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令和源氏物語 宇治の恋華 第二百三十四話

 第二百三十四話 夢浮橋(一)
 
計画通りに薫は叡山に赴き供養を行いましたが、常とは違い経を読み上げながらも心ここにあらず、という体であるのは致し方なき処でしょうか。
浮舟のことばかりが脳裏を掠めて仏前であるというのになかなか身が入らないのです。
そうして叡山にて勤行を果たした後に、先頃一品の宮を救われた尊き聖を尋ねよう、などと思い立った風を装って横川へと赴いたのでした。
僧都は先触れで帝の婿である尊い右大将が自らお越しになったということにたいそう驚きました。
「なに?薫君がお越しになるというのか?」
「僧都、右大将さまと言われますと御仏の法にもお詳しいという尊き御方でございますね」
「さよう。直接お言葉を交わしたことはないが、御仏の学問に関しては並み居る僧侶なども足元に及ばぬほどと聞く。鄭重におもてなしをせねばなるまいぞ」
有難くも畏れ多く、僧都の庵の者たちは気を張りながら俄かに忙しく立ち働き始めました。
いったい誰が先日出家された姫の尼君との関わりなどを考えようか。
「このようなむさくるしい庵にお越しいただきまして光栄でございます」
深々と叩頭して遜る僧都は、世にも稀なる貴人の香気を感じて只ならぬ御人である、と息を呑みました。
「僧都殿、どうか頭を上げてくださいませ。御仏の前にては皆等しく同じであると私は考えております。私こそは僧都殿に教えを乞いたい一心ですので、どうか弟子のように思ってくだされば大変嬉しゅうございます」
温かい誠実そうな御声は澄んで、やはり世間に人格者と言われるだけはある、と感銘を受けながら静かに頭を上げた僧都は薫君の風雅な佇まいに目を瞠りました。
なんとこのように美しく清い御方が世におられるものか、と老いた目にも眩しくて、再び額づくのを禁じ得ないのです。
「僧都殿、どうかそれまでに」
やんわりと笑む貴公子を恐縮しきりで僧都は庵へと招じ入れました。
湯漬けなどでもてなされ、御仏の教えのことなどとりとめもなく話し続ける薫ですが、じっと肝心の話を切り出す機会を窺っているのです。
ほどなくして僧侶たちの饗応も一段落して下がったので、薫は僧都に向き合って膝を詰めました。
「僧都殿、実は本日は折り入ってお話があって罷り越した次第なのです。どうか御人払いをお願いしたいのです」
その切羽詰まったような瞳に僧都はおや、と首を傾けました。
 
「先日中宮さまから御身が一年ほど前に若い女人を助けたというお話を伺いました。場所は宇治であったのですね」
「はい、さようでございます」
「そのお話を私に詳しく聞かせていただきたいのですよ」
「はぁ」
さても異なことを聞かれるものだ、と訝しむ僧都ですが、もしや薫君は姫の尼君と関わりのある御方ではないのかと閃きました。
僧都は中宮にお話ししたよりもさらに細かくその折の状況をつぶさに語り始めました。
薫は時には相槌を打ちながら、不審に思うところは質問を交えて、やはり僧都が助けられた女人こそ浮舟に間違いないと確信したのです。
「僧都殿、突然のこととて驚かれたでしょう。その女人はどうやら私の探し人に間違いないようでございますので、御身には隠し立てせずに事情をお話し致します」
「承りましょう」
「ご存知の通り私は尊い皇女であらせられる女二の宮を賜り、他の女人を表に出せる身分ではありません。ですから以前から世話をしていた一人の姫を宇治の山里に隠しておりました。その姫がちょうど一年ほど前に忽然と姿を消してしまったのです。ただ宇治川へ続く廊に姫の上衣が残されてあったので川へ身を投げたのだと皆諦めたのですが、まさか妖の者にかどわかされてこちらで生きていたとは驚きでした」
「観音菩薩さまの慈悲でございましょうな」
「姫の母君は存命しておられます。遺骸の無い弔いをたいへん嘆いておられましたよ。姫は御身が戒を授けたと聞きましたがそれは本当ですか?」
「はい。姫が心底そのように望まれておりましたので、これも観音菩薩さまの思し召しと尼にして差し上げました」
僧都は落ち着いて受け答えをしておられますが、あまりのことに呆然としております。
 
あの姫君のご様子が普通のご身分でないように感じたのは間違いではなかったのだ。
まさかこのように尊い雲居人の愛された姫だったとは。
私はもしや早まったことをしたのかもしれぬ、と僧都は密かに後悔し始めているのです。

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