上がる。
2ndVn.A「譜めくりの時は、表の人間が気持ち
 頑張って弾いてるんですよ。潜在意識のレベ
 ルですけどね」
      ×   ×
   片隅で成り行きを見守っていた宮永鈴音
   が、カメラに合図を送り、小声で補足を
   入れる。
鈴音「譜めくり時、半分は弾いていないはず
 なのに音量には変化が感じられない。不思
 議ですよね? この譜めくりの謎について
 は、幾人もの弦楽器奏者が見事にぴったり
 揃って一糸乱れぬひとつの音を奏でる奇跡
 と同様に、オーケストラにおける七不思議
 のひとつともされています」
      ×   ×
チェロ首席「チェロは無理ですよ」
   申し訳なさそうに申告する。
チェロ首席「この曲、チェロの6人全員に各々
 違うパートが当てられてるんです」
   ヴィオラの首席が深く頷く。
ヴィオラ首席「チェロから1人も落とさなく
 て、良かったですね」
阿立真美「となると、ヴァイオリンのファー
 ストとセカンド、ヴィオラから1名ずつ出
 すのが無難ってことかしらね」
   コンミスの真美が、やむなく事態を受
   け入れる。
真美「首席はAからだから、逆に助っ人役は
 後ろから回すのが妥当では? つまり、逆
 アルファベット順ってことで」
ヴィオラA「じゃあ私、トライアングルやり
 ます」
   ヴィオラ最後尾の女性がすかさず手を
   上げる。
ヴィオラA「良く知った曲だし、多分やれる
 と思います」
バトラーH(呟く)「『多分』じゃ困るんだよね」
バトラーK「じゃあ、お前さんがやりなさいよ」
   バトラーH、のけぞり、
   バトラーK、冗談っぽくニヤける。
1stVn.A「僕はシンバルで」
   1st Vn. 最後尾からも明るい声が上がる。
1stVn.A「ちょっとだけ、コツをつかませて
 もらえさえすれば」
   隣の女性に感謝されると、
1stVn.A「いや、指揮者やらされるよりマシ
 だから」
   2nd.ヴァイオリン最後尾に、全員の
   視線が注がれる。
   2nd.最後のプルト内側の山寺充希(27)
   が、びくつきながら我が身を指す。
山寺「え? 僕?」
真美「そう、あなた」
   真美が立ち上がり、威厳を持って弓で
   彼を指し示す。
真美「指揮の経験くらい、どこかでおありで
 しょう?」
山寺「ないです!」
   山寺、飛び上がる。

◯中学校の体育館(山寺の回想)
   合唱コンクールの光景。
   山寺少年が指揮をしている。
      ×   ×
   クラスメイトと喜び合う山寺少年。
      ×   ×
   「指揮者賞」と書かれた賞状。
      ×   ×
   賞を授かる山寺少年。
      ×   ×
   拍手する両親と祖父母。   
      ×   ×
   祖父からヴァイオリンを贈られ、大感
   激の山寺少年。

◯ Bチーム、リハーサル室(回想終わり)
   山寺、慌てふためく。
山寺「指揮なんて、一度も。経験なんて、全
 くないです!」
   断固として、抵抗する。
上之「ねずみだって振ってるんだ!」
   良くとおる声で一喝。
   しばしの静寂。
   山寺、意味を考えつつ固まっている。
   2nd.ヴァイオリン中程の裏の夕子と、
   オーボエの香苗が、うっかり目を合わ
   せてしまい、ううう......と、2人が震
   え始めたのをきっかけに、くくく……、
   といったくすくす笑いがオーケストラ
   全体に伝染し、やがては大笑いが巻き
   起こった。
鈴音「何故、大爆笑の渦が? というと」
   鈴音だけは冷静で、カメラに向かって
   事態を説明する。
鈴音「ねずみだって振ってる? つまり、ね
 ずみとは、かの世界一有名な、ねずみ。ミッ
 キーマウスのことなんですね」
      ×   ×
   「ミッキーの大演奏会」における指揮者
   姿のミッキー。
      ×   ×
鈴音「しかもミッキー、まさにこの〈ウィリア
 ム・テル序曲〉を指揮してるんですもの!
 可笑しくない訳がありませんよね!」
   憮然としている山寺。
鈴音「ですが、ただ1人笑えない方が」
   神妙な面持ちを保っていた山寺は、ヴァ
 イオリンと弓をそっと席に置いてから中央
 に進み出て、用意されてあった譜面台に渋々
 向き合う。
山寺「よろしくお願いします」
   細い声で挨拶し、頭を下げる。
   彼の緊張をほぐすべくコンミスの真美
   が穏やかに声をかける。
真美「マエストロ、お名前は?」
山寺「山寺充希ヤマデラ ミツキといいます」
   か細いネズミの声で山寺は答え、少し
   迷った後につけ加えた。
山寺「通称……、ミッキーです」
   すぐさま高らかな笑い声をあげる金管
   族。
   他も少し遅れて大笑い。
バトラーF「気を利かせた冗談?」
バトラーG「まさか本名?」
   誰もが笑いが止まらない。
   山寺、自らに言い聞かせるように小声で、
山寺「呪われた我が名の、これは運命なんだ」
   笑いの渦に誘われてやろうと辺りを見
   渡し、譜面台の指揮棒を取り上げ、ピッ
   コロの美女に向かって指し示し、厳しい
   口調で言い放つ。
山寺「ドナルド、途中で〈オクラホマ〉になら
 ないで下さいよ」
   ピッコロの紺埜怜美(43)、すかさず反
   応、おどけた調子で〈オクラホマ・ミキ
   サー〉の一節を吹いて、「どうよ?」と
   挑戦的にあごを上げ、アヒルの口に尖ら
   せ見せつける。
   主に弦楽器の一同が膝を叩いて大笑い。
   中には笑いつつぼやく女性陣も。
バトラーF「ちょっと〜、やめてよ〜」
バトラーG「涙で化粧が落ちる〜」

2人の鬼監督(アザミと拒絶男)

   鈴音、楽しい笑いで一件落着した様子
   を見届け、撮影クルーは残したまま、
   音出しが開始される前にリハ室を後に
   する。

◯バトル館の音響調光室(朝)
   照明を抑えた暗めの室内。
   正面の小窓の先には照明の落とされた
   ホールの舞台と客席が見える。
   窓の上方、メインモニター大画面。
   Aチームのリハ室の画像と音が流れて
   いる。
   その左右と下側に並んだ各モニター。
   施設内の各所に設置されたカメラから
   の映像が映っている。
   音響や照明等の膨大な特殊装置が並ぶ。
   数人のスタッフはメインモニターを眺
   めており、ヘッドホンで小モニターを
   チェックしているスタッフもいる。
   鈴音がそっと入って来る。
鈴音「Bチーム、ご覧になってました? ホ
 ント可笑しかったですよ」
   鈴音、メインモニター前の大椅子にどっ
   しり座るディレクター藤野アサミ (54)
   に親しげに笑いかけた。
   しっ! と片手を上げ、アサミは鈴音
   を黙らせた。
   鈴音、ムッとするも黙ることにして、
   Aチームの録画が流されているモニター
   画面を選択し、ヘッドホンを取り上げた。
   途端に、
アサミ「早くAのリハ室に行って、気の利い
 たレポートをとってきてちょうだい」
   アサミから声がかかる。
   鈴音、無言で立ち上がり、ドアを激し
   く閉めて出て行く。

◯バトル館のエントランスロビー(朝)
   ソファでくつろぎ、特設の巨大画面で
   Aチームのリハーサル進行状況を眺め
   ているスタッフ陣。
   華やかな鈴音がその場に現れるや、主
   に男性陣が一斉に身じろぎし、さりげ
   なく姿勢を正し、その場の空気がさっ
   と変わりゆく。
鈴音「Aリハについてのコメントが必要なん
 ですけど、どんな具合ですか?」
   ステージマネージャーの岩谷則男に歩
   み寄り、鈴音が尋ねる。
鈴音「音響調光室でモニター、自分でチェッ
 クしようとしたんだけど、鬼アザミに追い
 出されちゃって」
   鈴音、可愛い膨れっ面。
岩谷「それがですね」
   岩谷、張り切って伝え始める。
岩谷「Aチーム、どうやら朝イチの発表前に
 次の課題、把握してたみたいでしてね。
 かの有出氏が気づいたそうで」
   鈴音、複雑な表情。
鈴音「いやだ。こちらのヒント、バレちゃっ
 たのね」
岩谷「いや、その為のヒントなんだから」

◯ホール舞台(夜)(鈴音の回想)
   鈴音、気取って語っている。
鈴音「この形式は、かのロッシーニの名曲、
 《ウィリアム・テル》序曲でも同様で———」
有出絃人「ちょっと!」
   有出が止めに入る。

◯ バトル館のエントランスロビー(回想終わり)
   鈴音、悔しそうに、
鈴音「あの拒絶男ったら! 失礼にもトーク、
 止めさせたくせに」
岩谷「こちらがパート譜配るより早く、夜中
 のうちに地下のライブラリーからパート譜
 集めてきて主要パートに配ったんだそうな」
   岩谷、手持ちのタブレットを操作する。

(モニター画面内、固定カメラによる過去映像)
◯Aチームリハーサル室(朝)
   チェロ奏者6人が合わせている。
   ♪ 〈ウィリアム・テル序曲〉夜明け
      ×   ×
   コントラバス1名とティンパニが加
   わる。
   有出、総譜を膝に、様子を見守って
   いる。
      ×   ×
   金管楽器の8人が定位置でファンファー
   レを吹いている。
   ♪〈ウィリアム・テル序曲〉
    スイス独立軍の行進、冒頭
      ×   ×
   有出、チェロ、コントラバス、ティン
   パニ奏者らが楽しげにに見守っている。

(映像終わり)
◯ バトル館のエントランスロビー
   岩谷、タブレットを操作し終え、
   鈴音、少し離れる。
岩谷「何でもフルート男性、相方の女性には
 何も告げず、オーボエ青年に朝イチで奇襲
 をかけて先手を打ち、中間部の長ーい聞か
 せどころ、2人で勝手に仕上げちゃったそ
 うですよ」

(岩谷の空想)
◯宿泊A棟、オーボエ&ヴィオラ青年の
 部屋(朝)
   熱心にリードを削るオーボエ青年。
   フルート男性が譜面と共に乱入。
   イングリッシュホルンがケースから出さ
   れ、その場で合わせが始まる。
   ♪〈ウィリアム・テル序曲〉牧歌
    イングリッシュホルンのソロに、
    フルートの技巧的オブリガート。
      ×   ×
   頭からブランケットと枕を被り、寝込
   みを決め込むヴィオラ青年。

(空想終わり)
◯ 元のエントランスロビー

鈴音「全員に知らせた訳じゃないのね。ふうん」
岩谷「今朝の朝食時ですら知らなかったメンバー
 もいたようで」
鈴音「一悶着ありそう」
岩谷「その一悶着が、今、まさに」
鈴音「えっ!?」
岩谷「拒絶男がピッコロ嬢と———」
   聞き終えぬうちに鈴音、身を翻す。
岩谷「何やら揉めてる......、ようで......」
   鈴音のスマートに走り去る姿。

◯Aチームリハーサル室(朝)
   チーム全員が揃っている中、総譜を手
   にした有出が、木管の前で注文をつけ
   ている。
芳村三咲「ピッコロにピッコロの音を出すなっ
 て、意味不明なんですけど!」
有出「ソロの音量は、どうぞご自身の判断で。
 恥をかくのは本人ですからね。ですが、
 トゥッティで、あなたのオクターヴ下を奏
 でるフルートやヴァイオリン全員の音がか
 き消されてしまう程、ピッコロだけがやた
 ら目立ち過ぎると、曲全体がどうしても幼
 稚な印象になってしまうんです。そこは抑
 えてもらわないと」
   目を三角につり上げ、頬を膨らせて抵
   抗の意思を示すピッコロ奏者。
有出「抑えられます? 音量を。それとも、
 できない?」
   冷たく言い放つ有出
三咲「信じらんない! 楽譜、書き換えようっ
 てんですか?」
有出「これは命令ではなくて、あくまで提案
 だということをお忘れなく」
   慇懃無礼に言い放つ。
有出「だけど、その方が確実に音楽が自然に
 流れるんです」
   三咲、別人のように声を恐ろしく低く
   落とし、周囲にも確認を求めるべく、
   ゆっくりと言ってみる。
三咲「ロッシーニの原曲が、不自然だと言わ
 れるんですね?」
   有出、諦めの口調で質問を返す。
有出「本当に、何の疑問もなく吹いてたんで
 すか? 長年、この下降音階を。何の疑問
 もなく」
   有出、淡々と続ける。
有出「音を変えろと言ってるんじゃなくて、
 高音で繰り返される下降音階を、2度目は
 音量を落とすか、あるいは実際に皆と一緒
 にそのままオクターヴ下がって、全合奏の
 下降音を強調する必要があるんです」
   三咲、何も答えない。
   フルート首席の男性が、たまりかねた
   ように脇から異議を唱える。
フルート首席「ですがフルートだって、ピッ
 コロのオクターヴ下なだけで、二度目の音
 階フレーズも同じように再び上がってから
 降りてくるんですよ?」
有出「彼女のたいそうなご活躍のおかげで、
 フルートなんて全く聞こえないから。気に
 しなくて大丈夫です」
フルート首席(ムッとしつつ)「あ、そうです
 か」
   三咲、有出を睨みつけながら、
三咲(心の中で)「キィーッ!」
      ×   ×
   あちこちで、コソコソ話。
バトラーA「確かにフルートの音、キンキン
 ピッコロのせいで完全にかき消されてます
 よね」
バトラーB「いや、消されてるの、フルート
 だけでなく、あんなにピーピーヤラレちゃ、
 他の音もみんな埋もれちゃう」
バトラーC「どころか、オケ全体の音色、ド
 派手の台無しになりかねない」
      ×   ×
   有出、哀れみの表情でぼそり。
有出「鋭い音ばかり吹いていて、耳がおかし
 くなってるのかも」
   三咲、カンカンに頭に来て、
三咲「そもそもあたしだって、好きでピッコ
 ロに回ったわけじゃないんです!」
   今度は相方フルートへの攻撃体制に。
三咲「この人にフルートのパート、横取りさ
 れたんです。昨日だって、後から来たくせ
 に当然のごとく首席を奪い取って」
フルート首席「実力行使ってものですよ」
   相方を蹴飛ばしモードへ豹変。
フルート首席「お見受けしたところ、お嬢さ
 んは感情コントロールが苦手なようですし、
 この曲のフルートの超絶技巧オブリガート、
 冷静にイングリッシュ・ホルンに乗せて吹
 くのは、まあ、無理じゃないすかね。焦り
 に焦りまくって、イングリッシュ・ホルン
 もろとも壊滅するのがオチかなあ」
浅田「ちょっとちょっと」
   コンマスの浅田が立ち上がる。
浅田「貴重なリハの時間なんですから、そう
 したパート内での争いごとは持ち込まない
 でくださいよ」
フルート首席「失礼しました」
   慇懃無礼に謝罪する。
フルート首席「とりあえず、有出さん個人の
 音楽的見解を、検討しちゃいましょうか」
有出「個人的見解ではないですよ」
   一応釘を刺した上で説明する。
有出「リハ室ではそんなに気にならない音で
 も、本番の舞台では音響が全く違う。鋭い
 高音がやたら響いてしまう、ここのホール
 だからこそ必要なことなんです」
   あくまでも静かなる口調の有出。
有出「バトルだからこそ他がやらないこと、
 皆が信じて疑わないスコアの盲点、つまり
 会場によっては際立ってしまう音の不自然
 なバランスなんかをきちんと確認して、可
 能な範囲で調整していく必要があるんです」
   それでも、態度を崩さない三咲に、有出、
   とどめの一撃を放つ。
有出「クラウディオ・アバドのようなマエス
 トロは、こうしたことはきちんとやってま
 すよ」
      ×   ×
   鈴音、遠巻きに様子を見ながら、
鈴音「亡き偉大な巨匠の名を持ち出されまし
 たね」
   カメラに向かって軽く説明を入れる。
鈴音「これまでに誰も成し得なかったことを
 成し遂げた、今は亡き偉大な指揮者、クラ
 ウディオ・アバド。有出さんは、彼の例に
 倣っての意見とも受け取れますね」
      ×   ×
三咲「分かりました」
   それが聞こえたか、三咲が折れる姿勢
   を見せる。
三咲「アバドがそうされてたのなら」
      ×   ×
   一同、ヤレヤレとため息をつく。
浅田「じゃあ仕切り直しですね! 有出さん」
   険悪な雰囲気を変えるべく、明るい調
   子で有出を立てる。
   有出、指揮者の位置に着く。
有出「今の問題のとこ、片付けちゃいましょ。
 411からラストまで、そのまま行きます」
      ×   ×
   鈴音、音出しが始まる前に撮影クルー
   に合図して、リハ室から退出する。

◯Aチームリハーサル室の外
   鈴音、カメラに向かって、
鈴音「今回、なくても大丈夫でしょうという
 ことで、指揮者は立てないことにしたAチー
 ムでしたが、リハーサルの仕切り役は、や
 はり必要。パートごとの周到な事前合わせ
 のおかげで、全体リハ時間の大幅短縮を得
 たものの、楽曲のとらえ方において、仕切
 り役とピッコロ奏者の間で衝突があったよ
 うですね」
   一旦、間をおいて首を傾げる。
鈴音「果たして本番で、どのような効果が得
 られましょうか。審査員の講評も楽しみで
 す」
   鈴音、話をやめ、クルーにリハ室に戻
   るよう促す。
 
◯Aチームリハーサル室
   有出が指揮をしている。
   ♪〈ウィリアム・テル序曲〉
    クライマックス
鈴音の声「ヴァイオリンの有出絃人。女性を
 見下すエゴイストなのか、チームを勝利へ
 と導く救世主なのか。果たして争いの成果
 は如何に……?」
   全員が真剣に奏でている。

ねずみオケの奮闘

◯バトル会場のホール舞台
   全体照明の落とされた舞台。
   両翼配置のセッティング。
   ヴァイオリンを抱え、下手側のスタン
   ドマイクに向かい、スポットライトを
   浴びてカメラに語り始める鈴音。
鈴音「ウィリアム・テルは、スイス独立運動
 の象徴的存在の英雄として、文豪シラーの
 戯曲で広く世に知られるようになりました」

◯ホール上手側の舞台袖
   各々楽器を手に待機するBチームの面々。
   服装はモノトーンで統一している。
香苗「今回は入場前に司会が解説入れるんだ」
夕子「『トーク聞きながら舞台でじっと待たさ
 れるって、フェアじゃない』って、脱落の
 2人が独白ルームで言い捨ててくれてまし
 たものね」
山寺「素晴らしい! 最後まで役に立ってく
 れたとは」
真美「惜しい人材を失いましたね」
香苗「でも結局は、こうして立ちん坊で待た
 されるんだから、同じことでは?」
真美「なら座ってた方が楽だったりして?」
山寺「まあ、聞いてあげましょうよ。彼女の
 解説、結構的を射てますし」
怜美「青井杏香さんの台本ですって」
夕子「でも鈴音さん、空で語ってる」
怜美「自分の言葉で。彼女、相当な努力家で
 すよ、きっと」
   袖の小窓から見える鈴音の姿。

◯ホール舞台
   スラスラと語り続ける鈴音。
鈴音「彼の存在した物的証拠がないため、実
 在とも架空とも言われてますが、スイス人
 の多くは、やはり英雄テルの存在を『信じ
 ていたい』ことでしょう。悪代官の命令に
 従い、幼い息子の頭上に置かれたリンゴを
 矢で射落とす、というエピソードも有名で
 すね!」
   そこまで語ってからおもむろに、手に
   していたヴァイオリンをウィリアム・
   テルのクロスボウに見立てて横に構え、
   パン! と上手に向けて弓を放つよう
   な仕草をする。
鈴音「あーっ、もうっ」
   カメラに向かって首を切る動作。
鈴音「まるで猿芝居。今のはカットで」
   深呼吸して、キリっと真面目な表情で
   説明を続けていく。
鈴音「ロッシーニのオペラでは、バスの歌い
 手によるウィリアム・テルを中心とした抵
 抗運動、自由と独立の精神が、風光明媚な
 スイスの圧倒的な自然描写を背景に描かれ
 ています。物語は、テノールの二枚目青年
 アーノルドが、悪代官に父親を殺され復讐
 を誓いつつも、その代官の娘との恋に揺れ
 る想いなども挟まれ、五時間級の大作となっ
 ています。
 残念ながら、全幕が上演される機会は今日
 では滅多にありませんが、この序曲だけは
 広く親しまれていて、演奏会では、トラン
 ペットの高らかなファンファーレに始まる
 大変華やかな『スイス独立軍の行進』部分だ
 けが取り上げられることも、しばしば見受
 けられます」
   鈴音はそこで話を切り、弓を軽く飛ば
   すスピッカートの動作で、スイス独立
   軍のテーマをそっと奏でてみせる。
鈴音「この、弾力を利用して弓を弾ませるス
 ピッカートという奏法は、こうした早いパッ
 セージを弾くのに効果的なんですよ」
   そこで声を明るくして、
鈴音「さあ、バトル2曲目の演奏開始です!」
   舞台全体に照明が点される。
   Bチームの面々がそぞろ出てくる。
鈴音「おや? 先攻のBチームも、本日は服
 装をシックな路線に整えてきたようですね。
 気合い充分といったところでしょうか」
   香苗によるチューニングを経て、
   審査員が客席に入る。
   いよいよ準備が整ったところで、
   山寺がネズミ走りよろしく小走りに現れ、
   指揮台にぴょん! と飛び乗った。
鈴音「あー」
   鈴音、心配そうに身を引き、小声で、
鈴音「威勢のいい指揮者がよくやる小走り登
 場は、実はキケンなんです。勢い余ってヴァ
 イオリンの譜面台を倒しながら指揮台に、
 つんのめるか、飛び乗り損ねて客席側に
 落っこちたりの事故報告もありまして」
   鈴音、本番モードに切り替え、舞台の
   中央に堂々と進み出る。
   ん? と、訝しがるBの面々。
鈴音「さあ、勝敗や如何に!? といった緊迫の
 場面ですが、番組の初回放送はこれにて
 終了ー!」
   えっ! ええーっ!? とBチーム。
鈴音「視聴者の皆さん、来週をどうぞお楽しみ
 に! 次回は〈ウィリアム・テル〉を始め、
 3つの序曲が競われます」
   声のトーンを更に高らかに、
鈴音「司会はわたくし、宮永鈴音でしたー!」
   と締めくくる。
   彼女は客席の審査員らに手を振って、
   優雅に下手に立ち去る。
   舞台に取り残されたBの面々は誰もが
   愕然とする。
バトラーH「なんじゃ? この展開?」
バトラーI「うちら、これから演奏を始めよ
 うってのに?」
バトラーK「え? 何? ここで終わっちま
 うんですかい?」
   動揺、あるいは腹を立てるBのメンバー。
   指揮台に立つ山寺は冷静に一同を見渡し、
山寺「これは終わりでなく、始まりなんです」
   と、しっかりした声色で告げる。
山寺「これは番組で、今から第2回の収録が
 始まる、ということです。栄えある開始の
 曲を、我々の勝利の演奏で飾ろうではあり
 ませんか!」
金管族「おーっ!」
   感動したBの全員から盛んな拍手。
   山寺、小声で、
山寺「仕切り直し、ということで」
   全員を起立させ、客席の審査員らに深々
   と、一礼。
   長岡幹が、「実力を見せてくれたまえ」
   とばかりに深く頷く。
   山寺、仲間に向き直り、オケ全体を見
   渡し、大きく頷いから、指揮棒を宙に
   構えた。

◯ホール舞台と客席
   ♪〈ウィリアム・テル序曲〉の終盤
   Aチームが華々しく演奏を終える。
      ×   ×
   客席で無表情の拍手をするBチーム。
      ×   ×
   審査員らが何か喋っている様子。
      ×   ×
ジョージ「指揮者が必死で抑えようとしても、
 全体の勢いはもはや止まらず、ラストに向
 けてひたすら突っ走ってしまいましたよね」
   客席Bチームの多くが居心地悪そう。
ジョージ「あふれんばかりの凄まじいエネルギ
 ー、全身で演奏を心から楽しんでいる様子は、
 整然と整ったAの演奏から受ける印象とは、
 全く別次元のもの。とどまり知らずの情熱
 が舞台からどーっと押し寄せてきて、息も
 詰まるほどでしたよ」
   と、熱き感動の言葉を述べる。
バトラーI「え? 何? もしかして、うち
 ら褒められてるの?」
   と、期待しつつ首を傾げるBの面々。
長岡「いや、それはアマチュアの世界の話だね」
   長岡、冷酷に釘を刺す。
長岡「演奏側からの感動や情熱の押しつけは、
 聞き手にとっては大迷惑なんだよね」
   再び肩を落とすBの面々。
杏香「私も長岡さんと同意見ですが」
   青井杏香、前置きした上で、
杏香「たとえば俗にいうヴィルトゥオーゾ的な、
 つまり名人芸的な演奏を求める聴衆のように、
 奏者本人からの圧倒的エネルギーを受け取
 りたくて舞台に熱心に足を運ぶ方たちが多
 いのも、現状ですし、一般の視聴者は、B
 の演奏の方が面白いと感じるかも知れませ
 んね」
長岡「これが視聴者受け狙いの楽しいバラエ
 ティー番組だったらね」
   長岡、皮肉を言いながら、
長岡「しかし我々が長年、このバトルシリー
 ズで目指してきたのは、見せかけのパフォー
 マンスでなく、真の芸術家の発掘と、優れ
 た芸術性を見極める視聴者の眼識を養って
 もらいたいからなんだよ」
ジョージ「そうでしたね」
   すかさず反応する。
ジョージ「素晴らしい番組姿勢ですよね」
長岡「Aのように冷静、客観的な演奏姿勢か
 らこそ、楽曲の本来持つ、無限のエネルギー
 というものが導き出せるんじゃないかな。
 感情や情熱を内に秘め、焦ったり走ったり、
 破綻することなく。そうしたことが出来た
 時こそ、音楽に携わる真の喜びというもの
 を得られるんだ」
   長岡、客席の山寺を探すように後ろを
   見やり、
長岡「その点、指揮者は常に冷静だったね。
 とはいえ、途中からスコアを見なくなった
 のは、演奏にのめり込みすぎてスコアどこ
 ろじゃなかった、ということかな?」
山寺「はい、ここです」
   客席後方の山寺が手を挙げ立ち上がる。
山寺「持ち慣れない指揮棒で拍子をとりながら、
 左手では頻繁にスコアの譜めくりをしつつ、
 同時にそこここで各パートに合図を送る、
 なんて、到底ゆとりがなかったんです」
長岡「暗譜にかけてスコアは捨てて、オケへ
 の指示に集中したというわけか」
山寺「いえいえ、暗譜なんて、とても」
   正直に告白する。
山寺「ただ楽譜から離れて、目の前で起こっ
 ている音楽の流れの奇跡に集中したかった
 だけなんです」
ジョージ「そうなんだ!」
   よく分かるよ! と賛同する。
ジョージ「もう、どうにも止まらない音楽の
 流れ、ね。本番でこそ起こりうる奇跡の。
 そうしたことに、僕は感動したんです。そ
 れは杏香さんが言われたような、名人芸の
 見せつけや大迫力の押しつけなんかじゃなく、
 あくまで純粋な音楽の喜びからくる素直な
 感性として、ね」
   それから少し言いにくそうに、
ジョージ「トランペットに続くファンファー
 レの、ホルンの誰かが音を外して悲惨だっ
 たとか、中間部のイングリッシュ・ホルン
 の歌い方に一貫性がなくて、上に乗せる軽
 やかな小鳥のさえずりを思わせる見事すぎ
 るフルートが実にもったいなかったとか、
 その為に、合わせる弦のピッツィカートも
 バラバラだったとか、ピッコロの音が始終
 キンキンしすぎて耳がおかしくなりそうだっ
 たとか──」
   続けるジョージに、長岡が確認する。
長岡「それ、全部Bチームのことだよね?」
ジョージ「そうです」
   ガッカリするBチーム。
真美「あんまりですよ、ジョージさん」
香苗「味方についてくれたんじゃなかったの?」
ジョージ「だけど、そうした難点もぜーんぶ
 忘れさせてしまうくらい、Bの勢いは素晴
 らしかったから、僕はBチームに勝たせて
 あげたいな」
   わあっ! と客席のBチーム。
杏香「残念ね、ジョージ」
   熱きジョージを宥めながら、
杏香「私はAだし、長岡プロデューサーだっ
 て、当然Aですよね」
長岡「もちろんだ」
鈴音「ですが、昨日の3対0よりは、進歩し
 ましたね!」
   司会の明るい声が、審査員どうしで険
   悪になりそうな流れをやんわり遮断する。
鈴音「今回は、2対1なんですもの」
ジョージ「だけどもしかして」
   ジョージがひと言つけ加える。
ジョージ「仮にAチームの演奏が先だったら、
 Aの方がいいと思ったかも」
   声にならない悲鳴をあげて、ムンクの
   「叫び」状態となるBの面々。
   数人が小声で嘆く。
バトラーH「ジョージさ~ん」
バトラーK「頼みますから、もうそれ以上、何
 も言わないでー!」
   長岡の、おいおいジョージ、それはな
   いだろう? という視線に対し、
   当のジョージはあっけらかんと、
ジョージ「僕、審査のプロって訳でないし、
 長岡さんや杏香さんみたいに、曲を熟知し
 てるって訳でもない。テンポや勢い、緩急
 や強弱のメリハリ、最初に聴いた印象が素
 晴らしいと感じたら、それが植え付けられ
 ちゃうから」
   そして一応、念を押しておく。
ジョージ「どちらも等しいくらい演奏が良ろ
 しければ、の場合ですよ」
   鈴音、会話が途切れた様子を見計らい、
鈴音「それでは決まりでよろしいでしょうか?」
   審査員陣に確認する。
長岡「勝利はAチームに」
   舞台に残っていたAチーム、歓声は上
   がらずとも、安堵のため息と拍手に包
   まれる。
長岡「とんだ大失態というもなかったし、脱
 落は2名ね」
鈴音「審査の先生方、勝利のAチームの演奏
 については? 何か講評やアドバイスなど
 はありますか?」
   司会に明るい調子で促され、
長岡「Aチームのピッコロだがね」
   長岡氏が質問する。
長岡「ラスト近くの音階について、説明して
 もらえるかな?」
   舞台のAチームには緊張が走り、
   客席のBチームはコソコソ話。
バトラーH「これって罠だよね?」
バトラーK「責められるのか、褒められるの
 か?」
   今回はヴァイオリンに回っていた有出
   が、コンマスの背後から立ち上がるや、
長岡「吹いた本人から」
三咲「どのように聞こえましたか?」
フルート首席「舞台では我々、明確な音響効
 果は分からないんです」
   相方も言葉を添える。
長岡「では質問を変えよう」
   長岡、総譜をめくりながら、
長岡「どのような意図でスコアに修正を加え
 たのかな?」
フルート首席「我々の意図ではなく、ロッシー
 ニの意図として、ですね──」
   再び首席の男性が慎重に口を開くと、
長岡「首席でなく、ピッコロを奏した本人が
 答えてくれたまえ」
   と、ぴしゃり。
   三咲、慌てて席を立ち、
三咲「あたしのせいじゃ、ないんです!」
バトラーA(小声で)「うわっ。責任逃れ!?」
   舞台では、ため息をつき、肩を落とす
   そぶりを見せる者も数人。
長岡「しかしだね、ひとたび本番で音を出し
 たのなら、どんな事情があろうとも全責任
 は奏者本人にあるんだよ」
   長岡、首を傾げる。
長岡「作曲当時どうだったかは知らないが、
 今にして思えばロッシーニだって、全体の
 印象としては音階を下げていきたかったの
 ではないかと思えるんだよ。それをいたず
 らに楽譜を書き換えるのではなく、会場の
 音響を配慮した微妙な調整で、目立ちすぎ
 るピッコロのみ、音階の2度目の音量を落
 としたことで、音楽が実に自然な流れになっ
 た」
   そこで客席のBチームを振り返り、
長岡「その点、Bでは残念だったがね」
   Bの面々、不満げに顔を見合わせる。
長岡「ピッコロ君のお手柄じゃないと言う
 なら、誰のアイディアなのか大方予測は
 つくし、彼のような人物が、『オケ・マイ
 スター』の筆頭候補になってゆくんだろ
 うね」
   一気に語り、締めくくる。
香苗「『彼』って言った」
夕子「有出さんのこと?」
真美「なんか展開、よく分かんないけど、確
 かにAの演奏、どこか格調高く、洗練され
 て、キツすぎる響き、なかったかもね」
山寺「悔しいけど認めましょう」
バトラーK「だけどアーティストのジョージは、
 我々の味方についたんだもんね!」
バトラーJ「大いなる自信になりますね!」
   談笑している審査員らの姿。

華麗なるスタンドプレイ

◯ホール客席
   客席に残る一同の前に山寺と阿立が立
   ち、皆に詫びている様子。
バトラーH「指揮に関しては、ムードメイカー
 でもあるミッキー氏に再びご登場願いたい
 ものですね」
怜美「そうですよ! 審査員にも認められて
 たじゃないですか。続けて下さいよ!」
真美「コンマスは降りる運命として、私は責
 任とりたいので」
   そっと山寺に言ってから、爽やかに、
真美「はい。あと1人道連れさん、弦楽器か
 らジャンケンにしませんか? あたしに1
 番勝っちゃった方がギセイ者ということで」
      ×   ×
   皆が真美を相手にジャンケンで勝負す
   る光景。
   ヴィオラの女性が道連れとされる。

◯Bチームリハーサル室の外
   ソファのあるドリンクコーナーを備え
   た一角で1人、スケールやロングトー
   ンといったトランペットの基礎練をし
   ている上之忠司。
   番組スタッフが、パート譜を両腕に水
   平に重そうに抱えてやって来る。
   上之、どうぞ、とリハ室のドアを開け
   てやる際、楽譜の表紙をチラリと見る。
      ×   ×
   (ドイツ語で)「スッペ《軽騎兵》序曲」と
   書かれている。
      ×   ×
   上之、高らかに笑い、室内に向けてファ
   ンファーレを吹き鳴らす。
   ♪ スッペ〈軽騎兵序曲〉の冒頭
   室内に居た半数程のBチームメンバー、
   はっと静まりかえる。
      ×   ×
   スタッフの手で入口脇の机に置かれる
   各楽器のパート譜。
      ×   ×
山寺「軽騎兵序曲?」
怜美「そういえば鈴音さん、本日は3つの序
 曲って言ってましたものね」
   アシスタントコンマスの位置に不安な
   表情で座っていた夕子と、オーボエを
   手に、励ますように側に立っていた
   香苗、はっと目を合わせ、
夕子と香苗(同時に)「ミッキーのオーケスト
 ラ!」
   今回コンマスの、安方修(26)が面白
   がって、2人に尋ねる。
安方「え? またディズニー?」
夕子「はあい、そうみたいですね」
   夕子、嬉しそうに説明する。
夕子「往年のディズニーアニメで、ミッキー
 率いる楽団が、ラジオ収録ってのに壊れた
 楽器やなんかで〈軽騎兵〉演奏する羽目に
 なっちゃう話で」
香苗「あんまりの破茶滅茶ぶりに大失敗と思
 いきや、ラジオの聞き手には大受け。結局
 は大成功っていう、おバカで楽しいアニメ
 なんでーす」
安方「ふむ。我々はディズニーのノリで失敗
 したのではなく、審査員の1人から高評価
 を得られた訳だし、勝利に向けての1歩を
 踏み出せたのだと前向きに解釈しようでは
 ありませんか」
バトラーH「いこうぜ! 山寺ミツキ! 
 ミッキーのオーケストラ!」
   一同、気鋭を上げ、躊躇する山寺を指
   揮台に促しゆく。

◯Aチームリハーサル室
   多くが平行配置の定位置に着席し、
   数人は席から立ち上がって意見を述べ
   ている。   
安条弘喜「先攻、それとも時間稼ぎで、また後攻
 にします?」
浅田「今回は、お試しで先攻を選択にしてみ
 ませんか?」
   浅田、提案してから言い添える。
浅田「あ、いやジョージさんの『先に聞いた方
 がいいと思っちゃうかも』発言は関係ナシに」
安条「まだ夜のバトルもある訳だし、さっさ
 と片付けちゃって客席でBの演奏聴いてみ
 るのもいいんじゃないですか?」
   コンミスの位置に立つ真里亜も賛同する。
真里亜「いいと思います」
   毅然と言ってから、隣のよしえに、
真里亜「あいうえお順のせいで、いきなりコン
 ミスなんて、一刻も早く逃れたいしね」
   肩をすくめて小声でぼやく。
   2ndVn.首席に座る有出が、最後尾を振
   り返りながら浅田に問いかける。
有出「浅田さん、さっきは指揮者ナシでコン
 マスされて、感触良かったみたいですし、
 指揮、されてみませんか?」
浅田「うーん。そうですねえ」
   浅田が遠慮がちに続ける。
浅田「テルでは、指揮者不在で弾きながらで
 は、中々伝えきれなかったもどかしさもあ
 りまして。まあ、指揮台に乗るのも良いか
 なと。皆さんさえよろしければ」
   「勿論ですとも!」と一同、感謝の拍手
   で歓迎する。
      ×   ×
   中央の指揮台付近で、浅田と有出が総
   譜を見ながら話し合っている。
   そのすぐ傍らで、真里亜がよしえに、
真里亜「チャールダーシュの、ここのとこの
 ボウイング、迷うところなんですけど」
   と、真里亜が2種類のボウイングを軽
   めに弾いてみせる。
真里亜「どっちがいいかしら」
よしえ「んー」
   自分も弾いてみて、
よしえ「他のパートにも聞いてみたら?」
   浅田がさっと反応し、
浅田「じゃあ、弦だけそこをやってみましょう」
   浅田が弦の皆に促し、音頭をとる。
浅田「チャールダーシュのとこから!」
   ♪〈軽騎兵序曲〉チャールダーシュ部の
    冒頭
浅田「音楽的にも視覚的にも、どちらも大差
 なさそうですね」
有出「チャールダーシュの踊りだったら、こ
 んな感じでしょ?」
   と、さらっと身体を動かして見せる。
   絶妙な身体のひねりも加えた素晴らし
   き瞬間芸に、弦以外の一同もはっとする。
有出「なので最初にやったほう、オーソドッ
 クスな弓順の方が自然ですね」
      ×   ×
   真里亜、空想する。
真里亜「見逃した皆さんのために、もう一度
 お願いします!」
      ×   ×
   真里亜、有出へのリクエストを諦め、
   ポーカーフェイスで、
真里亜「分かりました」
   と頷くのみに。
   浅田、すっかり感心して、有出に、
浅田「バレエでもやってたんですかい?」
有出「まさか。ただ、チャールダーシュだっ
 たら、そうしたものかと」
   と、軽く交わす。
真里亜「では、ボウイングに迷ったら、踊っ
 てみればいいのね」
 と、本気の冗談で彼らに調子を合わせゆく。

◯バトル会場ホールの舞台と客席
   鈴音が下手のスタンドマイク前で解説
   を入れている。
鈴音「ウィンナ・オペレッタの父といわれる
 スッペの喜歌劇《軽騎兵》。南ドイツにおけ
 る派手やかな軍隊生活を舞台に、恋のさや
 当てが繰り広げられるという物語ですが、
 残念ながら今日では全く上演されないどこ
 ろか、総譜や資料も残っておらず、この
 〈序曲〉だけが大変有名な曲として、演奏会
 でもさかんに取り上げられています」
   鈴音、ヴァイオリンを構え、主なテー
   マを言葉と演奏で紹介していく。
鈴音「勇壮なファンファーレに始まり」
   ♪ 冒頭ファンファーレ
鈴音「ヴァイオリンが素速く駆け巡る緊迫の
 展開に」
   ♪ 動きの速い中間部
鈴音「軽快なマーチ」
   ♪ 付点のリズムが特徴的なマーチ
鈴音「途中、哀愁誘うチャールダーシュが
 弦によって奏でられ」
   ♪ チャールダーシュ
   Aチームが決めたものとは異なるボウ
   イングで奏される。
   鈴音、演奏付き解説を終えて、
鈴音「それでは、序曲に散りばめられた魅惑
 的な音楽を、どうぞご堪能くださいませ!」
   鈴音と入れ替わりに、下手からAチー
   ムが入場。皆から遅れてコンミスの真
   里亜が登場、チューニングを終えると、
   指揮の浅田が堂々と現れて、一礼して
   から指揮台に乗る。
   ♪ 〈軽騎兵序曲〉抜粋
   鈴音が紹介した箇所がオーケストラで
   奏される。
   かっこよく、スマートで軽快な演奏。
      ×   ×
   演奏を終え、下手の袖に下がるAチーム。
   ステージマネージャーの岩谷以下、番
   組裏方スタッフらが、迅速に舞台を整
   え直していく。
      ×   ×
   客席に散らばるAの面々。
   中には中央の最前列を含む前方に固
   まり、腕組みに仏頂面でずらりと座る
   メンバーらも。
よしえ「あーあ、あんなことして」
真里亜「Bにプレッシャー、与えようと?
 にしても、あからさますぎ」
よしえ「同じように仕返しされるとは考えな
 いのかね?」
   と、冷ややかな視線を仲間に投げる。
      ×   ×
   舞台に出てきたBチームのうち、弦と
   木管の一部の者が不穏な様子。
   極端に緊張し、こわばっているよう。
      ×   ×
   客席の一部が「おや?」と首を傾げる。
浅田「どうしたんだ?」
白城「緊張してる?」
      ×   ×
   チューニングが終わるも、まだしかめ
   面の者が多い。
   上手から登場した山寺、仲間の異変に
   気づき、
山寺「雑念は捨てて、音楽だけに集中を」
   緊張に身を固めていた様子の一同に、
   涙をこらえてのくすくす笑いが伝染。
   数人が肩を震わせている。
      ×   ×
   客席前方を陣取った面々、顔を見合わ
   せ当惑する。
バトラーA「彼ら、緊張してたんじゃなくて......」
バトラーB「もしかして、笑いをこらえてる?」
バトラーC「あり得ない......。本番前に」
      ×   ×
   山寺、少し厳しい調子で、コンコンコ
   ン! と指揮台を叩き、まじめにやっ
   て下さいよ、と威厳を貫こうとする。

◯ホール上手の舞台袖(数分前〜現在)
   岩谷らスタッフが舞台セッティングを
   両翼配置に設定する様子が、扉の小窓
   から見えている。
      ×   ×
   舞台袖の様々な機械が設置されている
   ブースにて、撮影隊の2人が小型モニ
   ター画面で司会のトークを何やら相談
   しながらチェックしており、微かな音
   がスピーカーから漏れている。
      ×   ×
   モニター画面の鈴音の演奏。
   ♪ 駆け巡る緊迫のメロディー
      ×   ×
   待機しているBのメンバーにも鈴音の
   語りや頼りないヴァイオリンの音も聞
   こえている。
香苗「あたし、ここんとこ、1stヴァイオリン
 がミからシへ何度も繰り返すとこが、どー
 しても『ブーヒブーヒ』って聞こえちゃう
 のよね」
   と、やらかす。
   その時点では誰も笑わない。
香苗「例のアニメ『ミッキーのオーケストラ』。
 ドナルドが蛇腹のふいごみたいな楽器で」
   オーボエ片手に、空想の楽器を奏する
   フリをしながら可笑しな顔をして、
香苗「♪ブーヒブーヒ、ブヒブヒブー」
夕子「あたし、1stの最前列なんだから、笑わ
 せないで!」
   半分笑いながら小声で悲鳴を上げる。
   香苗、ブヒブヒブーをふざけて繰り返
   し、傍にいた怜美に頭をパシッと軽く
   叩かれる。
   山寺も呆れ、
山寺「ドナルドはあなただったんですか!」
   と、ふざけたお叱りをしたところで、
   舞台への扉が開き、
岩谷「出てください」
   皆が舞台に向かう中、
怜美「サイアクのタイミング」
ファゴット女性「笑いそびれた」
   呆れて言い捨てて行く。
   1人舞台袖に残った山寺充希、開いた
   ままの扉から皆のチューニングを眺め
   つつ独り言。
山寺「自分がしっかりしないと」
   と集中するも、
      ×   ×
   香苗、変な顔でブヒブヒの図。
   ♪ ブヒブヒブー
      ×   ×
   焦りの表情で舞台に向かう山寺。

◯ホール舞台(現在)
   オーケストラの前方の何人かが、顔を
   見合わせ、まだクスクスしている。
      ×   ×
   トランペット首席の上之、最後尾から
   彼らを睨みつけている。

◯ホール舞台(上之の空想)
   本気で一喝。
上之「まじめにやれい!」

◯元の舞台(空想終わり)
   上之が独り言を言う。
上之(小声で)「どうにもならんか。ひとたび
 全員が舞台に出たからにゃ———」
   上之、はっと気づく。
上之(小声で)「いや、できるかも知れない」
   確信を抱く表情。
   山寺が指揮棒を手にし、「始めますよ」
   と、上之を見たところで、
   上之、すっくと立ち上がる。
      ×   ×
   指揮者、驚く。
      ×   ×
   客席前方のAチーム、驚く。
      ×   ×
   客席後方、残りのAチームも驚く。
      ×   ×
   審査員陣、驚く。
   長岡とジョージは口をポカンと開ける。
      ×   ×
   Bオケの仲間もびっくり仰天。
      ×   ×
   ホルン首席の青年は焦りの表情。
   泣きそうになりながら独り言、
ホルン首席(小声で)「おやっさん、何てこと
 してくれるんだね」」
      ×   ×
   山寺の鋭い呼吸と共に振り上げられた
   タクトが振り下ろされるや、
   上之による晴れやかな音色のトランペッ
   トのソロが立ったまま奏される。
   ♪ 〈軽騎兵序曲〉冒頭のファンファーレ
   続いて、
   ♪ 輝かしく重厚な全合奏
   その間に上之、着席する。
   ホルン首席、いさぎよく立ち上がり、
   対のファンファーレを吹き鳴らす。
   ♪ 対のファンファーレ
   ホルン首席、ソロを終えて着席。
   そのまま音楽は続き、不穏な影を伴う
   場面転換から始まるヴァイオリンの、
   緊迫パッセージの中に、ドナルドのブ
   ヒブヒ音が顔を出す問題の箇所でも、
   全員が真剣に演奏に集中する。
   ♪Aチームと同様の箇所
   華々しくラストを終える。
      ×   ×
   長岡が感心して語っている。
長岡「演奏は中々良かった。どちらのチーム
 も歯切れがあって、軽快で」
   そこで顔を曇らせ、態度を変える。
長岡「だがね、どんな事情であれ、スタンド
 プレーはルール違反だ」
   マイクを手にしている舞台の鈴音、
鈴音「文字通りのスタンドプレイ、ですね」
ジョージ「でも、感動的にかっこ良かったし、
 それくらい、いいんじゃないでしょうか」
   明るい調子でジョージがかばう。
ジョージ「むしろトランペットとホルンには
 ボーナスポイントを差し上げたいくらい」
杏香「少なくとも音楽が損なわれたわけでは
 ないですし、私もプラスα得点ね」
   青井杏香も優しい反応。
杏香「チーム内でも驚きが広がっていた、と
 いうことは、その場の判断でのスタンド
 プレイ、なのでしょう?」
   Bチームに問いかけつつ続ける。
杏香「打ち合わせの上で、ライバルチームを
 出し抜こうと派手な効果を狙ってのパフォー
 マンスなら、ああした崇高な空気にはなら
 なかったでしょうね」
ジョージ「窮境に陥ったチームを救うための、
 とっさの行動だからこそ、感動が生まれる
 訳ですよ」
杏香「バトル番組ならではの展開ね」
長岡「わかったわかった。あなた方、芸術家
 お2人さんにはかなわないな」
   長岡が降参する。
長岡「じゃあ、スタンドプレーの減点はナシ
 として、そもそも何故、非常事態に陥った
 のか、真剣勝負の舞台で、芸術を披露しな
 きゃならない場面で何故、皆が集中しきれ
 なかったのか。ばかげた言い訳は聞きたく
 もないが、そうした失態だけでもBの敗北
 は決まりだね」
   ええーっ? と、舞台上のBチームに
   動揺が広がる。
杏香「いずれにしても、演奏面だけでも」
   杏香が宥めるように説明する。
杏香「Bも素晴らしかったとはいえ、全体的
 にも、細部に渡っても、明らかに洗練され
 ていたAチームに軍配ですねって、私たち、
 感じてましたので」
ジョージ「今回は全員一致で」
   頷きながら、ジョージもきっぱり。
ジョージ「Bのハプニングを別としても」
鈴音「Bチームには何かのっぴきならない事
 情があったようですけど」
   鈴音が優しげに補足する。
鈴音「長岡プロデューサーは内部のゴタゴタ
 ではなく、純粋に音楽性についての審議を
 続けたいのだと思われますので」
   Bチームに向かって、
鈴音「Bの皆さん? 言い訳は、独白ルーム
 にてお願いしますね」
ジョージ「残念ですね。とにかく最初の一打、
 トランペットおやじさんにノックアウトさ
 れてしまったので、それだけでもBに勝利
 を与えたかったんですけどね」
杏香「本当に。あの崇高なファンファーレが、
 その後の流れを、全体の音楽性すら、全て
 を決定づけたって言ってもいいくらいでし
 たのに」
   そこで少しきつい口調になり、
杏香「他の不真面目なメンバーのおかげで、
 勝利のチャンスは失われてしまって、残念
 ですね」
   長岡、ぼそっと言う。
長岡「脱落一直線」
      ×   ×
   舞台の香苗、心配そうな夕子と目線を
   合わせて縮こまる。
      ×   ×
鈴音「ですが、不手際があったからこそ生ま
 れたトランペットの機転なのだとしたら、
 むしろ逆境が感動を呼び起こした、とも言
 えるのではないでしょうか?」
ジョージ「確かに!」
杏香「本番の舞台ならではの展開ですよね!」
長岡「この課題曲においての脱落は、トラン
 ペット首席のみ、特別免除としよう」
   上之、次席の青年が握手を求め、仲間
   からと拍手で称えるも、複雑な表情。
      ×   ×
   控えめな拍手をする客席のAチーム。
バトラーA「勝利したのに、何だか手柄は持っ
 ていかれた気分」
バトラーB「スタンドプレイ効果ですね」
バトラーC「司会が収拾つけてくれるかな」
      ×   ×
鈴音「課題3曲目、スッペの〈軽騎兵序曲〉の勝利は、連続でAチームでした」
   落ち着いた声色で締め括る。
鈴音「さあ、今宵はどんな展開が待ち受けましょうか?」
      ×   ×
白城「ヒント、なかったね」
有出「軽騎兵でもなかったけど、何らかの序
 曲であることは確かですね」
白城「序曲の日、だからか」
   有出、席を立ち、退出してゆくAの仲
   間に声をかける。
有出「課題が判明するまで、自由に待機で!」
      ×   ×
   袖に退場するBの面々。

◯Bチームリハーサル室
   山寺が皆の前に立って詫びている。
   コンマスを務めた安方青年が脇に立ち、
   山寺の肩を抱く。
   オーボエの定位置から香苗が立ち上がる。
香苗「すみません、あたし審査委員長から名指
 しされたんで。脱落一直線って」
怜美「ああでも、木管の2管編成、欠けると困
 るので」
   「メイワク人間、いない方がマシ」とい
   う声が、弦のどこからか聞こえるが、
山寺「ハプニングが起こらずとも、実力的に、
 結局は負けてたんですし、それは自分の責
 任に他ならないと」
安方「僕も。アルフベッド順に従っただけで、
 コンマス経験なんて殆どないのに......」
   詫びるように語ってから、明るく、
安方「でも、楽しませてもらえて、いい思い出、
 できました!」
   ありがとうございました! と、頭を
   下げる2人。

◯バトル館エントランス外(夕)
   ヴァイオリンケースと手荷物を抱えて
   去りゆく山寺と安方。
   主に弦楽器のチームメイトが見送って
   いる。
   名残惜しむ仲間の声が重なる。
仲間の声
 「さよなら、ミッキー、さようなら」
 「君は誰からも愛されてたね」
 「たった一日のことだけど」
 「君の勇姿は忘れないよ、いついつまでも」
 「安方くんも、ありがとう」
   ゲートへの木立を歩いてゆく2人の後
   ろ姿。

地獄のオルフェ

◯物語に添った古風なイラスト
   ジョージによる画という設定。
   杏香のナレーションが重なる。
杏香の声「詩人で音楽家、竪琴の名手オルフェ
 ウスは、愛する妻エウリュディケを毒蛇に
 かまれて失うも、妻を取り戻すべく黄泉の
 国へと赴きます。
 竪琴を奏でながらの、奇跡とも言える美し
 き歌声で地獄の番人や冥界の王をなだめ、
『冥界を出るまで決して妻を振り返ってはな
 らない』
 という条件のもと、妻を生き返らせてもら
 える許可を得ます。
 しかし地上への階段を登り切らないうちに、
 オルフェウスは不安に耐えきれず振り向い
 てしまうのでした……。

◯バトル館のロビー(夕)
   楽器を手に歩いている有出と白城に、
   少し離れた場所からAのチームメイト
   数人らが声をかける様子。
   有出、手をあげて断っている。
有出「僕、次コンマスなんで。落ち着いて食事、
 できる気分じゃなくて」
白城「僕も首席で。ゆっくり夜食にしまーす」
浅田「了解、何かあったら呼んで下さーい」
   2人は去り、一同は「何、食べますか
   ね〜」などと言いながら別方向へ。

◯Aチームリハーサル室
   誰もいない室内。
   扉すぐ脇の机に総譜とパート譜が積ま
   れている。
   有出、白城と入って来るや、はっとし
   て机に注目する。
      ×   ×
   総譜の表紙。
   フランス語で〈地獄のオルフェ序曲〉
   と印刷されている。
      ×   ×
有出「いやっほほーう!」
    奇声を発しヴァイオリンを高く掲げ、
    くるりとピルエット。
    頷きながら、自らに言い聞かせる。
有出「やった! やった!」
白城「何? 《天国と地獄》?」
    有出、大喜びで、
有出「実に楽しく、取り組み甲斐のある曲じゃ
 ないですか!」
白城「何よりコンマスによる、協奏曲ばりの
 長く素敵なソロがある!」
有出「ありがたい、です!」
   有出、少し落ち着いて、添えてあるメ
   モ書きを手に取る。
有出「エキストラはナシ。か」
白城「ハープはピアノで代用?」
有出「弾ける人間、いくらでもいるはず」
   有出、総譜をチェックしながら、
有出「パーカッション、更に1名追加が必要
 だし、今朝から助っ人してくれてるヴァイ
 オリンの男子2人に、今日1日だけはエキ
 ストラ役、続けてもらいましょうか」
白城「指揮は?」
有出「自分がコンマスなら、指揮者不在でも
 大丈夫」
   きっぱりと言い切る。
白城「となると、総勢4名が弦楽器から外れ
 ることになるわけだ」
有出「優美なピアノのアルペジオや、威勢の
 いいパーカッションで華を添えましょう!
 とか何とかうまいこと言って、説き伏せれ
 ばいいですね。......ん?」
   有出、メモ書きの続きを読み上げる。
有出「今回、本番の観賞は互いに不可」
白城「どういうこと?」
有出「何か裏の意図がありそうだけど......、
 まあ我々、元々次も先攻を選んだ訳だし」
白城「どのみち客席には審査員しかいないは
 ずですもんね」
有出「気にすることもないでしょう」
白城「皆んなには?」
有出「食事、邪魔しちゃ悪いし。時間、まだ
 あるし、頃合い見計らって」
   有出が近場の椅子に腰掛けて、総譜に
   集中し始めたので、
   白城は自分のパート譜を見つけ出し、
   チェロと共にそっと外に出て行く。

◯Bチームリハーサル室(夜)
   多くのメンバーが各自、譜面をさらっ
   ている。
   ♪ 〈地獄のオルフェ〉序曲の様々な音楽
    主旋律や、重なるハーモニー、後打ち、
    伴奏部分など。
   夕子、コンマスの席を立ち、
夕子「このままパスして後ろに回りますから、
 次の方、お願いします!」
別所正道(39)「やっといた方がいいですよ」
   夕子の隣、アシスタントコンマスの席
   に座る別所が、年上らしく落ち着いた
   調子で彼女を宥める。
別所「今のうちは良く知られた曲が課題になっ
 てるけど、次に順番が回ってきた時、全く
 なじみのない現代曲だったりしたら、それ
 はそれは厄介なんだから。こうした簡単な
 曲のうちに、少しでも慣れといたほうが———」
夕子「簡単じゃないですよう!」
別所「簡単簡単」
   明るく言う別所。
別所「はちゃめちゃ風だけど、実はきっちり
 した曲なんだし、コンマスが躍起になって
 リードしなくても、何とか形になっちゃう
 ものだから」
夕子「指揮者ナシじゃ、無理です!」
別所「ミッキーさんはリズム感が良かったし、
 まあ、いないよりはマシだったけど、慣れ
 てないド素人指揮者を下手に立てたりした
 ら、かえってやりにくいんですよ」
夕子「でもこの曲、コンマスのとてつもなく
 長いソロが......」
   別所、夕子をじっと見つめて言う。
別所「オケマイスターを目指すなら、ソロく
 らい率先して挑んでゆかないと」
   夕子、のけぞる。
夕子「オケマイスターなんて、まさか」
別所「じゃあ、どうして参加したの?」

◯テレビ局の待合室(夕子の回想)
   夕子と友人女性、ソファで互いに寄り
   添っている。
夕子の声「友人に誘われての応募で、オーディ
 ションにちょっとつき合うだけが」

◯テレビ局の一室(夕子の回想)
   強面の審査員らの前に立ち、無伴奏で
   ヴァイオリンを奏している夕子。
   一心不乱で、動きはかなり激しい。
夕子の声「度胸試しもかねて」

◯音大のキャンパス(夕)(夕子の回想)
   うなだれる友人を慰める夕子。
夕子の声「友人は落ちて、自分だけが受かっ
 ちゃって。友情優先で辞退しようとしたら、
 恩師に『私の顔に泥を塗るつもりか』って、
 叱られて。推薦状、書いてくれたんで」

◯「ムジーク・ハイム」の外観(夕子の回想)
   ヴァイオリンを肩にかけた夕子、壮麗
   な建物を見上げ、圧倒されている。
夕子の声「参加中の日々の出演料、いい収入
 にもなるし、まあ、挑戦も損じゃないかなっ
 て。バイト気分での参加だったので」

◯元のBチームリハーサル室(回想終わり)
   夕子、別所に話しながら言い訳する。
夕子「まさか自分がここに座る羽目になるなん
 て」
別所(小声で)「まさかヤル気ゼロの人もいる
 なんて」
   別所、呆れ、感心し、呟いてから、
別所「ソロっていうと緊張するかも知れない
 けど」
   楽譜のソロ部分を開いて見せる。
別所「楽譜よく見て。難しいことなんて、何
 ひとつ、ないでしょ」
   別所、ヴァイオリンを構え、
別所「ちょっと一緒に弾いてみましょ」
   ソロパートを弾き出す2人。
   ♪〈地獄のオルフェ序曲〉
    コンマスのソロ部分
別所(弾きながら)「たっぷり歌って、自由に
 弾いていいんですからね」
   別所が途中からそっと後打ちに回るも、
   夕子は何ら怖がることなく、すっかり
   音楽に入りゆき、ソロのラストまで、
   すんなり弾ききることができる。
別所「ほら、できたでしょ。楽勝楽勝! 素
 敵でしたよ」
   別所、最高の笑みを見せる。
   夕子、完全にノックアウト。
   目を輝かせ、
夕子「ソロ、頑張ろう」
   自身に言い聞かせる。
夕子「ありがとうございました。あの……」
   夕子、頬を染めつつ、
夕子「あの、すみません。お名前......を」
別所「別所です」
夕子「あたし、会津です。会津夕子」
   夕子、気合を入れ、自らに自信を抱く
   よう、決意の姿勢を見せる。
別所「音出しが始まる前に決めちゃいましょ」
   別所、譜面を最初のページに戻し、
別所「コンマスの仕事ですが、手伝いますか
 ら。ボウイングのチェックや、呼吸合わせ
 るポイントなんかも一緒に見ていきましょ」
夕子(嬉しそうに呟く)「一緒に......」
      ×   ×
   身を乗り出して譜面を覗き込み、別所
   の助言に従いつつ、要所要所に鉛筆で
   書き込みを入れていく夕子。
      ×   ×
   たまに2ndVn.やヴィオラ、チェロの首
   席らとも、意見を交わす別所。
      ×   ×
   リハーサル開始。
   ♪〈地獄のオルフェ序曲〉
     冒頭の華々しい全合奏
     オーボエの物哀しいソロ
     ゆったり歌うチェロのソロ
     夕子による安定したソロ
     クライマックスの大合奏
      ×   ×
   途中、別所が幾度か全体に指示を出し、
   皆、譜面に何か書き込んだり、頷いたり、
   素直に納得している。
      ×   ×
別所「終わりでいいですね?」
   別所、立ち上がり、一同を見渡す。
別所「後は個人練習で」
   別所、座りながら、
別所「ところでだけど」
   改まって夕子に告げる。
別所「リハも早めに終わったし、着替えてき
 た方がいいかも。我々は後攻で時間もある
 から」
夕子「えっ? あたし、変ですか?」
   夕子、飛び上がる。
夕子「コンマスらしくない?」
別所「いや、どうでもいいことなんだけど」
   と、軽く笑いながら、
別所「このヴァイオリンのソロって、劇中で
 オルフェが愛を奏でるものだから」
   うっとりと、オルフェになりきり、
別所「ぼくのこんなに素敵なヴァイオリンの
 音さえも、君は愛せないのかい?」
   夕子、うっとりしながら、
夕子「オルフェって、竪琴だと思ってました」
別所「ギリシャ神話ではね。《天国と地獄》は、
 パロディーだから。まあ、愛してもいない
 妻に愛を訴える、冗談めいたシーンなんだ
 けどね」
   それからサラリと、
別所「なので、せっかくだからオルフェ役に
 徹して男装っぽい方がいいのかも、なんて
 思ってしまったわけですよ」
夕子「オルフェ、男性ですものね」
   夕子、納得し、そうだ! と、
夕子「じゃあ交代です! 別所さんコンマス
 どーぞ」
別所「いや、そこまでしなくても」
   別所、ダメダメと手を振る。
別所「ただのおふざけ、イメージの話なんで。
 まず、華々しい全合奏があるでしょ。それ
 からクラリネットに導かれてのオーボエの、
 もの哀しいソロ。これは羊飼いに扮した冥
 界の王がオルフェの妻を口説いいるアリア
 で、続くチェロのソロは、そのオルフェの
 妻によるアリア」
   いつの間にか、皆が興味津々の様子で
   話を聞いている。
   別所、当の首席らを紹介しながら、
別所「今回の首席、オーボエは男性、チェロ
 も女性と、ちょうど役柄に合ってる訳だし、
 いっそのことあなたも、オルフェ役に扮し
 てはどうかと」
   別所の愉快な提案に、そうだそうだ、
   と周囲も面白がって賛同する。
クラリネット女性「オーボエは冥界の王らしく、
 黒マントでも羽織りません?」
クラリネット男性「頭に角とか?」
ファゴット男性「でも、アリアの時は羊飼いに
 化けてるんだから、羊飼い風でないと」
オーボエ首席「無理ですよ!」
   皆の勝手な意見に当人、悲鳴をあげる。
怜美「内面は地獄の大魔王なんだから、やは
 り黒マントでいいんじゃないかしら」
多岐川「魔王の黒マント、どこからか暗幕か、
 カーテンとか、拝借して来ます」
   言いながら楽器を置いて出てゆく。
オーボエ首席(愕然と)「羽織るって、言って
 ないんだけど......」
怜美「オルフェの美しい妻は、皆が黒系の中
 で1人だけ白っぽいロングドレスとかは?」
チェロ首席「嫌です。そんなことして目立ち
 たくありません、私」
ファゴット女性「わざわざ着替えなくても、
 今のワンピースに透け感のあるショールを
 合わせるだけでも、どうしてどうして、
 美しいエウリュディケっぽいですよ」
ヴィオラの女性「ちょうどいいゴージャスな
 大判ショール、私、持ってます!」
   取って来ますと、すっ飛んで行く。
別所「なんか話がどんどん大げさに」
   別所、圧倒されつつ、夕子に、
別所「主人公のオルフェは、パンツスーツに
 髪をアップにさえすれば」
ファゴット女性「いわゆる、オペラなんかの
 ズボン役ですね。若い女性が美少年役を演
 じたりする」
ファゴット男性「では吟遊詩人らしく月桂樹
 の冠でも用意しますかね」
クラリネット男性「いやいや、オッフェンバッ
 クのオペレッタでは、オルフェは音楽学校
 の教授らしいから、スーツで充分なんじゃ
 ないかな」
   夕子、周りから勝手なことを言われて
   いる間に、
夕子「こんな感じでどうでしょう」
   ロングに流していたサラサラヘアを、
   まとめてねじり上げ、ヘアピンでさっ
   とアップスタイルにしてしまう。
夕子「このスーツってツーウェイなんで、ジャ
 ケットとおそろいのパンツも、実はあるん
 です。だからスカートをパンツにはき替え
 るだけでオーケーです」
      ×   ×
トランペット首席「いいんでしょうか? ま
 ずは演奏ありき、でしょうに」
   今回次席の上之に、こそっと呟く。
上之「こうした馬鹿げた大まじめさも、我が
 Bチームのいいところかも。それで団結し
 てゆくなら」
   トランペットの2人、楽しそうに笑い、
   合う仲間らを冷静に観察する。

◯バトル会場のホール舞台(夜)
   ラメ入りレースの銀色ショールをノー
   スリーブロングドレスの肩に絶妙なバ
   ランスで羽織る鈴音。
   薄暗い舞台にてスポットライトの中、
   優雅に解説をしている。
鈴音「つい不安に駆られて振り返ってしまっ
 たが為に、永遠に妻を失ってしまう竪琴弾
 きのオルフェウス。ギリシア神話で有名な、
 オルフェウス伝説です」
   ヴァイオリンを竪琴に見立て縦に持ち、
   ポロン、ポロンと、指で弦をなで、さ
   りげないアルペジオを奏でて見せる。
鈴音「そのオルフェウス伝説の、辛辣なるパ
 ロディーが、今宵、序曲をお送りしますオッ
 フェンバック作曲の《地獄のオルフェ》。
 これはフランス語の直訳で、日本では《天
 国と地獄》の題名で知られていますね。
 オルフェ、オルフェウス。そして妻のウリ
 ディースも、エウリュディケ、ユーリディ
 ケ、エウリディーチェなど、様々な呼ばれ
 方があるようです」

◯舞台下手側の袖
   薄暗い中、おおよその登場順に並んで
   待機するAチーム。
有出「すみません、指揮者を立てないので、
 注意点の再確認です」
   有出が、皆に注意を促す。
有出「おしまいの部分、アレグロになってか
 らの楽しい地獄の情景で、はしゃぎたい
 気持ちは極力抑え、テンポを気持ち遅めに
 しっかり保ち、派手に暴走して爆奏になら
 ないよう充分気をつけて下さいね」
浅田「Aチームだからこその、冷静な演奏。
 大丈夫、我々ならやれますよ!」
   浅田の言葉に、皆も力強く頷く。
   有出、浅田に礼を言い、もうひとつ
   だけ、と、
有出「金管やチェロの豪快なテーマにかぶる、
 残りの弦や木管、トロンボーンによる凄ま
 じい後打ちも、充分注意して下さいね」
   安条ら、トロンボーンのトリオが、「了
   解です!」と手を挙げる。
有出「テンポが速すぎると、ともすれば頭打
 ちにズレてしまいかねないので。とにかく
 早くしないで。テーマを担う者も後打ちを
 感じながら、早まることなく、勢いに乗り
 過ぎることのないよう落ち着いて。とにか
 く落ち着いて奏して欲しいので」
安条「いざとなったら有出さん、立ち上がっ
 て弾き振り、という手もありますからね」
   一同、それ、いいかも! と賛同。
有出「そうならないことを祈ります」
   一同、笑いながら「お任せを!」と、和
   やかに頷いて見せる。
      ×   ×
岩谷「時間です」
   岩谷、舞台への扉を開ける。
岩谷「トーク、続いてますが、じきに終わり
 ますので気になさらないよう」

◯ホール舞台と客席
   照明が明るくなっており、鈴音が解説
   を続けている。
鈴音「ベルリオーズにして「シャンゼリゼのモー
 ツァルト」といわしめたオッフェンバック。
 人混みの中でもガンガン曲を書き続け、オ
 ペレッタだけでも有に百を超える程。で
 すので、本編のおまけに当たる序曲なんて
 作ってる暇がない、ということで、序曲に
 おいては殆どが他人任せでした。この《天
 国と地獄》もまたしかり。
 楽しい序曲を期待する観客のために、別な
 作曲家が劇中の音楽をつなぎ合わせてこし
 らえたものです」
   鈴音、ヴァイオリンを軽く流す。
   ♪〈天国と地獄〉有名なメロディー
鈴音「地獄の神々の大宴会を表す、このメロ
 ディー。あまりに軽快で調子が良いので、
 後にフレンチカンカンの曲としても定番と
 なったり。運動会やCMなんかでも頻繁に
 聞かれますよね!」
   皆が平行配置の定位置に着き、有出が
   立ち上がり、チューニングを始めよう
   としたところで、鈴音は話をやめる。
      ×   ×
   チューニング風景の中、審査員3人が
   着席する。
      ×   ×
   舞台は徐々に静かになり、完全に音が
   消えたところで、鈴音が宣言する。
鈴音「それでは始めていただきましょう!
 オッフェンバック作曲の《天国と地獄》序
 曲。Aチームの先攻演奏です」
   コンマス有出の合図で演奏が始まる。
   ♪〈地獄のオルフェ序曲〉
   盛大に開始される冒頭。
   冷静にリードする有出。要所要所で軽
   く合図する程度で、無駄のない洗練さ
   れたコンマスぶり。
      ×   ×
   クラリネットに導かれての、哀愁に満
   ちたオーボエのソロ。
      ×   ×
   白城によるしっとり落ち着いたソロ。
      ×   ×
   のびやかで生き生きしつつ、実に粋な
   有出のソロ。
   うっとり聞き入る舞台の仲間。
      ×   ×
   惚れ惚れした表情の審査員陣
      ×   ×
   アシスタントコンマスの桜井さくら
   (26)も、ワルツのリズムをしっかりリー
   ドし残りの皆をまとめ、ソロを支える。
   有出のソロが終わり、最後のページを
   隣の彼女、さくらが弓を持った片手で
   譜めくりすると、
      ×   ×
   譜面のない裏表紙が現れる。
      ×   ×
さくら(声にならない声で)「え?」
   曲は既に最終ページのアレグロに入っ
   ており、地獄の大騒ぎの前触れの、お
   どけた調子の音楽が始まっている。
   しかし譜面はめくれない。
   いくらめくろうとしても最終ページは
   どこにもない。
   さくら、譜面をパタパタ口をパクパク
   やるばかり。
   有出、一瞬だけ弾くのを諦め、楽譜を
   触ってみる。
   最終ページが裏表紙にしっかり貼り付
   いている!
   有出、周囲をさっと見渡す。
   他の仲間はしっかり弾いている。
   有出、さっと彼女に問いかける。
有出(殆ど口だけ動かし)「弾ける? 楽譜ナ
 シで」
   彼女は恐怖の瞳で「ダメです!」と否定。
   有出、とっさに立ち上がる。
有出(小声で)「 踊れ!」
   ヴァイオリンを弾きながら小声で、
有出「後ろに回って譜面を覗け」
   指示しながらも陽気な調子でリズムを
   とる。
有出「踊るんだ!」
   さくら、ぱっと立ち上がり、引きつっ
   たニコニコ顔で楽しげに上半身を左右
   に動かし、弾きながら1stVn.の背後に
   回っていく。
   ♪ クライマックスの盛大な全合奏
   有出はヴァイオリンを弾きながら調子
   をとるように中央に踊り立ち、身体を
   思い切り上下させたり傾けたり、ある
   時は片足でピョンピョン飛び跳ねたり
   しながら、天才的な踊りを披露する。
      ×   ×
   審査員席。
   長岡は口をあんぐり。
   杏香はハラハラ見守る様子。
   ジョージが膝を叩いて笑い転げている。
      ×   ×
   オーケストラの音楽は、有出による正
   確なリズムの踊り弾きに従い、破綻す
   ることなく進んでいく。
   踊りだけでも「魅せる」質の高いパフォー
   マンスである。
   音楽がいよいよ終盤に近づくや、下手
   に回って踊り弾いているさくらに有出
   が「こっちへ!」と、振り仰ぐように
   体を傾けて合図。
   さくら、ルンルン戻ってきて、中央に
   2人揃ったところで、有出が彼女の手
   前に片膝ついて優雅にしゃがみ込み、
   2人で決めのポーズを取る。
   有出の合図で、最後の全打が鳴らされる。
   有出、弓を高く掲げた音を切るポーズ
   のまま微動だにしない。
      ×   ×
   全ての音の余韻が消え、ホールに静寂
   が訪れる。
   時間が止まったように、誰も動かない。
      ×   ×
   やがて、こらえきれなくなったジョージ
   が、パン! パン! と大きな拍手と
   共に、
ジョージ「ブラーヴィ! ブラーヴィー!」
   と叫びながら、悲鳴に近い大笑いを始め、
   舞台の全員もやっと力を抜いて、深い
   ため息をつく。
   ヴァイオリンを抱えたまま、へなへな
   と床にへたり込んださくらを、有出が
   助け起こし、全員一礼の音頭をとる。
      ×   ×
   誰もが長岡の言葉を待っていた。
   ようやく、意識を取り戻したかのように、
   長岡が口を開く。
長岡「いったい何事が起きたんだね?」
   有出とさくら、顔を見合わせ、
   「さあ......」とばかりに首を傾げる。
   ♪ 〈地獄のオルフェ〉
    ヴァイオリンのソロ
   〜エンドロール




次回 11/1 (土曜日深夜零時公開)第3話「演奏も、歌も踊りも命がけ」に続く...




♪ ♪ ♪ 安斎航さん関連のお知らせです ♪ ♪ ♪

①12/5 サロンコンサート

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と、申込み時、応募フォームのコメント欄に書いて下さった方には、9月に4週に渡って紹介しました安斎さんCD ①〜④のうち、お好きな1枚を、当日プレゼント致します♪♪
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サイン入りです。安斎さんからの、読者の方々への感謝の気持ちです。
当日はプレシャスも、お手伝いに参上します。
是非お気軽にいらして下さいませ⭐︎

②動画情報

安斎航さんのCD紹介④ショパンの記事に、ラストの曲〈アンダンテ・スピアナートと華麗なる大円舞曲〉の動画を追記しましたので、よろしかったら♪




コメント欄の余談は、「アヴェ・マリア」のフシギなエピソードです♡

デニーズと戦争映画、一体何の関係があるのでしょう???




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