三島から村上へ━━尾辻克彦 『肌ざわり』と赤瀬川原平を読む(4)「複製技術時代の千円札裁判〈2〉」
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・「模造」と「模型」━━エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』を読む
赤瀬川原平は一連の日本国家紙幣(千円札)を模した作品などにより1965年11月に「通貨及証券模造取締法違反」に問われて起訴されることとなる。結果、1967年に執行猶予付きの判決が言い渡され、1968年に東京高裁、翌1969年に最高裁に控訴するも棄却、1970年に有罪が確定した。世相的にもセンセーショナルかつ美術界でも論争を生んだ、通称「千円札裁判」である。
そもそも「通貨及証券模造取締法」とはどういった法律だろうか? 読んで字の如くであるが、貨幣や紙幣(=通貨)や債券や証券を(勝手に)製造・販売した際に適応される法律である。法律名の中にある「模造」という言葉は「製造」にあたるのだろう。赤瀬川の裁判の場合では、前回取り上げた千円札を拡大模写した作品《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》ではなく、あらかじめ製作したお札の原盤を元に、印刷所で印刷し、実際の紙幣と同サイズで裁断したものが最終的に罪に問われた。
赤瀬川(弁護側)はそれらのものが「模造」ではなく「模型」であると主張した。しかしその主張は判決には左右しなかった。
ここで双方から主張された「模造」と「模型」の違いはなんであろうか?
唐突に持ち出されたようにみえる「模型」という言葉には、勿論、文脈がある。スペインの作家エンリーケ・ビラ=マタスの小説『ポータブル文学小史』の中に次のような一節がある。
「ポール・モーランが豪華な客車に乗って、灯火に照らされた夜のヨーロッパを駆けめぐった時に携行していたトランク型のテーブルのように軽やかな文学史、それがポータブル文学史である。この移動式テーブルから想を得て、マルセル・デュシャンは《トランクの中の箱(ブワト=アン=ヴアリス)》を考え出したが、これは芸術においてポータブルなものを称揚するうえでもっとも独創的な試みであった。ミニチュアにした自分の全作品のレプリカを詰めたデュシャンの箱=トランクはやがて、ポータブル文学のアナグラム、また初期のシャンディたちが互いに相手を認め合うシンボルになった。」
この一節には、今回本論で考えるべきことが殆ど全て網羅的に、かつコンパクトに詰まっている。それは「ポータブル」、「《トランクの中の箱》」、「ミニチュア」、「レプリカ」などの言葉に凝縮されている。詳しくは後述するが、その中でも「ミニチュア」や「レプリカ」は赤瀬川の主張した「模型」概念と関わるだろう。
「シャンディ」という言葉もある。これは「陽気な、気まぐれな、冗談好きな、という意味で使われている」言葉であり、小説の中でのマルセル・デュシャンとその周辺(「シャンディたち=秘密結社シャンディ」)の気質をあらわしている。
デュシャンの《トランクの中の箱》(フランス語では《Boîte-en-valise》、英語では《Box in a Valise》)という作品は、彼が1935から1941年にかけて製作したものである。自身の歴代の代表的な作品の「ミニチュア」の数々が、トランク一つに収まっているいわば、「ポータブル(携帯)」な、私設美術館のような作品である。(https://www.moma.org/collection/works/80890 )
デュシャンの《トランクの中の箱》には自作品の「レプリカ」や「ミニチュア」が「ポータブル」に詰まっている。このトランクには、網膜的で特定の場所に依拠したものであった美術品を、自ら何処にでも持ち運べる携帯性がある。トランクの中の美術品というコンセプトは固定的な芸術の制度に揺さぶりをかける。その性質は「陽気な、気まぐれな、冗談好きな」「シャンディたち」の「シンボル」だった。
デュシャン含む「シャンディたち」は物語の中で、「独身者の機械」であり、「つねに無責任な子供のように行動」する軽やかさで、アフリカやヨーロッパの都市を渡り歩き、冒険し、彼ら文学者や芸術家たちは悪魔儀式風の乱痴気騒ぎ=パーティーに明け暮れる。そんな彼らの移動性の軽やかさの「シンボル」が《トランクの中の箱》の「ポータブル」さ=携帯性だ。
しかし一方で、そんな「シャンディたち」の軽薄な、よくいえば身軽な移動性の裏側には、ヨーロッパにおける戦争の暗く深い影が差している。ビラ=マタスはこう記す。
箱=トランクだと似非芸術家の手で簡単に模倣されるのではないかという懸念が初期のシャンディたちの間に広まったので、ヴァルター・ベンヤミンは自分の名前が出ている本の重さを量る楽しい機械をデザインしたがこれが大成功を収めた。その機械を使えば、今でもどういった文学作品が耐えがたいか、つまり、どれほど軽く見せかけようが、持ち運びが可能かどうかを実に正確に量ることができる。
ベンヤミン機械を発明した当人の書いたテクストは独創性に富んでいるが、そのほとんどの部分は倦むことなく身につけた理論的展望と組み合わさった顕微鏡的な視線に負っている。「彼がもっとも惹きつけられたのは小さな事物だった」と、親友のゲラシム・ショーレムが語っている。ヴァルター・ベンヤミンは古い玩具、切手、絵はがきの写真や、ガラス玉の中に本物の世界そっくりの冬景色があり、それを振ると雪が降っているように見えるおもちゃが気に入っていた。」
ヴァルター・ベンヤミンの字は顕微鏡で見なければならないほど小さかった。彼は一枚の原稿用紙になんとかして百行書き込んでやろうという野心を抱いていたが、その夢は実現しなかった。
ヴァルター・ベンヤミンもマルセル・デュシャンとよく似た精神の持ち主だった。二人はともに放浪者であり、いつも旅していたし、芸術の世界から放逐されていて、しかもさまざまな物(つまり情熱のことなのだが)、それをいっぱいため込んだコレクターでもあった。二人はまた、ミニチュア化するということはポータブルなものにするということであり、放浪者、もしくは亡命者にとってそうすることが物を所有する理想的な形態であることを知っていた。
ビラ=マタスはここで、デュシャンとヴァルター・ベンヤミンの類似性を記している。それは彼らの「放浪者」もしくは「亡命者」としての側面だ。デュシャンはフランス生まれだが、ヨーロッパやアメリカを渡り歩き1955年には米国籍を取得し、1968年にパリの近郊で死去した。ヨーロッパとアメリカを大戦を跨いで放浪している。一方、ベンヤミンはベルリンで生まれたが、ユダヤ人であった彼は1933年のナチス政権の樹立とともにパリに亡命する。1941年にパリ侵攻の迫害を逃れるためにルルドに逃れ、マルセイユからアメリカに渡ろうとするがビザを取れずに失敗、翌年ピレネーを越え国境の街ポルトボウでスペイン側から入国を拒否される。結果、スペイン警察による強制送還の脅しにあい亡命を断念、自害したとされる。自作や自筆を軽量化し、「ミニチュア」化し、トランクにより「持ち運び可能」化しようとしたのは、両者における「小さな事物」への興味も勿論あるが、また片方には彼らが「亡命者」であり、人生において移動し続けなければならなかったこと、が関連しているのだ。
ポータブルたち(引用者注:「シャンディたち」)にとって人形は、自分の意識と関係なく行動する活動的で幸せな存在のメタファーという意味を備えていた。
第二次対戦後の1948年にスペインのバルセローナで生まれたビラ=マタスには、北に列車で二時間半ほどで行ける同カタルーニャ地方の海沿いのフランス国境の街ポルトボウで人生を終えたベンヤミンの「亡命者」性とデュシャンの作品のトランク化が、結びついてよく見渡せたに違いない。
話を戻すと、赤瀬川の「千円札裁判」における作品が国家紙幣である千円札の「模造」ではなく「模型」であるという主張と、デュシャンが《トランクの中の箱》を制作したことや、ベンヤミンがミニチュアに興味を持ち、原稿にびっしり文字を書き、それを持ち歩いて亡命者として生活し、「複製技術時代の芸術作品」を執筆したことには、時代的な連関がある。
ベンヤミンはこう書いている。
最高の完成度をもつ複製の場合でも、そこには(ひとつ)だけ脱け落ちているものがある。芸術作品は、それが存在する場所に、一回限り存在するものだけれども、この特性、いま、ここに在るという特性が、複製には欠けているのだ。しかも芸術作品は、この一回限りの存在によってこそその歴史をもつのであって、そしてそれが存続するあいだ、歴史の支配を受け続ける。
〈中略〉
オリジナルが、いま、ここに在るという事実が、その真正性の概念を形成する。そして他方、それが真正であるということにもとづいて、それを現在まで同一のものとして伝えてきたとする、伝統の概念が成り立っている。真正性の全領域は複製技術を━━のみならず、むろん複製の可能性そのものを━━排除している。しかし、偽造品という烙印が押されるのが通例の複製の手製の複製にたいしては、真正のものはその権威を完全に保持するとはいえ、技術による複製はオリジナルにたいしては、そうは問屋がおろさない。第一に、技術による複製はオリジナルにたいして手製の複製よりも明らかに自立性を持っている。〈中略〉技術による複製は第二に、オリジナルの模造を、オリジナル自体にかんして想像も及ばぬ場所へ、運びこむことができる。
「複製技術時代の芸術作品」では、それまでの芸術作品の持つ、場所に紐づいた一回性や真正性とそれに対する台頭してきた複製技術の関係を考察している。ベンヤミンがここで重視していることは、真正の芸術作品の複製が技術によって可能になったことの影響力であった。芸術作品は「原則的にはいつでも複製可能」であり、模作は作られていた。複製技術を歴史的にみれば、木版の出現によって版画が生まれ、印刷技術により文字の複製も可能になる。中世には銅版画、19世紀の初頭には石版画が生まれ、簡潔で的確に活版印刷とともに普及し、数十年と経たないうちに写真技術がその地位にとって変わることとなる。クロード・レヴィ=ストロースが提唱した「縮減模型」という概念では、実物が縮減(ミニチュア化)された「模型」は、携帯性と同時に、その小ささ故に本来的には普段は自分を取り囲んでいる対象を全体的に把握することができるようになる(『野生の思考』)。デュシャンの《トランクの中の箱》や芸術の技術による複製には、手製の「模造」とは違い対象を観念的・知性的に把握させる側面がある。『写真小史』の中でベンヤミンは「技術と呪術の境界線は時代とともに変わっていく」と記述したことを前回指摘した。縮減・ミニチュア化、また技術的に複製化されることによって、作品は呪術・魔術的側面や、「複製技術時代の芸術作品」で定義される「礼拝的価値」を失い、「模像」として手の中に所有されることとなる。そしてそれは、「オリジナル自体にかんして想像も及ばぬ場所へ、運びこむことができる」。
ベンヤミンの複製技術に対する考察やデュシャンの作品のミニチュア化は完全に同時代性を持っていた。ダダイズムやデュシャンに多大な影響を受けていたであろう赤瀬川の作品も、彼らの「模型」や「模像」の概念の延長線上にあるだろう。赤瀬川は《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》では、千円札をルーペで観察することにより二十倍の大きさに人力で拡大模写した。レヴィ=ストロースのいう「縮減模型」とは逆に「拡大模型」となり、普段は支配される側からそれを反転した観察対象とすることによって、「視覚的無意識」をあぶり出し、社会的効力を無批判に信じ込む呪術・魔術的な側面は解除され、「展示的」、観察的な側面がその像には付与される。国家が保障する千円札の「真正性」は「展示的」に揺さぶりをかけられる。
そもそも、貨幣(紙幣)はそれを誰もが価値があると信じているから使用されている。金や銀または宝石のような一般的かつ普遍性のある交換価値のある物質を直接持ち運び物と交換することは多大な労力や空間の占有を要する。それに対して、携帯性(ポータブル性)を備えた代替物としての貨幣(紙幣)がある。それらは国家により枚数が制限された複製物であると同時に、固有の番号や精巧さなどによって真正性が保障され、勝手に生産や「模造」をすれば法により罪に問われることとなる。赤瀬川が原盤を用いて印刷した自作品を裁判において「模造」(品)ではなく「模型」と論じたのは、それらが国家にいわば真正性という呪術・魔術性を付与された紙幣と同等に、他の物質やサービスと直接に代替物として交換出来る物質としては想定していないからである。「模型」には実際の千円札と同様の呪術・魔術性はない。寧ろ、客観的にそれらを物として把握することを、観念的な芸術作品(「模型」)として提示し、それを逆に剥ぎ取ることに専念している、といえる。原盤により片側のみ印刷され実際の千円札の大きさにカットされた作品は、裁判の結果、司法により「模型」ではなく「模造」であると判断された。実際に厳密にみてこの「模型」が「模造」(品)とし流通し使用されるのか否かは本論では問わないが、「模型」という芸術における概念自体を国家=司法が考慮することはなかったことだけは確かだろう。
ベンヤミンやデュシャンのミニチュア化の概念が、複製技術や「展示的価値」に拠る作品によって、前時代的な芸術作品の「礼拝的価値」を脱呪術・魔術化する行為だとすれば、赤瀬川のこれらの作品も少なからず潜在的にその存在を脅やかす「思想」的側面を有していたことは間違いない。「模型」化することにより、現実を相対化し「縮減模型」的に把握できるもの、観察的なものとすることにより、通貨としての価値を芸術という思考の中で一旦停止させる。貨幣の持つ絶対的な真正性=呪術・魔術性や、存続する国家の「歴史の支配」(や付け加えれば拘束的な法の支配)にコンセプチャルに揺さぶりをかけ、超越しようとしたのだ。しかし、「独身者機械」である「シャンディーたち」と時代的に共鳴しながらも、トランクの中に文字のびっしり詰まった原稿という「模型」を詰めようとした亡命者であるベンヤミンが1942年にスペイン国境を越えられなかったように、赤瀬川による千円札の「模型」も「模造」であるという烙印とともに1970年に司法による足止めをくらうこととなった。
