紫がたり 令和源氏物語 第九十一話 花散里(一)
花散里(一)
まったく自らが播いた種とはいえ、過ごし辛い世の中になった、と源氏の君は塞ぎこんでおりました。
それでもいろいろと気にかかる人達を放っておけないのがこの君のよいところでもあります。
源氏はこれまで家柄は良くなくとも才気のある者を引き立てたり、優れた資質を持つ者をその筋の優れた人に委ねるなど多くの人達を庇護してきました。
そして桐壺院が崩御された後には、行き場のない女御達をお世話したりしていたのです。
そのうちの一人、麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)と呼ばれた方には皇子も皇女もおられなかったので、ことさら大切にお世話をされていました。
亡き父院はこの女御の優しく穏やかなご性質をこよなく愛され、深い御寵愛ではなかったものの大切にされていたお后様でした。
女御の妹姫とは御所で何度か逢っていたのが懐かしく思われ、源氏は久しぶりに女御を訪ねることにしました。
妹姫もおっとりとして優しい女人なので、このように心が弱っている時にふと思い出されてなりません。
その日は続いていた五月雨の空が久しく晴れた日でした。
この国は火山国なので、大地の隆起が激しく水があまり留まらない地理です。
古の人々はそれを踏まえて水のありがたさを神の恵みとしていたので、梅雨のようなじめじめした時期でも雨を厭いませんでした。
むしろ草花が潤う様子に情緒を感じたものなのです。
源氏が庭に下り立つと青々とした草と土の香りがなんとも趣ありげに立ち上っています。
「しみじみとしたよい日だなぁ」
あの女御の妹姫に逢うにはうってつけの日のように思われました。
お忍びということで簡素な車に供も数人の道行きです。
中川のあたりに差し掛かると、楽の音色が聞こえてきました。
筝の琴と和琴を合わせた演奏で現代風に華やかに弾いているのが、粋な感じです。
「はて、この邸には見覚えがあるな」
と源氏が身を乗り出すと、門の内に大きな桂の木を見とめました。
一度だけ通ったことのある邸です。
何の沙汰もせずに突然思い出したからと訪ねるのも失礼か、と素通りしようかと迷っていたところに時鳥(ほととぎす)が飛んできて、垣根に羽を休ませると美しい声で鳴きました。
このところの雨で久しぶりに伸び伸び飛べるのが嬉しいのでしょうか。
源氏はつい誘われるように歌を詠みました。
をち返りえぞ忍ばれぬほととぎす
ほの語らひし宿の垣根に
(その昔ほのかに語り合った家の垣根にほととぎす(私)が帰ってきて鳴いていますよ)
側近の惟光は邸を伺い、女房に源氏の君の訪れを告げてこの歌を送りましたが、昔知ったほととぎすのようですけれど、五月雨の雲でよくわかりませんわ、と素知らぬふりをするので、
「これはお門違いでしたな」
と、はや退散してきました。
きっと他に通う男がすでにあるのであろう。
源氏は車を進めさせました。
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