はい、きたね。チャンス。
自分の矢印を取り戻した、バルセロナから広島への2年間
目次
導入のことば
第一章 10歳の発見
第二章 崩れていった自分
第三章 自分を直視する
第四章 「はい、きたね。チャンス。」
第五章 自分の矢印を取り戻す
今のあなたへ
あとがき
はじめに
こんなことはありませんか。
子どもに「頑張れ」と言うほど、苦しそうになる
自信を持ってほしいのに、逆効果になっている気がする
失敗しないように守っているのに、挑戦しなくなる
そして自分自身も、「自分を信じる」という感覚を知らないまま大人になった
もし一つでも当てはまるなら、ぜひ読んでみてください。
私は長い間、「自信」とは結果を出せることだと思っていました。 でも本当は違いました。
自己信頼とは、完璧な自分を信じることではなく、揺れても、失敗しても、怖くても、それでも自分を見捨てないこと。 今はそう思っています。
この記録は、1992年のバルセロナオリンピックで、自分を見失った私が、広島アジア大会までの2年間を通して、「自己信頼」を取り戻していった記録です。 そして同時に、指導者として、子どもたちと向き合いながら見えてきたことを書いた記録でもあります。
ここに書いてあることは、正解ではありません。 ただ、もし今、誰かの期待の中で苦しくなっている人がいるなら。もし、子どもの自己信頼を壊したくないと思っている大人がいるなら。
何か一つでも、受け取ってもらえるものがあれば嬉しく思います。
導入のことば
この文章を書き始めたのは、50代になってからのことです。
バルセロナ五輪から34年。あの夏の出来事は、長い間心の奥にしまったままでした。
これは、オリンピックの成功談ではありません。 挑戦することをやめ、守りに入り、自分への信頼をゼロにしてしまった。 そこからどうやって、もう一度自分の矢印を自分の手に取り戻したか。
その2年間の記録です。
今もどこかで、誰かの期待に応えようとして、知らないうちに自分を置き去りにしている人がいるかもしれない。
そんな「あの日の自分」に似た誰かに、この言葉が届いてほしいと思っています。
第一章 10歳の発見
10歳で出会った新体操は、私にとって競技である前に、自分の身体の可能性を広げる未知の感覚と出会う、発見の連続でした。
手具を手に取った瞬間、私の内側にあった感覚が一気に外の世界へと解き放たれます。フープを握れば、その感覚が掌から全身へと伝わり、からだがどこまでも伸びやかになっていきました。ボールを弾ませれば、私の身体もまたボールのように弾み出し、リボンを手にすれば、それまで眠っていた身体の深部が目覚めるようにしなやかに動き始めます。
手具を持つことは、単に何かを操作することではなく、体とともに動かすことで、それまで意識したこともなかった指先や足先、体の中の微細な感覚が次々と呼び覚まされていきました。
当時の私は、誰かの真似をすることには興味がなく、自分だけの新しい感覚を見つけ出し、身体をアップデートしていくことに夢中でした。「もっと、違う反応があるかも。もっと、違う感覚が見つかるかも」と、次なる未知を夢中で探し求めるワクワク感が、私をどこまでも夢中にさせてくれました。
しかし、大会に出場し、決められたプログラムの完成度を求められるようになると、少しずつ景色が変わっていきました。いつしか私の世界は、常に外側の目を意識し、他人の物差しで自分の価値を測るものへと変わっていきました。
中学3年生で初めてロシアを訪れたとき、バレエを基礎とした本場の究極の美しさを前に、日本との埋めようのないギャップに愕然としました。それでも、あの時ロシアで目にした、指先ひとつ、足運びひとつの洗練された動きは、私の中に確かな美しさの基準を刻み込みました。
高校1年生で経験したソウル五輪補欠合宿は、過酷なものでした。客席から眺めたソウル五輪の景色はあまりにも強烈で、先輩たちの努力が結晶となる瞬間を肌で感じたとき、「次はあそこに立ちたい」という純粋な興奮が、私の中に芽生えました。
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