ツヴィッカウ幻想 1. 「舞い踊る妖精の街で」 ④(終) 時を超えゆく幻想曲
ツヴィッカウ幻想1.「舞い踊る妖精の街で」(終)
④ 時を超えゆく幻想曲
いったいどこで? 時空がすれ違ってる場所。時空の交差点。座り込んで泣いてる場合じゃない。冷静にならなきゃ。感情のコントロールには自信があるんだから、大丈夫。
言い聞かせて、立ち上がる。目指すべきは彼女と出会った、あの場所。
綿毛の妖精が舞い、白鳥のいる、あの湖を。
街の門をくぐり、多少変わっている通りを横切り、林に入る。50年前の沼は予想どおり、淀んでおらず澄み切って美しかった。じゃあ湖は? 湖に出れば元の世界だろうか、それとも.......。
湖の展望テラス、そこには夢見るシューマンの銅像が! 中央広場ではなく、ここにある。そして湖面には、たくさんの白鳥が!
——— ここも、やっぱり50年前の世界 ———。
大勢の白鳥に会えた感激と、絶望と。
呆然と立ちつくすうちに、妖精が踊り始めた。時空の裂け目のポイントは、この妖精の綿毛? 彼女と会った時も、最初に別れた時も、綿毛が舞い踊っていた。それともこの湖のほとりの小路か、教会の鐘が告げる時間に関係があるんだろうか。
考えてたって、どうにもならない。
とにかく、行動を。右回り? 左回り? それとも綿毛の乗っている風の流れに身をまかすべき? そうしよう。湖の周囲の散歩道を、わたしはやみくもに歩き続けた。綿毛の舞う中を、無心になって。不安も恐怖も追いやって。
何も考えなければ、気がつくと元の時代に戻れていたり? 半ば期待を込めて、祈るような気持ちで、ただひたすら歩く。
けれどシューマンの影像は、何周しても湖のテラス、同じ場所に佇んでいるばかり。
何時間くらい経ったろう。何周しただろう。絶望し、疲れ果て、手近なベンチに腰をおろす。こんなんじゃ、らちがあかない。
きっと何かが違ってるんだ。
街に戻ろうか? 彼女を探せば、どうにかなるだろうか? 何とかしないと。夜のとばりが降りるまでに。
パスポートはホテルの部屋。元の時代の。財布の中のユーロなど、この時代に使えやしない。わたし、無一文なんだ。お金に代えられそうな高価なものなど、持ってない。こんな地方の街に日本領事館などありはしない。ライプツィヒに出れば? でも、お金ないのにどうやって電車に乗るの? それに今が50年前なら、1960年ってわけ? ブルッと恐怖に身がすくむ。
ここは冷戦時代の東ドイツ。
下手したらスパイ容疑で拘束される。日本大使館とも連絡が取れず、一生刑務所か。そもそも、この時代では行方不明になってない、どころか存在すらしてないわけだから、捜索願いも出されない。誰も探しになんて来てくれない。監視下に置かれる程度としても、鉄のカーテンは越えられまい。大使館が動くことはないんだもの。
この際、ユーロ紙幣も硬貨も、いっそのこと捨ててしまった方がいいのかも。
仮に日本に強制送還されたとしたら?
1960年、泉鈴香は、まだこの世のどこにも存在していない。両親は結婚どころか、出会ってすらいないだろう。おじいちゃんやおばあちゃんたちなら、わかってくれるかな。あんなに可愛がってくれたんだから。孫がタイムスリップして、行き場所もないと話したら、受け入れてくれるだろうか。
それともゼロからやり直す? 身元不明のピアニストって? お涙ちょうだいの映画の主人公? 精神病院よりは、記憶喪失を装うほうがいいだろう。だけど無名の者が、肩書きも学歴もない者が、この先、演奏会なんて開けるわけがない。ピアノ教室だって、そう。生きていく為に、レストランかどこか、ピアノのあるところで弾かせてもらうか。簡単な履歴書ですむようなところ。保証がないから、家など借りれないだろうな。住み込みで働けるところといったら.......。
湖を見つめながらそこまで考えて、気づいた。
「あはは......」
泣き笑いが止まらない。おかしくてたまらない。だって、わたしは今の、これからの自分のことばかり心配してるんだもの。
家族は? わたしの息子や夫は?
結構な歳の両親は、異国の地で娘が行方不明と知らされたら、どうなるか。生徒や仕事仲間や、友人たちは?
まずは加瀬さんと山城くんの2人が気づくだろう。朝の散歩に行ったきり、ホテルに荷物を残したまま消え失せたんだから。
「リサイタルでは充分に満足していた様子でした」
「思いつめている感じでは、なかったですね」
警察の事情聴取に、そんな風に答えてくれるだろう。日本の家族にもそう伝えてもらおう。と、勝手に考える。
そうだ。これから50年間、何とか生きながらえたとして、今が38才だから、2010年には88才。わたしが消息を経って数日した頃合を見計らって、家族に会いに行くってのはどうだろう。......きっと誰も喜ばないだろうな。
1人息子は、まだ中学生だけど、人生において伝えるべきことは伝えたし、教えるべきことも充分教えてきた。彼が17才くらいになるまでは、手が離れないと思っていたんだけどな。人生の哲学は、教育に頓着しない呑気な夫に代わって、折りにふれて何でも話してきた。
ただ母親の失踪は、やはりショックだろうな。ごめんね。
夫は ———、いずれは別れる予感があった。わたしの発表会やリサイタルに彼が来なくなって、ずいぶん経つ気がする。家族3人での旅行はしても、夫婦2人でなんて、今やあり得ない。ときめきもなく、気のおけない友人レベルの存在。居ても居なくても、どちらでも。互いに必要としているわけじゃないんだもの。もちろん長年連れ添った愛情や同情心くらいは、あるのだけれど。
どの時代に居ても、結局は1人なのだ。
色んなこと、家族や友人に話したり、相談したりはするけれど、最終的には自分で考え、自分で判断する。そうやって生きてきた。そしてこれからも。
わたし、昨日あまりに満足して、——— もう思い残すことはない、この世に存在しなくてもいいくらい ——— って、思いやしなかっただろうか。
心に問いかける。確かにそう感じたかも知れない。
このままこの時代に留まって、人生をやり直してみる? 新たな恋や、わくわくする冒険が待ってるかも知れないじゃない?
白鳥が2羽、岸辺に上がって来た。仲の良いつがいなのだろう。2010年の時代に生きる、独りぼっちのあの白鳥さんは、今頃どうしてるだろう。
1羽でも健気に生きている、あの白鳥さん。
わたしにとって一番大切なことは、音楽を通じて良い心を、素敵な世界を広めてゆくこと。
だとしたら、どの時代でも、きっとやっていける。だけど、どの時代に生きるかは自分で決めよう。仮にこの世界に留まって、素敵な誰かに出会い、幸せになれたとしても、いつ何時、元の時代に引き戻されるか知れたものじゃない。いつの間にかこの時代に来てしまった時のように。
だからわたしは2010年に帰ることにする。
それから新たな人生を、新たな意識で築いてゆこう。
元の時代に戻る手がかりは.......。
ここをぐるぐる回っているだけじゃ、だめ。自分にできること。そう、21世紀のピアニストとしてできること。自分にしかできないこと。
それはピアノを弾くこと。
彼女に演奏を聞かせてあげられなかった。シューマンの音楽はあまり知らないと言っておきながら、用事をキャンセルしてリサイタルに来ようとしてくれた、妖精のような、あの彼女に、またどこかで会えるだろうか。
この時代で行けるところといったら、わたしの居場所といったら ———、この湖の公園か、シューマンハウス? あそこにはピアノがある。シューマンの世界がある。魔法のように貴重な資料の宝庫。リサイタルを終えたら、館内をじっくり見学しようと思っていた。
足は自然にシューマンハウスへと赴いた。
できる限り平静を装って。自分に言い聞かせる。何て言おうか。
50年前、日本にはまだシューマン協会はなかったし。日本から来て、いつかリサイタルをしたいので、ホールを借りる手はずを伺いたいとか、憧れのシューマンハウスの、ホールのピアノに、少しだけ触れさせてもらえないだろうか、とか。身分証はないから怪しまれないように。
幸いなことに、シューマンハウスはまだ閉館前だった。受付に向かうと ———、
あの彼女がいるじゃないの!
彼女は受付の女性に何やら交渉していたようで、わたしの姿を見つけると、満面の笑みを浮かべて駆け寄って来た。
「今朝、結局ペンも手に入れずに別れて、あなたに住所を伝え忘れてしまったので、こちらのシューマン協会ならわかるかと、調べてもらおうとしてたんです。でも、何だか話が通じなくて」
宇宙のエネルギーは、わたしたちをちゃんと導き合わせてくれた!
こうしてわたしは、心の美しい彼女の為に、ささやかにピアノを披露させて頂けることになった。受付の女性の快諾も得て。
シューマンの〈幻想曲〉を。
綿毛が妖精のごとく舞うこの街の、ファンタジックな雰囲気によく合っている曲だから。シューマンの音楽を知ってもらうには、ぴったりと思われる曲だから。彼女への感謝の気持ちを込めて。
ピアノさえあれば、シューマンの音楽があれば、何も怖くない。
昨日の ——— 実は50年後の ——— リサイタル同様、無心に、自分の置かれた大変な状況も、客席の彼女の存在すらをも、いつしか忘れて音楽に没頭していた。
第3楽章。あの魔法の綿毛の舞う幻想の空間が浮かんでくる。かつてシューマンも、あの湖の幻想世界を想いながら、この曲を描いたのだろうか。
教会の鐘が時を打っている。鐘の音は心地よくピアノの音に重なり、互いが共鳴しているよう。
静かに、静かに、ファンタジーは終わりを迎え、わたしは目を閉じて鍵盤からそっと手を下ろした。すべての時は止まり、心の底からの安心感に包まれる。もう何が起こっても大丈。
盛大な拍手がいっせいに沸き起こり、意識を取り戻す。
何? 何が起きてるの?
呆然と、立ち上がった。ここは......?
館長のシノフチク博士がいる。それにツヴィッカウの市長夫妻。あれはシューマンの未裔の方々。脇の通路で山城くんがDVDを操作し、背後のドア付近には加瀬さんが。
ここは.......?
お客さまが立ち上がって、温かい笑みと拍手。館長からの花束と、心のこもった挨拶の言葉。すべては知ってること、既に体験してること、それが走馬灯のように流れ、過ぎ去ってゆく。
では、彼女は?
いえ、彼女はもう、この時代にはいない......。胸がつまる。姿を探しても無駄なことはわかっていた。
ミュンヒェンに行かれたはずの、「酒!」のおじいさん! いらしてくれたんですね。仕事を一日延期して? 嬉しい。ありがとうございます。
ニュルンベルクのご夫妻までも!
大勢の人々の、様々な反応。関係者やお客さまと限りなく挨拶を交わし、人々は帰られ、やがてすべてが終わった。これがわたしのファンタジー。
いえ、終わってはいなかった。
ホールの内ドアの外に目立たぬよう、品の良い年配の女性が佇んでいる。懐かしい微笑みと共に、こちらを見つめている。お客さまの波が終わるのを待たれていたようだ。彼女はゆっくりと歩みより、親しげに手を差し伸べてから、わたしを抱きしめてささやいた。
「待ってたんですよ」
その時になって初めて知った。彼女は ———。
タイムループ。わたし、昨日もここで演奏会をして......、そう。彼女が最後に挨拶してくれた際にわたしを抱きしめて、そっと、ささやいてくれた言葉。そう。聞き取れなかったのは、意味がわからなかったから。
ずっと待っていたのだと。
わたしたちの瞳は涙でうるみ、話すこともできなかった。彼女はシューマンの伝記と思われる本をバッグから取りだし、ページの間に挟まれた、四つ折りの1枚の古びた紙片を大切そうに広げて見せてくれた。
それは綿毛の舞う公園で ——— おそらく50年前に ——— 渡した、2010年の今日の日付の、リサイタルのチラシだった。
涙が止まらない。わたしたちは再び抱き合い、わたしは「ありがとう」とだけ言うのが精一杯。
小さな可愛いお嬢さんと、おじいさんらしき人が、手をつないでハウスの戸口付近で待っていた。彼女のご主人と、きっとお孫さんだろう。
昨日の彼女は1人だったけれど、この現実世界では、連れだって帰る3人の幸せそうな姿。
見送りながら、彼女の名前すら聞いていなかったことに気づいたけれど、彼女は50年もの間、この日を待ち続けてくれた。それだけで充分。
いつの間にかドレス姿になっていたわたし。すべては幻だったの.......?
着替えて、撤退作業をてきぱきと手伝ってくれた加瀬さんと山城くん、3人での打ち上げに繰り出すべく、荷物をホテルの部屋に置いたものの、もはや居ても立ってもいられない。感情が高まって、どうしようもない。
「すぐに戻るから......、15分くらい。ロビーで待っててもらえる?」
2人にそれだけ告げて、まだ明るさの残る街中を湖へと駆け出した。
確かめたいことがあった。
もし彼女の人生が変わったのだとしたら.......。
風が。公園からの風に乗って、妖精が漂って来る。
シューマンの銅像はテラスにはなかった。
そして夕陽の残照を優しげに映す湖面には、2羽の白鳥が!
1羽の背中の上には、灰色のヒナがちょこんと顔をのぞかせている。そしてその後を、数羽のヒナたちがよちよちと、一生懸命泳いでついてゆく。
涙がとめどもなくあふれ、周囲を舞い踊る妖精の綿毛は、きらきらと星くずのように輝いて見えた。
泉鈴香の物語は、いったんおしまい。
『ツヴィッカウ幻想』第2話「風の声を探して」は、6/7 (土)深夜0時〜2夜に渡って紹介します♪♪
