見出し画像

土光杯で語った「食の安全保障」を、現場から引き受ける

先日、土光杯全日本青年弁論大会において、フジテレビ杯をいただいた。
テーマは「変動する世界と日本の食卓──食料安全保障について考える」だった。

評価していただいたことは率直に超絶うれしい。
ただ同時に、弁論の8分間では語りきれなかったことの方が多かった、という思いも強く残っている。
土光杯では、食料流通構造の改革の必要性について述べた。

そして、この内容の核心は、弁論台の上ではなく、日々の現場の中にあるとも感じている。

今日は、その話を書いてみたい。



▪️なぜ、語ろうと思ったのか

私はかつて、地方自治体の職員として中央卸売市場に勤務していた。
現在は、公務員を辞め、実家の焼き鳥屋を手伝っている。

この選択について、
「なぜ安定した仕事を辞めたのか」
「もったいないね」と声をかけられることが多い。

しかし、私の考えはとてもシンプルだ。

食の安全保障が、すでに現場から静かに崩れ始めている。
そして、この分野で現場を理解しているのは私だーー!!!
と感じたからである。

幼稚園生の頃から、焼き鳥屋の焼き台の前が私にとってはリビングだったからだ。


▪️食料安全保障は、戦争の話ではない

「食料安全保障」という言葉は、
どうしても遠い話に聞こえがちだ。

戦争が起きたら。
輸入が止まったら。
有事になったら。

けれど、現場で起きているのは、
もっと地味で、もっと静かな変化だ。

それは、
担い手が、平時に消えていくこと。



▪️とり屋さんは、年々減っている

実際、とり肉を扱う卸売業者、いわゆる「とり屋さん・かしわやさん」は、年々確実に減っている。

派手な倒産ではない。
ニュースにもならない。

高齢化、後継者不足、設備投資の限界、価格転嫁できない現実。
そうした理由で、「もう続けられない」と、静かに店を畳んでいく。

これは、
食料流通の“中間”を支えてきた層が、
音もなく薄くなっているということだ。



▪️朝引き鳥という、極端に細い生命線

うちの店は、朝引きの鶏しか扱わない。

鮮度と安全性、品質、美味さを考えたとき、それ以外の選択肢がなかった。

しかし、この朝引き鳥を安定して扱える業者は、
大阪でも指で数えられるほどしか残っていない。

朝引きは、
• 夜間・早朝の処理
• 高度な衛生管理
• 即時の物流
• 人の手による判断

すべてが揃って、初めて成立する。

どれか一つでも止まれば、簡単に代替はきかない。
大阪という大都市でさえ、
この重要な流通は、すでに冗長性を失いつつある。



▪️焼き鳥屋は、国家安全保障の最前線かもしれない

「焼き鳥屋で、国家安全保障?」
そう思われるかもしれない。

けれど、私は本気でそう思っている。
• 国産鶏肉は、どこから来ているのか
• 飼料は、どれほど輸入に依存しているのか
• 流通が止まったとき、何日持つのか
• 小さな店は、その変化に耐えられるのか

こうした問いは、
会議室ではなく、厨房の中で、毎日突きつけられる。

焼き鳥屋は、
食料流通の「末端」ではない。

むしろ、
国家の食を支える最前線なのだと思っている。



▪️焼き鳥文化は、日本文化そのものだと思っている

とり肉文化は、日本ではとても古い。
その歴史は、平安時代にまで遡る。

一方で、牛肉や豚肉といった本格的な肉食文化が広がったのは、明治時代以降のことだ。

焼き鳥は、
• 特別な料理ではない
• でも、町のどこにでもあり
• 日常に根づき
• 世代を越えて受け継がれてきた

日本固有の食文化だと思っている。

朝引きが消え、
とり屋が消え、
焼き鳥屋が続けられなくなる。

それは単なる業界の問題ではなく、
日本文化の一部が、静かに失われていく過程なのではないか。



▪️飲食店が元気に営業すること自体が、食料安全保障だと思う

飲食店が元気に営業していること。
それは、単なる景気の話でも、外食産業の話でもない。

女性の社会進出が進み、
単身世帯が増え、
家庭料理にかかる負担が大きくなっている現代において、
外食や中食は、すでに生活インフラの一部になっている。

「今日は作れないから外で食べる」
「一人分を毎日用意するのは難しい」

そうした日常の選択を、
町の無数の飲食店が、静かに支えている。

だから私は、
飲食店が元気に営業できている状態そのものが、
日本の食料安全保障を下支えしている
と感じている。



おわりに

飲食店がなくなるということは、
一つの店が閉まるという話ではない。
• 食の受け皿が減る
• 流通の出口が狭まる
• 仕入れの多様性が失われる
• 日常の選択肢が減っていく

それは、
社会全体の「食の耐久力」が、
足元から少しずつ削られていくことでもある。

朝引き鳥を扱う業者は減り、
とり屋さんは年々姿を消し、
焼き鳥屋は、その変化を最前線で受け止めている。

だから私は思う。

焼き鳥屋は、
食料流通の「末端」ではない。
むしろ、国家安全保障の最前線なのかもしれない。

少なくとも、
毎日の仕入れを考え、
流通の変化に向き合い、
厨房に立っている私にとっては、
間違いなくそうだ。

いいなと思ったら応援しよう!