「オケバトル!」 97. 街角少年と哀愁のトランペッター
97.街角少年と哀愁のトランペッター
寸劇 「海の上のピアニスト」
CAST
トランペッター 上之忠司(A)
楽器店店主 ティンパニスト(B)
ピアニスト 有出絃人(B)
日傘の美女 宮永鈴音(司会)
通行人 有志(B)
スカウトマン 白城貴明(A)録音源
オーケストラ Aチーム
指揮 安条弘喜(A)
豪華客船で密かに産み落とされ、船員らに匿われて育った経過から下船の経験もなく、船の専属奏者として生きてきたピアニスト。
そのあまりの才能の見事さが放っておかれるはずもなく、船内の一室にてレコーディングが行われる。
さて何を弾こうか。鮮やかな音階や優美なアルペジオ、何気なしにピアノと戯れていると、ふと窓辺を通り過ぎゆく美しい女性に目を奪われる。とりとめもない音の迷宮に、ひとすじの陽光が差し込むかのように現れた、愛のメロディー。
それまでの彼の音楽に、憧れや孤独感といった切ない感情が皆無だったわけではないが、彼にとっての音楽は基本、完璧な技術を駆使した楽しい世界に満ちていた。
そこに愛が加わった。
女性は静かに通り過ぎゆくも、愛の唄は奏で続けられる......。
客席がしいんと静まり返える中、ピアノ・ソロのみの、神々しいほどの時間が終わったところで照明は暗くなり、LPレコードの曲が終わったまま針がレコード上に乗り続けている、プツッ......プツッ......という効果音が流れている。あたかも、レコードがかかっていたかのように。そうした空気から拍手は遠慮され、そこに哀愁のトランペッター上之忠司のナレーションが重なりゆく。
「その瞬間、彼が恋に落ちたその瞬間に生まれた、美しい音楽。世界にたった一枚しかない原盤は、しかしプレスされ、公開されなかったんです。
『この音楽は彼女のもの。彼女だけに捧げられるべきものだから、彼女に贈るのだ』と」
そこで照明が明るくなり、いつしかピアニストの姿はなく、先の楽器店で店主とトランペッターが話しているシーンに戻りゆく。
「これがその、唯一無二の原盤だったわけか......」
驚く店主が、プレイヤーからレコードをそっと外す。
「だけど結局は彼女に渡せずじまいで、原盤は彼の手で割って捨ててしまわれた」
「だから割れてたと」
「どうしても惜しくて、ゴミ箱から拾い上げて接着剤で修復して......。船のピアノの中に隠しておいたんです」
「ああ、買い取った古いグランドピアノから、ひょっこり出て来たんでな。いったいどうした経緯なのかと」
少し間を置いて店主は尋ねた。
「そのピアニストは? この曲を弾くことは、もうないのかな?」
「彼は......」
トランペッターは遠くを見つめた。
「老朽化で船は廃船。だけど彼は陸地を踏むことができなくて」
涙ぐんでうなだれるトランペッター。
「船と共に......」
海の藻屑と消えてしまった、なんて口に出せるわけがない。
しばし言葉を失い、しんみりしてから店主は力強く言った。
「だったらお前さんが、この曲を伝えていかんとな」
トランペットをケースに戻し、彼に突き返す。
「持ってきな。代金は返さんでいいから」
「え?」
「バンドの仕事が入って来ないんなら、街角で吹けばいい。この曲を伝えてゆくんだ。彼の想いと共に」
トランペッターが目頭を押さえながら店主に深く頭を下げ、握手を求めゆくところで、場内はほぼ暗闇状態となる。
トランペットによるシンプルな〈愛を奏でて〉の後半部分が聴こえてくるや、舞台中央で奏する上之忠司の姿がスポットライトの中にぽうっと浮かび上がる。通行人らしき人々が交互に現れては、何やら声をかけたり励ましたりする素振りを見せながら、足元の楽器ケースに紙幣や小銭を入れていく。
再び暗くなったところで、威厳のある男性の声によるナレーション。
「いい腕してるね。音も素晴らしい。どうかな? うちのバンドに来ないかね?」
舞台がさあっと明るくなり、オーケストラがエンニオ・モリコーネの名曲の数々を奏でているシーンへ。
哀愁のトランペッター、上之忠司もオーケストラの一員として収まっている。くたびれコートの下は、実はタキシードという瞬間チェンジの技。堂々と自信に満ちて、誇らしげだ。
日本未公開の映画、「ラ・カリファ」の胸を打つ美しい調べに始まり「ワンス・アポン ナ・タイム・イン・アメリカ」のロマンティックで切ないメインテーマと、その洒落たジャズヴァージョンが続き、一転して「アンタッチャブル」の特徴のあるリズムがメリハリと緊迫感を高めゆく。
リメイク版「めぐり逢い」の、憧れに満ちた音楽がラストを締めくくり、司会の宮永鈴音が静かに登場。先ほどの日傘の女性は彼女であったのだが、司会のジャケットを脱いで、床を引きずるロングスカートをさっと履いただけ。日傘で顔も髪型すらも隠していたので、誰も司会と同一人物とは気づかせない、こちらもトランペッター同様の瞬間チェンジ技であった。
「海の上のピアニスト、映画とは少し変えてありますが、美しい名曲が、こうしてちょっとしたお芝居と共に紹介されるなんて、粋な計らいとも言えますね」
原作は舞台劇として書かれているので、寸劇は自然なスタイルでもあるのだ。
それからさっと声を明るくし、この後の流れをはっきりと紹介していく。
「第1部、スクリーン・ミュージックのラストを飾るのは、ミュージカルの巨匠、リチャード・ロジャースです。今回の舞台に歌は入りませんが、歌詞を書いたオスカー・ハマースタイン2世との黄金コンビで、忘れられない作品を数知れず残しています。
「回転木馬」からの珠玉の名曲〈君は決して1人ではない You'll Never Walk Alone〉から入って、「サウンド・オブ・ミュージック」の名曲メドレー。壮大なタイトルテーマ、あまりに有名で楽しい〈ドレミの歌〉、〈私のお気に入り〉、〈エーデルワイス〉、そして感動の、〈全ての山に登れ〉です」
鈴音が満足げに下手の袖に戻ったところで、ステージマネージャーの岩谷が深刻そうに告げた。
「この時点で、既に休憩に入ってないといけないんだがな」
「えっ!? 押してるんですか? 知ってたらトーク省いても良かったでしょうに」
「その程度じゃ取り返しはつかない。この後の演奏分。10分くらいかな」
「その程度なら、許容範囲では?」
岩谷はノーノーと首を振って説明した。
この会場は駅から離れていて路線バスもなく、マイカー以外の客はシャトルバスしか交通手段はない。中には帰りの新幹線の乗車時刻に合わせてギリギリのお客さんも。終演が15:45 としても、今回は特別にアンケート記入の時間も設けてあって、お客さんには15時50分終了と告げてある。なので、それは厳守せねばならないと、岩谷は説明した。
「だったらアンケートなんて、お家で書いてもらってファックスだとか、後日メールとかでも良いのでは?」
「バトル勝敗を左右するので、会場での記入は必須。譲れない」
「じゃあ、Aチームのカーテンコールは、ナシですね。ピアノの有出さんとか、楽器店主に、通りすがりの美女さん。あ、私だけど」
「もちろんナシだね」
「この後の休憩時間を減らしては?」
「500人規模のホールだから、15分休憩は欲しい。子ども連れとか時間かかりそうだし。Bチームの時間を10分減らしてもらうしか道はない」
岩谷の言葉に鈴音は「ええー!?」っと飛び上がった。本番中にて、小声ではあったのだが。
「だったら、今のロジャースの、サウンド・オブ・ミュージックのコーナー、丸々カットしちゃったって良かったでしょうに」
「海の上のピアニスト」による第1部の締めくくりであったとしても、充分な効果は得られたであろう。華やかなカーテンコールも添えて。むしろ、その方が演出としても印象づけられた感もあったはずだ。
「ディレクターからの大前提の指令が、『前半チームが時間オーバーしそうになっても、警告するな。但し終演時刻は厳守せよ』だったんで」
底意地の悪い教師の図を鈴音は思い浮かべた。
悪ガキが悪戯しようとする様子を目撃しつつ密かに見張り、実行するや、鬼の首を取ったかのように叱りつけ、廊下に立たせ、親への連絡帳に赤ペンで報告してくる。
やるぞやるぞと見てないで、その前に止めるべきでしょうに!
あるいは、道路標識の分かりづらい交差点などで、違反車が現れるのを虎視眈々と見張り続け、犠牲者が見逃すや、容赦なく補足する交通取り締まり。危ないですよ、と事前に教えてくれるのではなく、違反を待ち望んでいる輩のような......。
多少のズルや抜けがけ、ちゃっかり駆け引きなどを平然とやってのけ、悪びれもしない、自称小悪魔の宮永鈴音ですら、これは番組側の、善良な観客をも巻き込んだ酷い陰謀と感じるのであった。藤野アサミの考えとしても、長岡委員長は知っているのだろうか。
「Bチームにはすぐに知らせるべきですね」
カーテンコールなどに出る気は更々ないものの、出番を終えて袖から舞台を見守っていた寸劇の助っ人出演者、海の上のピアニスト有出絃人と店主役のティンパニスト、通行人役らに、鈴音はプログラムを10分短縮するよう、残酷な絶対命令を告げた。
「じゃあ、前半のクイズ形式、観客に手を挙げて参加してもらう参加型のスタイルはナシで」
有出絃人は不満な様子も見せず、冷静に判断する。
「メロディー抜きの演奏が終わったら、『何の曲だったでしょう? では元の曲を聴いてみましょう......』ってな感じで、どんどん進めちゃって下さい。オリジナルの曲も、反応見ながら途中で切るかも知れないので、舞台には乗ったまま、下手側に待機でお願いします」
「分かりました」と司会の鈴音。
「お客さんにプログラム、渡してあるの?」
「いいえ」
「じゃあ、予定の曲を抜いても構いませんよね」
絃人は脇で、何で我々が10分も削られなきゃならんのか! と憤っているティンパニ奏者らBの仲間に持ちかけた。
「組曲から、アラビアと、あし笛、カットしちゃいましょ。イングリッシュ・ホルン持ち替えのオーボエさんには悪いけど」
実はこの2曲、チャイコフスキー自身の選択で組曲に組み入れられているとはいえ、今回のようなファミリー的な演奏会での45分以内の厳選プログラムとしては、良い曲であってもインパクトに欠けがちで、絃人は内心、できたら除外したく思っていた。視覚重視のバレエの舞台ですらも印象の弱い部分でもあるので。
しかし組曲から外すこと自体、敬愛する作曲家への冒涜な気がして躊躇していたものだから、逆に、これはチャンスにもなるのだ。10分短くなる事態は損ではなく、短い中に最大の効果を凝縮できるのだから。
しかも〈あし笛の踊り〉は、フルート3台が華やかな彩りを魅せて活躍する曲なのに、我がチームはフルート1人。どのみち最善の演奏は困難だったのだ。ほっ。
もちろん、Bチームは被害を被るフリを貫くべく、そうしたことは有出絃人1人の胸に留めておく。
「組曲1曲1曲の前に用意した解説もナシにして、5曲続けて演奏します。各曲についてはひとことのみ、まとめて紹介して下さい」
それから絃人は鈴音に厳重に念を押した。
「だけど〈花のワルツ〉の前だけは、いったん区切りますから、この曲に関する台本の言葉は予定どおり必ず入れて下さい。必ずですよ。お願いしますね」
Aチームによる感動のフィナーレが終わり、奏者らが達成感と共に袖に下がって来たところで、Bのコントラバス、フットワークの軽い多岐川勉が和かにうなずきつつ、まずは拍手で労いを表明してから、手を挙げて皆に注意を促した。
「ベビーシッター交代要員の方! ダッシュで紺埜怜美さんの部屋、503号室に向かって下さーい。着替えとかは交代で、後回しにして」
はあい。とりあえず、このまま参上しますね! と、ヴィオラの女性2人が楽器を抱えたまま裏手に消えて行った。
トムくんが安心して上手側、Bチームのテリトリーに回ると、既にメンバーが集まっており、何やら不穏な気配。
何だって我々が損しなきゃならないの? だとか、押し始めた段階で、ステマネがAに警告するとか、時間オーバーと待ったをかけて、途中で止めさせるべきでしょうに! せっかく合わせた曲、2曲もおしゃかになるんですか? などとブーブー文句を言っている。
アンケートの時間も新幹線の時間も、どうでも良いから、当初の45分プログラムを強行すべき! という過激な意見も。
しかし本番前にイライラや怒りは精神衛生上よろしくない。
ねぇ、皆さん? 絃人が皆んなを宥め始めた。
「例えば、3分間トークよりも、1分トークの方が、メッセージがより明確に伝わるってこと、ありますよね。今回も、似たようなものと割り切ることにしませんか?」
拒絶男の有出絃人にしては、珍しい言いようだ。
「ただでさえ、馴染みやすいポピュラー系から、クラシック音楽でしょ。普通は逆では? クラシックが先で、後半は気軽なポピュラー。考えてみれば不利なはず。時短の凝縮で、むしろメリハリつけて有利にするんです」
皆を宥めるための屁理屈っぽくもあるが、ここは素直に絃人さんの意見に従いましょうかね、と前向きな気持ちに無理して持っていく。
「そもそも、Aチームの時は時間になったからと言って、止められる事はなかったのだし、僕たちも時間切れ、はい、ブーッ! ってブザーが鳴って強制終了なんてことにはならないはずだから、皆さんは時間気にしないで、安心して演奏に集中して良いですからね」
と、半分本気の冗談も交え、仲間をリラックスさせてゆく。しかし指揮を担う当の絃人は、進行しながら腕時計と睨めっこは覚悟の上。
有出絃人。逆境を逆手にとって有利に導く天才なのだ。
第2部は、クイズで楽しむ名曲と《くるみ割り人形》。コンサートマスターは頼れる別所正道、指揮は有出絃人が担う。
観客の中には、おや? さっきのピアニストが、今度は指揮? しかも、あれ? オーケストラのメンバー、もしかして、違ってる? と気づく者も。
オープニングは、グリーグ《ペール・ギュント》より、〈朝〉。
クラシック音楽のありとあらゆる名曲の中から、すんなり自然に入ってゆけて、映画音楽とは一味違う、各楽器の特色も活かされたクラシックならではの奥行きの深さ、繊細さ、世が明けゆく大自然の壮大さが味わえる音楽として厳選された。
しかも、全員がモノトーンで揃えていた第1部とは打って変わって、第2部の女性陣は各々がカラーを示し合わせた色鮮やかなロングドレス。きちんとしたフォーマルながら、見た目もうっとり。
司会が登場し、曲名と作曲者にちらりと触れてから、さあ、今の演奏からメロディーが抜けてしまったら、果たしてどうなるでしょう? と、持ちかけ、メロディーを省いて、切りの良いところまで奏される。
「はあい。こんな感じです。メロディー抜けちゃうと、ちょっと分かりませんよね? でもオーケストラって、こうしてメロディー以外でも、色〜んな楽器が、作曲家が工夫を凝らして活躍させて、音楽全体に奥行きや彩りを添えてるんですよ」
明るく、分かりやすく伝え、それでは! と、鈴音は「何の曲でしょう?」コーナーへと流れを持っていく。
まずはメロディーパートを除外して、さわりを演奏。司会に促され、次に同じフレーズをメロディー付きで。分かりましたね? それでは全曲を! と紹介してゆく。
ビゼー=ギローの華々しいカルメン組曲の前奏曲。こちらには〈闘牛士の歌〉なども出てくるので、メロディー抜きのお楽しみにも大変効果的。
あまりに有名なメンデルスゾーンの〈結婚行進曲〉は、劇付随音楽《真夏の夜の夢》から。映画スター・ウォーズ第1作(エピソード4)の輝かしいフィナーレを飾るファンファーレは、この曲冒頭のファンファーレが大元と捉えられているほど、世の勇壮なファンファーレの、まさしく代表格ともいえよう。
メロディー抜きコーナー。おしまいは、ヨハン・シュトラウス1世によるラデッキー行進曲。全曲演奏では、観客の手拍子も指揮者の合図で参加を促し、大いに楽しく盛り上がる。
「この後は、チャイコフスキーのバレエ《くるみ割り人形》から、組曲を抜粋してお届けします。
わくわくする物語の始まりを予感させる〈小さな序曲〉、
パーティーに集まった威勢のいい子どもたちによる〈行進曲〉、
チャイコフスキーが旅先のパリで見つけた珍しい楽器、チェレスタの音色が魅惑的な〈こんぺい糖の精の踊り〉、
勢いあふれるロシアの踊り〈トレパーク〉、
フルートが華やかに活躍する、ユニークな〈中国の踊り〉。5曲続けてどうぞ!」
有出絃人はチェレスタを奏でたいのは山々であったが、ピアノを結構巧みに弾けるヴァイオリン奏者に、ピアノパートも併せて任せることにして、ここでは指揮を続け、夢の世界を見事なまでに描きゆく。パリで2年間、バレエの伴奏ピアニストを務めていた経験からも、とりわけバレエ曲は得意中の得意、お手のものなのだ。そして組曲といえど、絃人の指揮はバレエ特有のルバートが自然に散りばめられ、あたかもダンサーが舞っている光景や、馴染みの振付が浮かんでくるよう。
そして観客は、「5曲続けてどうぞ」と言われれば、1曲、2曲目と大真面目に心で数え、5曲目が終わったところで、盛大に拍手してくるもの。晴れやかな〈中国の踊り〉が勢いよくバンッと終わった時点で、待ってましたとばかりにわあっと拍手喝采が湧き起こる。
司会が今度は穏やかにうっとり夢見るような調子で、有出絃人による台本を静かに語りかけていく。
「おしまいは、バレエの終盤近くでお菓子の国の妖精たちによって踊られる〈花のワルツ〉です」
メモは持たず、完全に自分のものにした言葉として、心を込めて語りゆく。
「かつて、このバレエのくるみ割り人形役、つまり王子役を踊っていたウクライナの男性ダンサーが、インタビューでこんなことを語っておられました。
『チャイコフスキーのバレエ、《くるみ割り人形》は、幼い頃からの憧れの、ふしぎな夢の世界でした。こうして恵まれて、自分が物語の真っ只中に、舞台に立てるようになっても、終盤近くになると、胸が締めつけられてしまう。あまりの切なさに、苦しくてたまらなくなってしまうんです。愛にあふれる夢の世界が永遠に続いて欲しいと、心から願わずにはいられなくて......』」
鈴音が言い終えるや、〈花のワルツ〉冒頭のホルンと、ハープ代用のピアノのアルペジオが幻想的に奏でられる。
ただの楽しく素敵なワルツではない、これはおとぎの国の崇高な物語なのだと、感動に包まれながら観客も奏者も幸せな思いに満たされて音楽に没頭してゆく。
単純に演奏ありきではない、ナビゲーターの存在を活かした舞台ならではの、楽曲解説の妙であった。
バトル会場である広大な邸宅の裏手には、ホールの楽屋口や、施設スタッフの通用口、舞台用大道具などの搬入口といった関係者専用の出入り口があり、施設スタッフの駐車場も備えられている。
街角ピアノの少年と、ベビーカーを押した母親は、Bチームのトムくんと怜美さんに連れられて、この裏手の駐車場へ回って来た。他の一般客に、この親子だけが特別扱いと思われてしまうのを避ける配慮であった。
おや? トランペットが鳴っている? それも先の寸劇の曲。〈愛を奏でて〉ではないか。
施設の壁を背にして、その先に広がる広大な森に向けて、上之忠司が1人想いに耽るように吹いている姿は、まさに哀愁のトランペッターだ。
曲を終え、上之は一行に気づき、一行も拍手で讃える。何と幸運な、こんな素晴らしいトランペットが聴けるなんて! 音楽家の多岐川と紺埜でさえも、今のが滅多に聴けない鳥肌ものの名演だったと、ゾクゾクしてしまう。
「おじさん、すごい! すごーい!」
街角少年は大はしゃぎで、飛び上がって大拍手。
「でも、何でこんなとこで吹いてるの?」
上之は少し照れながら答えた。
「いつもね、おじさんは演奏会の後、おじさんのお父さん、もうとうの昔に亡くなっちゃったんだけどね、親父さんに、こうしてお礼を捧げてるんだなあ。今日も無事に終えましたよ。ありがとうございました。音楽が、天国に届いたかなって」
「おじさんのパパ、死んじゃったの?」
「うん。早くにね」
それから上之は少年の母親や、居合わせた2人に、少し小声で語った。
「30代半ばで。急な病であっという間に。俺がまだ彼くらいの頃に」
3人の大人が何と返していいものやら、言葉を選んでいると、
「いつしか親父の歳をとうに越して、もはや倍近くになっちまったがね。それでも親父は親父で。トランペット、吹いてましてね」
「おじさんのパパもトランペット吹いてたの? おじさんみたいに?」
「おじさん、まだ子どもだったけど、魔法みたいにいい音だったことだけは覚えてるんだ。自分もあんな魔法の音、出せたらって」
そこでトムくんがすかさず言った。
「上之さんの音は魔法ですし、日本一、どころか世界一って思いますよ」
怜美さんも、お母さんも、そうですよね! とうなずく。
「坊や、お名前は?」
上之に問われ、
「僕、カナヤくんだよ!」
「演奏の奏に、弓矢の矢で、カナヤと」
お母さんが付け足した。
わあー、ぴったりな素敵なお名前! と、一同感心する。
「奏矢くん、ピアノの音がとても綺麗って、みんなが言ってたよ」
上之が言い、実際に少年のピアノを昨日聴いている怜美と勉も口を揃える。
「ホントに!」
「音楽的にも才能ありますよ!」
お母さんも嬉しそうにお礼を言い、息子にこそっと耳打ち。奏矢少年も、うん! とうなずき、
「だけど僕、ラッパ吹いてみたくなったの! おじさんのラッパ聴いて、吹きたくなったんだ」
「吹いてみるか?」
と持ちかけるが、音が出せずに、逆にがっかりさせてしまうかも? とも思う上之であった。
「今じゃなくていいの」
少年は首を振った。でも、好奇心には逆らえず、金ピカのトランペットにそっと触れさせてもらう。それだけでもドキドキ体験であった。
「ピアノも好きだけど、いつかラッパも吹きたいなって、ママと話してたんだ」
「もう、すっかり憧れちゃって」
ママさんも嬉しそう。
「本当にいい演奏会でした。本当にありがとうございました。赤ちゃんの面倒まで見て下さって。皆さまに、呉々もよろしくお伝え頂けたらと」
丁寧に頭を下げ、皆さんの演奏、この先どこで聴けますか? と、尋ねられ、3人は顔を見合わせる。話してしまって良いものか。
怜美が少年に聞こえないよう、お母さんにそっと告げる。
「来月には放送が始まる予定の、これ、バトル・シリーズの番組なんです。今はまだ極秘撮影の段階なので、内密に。お子さんにも」
幼い少年に口止めは、かえって酷なのだ。
パッと目を輝かせたお母さんも、しいっ! ですね? と、唇に手を当てて秘密厳守の姿勢を見せる。
その間、奏矢くんはラッパおじさんと、いつか一緒に演奏しような! と約束の握手を交わしていた。
「お待たせしましたー!」
怜美さんの三銃士の1人、アラミスことバーテンダーの青年が威勢よく現れた。
「うわっ、正装のお三方、流石に絵になりますね! 惚れ直しますわ」
と、銃士隊もどきの深々とした大げさなお辞儀をしてから、お客さま親子に胸を張って向き直り、
「そのままお待ちを。車持って来ます」
別れを惜しみつつ、感謝と共に白いインプレッサに乗り込む親子。車が裏門に消えて見えなくなるまで見送りながら、トムくんが言った。
「上之さん、あの子の運命変えちゃいましたね」
「ピアノ少年からラッパ憧れ少年へ」
怜美も言い、上之がそうかな? と謙遜気味に返す。
「そもそもおたくさんらが、赤ちゃんも面倒みるのでと、親切に招待したのがきっかけだったんだから、責任は君らにあるわけさ」
「と言っても、僕たちも街角の親子さんから幸せのお裾分け、沢山もらったような」
「出張中のお父さんも、きっと良い方で」
「奏矢くん、『パパも聴けたら良かったのに』って、ずっと言ってましたもんね」
「大らかなご両親に、音楽的にも恵まれた家庭環境で」
改めて、上之に怜美が言った。
「お父さま、残念でしたね」
「なんか、あの子見てたら当時の自分、思い出してね」
そろそろ夕暮れの気配が近づいてくる空を見上げて、上之はため息をついた。
「親父のラッパに憧れてたんだな......」
そう呟く上之忠司の姿は、まさしく哀愁のトランペッターであった。
彼の原点、ここにあり。
3人は楽屋口に向かった。
あの少年も上之さんのラッパに、きっと永遠に憧れ続けるんでしょうね......。と、怜美と勉は同じことを考えながら、ふっと優しい表情で顔を見合わせた。
98.「それは禁断の......」に続く。
♪ ♪ ♪ 今回名前が登場した人物 ♪ ♪ ♪
奏矢(カナヤ)くん 純朴な街角ピアノ少年
※ コメント欄にて、哀愁トランペッターの実在モデルについての思い出を語っています。よろしかったら。
