「 0 0 0 は ハズレの番号」 ⑦ 命がけのかけ引き
⑦「命がけのかけ引き」
18.追跡装置
19.勝利のミッション
20.向けられた銃口
18.追跡装置
「そこにいるのは誰か?」
集合場所は学校裏手の丘の頂上。時刻は朝8時。天ノ川 勇利 は、木陰にひそんでいるらしき先客に、シェイクスピア劇場の俳優のような声色でたずねた。
「大海原の大海賊」
木陰の少年が高らかに答え、声を落として続ける。
「そういうお前は誰ぞ?」
「ガガーリンの遺志を受けつぐ者なり」
木陰から 宗谷 斗 があらわれ、2人は決意に満ちた視線を交わし合った。
トマスはリュックから1枚の資料を出し、高々とかかげた。
「じゃじゃーん!」
音楽教師、守和 友希 の正体は、天才ピアニストの 森脇 遊。
「モリワ ユウキ、モリワキ ユウ。『キ』を一文字入れ替えて違う名前、作ってたんだ」
説明するトマス。
「似た名前のアルファベットが年鑑にあったなんて、よくぞ思い出してくれたもんだねぇ!」
ユーリは賞賛の声をおしまなかった。トマス・ソーヤはやはりただ者じゃなかった。
「天才は誰よりも、この『大海原の大海賊』だよ」
かくして謎に一歩近づいたわけだ。
「『守和友希』。音自体は適当に当てはめながらも、漢字では『和を守り、友に希望を』、なんてメッセージ込めてたのか」
「だけど、みんなから『ユウ先生』って、ホントの下の名前で呼ばれるようになっちゃうなんて」
「計算違いで焦ったろうね」
将来有望なピアニストの地位を捨ててまで、地方の小都市の小学校の音楽教師に転ずる理由は、はたして?
いや、むしろ謎は深まったのか?
秘密の任務をたずさえて、2人はとにかく出発した。目的地は丘の向こうの隣町、N市の郵便局。土曜日でも開いている本局にて、ユーリの親友2人宛の2通の封筒を配達記録でとうかんする。丘を降りればN市である。本局のある市内の中心部には、自転車で30分ほど。
悲鳴に近いおたけびを上げながら、まずは丘のじゃり道を、ハンドルを取られぬよう一気に走り降りる。どんなに世の中が近代化されようと、小回りがきいて、自力で動かせる自転車という乗り物だけは、永遠に残るであろう。とはいえ最近の製品はタイヤもかなり強化されているから、多少の悪道だってへいちゃらなのだ。
かなりのスリルを味わいつつ無事に隣の市に降り立つ。
尾行は......?
どうやらいないもよう。
途中、広いグラウンドの脇を通った。早朝のサッカーに興ずる低学年とおぼしき少年達、及び彼らを応援する仲間や家族の黄色い声。
わーわー、きゃーきゃー!
ぎゃーぎゃー! わーわー!
「この声が聞きたかったんだ......」
「なんか、なつかしいね」
「よし、ここでちょっくら休んでいこう」
ユーリの提案にトマスは意義をとなえる。
「少佐。さっさと任務をはたすべきでは?」
「万が一、尾行がついてたら、どうなる? 郵便局で、とうかん前に封筒が差し押さえられたりしたら? すべては水の泡」
ユーリは自転車から降りた。
「本局に行くことは敵にさとられてはならない。我々は、きみのいとこの......、そうだな、ヨシキくん、とでもしとこうか。サッカー試合の応援に来たってわけ」
自転車を駐輪場に停め、2人はグラウンドを囲む芝生に腰を降ろした。
「よっしゃあ、ヨシキ! そこだ! 行け!」
「ヨシキー! いいぞー!」
宗谷斗の偽のいとこ=ヨシキくんは、なかなか腕が(足が)立つようだ。トマスは反対側の芝生にレジャーシートを広げて陣取る見知らぬ家族連れに、大げさに手をふってみせ、ユーリはその宗谷家の親戚(?)とやらに、ぺこりと会釈してみせた。
自転車を飛ばした上、叫びすぎてのどがカラカラ。ユーリは友人にジュースでもおごろうと、自動販売機のある公園のレストハウスに向かった。
そこには ーー。
顔から血の気が引いたユーリは、そっと後退りして友人の元にもどった。
「奴がいる」
「奴って?」
「金髪のおやじだよ! あそこで! のんきに缶コーヒーかなんか飲んでやがる」
2人は推理した。丘には誰もいなかった。尾行者がいないか辺りをすっかり見わたせるよう、あえて頂上を選んだのだ。昨日、待ち合わせ場所を相談した際も、周囲に人はいなかった。とすると......。
少年探偵らは、ある種の確信をもって駐輪場の愛車に向かう。
「あったぞ!」
自転車のライトの下にトマスが見なれない物体を発見した。鈍い光沢を放つ、1センチ大の丸い金属片。簡単に外せ、金属系のものになら、磁力でどこにでもくっつくようだ。
はたしてこれは地球上の金属なのだろうか。同じ物がユーリの自転車にも貼りつけられていた。
「きっとある種の追跡装置だよ。衛星かなんかで、ぼくらを監視してるんだ」
間違いない。相手はプロなのだ。どうすれば、プロの殺し屋をだし抜けるか?
2人は顔を見合わせた。
こんな珍しいものは手元に確保しておきたいし、理科の実験室でぜひとも分析してみたいものだが、今はキケンすぎる。残念だがあきらめよう。
回りにはたくさんの自転車が置いてある。どれにしようか。いや、ダメだ。動いている自転車を標的にしないと ーー
折しも天の助けが現れた。
レストハウスでドリンクを買って出てきたとおぼしき、すらっと好青年の2人組が、ペットボトル片手に自転車に向かっている。日本人と、もう片方は外国人?
彼らは少年らに気づき、自転車にまたがる前にあいさつをしてきた。
「オハヨウゴザイマス」
アメリカ人っぽい方が、にこやかに言った。
「おはよーございまーす」
トマスとユーリはちょっと警戒しながら、あいさつを返す。
「あなた方は聖書を知っていますか?」
日本人のほうが聞いてきた。
モルモン教徒の宣教師だな。とユーリは気づいた。正式には「末日聖徒イエスキリスト教会」。かつて母親が趣味で教会の英会話教室に通っていた頃、よく自宅を訪問されたりしたものだから親しみがあった。賛美歌を歌って、モルモン書を読んで、お祈りをして。信者でなくても、教会で開かれる楽しいイベントに、親子で結構気軽に参加していたのだ。
「知ってますよ。旧約聖書も新約聖書も。それにモルモン書も。でも、なかなか読むことは......」
ユーリの口からすらっと出た「モルモン書」という言葉に、2人の宣教師は瞳を輝かせて嬉しそうに反応した。
「コレヲアゲマショウ」
アメリカ人が小冊子を差し出した。
「ありがとうございます」
少年らは大切に受け取った。
「ヨカッタラ、オイノリシテモイイデスカ?」
「OKです」
心配そうなトマスをひじ鉄で黙らせる。ユーリは彼らに従い、手を組み合わせ頭をたれ、目を閉じて「お祈り」のしぐさをした。わけがわからないトマスであったが、混乱しつつもとりあえずマネてみる。
「天のお父さま。今日のこの素晴らしいお天気に感謝いたします」
日本人の方が静かにお祈りを始める。
ユーリはそっと目を開いて、2つの追跡装置を宣教師の2台の自転車それぞれに、つけさせて頂いた。
ーー ごめんなさい。天のお父さま ーー。
19.勝利のミッション
勇敢なるーー しかしながらちょいとズル賢い ーー2人の少年探偵は、少しの間、宣教師らと親しげに同じ方向に自転車を走らせた。そしてここぞ、という曲がり角で彼らに別れを告げ、猛ダッシュで袋小路に身を潜めた。
万が一、金髪のおやじが跡をつけてきていたとしても、これで我々の姿も宣教師も、いったん見失うはずだ。あとは追跡装置の指示に従い、どこまでもどこまでも…...。
ほとぼりが冷めるのをしばらく待ってから、2人はできるだけ狭い道を選び、多少迷いながらも郵便局を目指した。
紙の地図と探偵特有の動物的なカンを頼りに、ようやく本局に到着した時は、なんと神々しい建物に見えたであろうか!
トマスが入り口で見張りにつく。腕を組んで仁王立ち。妨害者は投げ飛ばす覚悟である。
ユーリは局内にいる人物に鋭い視線を投げかけ、すばやくチェック。一般客人、受付の局員、怪しそうな奴はいないか? いや、こうなるとばあさんでも子どもでも、誰も彼もが怪しく見えてくるものだ。
近づいてくる奴がいたら容赦なく跳ね飛ばす勢いで、ずんずん窓口に向かう。
「配達記録でお願いします!」
封筒をリュックから出すやいなや、当局の手先にバシッと腕をつかまれやしないかハラハラしつつ、ええい! と2通の封筒を窓口に突き出す。
「受領証は手書きにしますかあ?」
窓口のお兄さんの、少々間延びした優しい口調までが陰謀めいてくる。ユーリの神経の糸が極限状態まで張りつめる。
「感熱紙じゃないのにして下さい」
料金を払い、受領証を受け取る。かくして、任務は完了した!
ーー やった。やったぞ! ーー。
ユーリは勝利の喜びをかみしめた。しかし念には念を。わざわざ隣町の郵便局まで来る理由がほしかった。壁面のボードに展示されている記念切手を物価する。おお! 外国切手のコーナーに、おあつらえ向きのがあるではないか。1枚400円ナリ。う~ん。
「人類宇宙飛行歴60周年記念」
地球を背景に、ユーリ・ガガーリン少佐とヴォストーク1号が描かれた、記念すべき切手である。今年の春、ロシアから発行されたものだ。どうしても欲しくて、通販で入手しようかと、ずっと気になっていた。
なけなしの小遣いをはたいて、少年は切手を2枚手に入れた。1枚は自分の為に、もう1枚は相棒トマスの為に。あいつがいなかったら、この任務は成功しなかったろう。
「おおいトム。切手、手に入れたぞ! ガガーリンだ!」
念には念を。満面の笑みを浮かべ、もはやいないはずの敵に、おおげさにアピールする。
今回の旅は「ガガーリンの記念切手入手」が目的だったのだと知らせる為に。2人は肩を抱き合い、飛び上がって喜んだ。ミッションは成功したのだ。
一方、元東独秘密警察(シュタージ)の大佐は、何かがおかしい? と感じながらも、昨日調達したばかりの最新式電動マウンテンバイクを快適に走らせていた。
衛星からのナビゲーションは、長いトンネルを抜けた先を示している。N市のはずれまでやってきた。連中はどこか遠いところまでサイクリングに行くつもりなのだろうか?
いや、先ほどから動きがないぞ。どうやら目的地に到着したらしい。
元大佐はトンネルを出たところで自転車から降り、すぐ脇の雑木林に自転車を隠した。辺りの様子をすばやく観察する。
彼らが入っていったとおぼしき建物、それは大きな教会だった。シンプルな外観。窓には美しいステンドグラスがはめ込まれ、屋根には十字架ではなく、アンテナのように細長い塔がそびえている。
この特徴は末日聖徒の教会か。
宗谷斗が通っている教会に、天ノ川勇利を誘ったのだろう。天ノ川家に関する情報は大方調べ上げてあれど、宗谷家の宗教についてまでは見落としがあったようだ。
今日は土曜だから、日曜学校でないとすると、何かのイベントか? おそらく数時間は出て来まい。昼になるまでは......。いや、ともすれば1日がかりだろう。
こうした教会は、見知らぬ者でも異国の人間でも分け隔てなく、温かく迎え入れてくれる場所。
中に入ってみたい誘惑にもかられたが、大佐は自転車の元に引き返し、のんびり時間つぶしのできそうなコーヒーショップでも探すことにした。
20.向けられた銃口
任務は無事完了した。あとは石坊と杉坊から「封書は受取った」との連絡を待つばかり。
天ノ川勇利は、本日の収穫である「ガガーリンの記念切手」をピンセットで黒い台紙にそっとのせて慎重にガラス板を被せ、写真用の額に挟み込んだ。
いいものが手に入った。
ズボンのポケットから小さく折りたたまれた2通の配達記録の受領証を出す。11ケタの問合せ番号とともに「大切に保存のこと」と書かれている。ユーリはしばし集中し、異なる2種の番号を丸暗記した。よし、完璧だ。
ネットで現在の配達状況を追跡してみる。おお! 朝一番で投函したからか、荷物はすでに彼らの街に到着してるじゃないか! 明日は日曜だから、きっと明後日の月曜には届くだろう。
しかし......、だ。
すでに敵はこの家にいったん侵入しているのだし、差出人は当然のこと、受取人の住所氏名までがご丁寧に記載されている、この秘密書類を無防備に家に置いとくのは危険すぎる。数字は暗記した。絶対に忘れない自信もある。では飲み込むか、焼き捨てるか。
いやいや、万が一配達にトラブルがあった際には受領書そのものも必要なのだ。としたら、どこか別な、安全な隠し場所.....。
宗谷斗の秘密基地!
しまった。今日中にあのガラクタ内に埋めとくべきだった。土曜だから人目も避けられたろうし、時間はいくらでもあったのに。
勝利の喜びも束の間、ユーリは任務の手落ちを非常に残念に思った。
今夜は受領書を抱いて寝るか、パジャマに縫いつけるか。それだって睡眠薬でも盛られたあかつきにはムダな努力に終わるのがオチだろう。
いや、まだ間に合う。夕食は終わり、シャワーも浴びた。時計は9時を回っている。子どもは寝る時間なのだ。
階下の両親にわざわざ「おやすみなさい」を言いに行き、パジャマ姿で窓辺に立ち、ぼくはもう眠りますよ~と、外にアピールしてから部屋を暗くする。ベッドに等身大の詰めものをしてーー 仮にXが布団を剥いだ際、へのへのもへじが描かれた画用紙が、ばあ〜っと現れる仕組み ーー 、完全武装で身仕度を整え、ポケットにマグライトを忍ばせる。
2階の窓からの抜けだし作戦は、この家に入居した初日にお試し体験ずみだったが、外に見張りがいたら発見される恐れがある。仕方ない。キッチン脇の裏口から出よう。
幸いにも両親はリビングでバレエのDVDを見ていた。お気に入りの英国ロイヤルバレエ団。
この街に来る前は残業ばかりか、土日も家で夜遅くまで仕事してたパパ。転勤後は仕事が楽になったと喜んで、2人でこんな時間も持てるように。今夜は《白鳥の湖》か。全幕が終わるまでには戻れるだろう。
ユーリは息を殺して廊下をすり抜けていく。万が一、親に見つかった時の言い訳も考えながら。そしてまんまと裏口から脱出に成功。自転車を使いたかったが、表に回るのは、やはりキケンだ。歩いてゆこう。
トマスを巻き込むことは、できない。
ユーリは固く決心していた。こんな遅い時間では補導される可能性もあるのだし。
夜の学校は、墓場に匹敵する恐ろしさが漂っていた。
正面玄関は目立つので、裏門に回る。門をのり越えたくらいでは、警報装置はならないだろう。どこからか、犬の遠映え。なんなく鉄柵をよじ登り、ネコのようにスタッと着地。
本物のスパイになった気分。トマスを連れてきてやりたかった。
我らが秘密基地は、体育館脇の物置き小屋。
もうずっと使われておらず、存在さえ忘れられている、悲しみの小屋。中には使い古した掃除用具や壊れた体育道具が雑然と置かれている。
きっと不用品を一時的に保管しようとして、担当の教師が転任になったりして、わけがわからなくなり、捨てられないまま放ったらかしにされているのだろう。
しかしトマスがそこをある程度、快適な空間にしつらえていた。運動マットには、どこかの教室から調達してきたカーテンをかぶせてソファに。ホコリはこまめに払われ、古びた匂いを消す為の消臭剤まで持ち込まれている。
さらにカンパン、缶ジュース、バランス栄養食、トマスの好物のコンビーフ缶と、至れり尽くせり。自宅からこっそり仕入れてくる非常食という名目だが、ほとんどの食料が1週間ほどで、ハラペコトマスの腹に消えてゆく運命らしい。
周囲に人気がないことを確認し、内部に侵入。ガタガタときしみそうな音を極力おさえ、マグライトの最低照度で内部を照らす。隠し場所は、一番奥に鎮座する飛び箱の中。
入口のドアをいきなり閉められ、閉じ込められたりしたら、どうしよう?
恐怖と戦いながら、封筒に入れた配達記録の受領証を飛び箱の中に忍ばせる。任務完了!
そっとドアを閉め、もとどおり。ほっとひと息ついて、そして、ぞっとした。
どこからか、ピアノの調べ。静かで、夢のような、不死鳥の子守唄。
月明かりだけがささやかな明るさをもたらしている体育館の薄い暗がりの中、ユウ先生が古びたグランドピアノを奏でていた。いや、天才ピアニストの森脇遊が!
背後で離れて聞いていた人物ーー 涙を浮かべた金髪の老紳士 ーーは、曲が終わるとピアノ脇に歩み寄り、ドイツ語で話しかけた。
「素晴らしい、ユウ。相変わらずだな」
「お久しぶりです」
ピアニストが同じくドイツ語で静かに返し、2人は握手を交わしながら肩を抱き合った。
「連邦の盗聴システムは?」
「この体育館は安全です」
「しかしなぜだ?」
外国人は長年ため込んでいたもどかしさをあらわにする。
「きみほどの実力者がなぜ、ピアニストとしてのキャリアを捨てなきゃならんのだ?」
「『X組織』のレジスタンス活動に専念する。理由はそれだけです」
「百歩ゆずって3年間の約束だったのに......。どれだけ貴重な、輝かしい瞬間が失われてしまったか」
「この10年で得たものこそが、自分にとっては人生最大の、計り知れない体験と言えますけどね」
「まあ確かに」
紳士は両腕を広げて天を仰ぐ。
「不死鳥の唄と称し、きみがこの学校の音楽室から『銀河連邦』に向けて送り続けている、数々の音楽メッセージ。聴き手の評価を意識することも、派手な技巧やひけらかしに走ることも一切ない、誠実で純粋なきみのピアノには、世界を、地球を、そして宇宙までをも変えてゆく力があるからな」
「作曲家の魂に少しでも近づけたらと」
けんそんしつつ、遥かな宇宙や音楽の無限の力に想いを馳せる、守和友希こと森脇遊。
「ですが音楽家の助っ人がいない以上、配信は僕のソロに限られますし、もっとアンサンブルや、オーケストラの曲も伝えられたら......」
「『X組織』にオーケストラは、まだないしな」
老紳士も同意する。
そこでピアニストはふと思いつき、提案を持ちかける。
「オーケストラはともかく、マエストロ? 連弾を一緒にいかがです? ここの音楽室、見事な音響なんですよ」
「銀河連邦への逆洗脳か」
当のマエストロはキラッと目を輝かせるも、いやいやと首を振る。
「実に魅力的な提案だが、抵抗運動においては、わたしは陰の存在であるべきなのでね」
「エーリヒ・ホフマン。世界的名指揮者にして、『X』の幹部。かつてはシュタージの大佐まで努めたエリートスパイ」
言われた瞬間、老紳士は偉大な芸術家と冷徹なエージェントの、近寄りがたい圧倒的な雰囲気に包まれる。
「まさか大御所の指揮者が、オフシーズンの休暇中にこんなとこで諜報活動だなんて。来日が世間に知れただけでも大騒ぎになりそうですね」
「ふふっ、子ども相手は実に楽しいものだね。きみの気持ちがわからなくもない」
肩をすくめてから、ホフマンは続けた。
「今回は少年スパイの発掘が目的とはいえ、もうひとつ案件があってな」
そこで声を落とし、
「ゆくゆくは『Xにオーケストラを』という動きもあるのだよ。日本の諜報員と密談中でね。オーディションで寄せ集めたオーケストラの一員として、音楽家らをバトらせるテレビ番組」
「それはまた壮大な計画で」
「主催及びメインの審査員もXの回し者。音楽性に優れ、レジスタンスの資質を持ち合わせた正義感の強い有能な演奏家をスカウトしてゆくわけだ」
それからホフマンは軽く言い放つ。
「きみもゲスト審査員で出演、決まってるので、よろしく。あ、本名の森脇遊でね」
「決まってるって......。初耳ですよ」
「『ユウ先生』とはタイプの異なる、軽めのキャラクターでも演じてもらえれば、ここの生徒らも銀河連邦も、守和友希と同一人物とは気づくまい」
「演じるって......。本人を?」
「それとも、まじめな『ユウ先生』の方が、実は演技なのかな?」
「さあ......。自分でもわからなくなりますね」
そんな様子に、ホフマンは真剣に忠告する。
「潜入任務は往々にして、のめり込むうちに自分を見失うことも。気をつけてくれよ」
「ですがせめて、あと1年半は音楽教師として。今の5年生が卒業するのを見届けるまでは」
「構わんよ。その間きみには新米スパイの教官も任せたいし、オーケストラバトルの計画は数年先の話だし。しかし、だ」
それからホフマンはいったん言葉を切り、力強く言い放つ。
「本来の使命はピアニスト森脇遊として、我らが地球人にこそ、最高の音楽を届けることも忘れないでくれたまえ。音楽の力こそが、地球人の精神を高めゆき、地球を救うことにつながりゆくのだから」
そこでホフマンは森脇遊に「しっ」っと合図をして、上着の下に隠されたホルスターから銃を抜き取った。そっと後退りし、入口付近の暗幕の陰に潜む人物に冷徹なまなざしで銃口を向ける。
「手を上げて出て来い。さもなくば、このモーゼルが火を吹くことになるぞ」
ドイツ語ではなく、英語で声をかけた。
大方ではあれど、少なくともドイツ語よりは理解できた。誇り高き少年は手は上げたりはしなかったが ーー 皆さんは決してそんな無茶なマネをしないように ーー、いさぎよくカーテンから姿をあらわした。
かくして少年探偵 天ノ川勇利は、「✕組織」の手中に落ちたのであった。
⑧「衝撃の真実」に続く......
(4/4 土曜日深夜0時公開)
※ コメント欄 近況報告の関連写真です


