脚本版 「オケバトル!」 5. 課題のヒントを見逃すなかれ
目 次
明るい夏の朝
彼女がつれない、そのワケは
ウィーンバトルの幕開け
課題のヒントを見逃すなかれ
一括おやじの夢のオケ
純朴審査員のトンデモ提案
登 場 人 物
(各枠 各々登場順)
Aチーム
有出 絃人(33)ヴァイオリン奏者
平石 昇 (25)打楽器奏者
稲垣 龍弥(46)ヴァイオリン奏者
山岸よしえ(52)ヴァイオリン奏者
安条 弘喜(43)トロンボーン奏者
安部真里亜(47)ヴァイオリン奏者
白城 貴明(42)チェロ奏者
沢口江利奈(43)ヴィオラ奏者
浅田 雅史(53)ヴァイオリン奏者
倉本 早苗(24)クラリネット奏者
稲垣 龍弥(46)ヴァイオリン奏者
Bチーム
浜野 亨 (24)ヴァイオリン奏者
別所 正道(39)ヴァイオリン奏者
江口 修 (43)ヴァイオリン奏者
多岐川 勉(21)コントラバスを学ぶ音大生
上之 忠司(60)トランペット奏者
紺埜 怜美(43)フルート奏者
会津 夕子(18)ヴァイオリンを学ぶ音大生
倉本 香苗(23)オーボエ奏者
スタッフ
砂男 正体不明の弦楽器マイスター
アントーニア・リーバー(19)オーストリア人学生
宮永 鈴音(32)リポーター
長岡 幹 (63)番組プロデューサー
青井 杏香(52)作家
脇役
立石沙織(7年前に25才) ピアニスト
Bチーム
トランペット次席
トロンボーン首席
ホルン首席
ホルン次席
ホルン3番手
ヴァイオリンA
バトラー H、I、J、K
ファゴット女性
ファゴット男性
クラリネット女性
クラリネット男性
スタッフ
女医 バトル館の医務室勤務
第5話 「課題のヒントを見逃すなかれ」
明るい夏の朝
◯バトル館敷地内、森の中(朝)
輝く木漏れ日、風にそよぐ木々、小鳥
達のさえずりに、時折り珍しい鳥の鋭
い鳴き声。
有出絃人が幸せに満ち足りた様子で、
辺りを見渡しながら散歩している。
有出「最高に素敵な環境だなあ」
少し開けた場所で歩みを止め、高く生
い茂る木立を仰ぎ見る。
両腕を広げ、思い切り深い呼吸で朝の
空気を全身の細胞に取り入れる。
繰り返し鳴き続ける小鳥の歌声。
軽いストレッチで全身をほぐす(マー
ガレット・モリス・ムーブメントの方
法で)。
平石昇が脇道から現れ、両腕を天に向
かって伸ばしている有出の姿にはっと
して、そうっと後退りするも、有出に
見つかってしまう。
平石「おはようございまーす」
有出「おはようございます。早起きですね、
夕べは遅かったのに」
平石「お互いさまじゃないですか」
平石、陽だまりの空間に入ってゆく。
平石「真夜中のダンスで、かえって爆睡で早
起きできましたよ」
有出「お付き合い、ありがとう」
平石「今のは? ストレッチ?」
有出「ちょっと特殊な、『MMM』っていう、
英国発祥のメソッドなんだ。ストレッチと
ヨガとダンスを、効果的にミックスしたよ
うな」
有出、平石に腕を示し、
有出「そうだな。パーカッショニストなら、
例えば楽器を直接握る手のストレッチとし
て......」
有出、グーとパーを軽く繰り返して見
せてから、今度はゆっくり手本を示す。
有出「グーの時に手首も内側に折り返す。
ギュッと力を込めて、逆にパーの時は思い
切りそり返す。更に目一杯、これでもかっ
てくらい広げると」
平石も真似てみる。
平石「あ〜、流石にここまではやったことな
いかも。凄い。凄く効く気がする」
有出「これを思い切りゆっくり。早く5回繰り
返すより、ゆっくりを、1、2回の方が、
遥かに効果大だから」
平石「思い切りゆっくり、ですね」
有出「勿論、手だけの問題じゃなくて」
有出、膝を少し曲げ、頭と腕を下げて
前屈みになり、両腕をブルブル振って
見せる。
有出「腕全体、肘から肩、背中、腰と、全身
を駆使しての演奏だから、部分だけの話じゃ
ない訳だけど」
有出、ゆっくり姿勢を戻す。
有出「戻る時もゆっくり。頭は最後に。いき
なり戻して、クラッとこないように」
平石、同じように真似る。
有出「通常は軽めの音楽に乗って、皆んなで
気分良くほぐすんだけど、ここでは森の歌
がBGM」
そう言って両腕を広げて空を仰ぐ。
有出「小鳥の声に、木々ざわめき。キラキラ
揺れる木漏れ日の煌めき」
平石「光まで、音楽にしちゃうんですね!」
有出「早朝の澄み切った空気の中で輝く木漏
れ日って、どれほど高価な宝石にもまさる、
絶対的な美しさ──」
風に揺れる小枝から輝く陽光。
有出「だと思わない?」
有出、葉の影から盛れる眩しい太陽光
に左手の甲を当て、片目をつぶり、薬
指に指輪が輝いているように見立てる。
有出「ふふっ、エンゲージリング」
平石「太陽と、婚約ですか!」
有出、腕を下ろし、ふと遠い過去を見
るように呟く。
有出「人間の女性には......、この感覚、分かっ
てもらえなくてね」
(有出の回想)
◯ウィーンの森の小径(朝)
有出、立石沙織の肩を抱きながら、彼
女の左腕を支え木漏れ日の中心の太陽
にかざし、手の甲に宝石が乗っている
ように見立てている。
有出の声「ウィーンに留学してた頃、何かと
世話焼いてくれた女性がいて……」
◯ウィーン、沙織のアパートの居間
グランドピアノの脇でヴァイオリンを
弾いている有出。
沙織が食卓を整えている。
有出の声「ウィーンでの生活関連の一切合切に」
× ×
ピアノを弾いてる有出。
テーブルでは、沙織がヴァイオリンの
楽譜の製本作業をしている。
有出の声「厄介な譜面の製本まで。彼女自身
のピアノの練習時間も割いて」
× ×
ソファでくつろぎ楽譜を見ている有出。
沙織はテーブルで、シャツにアイロン
をかけている。
傍のハンガーポールにはタキシードが
吊るしてある。
有出の声「本番前の準備とか、散々尽くして
くれてたし」
◯サロン風演奏会の舞台
有出のヴァイオリン、沙織のピアノに
よる共演。
有出の声「音楽的相性は抜群だったから、デュ
オを組んで生涯、共にに活動しようって
誓ってたんだけど」
◯ウィーンの森の小径(朝)
まだ薄暗い森の中、有出と沙織が歩い
ている。
有出の声「いざ、便利だし一緒に暮らそうっ
てなった段階で、何か保証みたいなもの。
永遠の愛の証として、つまり指輪を欲しがっ
た彼女。音楽の贈り物や、薔薇の花束なん
かじゃなくて。だけど猛勉強の合間のバイ
ト代、いくらため込んだって到底無理な話」
低い空から差し込んでくる眩い陽光。
有出の声「だから、彼女を朝一番の森に連れ
出したんだ」
輝かしい森の光景。
有出の声「小鳥の歌声や風の囁き、清流の音、
そしてダイヤモンドにもまさる木漏れ日の
輝きのシャワー。『これが僕から、というよ
り自然界からの贈り物だよ』って」
(回想、終わり)
◯バトル館敷地内、元の森の中(朝)
益々輝きを増す木漏れ日の中を歩いて
いる有出と平石。
平石「なんてロマンチックな!」
有出「それが自分なりの精一杯で」
平石「最高のプレゼントじゃないですか!」
有出「彼女も感激の涙を流してたと、思い込
んでいたものの、それは自分の身勝手な勘
違いで、実際はがっかりさせてたんだって、
後になってから気がついた訳で」
平石「僕だったらイチコロだし、永遠に忘れ
られない生涯の思い出になりそうですけど
ね」
有出「結局は逆に冷めたというか、自分の方
が愛の重圧に耐えかねて、学業を終えるや、
『俺はドイツでオケに入る』と言い捨てて、
ウィーンを飛び出して、はい、おさらば」
平石「あ〜」
有出「以来、女心は謎のまま」
有出、気分を変えるように、
有出「失礼、朝から重い話、しちゃった」
平石「いや、貴重な話ですよ。そういう意味
じゃ、太陽と婚約って揺るぎないですも
んね」
有出「なんで女性って生き物は宝石なんぞを
欲しがるんだろうね。どんなに高価な宝石
だって、光を当てなきゃ自らは輝けないっ
てのにさ」
平石「僕も太陽と結婚するかな」
有出「単数、複数って概念からおさらばすれ
ば、こうした森、全体と婚約するってのも
オススメよ」
平石「森の世界も魅惑ですね」
有出「『グリーンマインド』って呼んでるんだ
けど、こうして自然の緑の中に身を置くと、
心が深く静かに落ち着いていく。思いがけ
ない素敵な方向性が見えてきたり」
平石「JFKの『ブルーマインド』みたいな?」
有出「まさにそのとおり!」
平石「大きな決断を下す時、少年時代から慣
れ親しんでいだケープゴットの海で過ごす
と、心がクリアになって気持ちの整理がで
きると」
有出「ケネディにとっての、そうした心の故
郷みたいな場所、自分にとっては緑の中な
んだ。森に来ると心が落ち着いて、研ぎ澄
まされる」
平石「あれ? じゃあどうして、緑のBチー
ムに行かれなかったんですか?」
有出「実は行きたかったんだけど、あの黄緑っ
ぽい緑は、なんかキケンな気もして」
平石「確かにハチャメチャ感、満載ですもん
ね、Bチーム」
有出「キケンと言えば、黄昏時や夜の森には
要注意ですよ」
平石「森のローレライ」
有出「果てしない幻想の世界」
平石「ハイネやアイヒェンドルフが描いた妖
しげな世界も、憧れではありますね」
有出「透明な歌声で誘う妖魔がまた魅力的で」
うっとり語ってから、
有出「妖婆はゴメン被るけど」
笑い合う2人。
有出「ん?」
有出、ふと立ち止まり耳をそば立てる。
有出「歌声?」
平石、飛び上がる。
平石「妖魔の歌声!? まだ朝ですよ!」
♪モーツァルトの弦楽合奏
平石「いや、人の声じゃない」
有出「うん、楽器の音。弦楽アンサンブル」
平石「ディベルティメント......。CDの大音
量じゃ、なさそう」
有出「アマチュアが合宿でもしてるのかな」
平石「ここの敷地内って、かなり広そうだか
ら、そうした一般向けの合宿所なんかもあ
るんですかね」
有出「それにしても上手すぎるレベル」
平石「プロは合宿なんてしませんものね。こ
んな森の中でリハーサルってのも考えにく
いし」
有出「そもそもここ、何処? もしかして、
バトル館を迂回して正面のゲートの方向に
来ちちまったかな」
前方から黒ずくめの怪しい覆面男が、
千鳥足でやって来る。
平石「誰か来ますよ」
有出「なんか変な......」
平石「あれは、あれは、もしかして」
有出(小声で)「砂男コッペリウス!」
◯バトル館の楽器庫(有出と平石の回想)
目玉の楽器を見せびらかしている砂男。
砂男「目玉はいらんかね? 上等な目玉よ」
(回想、終わり)
◯バトル館敷地内、元の森の中(朝)
平石「こんなところで、こんな朝早く出くわす
とは!」
平石、悲鳴に近い声をあげる。
有出「今日こそはヤラレるもんか」
有出の方は、ふっと笑みを浮かべ、
有出「大丈夫。調子を合わせてやろう」
砂男は有出と平石を見咎めるや、タタッ
と近づき、互いに軽く朝の挨拶を交わ
す。
砂男「全く何としたことか!」
砂男はプンプン憤っている。
砂男「お若いの、まあ聞いて下さいよ。昨晩、
仮装パーティーがありましてね」
ぶつくさ事情を語り出す。
砂男「私はこうもりに。中々粋な仮装でしょ?」
両腕を伸ばし、マントを大きく広げて
見せる。
砂男「しかしね、友人に散々飲まされた挙げ
句、泥酔状態のまま置き去りにされたか、
気づいたら朝で、木陰で倒れてたんですよ」
言いながら、草葉を落とすように羽根
をバサバサ。
砂男「通りかかった小学生の悪ガキどもに、
『こうもり男、こうもり男』と散々はやし立
てられ、観光客までが何だ何だと集まって
来て、お巡りさんに保護されて説教食らっ
た挙げ句、大恥かきながらこうして帰って
来た訳ですよ」
と言って肩をすくめる。
有出と平石は小声で囁き合う。
平石「これって、《こうもり》の話?」
有出「シュトラウスの」
平石「いたずら者の友人に復讐を誓う、ファ
ルケ博士による前口上、そのもの?」
有出、慇懃無礼に砂男に聞いてみる。
有出「すると、あなたは他ならぬファルケ博
士なのですね?」
砂男「まさしく」
砂男、バカ丁寧にお辞儀をした後、こ
うもりめいた羽根を翻し、飛ぶように
走り去って行く。
呆気に取られて見送る有出と平石。
有出「驚異的な速さだ」
平石「一応おじいさん、何ですよね、彼」
有出「うーん。謎すぎる」
平石「という事は、つまり」
有出「次なる課題曲は、《こうもり》?」
平石「また歌い手が入る? あのオランピア
嬢とか?」
有出「あるいは序曲か」
(有出と平石の空想の音楽)
♪ヨハン・シュトラウス
喜歌劇《こうもり》序曲の冒頭
華やかな出だしの全合奏
有出「うん。きっと序曲だ」
平石「今回のドナウ、序曲の予習ってことに
なるのかな」
有出「《こうもり》序曲としたら、振ってみ
たいな」
有出が呟き、平石はやった! と反応。
平石「なら、是非!」
有出「何が何でも。ワガママの横暴って非難
されてもね」
平石「誰も非難しませんし、させません!」
きっぱり言い切る平石。
◯バトル館、Bチームリハーサル室(朝)
セカンドヴァイオリンの後方に、楽器
と共に座っている浜野亨。
強面の金管族数人が威圧的に取り囲む。
浜野「腕もヴァイオリンも、すっかり良くなっ
たので、指揮は降りて、弾かせてもらいま
すね」
浜野、すまして言う。
トランペット次席「いえいえ、無理は禁物。
大人しく指揮に回りましょうや」
トロンボーン首席「マエストロ? 昨夜はあ
んなり張り切って、クライバー調になんて
言っときながら、今朝になって知らん顔で
すか?」
ホルン首席「ウィーンの空気に精通しておら
れるお方、務めは果たして頂かないと」
ホルン次席「なにせAの奴らは、ウィンナ・
ワルツの深夜の舞踏会を決行したっていう
じゃないですか」
ホルン首席「負けてはられないって、分かっ
ておられますよね?」
浜野「……分かっております」
浜野、渋々指揮台に立たされる。
♪〈青きドナウ〉冒頭
ホルンの頼りなげなソロ
(浜野の空想)
浜野「ホルンさん? 人にあれこれ注文しと
きながら、自分のソロはしょぼいんですか?
しっかり吹いて下さいよね!」
怒り目線のホルン首席。
驚き表情のホルン次席。
一斉に白い目の全Bチーム。
窮地に立たされる己の姿。
(空想終わり)
浜野、はっとする。
浜野の心の色「気をつけろ、気をつけろ。皆
んなのヤル気、挫いてはいけないのだ」
♪〈青きドナウ〉
冒頭〜中間部〜終盤
昨夜より少し落ち着いた演奏
一度通した段階で、浜野、可もなく不
可もなしといった表情で淡々と語る。
浜野「まあ、早朝の特別招集で、とりわけ管
はまだ楽器が温まってないでしょうし、昨
夜の軽すぎたノリも、程よく落ち着いてき
たようですし」
(浜野の空想)
一斉に白い目の全Bチーム。
窮地に立たされる己の姿。
(空想終わり)
全員が無表情のBチーム。
満足か不満か、読み取れず。
浜野「ねえ、皆さん?」
浜野、慎重に切り出してみる。
浜野「Aチームの夜中のダンス以上のことが、
僕達に何かできるとしたら、どんなことが
あるでしょうね?」
全員が無表情のBチーム。
トロンボーン首席「歌うしかないんじゃない
すかね」
別所正道「それって、弦のメンバーがってことで
しょう? 無理って言ったじゃないですか」
江口修「気軽に蒸し返さないで下さいよ」
そうですよ、そうですよ、と、一斉反
発の弦の面々。
浜野「いや、一理あるかも」
意外な浜野の言葉に、えっ!? と不満
げなの弦の面々。
ヴァイオリンA「あ~、自分は指揮だからっ
て、仲間の弦を裏切るんですかあ? マエ
ストロったら」
弦楽器群から恨みがましい視線の集
中砲火。
浜野「そうじゃなくて」
慌てて訂正する浜野。
浜野「本番で実際に歌わなくたっていいんです。
ただ、今、この場で全員で歌ってみるだけ
でも、充分に価値はある。楽曲本来のイメー
ジに触れるってだけでも、学ぶべきものは
あるんじゃないかと」
ヴァイオリンA「そうか」
別所「弦だけでなく、全員でって事ですね?」
江口「では、やってみますかね」
はーい、了解〜。と、納得する一同。
バトラーK「歌詞は? 日本語で? それと
も原語のドイツ語?」
浜野「まずは訳詞で。それから原語もいって
みましょう」
多岐川「ライブラリーで歌詞、調達してきま
す」
多岐川、さっと出て行く。
ファゴット女性「彼ってマメよね」
ファゴット男性「自分が若く下っ端と意識し
てか、生来の気の利く性質ゆえんか、いつ
もさっと行動して。雑用こなしてくれて」
ホルン首席「『楽器さえ一緒でなければ猛ダッ
シュ』が売りなんだとか」
ホルン首席「誰もいないとこでも、黙々と後
片付けしてるとこ、見たことありますよ」
上之忠司「オケマイスターだな。ああいうの
こそが」
周辺の一同、うんうんと頷く。
紺埜怜美「いっそのこと楽器を置いて、皆で
裏手の散歩道に繰り出すってのはどうかし
らね?」
ホルン首席「ああ、いいですねえ!」
クラリネット女性「自然の中で歌うって、最
高に素敵かも」
よっしぁ行こうぜー! と、一行は楽
器を置いて、出発。
浜野「多岐川さんに、知らせて来ます。エン
トランスのロビーに集合で!」
他の面々は陽気に歌いながら、メイン
エントランスへと行進する。
◯バトル館のエントランス(朝)
フロントが通報し、程なくして撮影隊
も駆けつけて来る。
楽譜を抱えた浜野と多岐川が合流する
や、正面玄関から出て行く。
◯バトル館、敷地内の森(朝)
一同、楽しげに進んで行く。
倉本香苗「日焼け止め、塗ってない〜」
会津夕子「まだ日差し、そんなに強くない
のでは?」
香苗「朝の日差しだって侮れないんだから」
バトラーJ「うかつに部屋に戻って、出遅れ
ようものなら脱落候補一直線」
バトラーK「せめて長袖だったらね」
一同、楽しげに歌いながら館の裏側の
森の散策路に入って行く。
♪〈青きドナウ〉合唱
歌(混声4部)「遙かに果てなく、ドナウの水
はゆく、麗しい藍色の、ドナウの水は常に
流れる」
49名のメンバーが輪になって集えそ
うな少し開けた陽だまりに落ち着く。
多くは何となく佇むも、中には草地に
座り込んだり、大木の木陰で陽射しを
避ける者など、思い思いの場所で声を
そろえてみる。
大半の者は歌詞を見ながら気持ちよく
主旋律を歌い、
ヴィオラ族や木管の次席らは、三度下
を上手にハモる。
怜美は歌詞ではなく、ら~らら~♪と
美しい小鳥のオブリガートを乗せ、
低い声で粋な後打ちに徹するのはコン
トラバスの男性トリオ。
クラリネット男性が、うやうやしいお
辞儀と共に、隣のクラリネット女性に
腕を差し出し、ダンスにお誘い。
彼女はおっかなびっくり戸惑いつつも、
男性の巧みなエスコートに楽しそうに
身を任せていく。
夕子と香苗も手を取り合って、歌いな
がらのデタラメダンスに大はしゃぎ。
直立不動だった者も次第に身体を乗せ
たりと、誰かが拍子をとるでもなく、
各々が自由に楽しみつつ、全員の心は
ひとつとなりゆく。
歌(混声4部)「我ら今歌う、青きドナウを讃
えて、我ら今歌う、とこしえに美しく青き
ドナウの歌を」
第五円舞曲のラストまでを高らかに歌
い上げる。
別所「お次は原語で!」
♪〈青きドナウ〉(ドイツ語の歌詞)
多くが楽譜を見始めるも、変わらずに
様になり、更に盛り上がる。
浜野「じゃあ、ここで解散でいいですね?」
ホルン首席「もったいないな、これをお披露
目できないなんて」
トロンボーン首席「冗談でなく、本当に歌っ
てはどうだろか」
ファゴット男性「一部始終、撮影はしてもら
えたみたいだから、よしとしましょうよ」
一同、撮影隊に、念を押す。
バトラーH「真夜中の怪しげなダンスも結構
ですが、健康的な我らの合唱シーンも、何
処かに織り交ぜて流して頂けると有難いん
ですがねえ」
バトラーI「よろしく頼みますよ」
上之「この曲の理解が少しは深まったと思うし、
親しみも持てた」
上之が場の空気をしっかりまとめる。
上之「何よりこの素晴らしい自然の中、皆ん
なでひとつになって声を合わせられたなん
て、最高の体験じゃないか!」
わあっと拍手が起きる。
木漏れ日が輝いている。
彼女がつれない、そのワケは
◯バトル館の通路(朝)
足取りも軽い浜野。
浜野「おっかなびっくりは卒業だ」
医務室の前で立ち止まる。
浜野「今度こそ気持ちよくタクトを振るぞ」
深呼吸してからノック。
浜野「失礼しまーす」
ドアを開けて中に入る。
◯バトル館の医務室(朝)
女医が隅の机に向かい背を向けている。
女医「彼女なら、いませんよ」
浜野、慌てる。
浜野「あ、いえ。そういう訳では」
と、口ごもる。
浜野の心の色「実はそういう訳だって、みえ
みえなんだろか」
浜野「ただ、昨日のお礼を伝えたくて」
浜野、振り向いた女医に腕を振り回し
て見せる。
浜野「腕がすっかり良くなったどころか、今
朝、気づいたんですけど、身体全体、格段
に調子が素晴らしくなってたんで、もうビッ
クリで」
女医「トルマリンの効果、絶大でしょ」
浜野「その報告と、ひと言お礼も伝えたくて」
女医「残念だけど彼女は当分、ここに来られ
ないの」
浜野、ふうん? そーですかと無関心
を装いつつも、ハッとする。
浜野「まさか、あの楽器庫のじいさんの差し
金? 昨日はこっぴどくヤラれちゃいまし
てね」
女医「ああ、彼はバトラーさん方をおちょくっ
てるだけですよ」
浜野「まあ、ヴァイオリンは見事に生まれ変
わりましたからね。凄腕......、というか、
神技レベルですね」
女医「ふふふ、こちらも神レベルよ」
女医はクリームの入った化粧瓶を自慢
げに見せる。
女医「アントーニアの提案でね。この魔法の
マッサージクリーム、バトルメンバー全員
に無償で配られることになったんですよ」
浜野「それはありがたいお話で」
女医「トルマリン鉱石がリッチに配合された、
高価で貴重な品というのに、彼女が番組ス
ポンサーに直談判してね。各自1瓶ずつ、
今夜には皆さんのお部屋に届きますよ」
熱心に医者は続ける。
女医「今日は4日目で、今のとこ重症の筋肉
痛患者さんはまだ現れないけど、バトルが
白熱するにつれて、こちらも心配だったの。
でも、このトルマリンクリームさえ塗っと
けば、過酷なバトルも恐い物なしよ」
浜野「恐い物なしかあ。助かるなあ」
女医「癒やしの効果もあるから、精神面にだっ
て効くのよ。とにかく使ったもん勝ちって
わけ」
浜野「じゃあ、チームの皆んなにも勧めとき
ますね!」
浜野、医務室を後にする。
◯バトル館の楽器庫(朝)
数々の楽器が勢揃いしている室内。
浜野「失礼しまーす」
重いドアを押し開けて入って来る。
砂男「おや学生さん、調子は如何かな?」
立ちはだかる砂男は、ワインの瓶を片
手に持った、飲んだくれのくたびれお
やじ風。
浜野(独り言のように)「学生じゃ、ないんで
すけどね」
浜野、頭を下げて礼を言う。
浜野「ヴァイオリンも身体の調子も、おかげ
さまで絶好調です。ありがとうございます!」
奥の様子をそっと伺うと、
調子っぱずれの女性の歌声が、奥から
聞こえて来る。
♪シュトラウス喜歌劇《こうもり》
第3幕アルフレートのアリア
浜野、パッと顔を輝かせ、
浜野(独り言)「アントーニアさん?」
砂男、奥に向かってどやしつける。
砂男「こらっ、うるさいぞ!」
叱責で、歌声がぴたりと止んでしまう。
浜野、きつい表情で一歩前に進み出る。
浜野「何故、歌がダメなんです? あんなに
素晴らしい才能は活かしてあげないと」
砂男「おやおや、いけませんね、学生さん」
砂男は少々くだけた調子。
砂男「何をそんなに怒ってらっしゃるんです
かな?」
浜野「あなたがアントーニアさんから、歌を
取り上げようとなさってるからです」
憮然と言い放つ浜野。
砂男、不敵な笑みを浮かべ、ゆっくり
低い声で告げる。
砂男「全く状況が分かっておられないんです
な」
再びアントーニアの歌声。
やはり何処か調子っぱずれ。
♪シュトラウス喜歌劇《こうもり》
第3幕アルフレートのアリア
浜野「もしかして......?」
砂男「黙らっしゃい! 他の囚人に迷惑だろう
が!」
歌は構わず続けられる。
浜野「《こうもり》って訳ですね。シュトラウ
スのオペレッタ」
浜野、はあーと、ため息。
浜野「この奥で歌う彼女が、監獄に閉じ込め
られてるテノールのアルフレート役。そし
てあなたは、刑務所長……、いや、違った。
看守のフロッシュ殿」
砂男「そういうあなたは、どなたかな?」
ワインボトルから直に飲むフリをして、
酔っ払いを演じながら尋ねる砂男。
浜野はカウンターテナーばりの裏声で、
貴婦人のような品を作り、
浜野「わたくし、恋人を牢獄から救いに来た、
ロザリンデでごーざいますわ」
浜野の豹変ぶりに、大きな眼を更に見
開く砂男。
そんな砂男の隙を突き、牢獄という設
定らしき部屋の奥へと突入する。
アントーニアは、作業台に寝かされた
チェロを丁寧に磨いて手入れを施して
いる。
美しい巻き毛を無造作にアップに束ね
たスタイルが可愛らしい。
アントーニア「あら、勇敢ナイトさんでした
のね」
チラッと見るも、目線を合わせようと
もしない、そっけない態度。
浜野「ひと言お礼を言いたくて」
アントーニア「どう致しまして」
作業の手を休めず、冷たく言い放つ。
アントーニア「だけど、もうここにはいらっ
しゃらないで。私達、会ってはいけないん
です。会話を交わすのも、ダメなんで」
浜野「アントーニアさん」
浜野、強い口調で食い下がる。
浜野「あなたのおじいさんが何とおっしゃ
ろうと、好きにすればいいんですよ」
アントーニア「そういう問題じゃ、ないんです」
ぴしゃりと言って立ち上がる。
アントーニア「あなたが出てって下さらない
なら、私が消えないと」
涙ぐんでいるアントーニア。
浜野、しばし呆然と佇むも、一歩下がっ
て、深々とナイトの一礼。うつむいた
まま楽器庫の戸口へ向かう。
待ち構えていた砂男がからかう。
砂男「おやおや、ロザリンデさん、アルフレー
トに振られちゃってザーンネンでしたー」
浜野、ドアも閉めずに部屋を飛び出す。
◯バトル館、楽器庫前の通路(朝)
浜野、足早に立ち去りながら、
浜野「あの冷たさ、本気の本気だった」
一旦歩みを止め、混乱の表情で楽器庫
を振り返り、
浜野「嫌われた、嫌われちまった」
後退りしながら、
浜野「もうおしまいだ。脱落だ!」
絶望に駆られ、駆け出して行く。
◯バトル館のホール、舞台と客席
両翼配置のセッティングが並ぶ、薄暗
い舞台。
ヴァイオリン片手にスポットライトを
浴び、下手のスタンドマイクに語りか
ける宮永鈴音をカメラが撮影している。
鈴音「〈美しく青きドナウ〉。良く知られたこ
の題名は、直訳ですと〈美しく青いドナウ
川のほとりで〉とか、〈麗しい青きドナウに
寄せて〉といった訳になりますが、我が国
でも世界的にも、ただ〈青きドナウ〉と言
えば、何と言っても──」
鈴音、そこで言葉を切り、かの有名な
「ドミソソー」のメロディーをヴァイオ
リンでたっぷり歌ってみせる。
鈴音「お分かりですよね?」
と、首を傾げてにっこり。
それから深いため息をつき、
鈴音「ああ、さざめくような弦のトレモロに
乗ってのホルンのソロに始まる、このあま
りに崇高な出だしは、こんなヴァイオリン
のたとえなんかでは決して表すことなんて、
できませんね」
ふんわり微笑み、
鈴音「19世紀半ばのこと」
解説モードに切り替え淡々と語りゆく。
鈴音「隣国プロイセンとの戦争に敗れ、意気
消沈するオーストリアの人々の為に、『気持
ちを奮い立たせる合唱曲を書いて欲しい』
と、宮廷楽長にして男声合唱団も指揮する
友人にせがまれた、ヨハン・シュトラウス」
ここで人差し指を立てて、視聴者に注
意を促す鈴音。
鈴音「息子のほうですよ。同名の父親も、『ワ
ルツの父』と称される、著名な作曲家です
ものね」
再び解説口調に戻り、
鈴音「既に円熟期を迎えた『ワルツ王』であり
ながらも、合唱曲を作曲の経験も自信もな
く、実は嫌々ながらの作曲でした。歌詞も
当初はドナウとは無関係の勇ましい内容で」
声のトーンを内容に合わせて、少しず
つ明るめに変えてゆく。
鈴音「ですが、パリやロンドンでの客演の折、
大変な評判となったことから、後に歌詞を
ドナウ川への憧憬を歌う内容に書き換え、
やがてはシュトラウスの代名詞となる程の、
確固たる地位を確立していきます。そして
今日では自国の第二の国歌としてだけでな
く、世界中で歌われ、奏され、親しまれて
いるのです」
舞台の照明が明るくなり、上手からB
チームが登場して来る。
鈴音(高らかに)「先攻のBチームです!」
片手で示してから下手の袖に消える。
着席した者から徐々に客席に目を向け
ると、
× ×
審査員席には、左から長岡幹、青井杏
香、お人形さんのようなアントーニア
がちょこんと座っている。
× ×
仰天するBの面々。
あれ? あれえっ!?
ジョージがいない!
そして、あれは、あれは、
オランピア嬢ではないか!
一同、まずは非常にがっくりする。
バトラーHの心の声「ジョージさん、未熟な
うちらをあんなに温かく見守ってくれてた
のに、別れの挨拶もなしに行っちまったん
ですかい?」
バトラーIの心の声「寂しいですよ、ジョー
ジさん。あの素敵なお姿がもう見られない
なんて」
ファゴット男性「あ、そっか。最初から『僕は
3日間』って仰ってましたっけね」
ファゴット女性「約束の3日、過ぎてしまっ
たんですね」
ホルン首席「そしてあどけない少女のような、
オランピアさんが、新たなゲスト審査員な
んですね」
ホルン次席「哀しいけど、ちょっと嬉しいかも」
バトラーH「あんなに可愛いお嬢さんが、一
体どんな評価、下してくれるんだろうか」
バトラーI「それに彼女もジョージに負けず
劣らずの、見目麗しいきれいどころ。客席
に居るだけで、演奏にもついつい熱が入っ
てしまいそう」
混乱思考の渦巻くチューニングの中、
メンバーの動揺もいつしか収まり、
全てすべての準備が整ったところで、
指揮者の登場となる。
気持ちを引き締めてカツカツと指揮台
に向かう浜野。
台の手前で歩みを止め、まずは一同に
起立を促し、挨拶をすべく審査員席を
見やると──、
× ×
長岡、杏香と並ぶアントーニアの姿。
× ×
浜野、動転しながら皆とお辞儀をする。
浜野(独り言)「そうか。そうだったのか!」
(浜野の空想)
◯バトル館の楽器庫(朝)
涙ぐんで立ちすくむアントーニア。
鈴音の声「本番以外での、審査員との接触は
厳禁!」
浜野の心の声「それがルールである以上、彼
女は立場上、守り通さねばならなかった」
(空想、終わり)
◯元のホール、舞台と客席
お辞儀を終えて着席する一同。
浜野、コンマスと頷き合ってから、オ
ケ全体を見渡し、ホルンの首席としっ
かり目線を交わし合い、崇高なる出だ
しに入っていく。
♪〈青きドナウ〉冒頭
ウィーンバトルの幕開け
浜野、生き生きとチームをリードし、
幸せと喜びに満ちあふれる演奏を導き
出してゆく。
多くの者が身体を自由に動かし、かな
り気分が高揚している様子。
♪〈青きドナウ〉中盤〜終盤
輝かしく曲を終え、一同挨拶。
× ×
和かに拍手する審査員陣。
満面の笑みのアントーニア。
(アントーニアと浜野の空想)
(スローモーション)
キラキラ光線が飛び交う中、
アントーニア、浜野に投げキッス。
浜野、大袈裟なお辞儀で丁寧に応える。
幸せそうに微笑み合う2人。
(空想終わり・通常の時間の流れ)
◯ホール上手の舞台袖
舞台からはけて来る面々、喜んだり驚
いていたり、不思議そうにしていたり、
互いに顔を見合わせて口々に何やら話
している。
◯ホールの舞台と客席
有出が指揮台に立ち、ヴァイオリンを
弾きながら、鮮やかにリズムを取って
いる。
♪〈青きドナウ〉終盤
コンマスの稲垣龍弥を始め、無駄な動
きの全くない、格調高く冷静な演奏ぶ
りのAチーム。
× ×
緊張感に包まれている客席。
審査員陣もBチームも圧倒されている。
× ×
崇高な静寂から鮮やかなラストへ。
最後の音の余韻が美しく消え去り、
有出が掲げた弓をゆっくり降ろす。
有出、一同に頷きかけ、立ち上がるよ
う促しながら、自分も客席に向き直る。
× ×
長岡は目頭を押さえており、
杏香は涙を拭っている。
アントーニアは感動したように胸に手
を当てるジェスチャー。
× ×
客席Bの面々から静かに拍手が起きる。
圧倒され、ショックを受けている浜野。
× ×
静かな拍手がいつまでも続く中、下手
に、ハンドマイクを手にした鈴音がそっ
と登場、いつもの調子とは異なる落ち
着いた口調で語り出す。
鈴音「ヨハン・シュトラウスの〈美しく青き
ドナウ〉、先攻Bチーム、そして後攻Aチー
ムの演奏と、続けてお聞き頂きました」
ひと呼吸おいて、
鈴音「すみません、本日から新たなゲスト審
査員登場! ということで、晴れやかに行
きたかったんですですが、私も審査員の先
生方同様、あまりに崇高な演奏に、すっか
り胸を打たれてしまいまして」
そう言って胸を押さえてから、
鈴音「さあ、改めまして!」
さっと切り替え、
鈴音「ジョージに代わっての新たなるゲスト
審査員は、既に皆さんにもお馴染みの、ダ
ンサーにしてソプラノ歌手でもある、アン
トーニア・リーバー嬢です!」
高らかに紹介され、立ち上がって可愛
らしいお辞儀をぴょこんとして拍手に
応えるアントーニア。
アントーニア「よろしくお願いします」
着席し、非常に美しい日本語で挨拶。
アントーニア「長年ウィーン人の心に染みつ
き、愛されている伝統の音楽を、真夜中の
ダンスや早朝の森での合唱など、皆さんが
全員で力を合わせて、最善の努力によって、
楽しみや喜びとともに理解しようと努めて
下さいましたことに、心からの感謝を申し
上げます」
× ×
バトラーJ「てことは、オーストリア人?」
香苗「日本語、ペラッペラ!」
夕子「だけど見た目も名前も、完全あちら系
なんですね」
× ×
鈴音が簡単に彼女の素性を伝えていく。
鈴音「アントーニアさんは、幼い頃からオペ
ラの公演やミュージカル舞台にて、児童合
唱や、子役ダンサーとしての経験も豊富。
オペレッタの殿堂フォルクスオパーでは、
ヒロイン、《こうもり》のアデーレ役として
既にデビューも飾っています」
× ×
杏香がアントーニアを称えて拍手し、
控えめに微笑み返すアントーニア。
× ×
鈴音「実は日本の血も受け継いでおられ、我
が国の伝統文化を学ぶべく、現在は日本で
学生生活を送っておられます」
× ×
客席後方の浜野、納得の様子。
浜野の心の声「『アントーニア』が、やはり本
名だったか。
(浜野の回想)
◯ホールの舞台
《コッペリア》のスワニルダを踊るアン
トーニア。
浜野の心の声「始終ダンマリのスワニルダ」
× ×
《ホフマン物語》のオランピアを可憐に
歌い踊るアントーニア。
浜野とアントーニアの転落場面。
オケをバックに舞う2人。
浜野の心の声「オランピア。踊りと歌の舞
台を楽々こなし」
◯医務室
浜野の腕をほぐすアントーニア。
浜野の心の声「医務室では凄腕マッサージを
施す、白衣の天使に変身し」
◯楽器庫
浜野のヴァイオリンに、手を叩いて喜
ぶアントーニア。
× ×
浜野の心の声「歌を禁じられる夭逝のアント
ニエ役を演じたかと思えば」
× ×
チェロを磨きながら、軽く歌っている
アントーニア。
浜野の心の声「今朝は牢獄に捉われ青年の、
呑気な歌声を聴かせてくれた後」
× ×
涙ぐんで立ち上がるアントーニア。
浜野の心の声「一介のバトラーの淡い恋心を
冷酷に拒絶する審査員に徹した彼女」
(回想終わり)
◯元のバトル館のホール、舞台と客席
審査員席に座るアントーニア。
浜野の心の声「しかして、その実態はプロの
ソプラノ歌手にして、ダンサーで、目下、
いかれた祖父の元に身を寄せて日本文化を
学ぶ学生さん、という訳か。なるほどなる
ほど」
浜野、複雑な思いに囚われている様子。
× ×
長岡が司会の言葉を補足する。
長岡「既に2つの課題曲を皆さんと共演済み
のアントーニアは、両チームの特色を身を
もって感じられておられることだろう」
長岡、アントーニアを見やり、
アントーニアも深く頷き返す。
長岡「そしてどうやら今回の〈青きドナウ〉、
どちらの演奏も彼女の心にしっかり響いた
ようだね」
アントーニア「はい! 本当に」
幸せそうに語りだす。
アントーニア「Bチームとは一緒に歌いたく
なるような、Aチームとは思わず踊り出し
たくなりそうな。とっても楽しくて素敵な、
最高の演奏だったと思います」
長岡が訝しげに確認する。
長岡「さっき言ってたけど、何? 夜中のダ
ンスに、朝の森での大合唱が決行されたっ
て? いい演奏が出来たのは、そうした成
果のたまものと?」
アントーニア「そうですね。別に本場ウィー
ンの音楽を、完璧に再現しようなんて意識
する必要はないと思いますし、チーム独自
の魅力が演奏に現れるのも素敵ですし。で
も、曲が作られた舞台や作曲家に想いを馳
せて、その時代や現地の空気に少しでも近
づこうという姿勢や努力って、充分な評価
に値しますよね」
そこで長岡がうーん? と首をひねる。
長岡「舞台審査では、純粋に音楽だけで評価
されるべきで、そうした努力の過程の詳細
は判断材料にはならないんだよ」
ん? といった空気が流れたので、鈴
音が分かりやすいよう確認を入れる。
鈴音「本番の演奏のみが全てを語る。という
訳ですね? 努力の成果云々は、少なくと
も、この場では論外と」
今度は青井杏香が説明を引き取る。
杏香「このバトルでの審査方法としては、A
B決戦の本番で勝敗が決まる。まずは結果
ありきで、個々の事情は、後からついてく
るんです」
鈴音「まずは勝ち負けが決まると」
杏香「はい。本番の後で初めて、さあ? ど
んな過程で楽曲を仕上げていったでしょう
か? と、記録に残されたリハーサルの映
像を入念にチェックして、各自の働きぶり、
チームへの貢献度、協調性など、オケマイ
スター選考に向けての、個々の評価の参考
とするんです」
× ×
客席でぶつぶつ言い始めるBの面々。
バトラーI「そうだったんか」
バトラーH「我々の動向、始終撮られてるの
は分かってたがね。リハの流れまで審査員
に、いちいちチェックされてたと?」
バトラーJ「わー、やだあ」
バトラーK「単に放送用に撮ってただけじゃ
なくって、成績チェックも兼ねて?」
バトラーI「善しも悪しきも醜態バトルも、
全部見られて聞かれてたって訳か」
複雑な様子のバトラー達。
× ×
鈴音が、更に分かりやすく言葉を置き
換えてゆく。
鈴音「つまり舞台では、あくまで問答無用の
AB対決だから、どちらのチームがどれだ
け努力したか? 工夫を重ねたか? なん
て先入観は判断の妨げになってしまうと」
アントーニア「ごめんなさい。私、余計なこ
と言ってしまったんですね」
すっかり困ってしまうアントーニア。
杏香「ああでも、昨日迄のジョージや、あな
たみたいなゲスト審査員の場合は、自由な
判断でいいんじゃないかしら」
杏香が大丈夫、大丈夫とアントーニア
を安心させてやる。
杏香「単純に好きか嫌いか、といった個人的
好みを入れたって大いに結構。私たちレギュ
ラーみたいに冷酷な判断でなく、人情があっ
ていいの。枠に捉われなくていいの。その
為のゲスト審査員なんですもの」
長岡「そうだね。かのジョージなんて、『先に
聴いたほうの演奏がいいと思っちゃうか
も』なんて平然と言ってのけてたものね」
長岡も笑う。
鈴音「おひいきの奏者がいるから、こちらの
チームの勝ち! なんてのもアリですか?」
と鈴音が調子よく話を合わせる。
鈴音「実際、お気に入りの奏者がお目当てで
特定オケの定期演奏会に足繁く通う音楽ファ
ンだっていますものね」
× ×
小声で話すBの面々。
バトラーJ「アントーニアの立場、微妙かも」
バトラーK「一緒に落っこった浜野くん、楽
器壊して怪我までしたんだもんね」
バトラーJ「一緒にダンスもしちゃったり」
バトラーH「しかしAにも助っ人が2人って」
バトラーI「しかも今回の指揮とコンマス!」
バトラーJ「浜野くんだって負けちゃいませ
んよ。指揮者ですしね!」
バトラーH「さあ、どちらに軍配を上げる?
アントーニアさん!?」
× ×
アントーニア「2度の共演でも分かりました
が、Aチームは他に変えようがない程、緻
密に完成されたイメージで、素晴らしいわ
あって、尊敬の念を抱かずにはいられない」
× ×
誇らしげな、舞台のAチーム。
× ×
アントーニア「Bチームは、逆に新鮮な驚き
をもたらしてくれて、心が躍って胸がとき
めいて、ん〜ステキって投げキッスを送り
たくなっちゃう」
× ×
客席後方からアントーニアに投げキッ
スを送るBの面々。
× ×
杏香「その感想、かなり的を射てますよね」
杏香が手を叩いて感心する。
長岡「ごもっとも」
長岡も素直に認める。
長岡「Aは誰も寄せ付けない洗練された芸術っ
て感じで、Bは大衆から愛される親しみや
すさがあるね」
杏香「リードする指揮者の影響力も、大です
よね」
長岡「影響どころか、今回どちらも良かった
のは、百パーセント指揮者の資質といって
も過言じゃないよ」
長岡、うーん、そうだな......と、考え
を巡らし、
長岡「例えばだがね、英国の『プロムス』最終
日に〈威風堂々〉を振れと言われたら、指
揮者を志す者ならば、何ら躊躇することな
く喜んで受けるだろうよ」
すかさず鈴音が解説を入れる。
鈴音「えー、『プロムス』というのは毎年2ヵ
月間に渡る夏の恒例とされる音楽の国民的
祭典で、最終日にはロイヤルアルバートホー
ルにて観客も巻き込んだ大合唱とともに、
エルガーの〈威風堂々〉第一番がBBC放
送交響楽団によって奏されるのが習わしと
なっていて、この曲の核である荘厳な歌、
〈希望と栄光の国〉は、英国民の誰もに愛さ
れる第二の国歌ともされています」
長岡「どうもありがとう」
長岡、司会に礼を述べ、隣の杏香に、
長岡「放送時は、ここで〈希望と栄光の国〉の
テーマを流そうね」
鈴音「どちらも第二の国歌の位置づけとして
も、〈威風堂々〉と〈美しく青きドナウ〉で
は、話が違う、と委員長はおっしゃりたい
のですよね?」
長岡「そのとおり」
司会の言葉に長岡が大きく頷く。
長岡「〈威風堂々〉の演奏では、よほどのトン
マが振らない限り、演奏の差が歴然とする
ような事態は起こらない。例え全世界に流
される『プロムス』の大舞台であろうとも、
ペーペー指揮者であろうとも、威風堂々と
振れるだろう」
そこまで言って、改まった調子で、
長岡「しかし〈青きドナウ〉となると、そうは
いかない」
鈴音「それは国民性とかではなく、楽曲その
ものの性質の、根本的違いからくるもので
すか?」
長岡「〈威風堂々〉だって名曲中の名曲だよ。
しかし実に明快なんだ。だが〈青きドナウ〉
は、一筋縄ではいかないんだな。決してね。
指揮者やオケの性質が如実に表れてしまう。
違いは歴然。はったりは通用しない。そう
した意味でも、今回の2人はよくやったね」
2人の指揮者への称賛と感謝の拍手が、
舞台と客席から起こる。
アントーニア「皆さんがウィーンで演奏され
ても、充分受け入れられますよ」
アントーニアも手を叩く。
長岡「Aの有出絃人くんと、Bの浜野亮くん。
そう、浜野くん、昨日は遠慮して名乗らな
かったが、調べはついてるんだからね。君
達はどちらも、ウィーンの音大でヴァイオ
リンを学んでるんだね」
参加者データを眺めながら長岡が言う。
長岡「2人共、現地の音楽をさぞかししっか
り学んで来たんだろう。これからも大いに
期待してるよ」
おざなりの拍手がパラパラ。
長岡「だが勿論、指揮者だけの功績でないこ
とも、つけ加えておかないとな」
長岡が満足そうに言う。
長岡「今回は実によくまとまっていた」
杏香も口をそろえる。
杏香「中心でひとつにまとまった。というか、
呼吸がちゃんと揃っていた、というか」
長岡「いかにも。微妙なハモり加減がいい具
合に整ってきたね。互いの『声』に、きち
んと耳を傾けつつ、自分のパートを、その
一部として乗せている」
杏香「勝敗は、つけられませんね」
鈴音「つまり、引き分けということでしょう
か?」
長岡「引き分け、というより、両チーム共に
勝利としよう」
わあっと歓声が上がる中、
鈴音「今回、脱落もナシ? ですね?」
鈴音が明るい声で確認する。
長岡は静粛に、とジェスチャーの後、
厳正な調子で語り出す。
長岡「今回はナシだが、これはたった1人の
生き残りをかけた大バトルであることを、
忘れないでくれたまえ。人数は減らすのが
ルールだからね。今後は、同時に5人とか、
チーム全員がいっぺんに脱落とか、判断次
第では容赦せんからね」
鈴音「それでは午後の新たなる課題に向けて、
一旦は解散といったところですが、素敵な
報告がありまーす」
席を立ちかけた一同を制し、
鈴音「初日から3日間、審査員を勤めて下さっ
たジョージから、皆さんへの激励と感謝の
メッセージが収録済みなので、どうかお部
屋のモニター画面でご覧下さいね。
それから、初日の〈レ・プレリュード〉に
感動したジョージが、優勝者プレゼントと
して約束してくれた絵画の贈り物は、既に
仕上がって、1点はアトリエに。もう1点
はライブラリーの壁に飾られています。素
晴らしい芸術作品ですよ。そして!」
ここでいったん勿体ぶってから、厳か
に締めくくる。
鈴音「優勝者はお好きな方を選べます。皆さ
ん? ぜひ観に行って、ジョージの名画の
どちらかが自分の物になるようイメージを
なさってみては如何でしょうか」
ジョージへの拍手と共に解散となる。
課題のヒントを見逃すなかれ
◯バトル館のホール、下手の舞台袖
舞台からはけて来るAチーム。
山岸よしえ「次の曲、決まってるなら、今こ
の場で教えてくれたっていいのにね」
安条弘喜「決まってはいても、多分、一旦は
課題から離れて休めって配慮じゃないです
かね」
安部真里亜「煮詰まってたら、いい演奏でき
ないと」
よしえ「意地悪じゃなくて、親切なのね」
真里亜「リフレッシュして下さいと」
有出「あ〜、この流れで釘刺すのも悪いんで
すけど」
有出、申し訳なさそうに、ズバリ。
有出「次の課題、《こうもり》みたいですよ」
えー? どうして? と一同。
有出「序曲の可能性が大で、もしくは劇中の
アリアか何かかも知れないけど、《こうもり》
には違いなかろうと」
平石「今朝、森の散歩で見ちゃったんです」
平石も口を添える。
平石「楽器庫のじいさんが、こうもり男の扮
装で現れて、シュトラウスの《こうもり》
のファルケ博士の前口上をまくし立てた
挙句、走り去って」
想像もつかないといった反応の一同。
平石「あれは百パーセント、課題のヒントで
したね」
有出「《こうもり》とあらば、指揮は有出絃人
が全責任をもって振らせてもらいます」
わあっと一斉に拍手。
白城貴明「自信満々ですね! 頼もしいな」
有出「皆さんさえよろしければ」
安条「よろしいに決まってるじゃないですか!」
有出「ちょっとしたお願いで、皆さんはシュ
トラウスの、この名作オペレッタについて、
ランチ休憩の時間にうんちくを語り合うと
か、仮に疎い方がいるならば正直に周囲に
あれこれ教わるか、できればリハの時間迄、
ライブラリーに出向いて過去の名演を観賞
するとか、ぜひとも各自で想いを馳せとい
て頂きたいんです」
それから文句を言わせぬ勢いで、
有出「やっつけでも、雰囲気だけでも、全体
を把握できれば、序曲に散りばめられた細
かなニュアンスが身近になってくるので。
パート譜見て個人練習するより、よっぽど
有益なはず」
安条「了解です!」
さっと敬礼する。
有出「ですがランチ休憩は、しっかり取って
下さいよ。リフレッシュも大切なので」
一旦は自由解散となるAチーム。
◯バトル館、地下2Fのライブラリー前
Aの面々が、いそいそドアを開けると、
中から《こうもり》の曲が聞こえる。
稲垣龍弥、覗いたドアを閉めながら、
稲垣「既にBに占領されてる!」
ええーっ!? と一同。
稲垣「1人たりとも、入る隙間なんてありゃ
しませんでしたよ」
浅田「なんだ。Bも知っていたか」
ガッカリしつつ、悔しがるAの面々。
ファゴット男性「だけど本当に知ってたん
だろうか」
真里亜「砂男さんのことだから、公平にBチー
ムの誰かも、こうもりの扮装で脅かしてる
はず、では?」
よしえ「だけど、それがすんなり課題のヒン
トって、結びつくもの?」
沢口江利奈「怪しい。絶対に怪し~い。もし
かして」
真里亜「もしかして?」
よしえ「行く?」
江利奈「行きましょう!」
よしえ「双子の姉、誰か見た?」
クラリネット男性「多分、カフェテリアで片
割れとお茶してるんじゃないですかね」
浅田雅史「おお! 弦の頼もしきお姉様方の
出陣ですかね?」
何か失礼じゃない? と、言い捨てて
去ってゆく「ヤバおばトリオ」である。
◯バトル館のカフェテリア
倉本早苗と倉本香苗の姉妹に詰め寄る
よしえ、真里亜、江利奈。
よしえ「またしても、あなたが妹に漏らした
わけ?」
真里亜「有出さんが入手した貴重な極秘情報
だったのに」
早苗「口止めされなかったし、自分達だけこっ
そり予習しとこうなんて、フェアじゃない。
正々堂々と戦うべきですよ」
姉は口を尖らし、
香苗「ズルいAチームってレッテル、良くな
いですものね。だからAから教えて頂きま
した〜ってことにしといて差し上げたんで
すよ」
妹は、不敵な笑顔で応酬する。
◯カフェテリアの出口付近
呆れ果て、怒って出て来るよしえ、真
里亜、江利奈の3人。
真里亜「なんか、叱りつけるだけ無駄だわ」
よしえ「次なるいけにえは彼女に決まりね」
ライブラリーに入り損ねたAの面々も
面白がって待ち構えていた。
安条「じゃあ我々は芸術談義といきますか」
浅田「スマホもパソコンもないから、鑑賞は
諦めましょう」
稲垣「そもそも、我々Aの面々って、Bの連
中より、楽曲、熟知してるのでは?」
浅田「そうですよ。シュトラウスの《こうも
り》に、疎い者など居る訳がない、と」
安条「確かに」
ファゴット男性「名曲だけでなく、往年の名
演、名盤、熟知していたり」
言ってから、謙遜する。
ファゴット男性「ああ、自分のことだったり
して。私、生きた化石って言われてる程で
してね」
安条「それは頼もしい」
江利奈「で、Bチームが観てたのは?」
興奮気味に熱く語る稲垣。
稲垣「そりゃあ、もう。我々も観ようとして
た、94年に来日したウィーン国立歌劇場の
引越し公演ですよ」
ファゴット男性「稲垣さん、《こうもり》おた
くといえる程の通だそうな」
真里亜「ヘルマン・プライのアイゼンシュタ
インに、ヨッヘン・コワルスキーのオルロ
フスキー公爵ですね!」
ファゴット男性「古今東西、あの夜の舞台こ
そが人類の誇る最高の《こうもり》だった
なあ!」
悲鳴のような声を発する。
安条「よく映像が残ってますね。だってあの
舞台、DVD化されてないでしょ」
ファゴット男性「うちはVHSからちゃんと
DVDにダビングして永久保存ですよ」
うちも。私も。と、幾人かのマニアが
同調する。
真里亜「プライって、最高のバリトンでした
よね」
稲垣「浮気男のアイゼンシュタインに、フィ
ガロやパパゲーノといった、ちょっとおど
けた役をやらせたら、もうはまりすぎて右
に出る者なんていなかったね」
安条「本当に味わいがあって。人間味があっ
て」
浅田「人類の貴重な世界遺産ですよ」
ファゴット男性「プライのアイゼンシュタイ
ンって、あんなに愉快でお茶目なのに、オ
ペレッタの枠を超えて、完全なるオペラの
風格でしたよね」
よしえ「粋なのに、格調が高くて」
安条「国立歌劇場の舞台そのものが、フォル
クスオパーのノリとは完全に次元が違いま
すよね」
稲垣「どうでしょう?」
稲垣が提案する。
稲垣「どうせBはまた、軽快で大衆的なノリ
で仕掛けてきそうだから、我々は格調高き
国立歌劇場の舞台を目指しては?」
皆がヤル気満々で賛同するが、浅田が
ぼそっと言う。
浅田「でもBの奴ら、まさにその格調高き国
立歌劇場の映像を、今のこの瞬間、じっく
り研究してるんですよね」
よしえ「クラリネット嬢には、やはり抜けて
もらうしかなさそうね!」
そうだ、そうだ、と皆がぷんぷん憤る。
◯バトル館のイタリアンレストラン
浜野が1人、のんびりデザートアイス
を堪能しているところを、Bの金管族
らが取り囲む。
ホルン3番手「マエストロ、お願いしますよ」
でかい態度ながら低姿勢の口調で切り
出す。
ホルン3番手「あなたはウィーン通のようで
すし、あのAのうっとうしい有出の奴と対
等に張り合える人材として、審査委員長さ
んからも一目置かれてる訳ですし、何とか
続けて頂きたいんですけどね」
と、すごんでみせる。
浜野「続けるって、何を?」
トロンボーン次席「マエストロ、あなただけ
が頼りなんですよ」
トランペット次席「ウィーンの音楽、シュト
ラウスなら、いくらだっていけるでしょう」
浜野「シュトラウス? また? 課題曲、発
表されたんですか」
ホルン3番手「いや、正式にはまだですが、
その筋の情報によると《こうもり》序曲ら
しいんで」
浜野の心に《こうもり》序曲の冒頭が
鳴り響く。
♪ 《こうもり》序曲、冒頭
ホルン3番手「既に仲間の多くがライブラリー
を占拠して、名作舞台のお勉強中でして」
彼らの言葉は、もはや浜野の耳に入ら
ない。
(浜野の回想)
◯バトル館の楽器庫(朝)
飲んだくれ風の砂男。
調子っ外れの歌を歌うアントーニア。
浜野の心の声「なんてこった! 看守に扮し
たフロッシュじいさんに、アントーニアも
〈僕の可愛い小鳩ちゃん〉の歌で次の課題を
ご丁寧に教えてくれてたってのに!」
冷たい態度のアントーニア。
浜野の心の声「彼女に気をとられるばかりで
全くヒントに気づかなかったなんて!
(回想終わり)
◯元のバトル館のイタリアンレストラン
浜野、仲間を前に愕然としている。
浜野の心の声「どうしようもないおバカさん
じゃないか!」
浜野「分かりました」
おっ? と、期待に満ちた眼差しを見
せる金管族の面々。
浜野「ごめんなさい。僕も課題のヒント、砂
男さんからもらってたみたいなのに、トン
マで全然気づかなくて」
浜野、ペコリと頭を下げる。
浜野「責任とって振らせてもらいます」
金管族「おーっ!」
浜野、あまりの勢いにビビリながら、
浜野「実は、任せとけって叫びたいくらい、
自分にとっては呼吸みたいな曲なんです」
金管族「おおーっ!」
劇中の楽しいフレーズを口ずさみ始め
る一行と共に浜野も席を立ち、ラン、
ラン、ラランラン、と愉快に肩を揺す
りながらレストランを後にする。
一括おやじの夢のオケ
◯バトル館、Bチームリハーサル室前のロビー
《こうもり》曲中のメロディーを口ずさ
みながら、リハーサル室に向かうBチー
ムの面々。
ホルン首席「こうして前もって、課題の曲に
皆で慣れ親しんでおくのって、なんか、い
いですよねえ」
ホルン青年の素直な感想に、皆が頷き
合う中で、
バトラーH「しかし本来はバトルだから、基
本は臨機応変、迅速に対応してかないと。
呑気に音楽鑑賞なんて、今後はそうそう出
来ないでしょう」
現実的な意見も述べられる。
バトラーI「それにオケ人なら、それが熟知
した名曲だろうと謎の現代曲だろうと、短
時間のリハでさっと仕上げれる能力が要求
される訳ですしね。バトルでなくたって」
上之「いやいやいや」
と、上之は反対意見。
上之「本番の幾日か前にパート譜が団員に渡
され、たまにやってくる指揮者による1、
2度の短いリハで、本番。そうしたことの
繰り返しが大概のオケの実情だけど、果た
してそれで良いのだろうか」
バトラーH「日々の演奏会を次々こなさなきゃ
ならない、限られた時間の中なんですから、
仕方ないんじゃないですか?」
別所「難曲や新曲が容赦なく降り注いでくる
だけじゃなくて、その反対に、単純明快な
同じ名曲ばかり、延々続けなきゃならない
こともあるし、両極端ですよね」
江口「名曲コンサートばかり続くと、段々惰
性でやってる気がしちゃうんですよね」
バトラーJ「心のこもった演奏なんて、いつ
しか忘れてしまってたり」
上之がしみじみ言う。
上之「小品であろうと大作であろうと、本来
はじっくり腰を据えて楽曲に向き合うべき
で、理解を深めるために、当時の文学や絵
画といった芸術や、根底にある思想や宗教、
必要とあらば、いや、必要でなくとも時代
ごとに様式の違う建築なんかにまで触れて、
楽曲や作曲家のもつ世界観に少しでも近づ
こうとする姿勢が大事なのにな」
トランペット青年「全くそうですよね」
上之「こうして名演を観賞するのもよし。知
識だけでなく、俺たちがやったように歌詞
も学んで実際に森の中で歌ってみるとか、
Aの連中みたいに踊ってみて、身をもって
体験するのだっていいだろう」
別所「しかしプロオケに属していると、中々
ゆとり、ないですよね」
上之「気づいたら、自分がただ無難にこなす
だけのパフォーマーに成り下がってた気が
するんだな」
ホルン首席「器用にパフォーマンスできるな
ら、それだけでも充分じゃないですか」
トランペット青年「そうですよ。みんな必死
で取り組んでるってのに、上之さんって、
いつだって余裕で吹いてますものね」
ホルン首席「完全なる自信と共に、完璧な演
奏で」
上之「別に余裕なんて」
いやいや、と謙遜する上之。
上之「ただ経験を積んで貫禄がにじみ出てる
だけさね。俺はもっと楽曲を突き詰めたい
んだ。パートごとやセクションごと、首席
どうしやコンマス、指揮者とも色々話し合っ
てプログラムに取り組めたらと」
別所「手っ取り早く指揮者をやってみたらど
うでしょね」
上之「指揮の勉強なんてしてないから、いく
ら何でも無理。それに俺は死ぬまで哀愁の
トランペッターでありたいのでね」
哀愁って、なんですかあ? と、誰も
が笑い出す。
トランペット青年「確かにおやじさんには、
高らかなファンファーレ、モチ良いけれど、
人生の悲哀を帯びた、もの悲しい旋律も、
実にしっくり似合いそうですねえ」
上之「ソロとか、金管アンサンブルなんかで
極めるのも面白いし勉強になるが、やはり
行き着くとこはオーケストラ、なんだなあ」
上之、嬉しそうに仲間を見渡してから、
少し声を落として続ける。
上之「しかし長年勤めたオケが、どんなにい
いオケであろうとも、最高の仲間に恵まれ
ようとも、大御所マエストロの指導を受け
られようとも、こうしたプロオケの世界が
自分の理想とマッチするとは限らない」
トランペット青年「それでオケを引退された
んでしたよね?」
上之「周囲には『今辞めたら、もう後がない
のに』と脅されたけどね。師匠や家族にも
猛反対されたし、離婚寸前さ、ははは」
トランペット青年「何を仰る。愛妻家ってこ
とくらい、おやっさん見てれば誰でも分か
りますよ」
いや、ははは。と照れる上之。
別所「それで、このバトルに参加を?」
上之「年齢制限の上限もなかったしな。そう
した志を持つ者が集まるんじゃないかと。
いい仲間が見つかるんじゃないかと」
ホルン首席「確かに。熾烈なオーディション
に受かった実力者揃いだし、こうしたチー
ム戦で、参加者どうしの絆も深まりつつあ
りますしね」
上之、力強く言い放つ。
上之「理想のオケを、自分たちで作れないか
と思うんだ」
トランペット青年「それは素敵な夢ですね!」
上之「だが、ただの夢で終わりにはしたくない」
きっぱりと続ける上之。
上之「皆でじっくり楽曲に取り組める環境と
時間を得られたらいいんだがな。毎回、自
分達で話し合って何らかのしっかりしたテー
マを決めるのもいいね。作曲家や時代を絞
るとか」
トランペット青年「その道の専門家に講義し
てもらったり?」
ホルン首席「さっきみたいに、みんなで名演
の観賞会とか」
バトラーI「そんなのバカバカしい、と思え
ることが、実は最も大切な心構えだったり
して」
バトラーH「職人に徹しようとすることで、
逆に我々、初心や情熱が失われてるのかも」
江口「でも、この国でプロオケとして認めら
れるには、活動実績とか団員への固定給の
確約だとか、厳しい条件があるでしょう」
上之「認められなくたっていいさ」
あっさり流す上之。
上之「いい音楽さえ提供できれば。むしろ、
プロって立場は、かえって足かせになるか
も知れない」
江口「だけど音楽家として生活の保障は必要
ですよね」
バトラーH「しっかり仕事を請け負っていく
となると、みんなで優雅にお勉強しましょ、
なんてしてられないんじゃないですか?
それが現実ってもので」
上之「年に一度の寄せ集めオケだっていいん
でないかな」
トランペット青年「上之さん、寄せ集めなん
て言わないで、自分らのオケを、ちゃんと
作りましょうよ!」
ホルン首席「そうそう、夢はでっかく」
別所「運営面を全部自前でできれば、企画も
枠にとらわれず自由な発想でできるので
は?」
ホルン首席「ウィーンフィルのように?」
バトラーI「その例えは、ちと無謀すぎやし
ませんか? 音楽土壌の格が違いすぎる」
バトラーH「専用のホールがあるってのも強
みですよね」
ホルン首席「彼らにとって音楽は呼吸という
か、酸素で、生活そのものだから、音楽漬
けでも苦にならない」
上之「演奏の合間に事務局の仕事もこなすメ
ンバーもいる訳だし、彼らの多忙さに比べ
たら、このバトルのスケジュールなんて、
お遊びといっていいんじゃないかね」
トランペット青年「そう。みんな『きつすぎる』
だの、『体力的にも精神的にも限界』だなん
て音を上げてるけど、甘すぎますよね」
ホルン首席「しかも、とびっきりのご馳走を
朝昼晩、贅沢なデザート類に、気の利いた
夜食まで。いくらでも提供されて、上げ膳
据え膳に、クリーニングにアイロンがけ、
ベッドメイク。ホテル並みのサービスをし
てもらってるんだから」
トランペット青年「自分らは楽器のメンテナ
ンスと体調管理さえ気をつけてれば、オー
ケイ! ですもんね」
江口「しかも充分なギャラまで出て、上手く
すれば番組で顔も名も売れる」
トランペット青年「有難い環境に甘んじるば
かりじゃダメですね」
別所「そう。オケバトラーとして、精一杯の
努力をして、それに見合った、いや、それ
以上の成果を出すべき」
上之「勝敗が全てじゃないけど、そろそろ俺
たちも勝たないと」
江口「〈ドナウ〉では一応、勝ちを与えられま
したけどね。まあ、引き分け勝ちですが」
上之「勝ったら即刻、あの有出を引き抜くか」
上之による爆弾発言に、一同唖然。
トランペット青年「えっ? ちょっと悔しく
ないですか」
上之「彼が率いているからこそAは勝てるん
だ。彼さえ抜ければAは壊滅するだろう」
バトラーI「しかし危険ですよ。ひどい演奏
で、我々こそを破滅させるかも知れない
でしょ」
上之「彼は正義感強そうだから音楽には真摯
に向き合うはず。AとかBとか関係なく」
バトラーH「引き抜いといて、いざとなった
ら落としちゃえばいいとか?」
バトラーI「いざとならなくても、『引き抜い
て、落とす」』は、バトルの常套手段ですし
ね」
ホルン首席「それはとてもとても、ズルい気
がする」
バトラーH「バトルなんだから、何でもアリ
ですよ」
幾人かの護衛を従えて、浜野がリハー
サル室に入る姿が見える。
立ち話をしていた一行も、室内へ。
上之「いずれにしても、兎にも角にもまずは
勝たないと!」
上之が気合いを込めて話をまとめる。
純朴審査員のトンデモ提案
◯バトル館、Aチームリハーサル室
大方のメンバーが揃いつつある中、
有出に平石が相談を持ちかけている。
平石「地下の楽器庫からグロッケン、借りて
くれば良いですかね?」
有出「朝の6時を告げる鐘、Eの音が出るな
ら、どんな楽器でも構わないから」
平石「まあ、基本はグロッケンでしょうね」
有出「あの楽器庫の番人が、また何か特別仕
様の楽器を周到に用意しているかも」
平石「だけどあの、恐ろしいじいさんに太刀
打ちできるのは、有出さんくらいですし」
有出「僕、弦の首席と相談あるんで」
平石「一緒に選んで頂けませんかね」
有出、有無を言わさぬ冷たい目線で平
石をひと睨み。
それでも躊躇している平石。
有出「早く! Bの奴らに先を越されないうち
に!」
それから一同に声をかける。
有出「すみませんが、彼1人じゃグロッケン、
運べないでしょうから、どなたか手伝い、
お願いします。
先輩格のティンパニストが、はあい!
と、気持ち良く動き、平石と出て行く。
× ×
ほどなくして戻ってきた彼らは、アン
ティーク調の巨大な柱時計をえっちら
おっちら抱えている。
ティンパニ奏者「素晴らしいカウンターテナー
だったなあ!」
感心することしきりの様子に、皆も
へえ? と興味深々。
ティンパニ奏者「オルロフスキー公爵の替え
歌で、特別仕様の懐中時計とか、色んな楽
器を面白おかしく紹介しながら、退廃的な
ロシア貴族を演じてくれたんですよ」
平石も、すっかり気を良くしている。
安条「じいさんなのに、美形の青年貴族を?」
あり得ないよ。別人なのでは? と、
奇怪な楽器番の噂を知る者は一様に首
を傾げる。
平石「いや、確かに年配者ではあるけれど」
ティンパニ奏者「背筋はしゃんとしてて若々
しくて、しなやかで」
平石「しかも不思議と」
ティンパニ奏者「何故か異様に……」
そこで2人は顔を見合わせて言う。
平石とティンパニ奏者、同時に「美しかった
んですよ!」
安条「美しいじいさんって?」
有出「お2人さん、老人の怪しげな歌で魔術
にでもかけられちゃったみたいですね」
笑えない冗談を言う有出。
平石「まあ、聞いて下さいよ」
心配する仲間らに向けて、試しに鳴ら
される大時計のミの鐘の音。
優美な響きに一同ほうっと魅了される。
平石「小道具としての洒落た懐中時計なんか
もあったけど、こっちのほうが格段に音が
良かったので。舞台映えもしますしね」
平石、言いながら柱時計の陰に入り込み、
声だけが聞こえてくる。
平石「楽器としては、時計の背後に縦置きに
仕組まれたグロッケンを、こうして鳴らす
だけの簡易仕様なんです。隠し穴から指揮
者の合図を覗いて」
有出「大時計に向かって指揮者が合図って、
なんか変。こちらは拍子をとるだけにしま
すので、一緒のフルート、オーボエと、
しっかりタイミング合わせて下さい」
大真面目に注意する。
有出「但し、リハ室と違ってホールはやたら
響くので、余韻に気をつけて。気持ち短め
が、いいかな。これから始まる楽しい物語
への誘いの大切な場面なので、すっごく魅
惑的な音色にしてもらえると有難いな」
と、細かな注文も忘れない。
◯バトル館のホール、舞台と客席
豪華な白いドレスに、仮面舞踏会風の
黒マスクをかけている貴婦人の装いの
鈴音が、薄暗い舞台でスポットライト
を浴びている。
鈴音「劇場支配人から渡された『こうもり』の
台本にすっかり魅了されたワルツ王、ヨハ
ン・シュトラウス二世は、寝食を忘れる程、
作曲に夢中になってしまいました。
あらゆる面会を断って自室にこもり、1ヵ
月半で草稿を書き上げます。シュトラウス
48歳。1873年の暮れのこと。ウィンナ・
オペレッタの最高傑作が、ここに誕生した
のです」
舞台照明が徐々に明るくなるにつれて、
鈴音も声のトーンを上げてゆく。
鈴音「これから始まる序曲にも、劇中全編に
あふれる素敵な音楽がふんだんに盛り込ま
れていて、これから始まる楽しい物語への
期待が否応なしに高まります。ですから、
序曲を聴いただけでも大満足で、もうお腹
いっぱい、といった感がなくもありません。
ヴァイオリンでさわりを紹介したくも、ど
の節をチョイスしていいのか、皆目分かり
ませーん」
そう言いながらも、ヴァイオリンで、
タラランラ、ラーン♪ と、楽しい舞
踏会の有名なメロディーを軽く弾きな
がら、鈴音は軽やかな足取りで下手に
踊り下がる。
× ×
有出指揮の、先攻Aチームの演奏。
♪《こうもり》序曲
全合奏による豪華な冒頭
特殊楽器の大時計による優美な鐘
伸びやかなメロディー
思い切り楽しいワルツ
勢い激しい中間部から、
哀愁溢れるメロディーへ
再び音楽は勢いを増してゆき、
大団円でフィナーレを迎える
全てが格調高く洗練された演奏。
× ×
立ち上がって拍手をする審査員陣。
× ×
浜野指揮の、後攻Bチームの演奏。
♪《こうもり》序曲
全合奏による力強い冒頭
明るいグロッケンの鐘の音
はつらつとしたメロディー
ノリノリの楽しいワルツ
圧倒的迫力の中間部から、
物悲しくも、どこかおどけた調子で、
音楽は急速に勢いを増し、
豪快なフィナーレ
心躍る迫力満点の楽しい演奏。
× ×
立ち上がり、熱狂の拍手を送る審査員陣。
× ×
Bチームへの拍手が続く中、司会が登
場する。
鈴音「両チーム共に、大変素晴らしい熱演だっ
たと思いますが、審査員の先生方、如何で
したでしょうか?」
長岡「強いて評価するならば、Aは格調高き
名演で、Bは豪快極まりない快演といった
ところですかね」
杏香「同じ曲なのに、どちらも良い演奏なの
に、こんなにも違うというのも不思議です
よね」
またしても悩める審査員たち。
長岡「この序曲の後、国立歌劇場の舞台が控
えているなら、Aの勝利。フォルクスオ
パーで幕が上がるなら、Bに軍配を上げた
いところかなあ」
杏香、マイクをオフにして、
杏香「なんて適当な!」
呆れながらも面白がる。
杏香「本気でおっしゃってるの?」
と、しげしげ長岡の表情をのぞき込む。
鈴音「ウィーン国立歌劇場。観光ガイドなど
では『オペラ座』との記載が多いですよね、
ここでは通常、オペレッタという軽めの演
目は上演されません。ですが、この《こう
もり》だけはオペレッタといえども別格で、
年末年始恒例の重要な出し物となっていま
す」
鈴音、丁寧な説明を加えていく。
鈴音「長岡委員長が例えに出された国立歌劇
場とフォルクスオパー、どちらもウィーン
の要ともいえる歌劇場ですが、国立歌劇場
は格調の高さを誇っていて、逆にフォルク
スオパーは庶民的な気楽さで、親しみやす
い演目が多く上演されているんですよね、
アントーニアさん?」
アントーニア「ええ、そうですね」
アントーニア、明るく頷く。
アントーニア「シュターツオパー、国立歌劇
場では、例えばコートや手荷物などはクロー
クに預けるのが絶対的なマナーで、そうし
たルールを守ることで、日常から離れた別
世界へと誘われてゆくんです」
分かりやすい例で答えてゆく。
アントーニア「フォルクスオパーでは音楽は
もっと身近で、日常の延長のようなもの。
勿論、劇場に足を運ぶという特別な思いは
ありますが。おなじみの〈こうもり序曲〉
なんかが始まると、皆がうきうきとリズム
に乗って身体を揺らし始めるんですよね。
子どもから大人までが心から楽しんで」
鈴音「ありがとうございます。イメージが良
く伝わって参りました」
アントーニア「長岡プロデューサーが言われ
たとおり、今回の序曲も、両チームともス
タイルは異なれど、どちらも最高に素敵な
演奏で、やっぱり優劣なんて、つけられま
せんわ」
肩をすくめるアントーニア。
アントーニア「審査員、失格ですね」
杏香「そうですよねえ」
と、ため息をついて同意しつつ、
杏香「この曲って、オペレッタの序曲として
だけでなく、あくまで独立した名曲として
も充分鑑賞に値するものですから、この後
に続くオペレッタの舞台はイメージから除
外して、私は考えてみようかしら」
鈴音「単純に、ひとつの楽曲として、という
ことですね? 国立歌劇場も、フォルクス
オパーも、抜きにして」
杏香「ええ。ですが勿論《こうもり》全幕の音
楽を熟知した上での演奏は、大前提ですよ。
加えて作曲家の目指すところ、音楽の本質
と現代に至る文化の流れや風潮、このホー
ル、この番組の資質や目的に、どれほど演
奏が寄り添っているか、といったことも」
長岡「分かった。きみはそうした観点から審
査してくれたまえ。わたしは格調の高さか
庶民的か、どちらがこの曲の本質に沿って
いるか検討したいものだがね。しかしそれ
は同時に、チームカラーというより、単に
指揮者の性質の違いからくるもののような
気もするがね」
長岡の言葉を受けて、アントーニアが
ふと口にする。
アントーニア「両チームの指揮者を入れ替え
て再度演奏して頂く、というのは、どうで
しょう?」
場内、シーンと恐ろしい程に凍りつく。
そのうちに、皆が動揺して騒ぎ出す。
× ×
よしえ「アントーニアさんったら!」
真里亜「何てこと言い出すんでしょう!
× ×
長岡は手を叩いて大喜び。
長岡「指揮者の取っ替えっこ? そりゃ面白
いわ!」
杏香は脇で青ざめている。
長岡「Bチームは舞台に残ってるから、ちょ
うどいいね」
ええー? 嘘でしょ? とBチーム。
長岡「続けざまの本番になるが、まあ頑張って
くれたまえ」
事態を受け入れらず呆然とするBの面々。
鈴音「リハーサルは、されないのですか?」
長岡「勿論ナシだよ。タイプの異なる指揮者
の要求に、ぶっつけ本番でも臨機応変に反
応できるかどうか? ってとこなんかも、
見ものだしね」
鈴音「Aの皆さんは、このまま客席に残って
聴いていて構わないですか?」
司会による更なる確認に、長岡は、
長岡「いや、今回は互いの見学はナシとしよ
う」
杏香が状況を整理する。
杏香「ですが既にAチームは、今しがたBの
演奏を聴いてますでしょう? 浜野さんが
どう振るか、大方把握できてるわけですが、
後攻だったBはAの演奏を聴いておらず、
有出さんの解釈も知らないままって、フェ
アでないのでは?」
長岡「規制のない場合、両者の見学は自由。
というルールがあるだろう。Bが自らの意
思でAを聴かなかったのだから、同情の必
要はないよ」
杏香「それはどうでしょう」
杏香、食い下がる。
杏香「これまでもそうだったように、後攻の
チームは敵情視察どころではなくて、出番
の時間ギリギリまでリハ室にこもって演奏
の質を高めたいでしょうし、本番前にライ
バルチームの演奏なんて聴くべきでないと
思うんですよ。影響されたくもないでしょ
うし」
長岡「バトルなんだからね」
と、強気の長岡。
長岡「いかにルールを上手く利用するか、と
いったところも、生き残りの知恵。先攻だ
ろうが後攻だろうが、同情の余地はないよ」
互いに譲りそうもない様子に、
アントーニアはオロオロするばかり。
そこで有出が客席後方から立ち上がり、
有出「すみませんが、議論なさるだけ無駄です
よ」
前置きの上、済まして決定打を下す。
有出「僕、振りませんから」
長岡、呆気に取られて硬直する。
杏香、青くなる。
アントーニア、泣きそうになっている。
会場全体に冷ややかな空気が流れゆく。
〜エンドロール
♪《こうもり》序曲より
グロッケンによる6回の鐘の音から
穏やかなメロディーへ……
次週(11 / 22 土曜日深夜0時公開 )に続く...
参考資料
シュトラウス 喜歌劇 《こうもり》 登場人物

コメント欄の近況報告も、よろしかったらご覧下さいませ♪♪

