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【宍粟市山崎町】與位(よい)神社②

由略: 与位神社と子勝神社は共に13代成務天皇(西暦144年) もしくは29代欽明天皇(西暦564年)頃に伊和大神が父母の神を崇め奉斎せられ、伊和神社 (祭神は大国主神様で与位神社・子勝神社の子神)・ 与位神社(父神の須佐之命)・子勝神社(母神の櫛名田比売)の三社は、伊和三社と称され深く関わりがある由緒ある神社であり、明治42年に現在地に合祀され現在に至ってます。

この由略を素直に読むと
伊和大神(大己貴=大国主)の実の父親がスサノオで、母親がクシナダヒメということになる。
父系の神、母系の神とも取れなくはないけれど
この三社を【伊和三社】と言うならば、やはり直接の親子と考えるのが素直だと思う。

古事記の系図を見ると、大国主はスサノオの6世孫となる。
なのに、スサノオの娘と結婚しているから
義理の息子でもある…

日本書紀ではいろいろな書き方がされていてひとつに定まっていないようだ。

【與位】という地名がずっと気になっていて
【位を与える】っていうことだから
スサノオが誰かに位を与えたのだろうか?
伊和大神に位を与えたということかな?
だから伊和大神はこの地に父母を祀る神社を建てたのだろうか?
でもそれならばなぜ父と母を別々の神社で祀ったのか。
夫婦いっしょにひとつの神社でよかったのじゃない?

それに古墳時代の遺構が出てきた子勝神社の方が取り壊され、この與位神社に合祀されている…
明治42年に…

明治39年に明治政府は、一町村一社を原則に統廃合を行う「神社合祀令」を出している。
神仏分離、廃仏毀釈と並行して、
国家神道による八百万の神々への弾圧も行われていた。
国が認めた神社以外(つまり都合の悪い神社)はどんどん潰され合祀されたそうだ。
最初の3年間で全国各地で4万社もの神社が取り壊され、事業完了を迎える大正2年頃には、19万社から12万社にまで激減したという。
そのかわりに「公民館」が地域に建てられたそうだ。

わたしは神社に行くと、摂社末社を詳しく見る。
その神様たちが本来その地で大事に祀られていた本来の神様だからだ。

天照大御神一本でいきたい明治政府にとって
力を持った女神がたくさんいては困るということだろう。

こうして縄文時代からの女神たちが封印されて
【名もなき女神】になっていったのだと思う。

子勝神社はどこにあったのだろう?
同じ敷地内?
ぐるりと回ったけれどそれらしきところはなかった。
スマホで検索しても與位神社に戻ってきてしまう。
すると、石碑のような画像にヒットした。
これがどこかにあるはず。

わたしが思うことが正しければ
【ここより高いところ】にあるはず。
丸山か…
でもあそこは立ち入ることができないはず。
とりあえず、近くまで行ってみよう。

車に乗り込み、與位神社から丸山の方へと上がっていくと
下からはちょうど見えなかったところに

あった…

子勝神社本殿跡
石板の後ろが丸山
【佐田神社】も同時に合祀されたとある

スサノオの古墳と言われている丸山と
與位神社のちょうど間に
子勝神社本殿跡はあった。

やはり、子勝神社=稲田姫命の方が
位が上だったのだ。

ここではスサノオは【須佐ノ男】と表記されている。
【須佐に住んでいる男】が
稲田姫と結婚することにより
位を与えられたのだと思う。
だから【與位】なのだろう。

おそらく、丸山の古墳は
稲田姫のお墓であると思う。

この地域の人たちは
ここをスサノオのお墓として伝え聞いてお守りしていたようだ。
でもそのことを知っている人もどんどん減ってきてしまった。
ある方が、そのことをさとうみつろうさんに話されたということを
さとうみつろうさんのYouTubeで知った。

前方後円墳は、子宮と産道の形だという話がある。
現在、たくさんの古墳が見つかっているにもかかわらず
そのほとんどが埋葬者不明のままにされている。
それは、女性祭祀王が埋葬されているからなんじゃないかな。

わたしが感じていたスサノオの存在は
実はクシナダヒメだったのかもしれない。

スサノオも元は天津神だった。
アマから追放され日本に来た人だ。
この美しい日本を愛し、この国の人となり、
そこで出会ったクシナダヒメを救い、結婚し、
そのヒメのためにこの国に八重垣を造ろうと
日本初の和歌を詠んでヒメに捧げた人だ。

そうして出雲の国が始まった。

その子どもである伊和大神(オオクニヌシ)もまた出雲を愛し国造りを進めていった。

その痕跡が播磨にもあるということは
ここもまた出雲であったのだろうと思う。

わたしの母は島根県出身で、大国(おおぐに)というところで生まれ育った。
旧姓は菅森という。
母の父である祖父の死後、祖父の神主姿の写真が見つかったそうだ。
若い頃の写真だったようだが、母はそのような話を祖父から聞いたことはなかったという。

すがもり…すがのもり。

スサノオはクシナダヒメと結婚して新居を構えた。
「この地に来て我が心清々しい」と言ったということからその土地は「須賀」と呼ばれたそうだ。
宍粟市山崎町にも須賀沢というところがある。

ここ宍粟の地が、クシナダヒメの故郷であり
スサノオとクシナダヒメが新婚時代を過ごした場所だったのじゃないかな。

こうやってGoogleEarthで見てみると
揖保川流域はヤマタノオロチに見えなくもない。
宍粟に「五十波(いかば)」という地名があるように
この川はたびたび荒れたのだと思う。

その地を開拓、灌漑したのがスサノオだったのでは。

與位神社の近くに【宮山】がある。
ここに宮があり、クシナダヒメは祭祀を行なっていたのかも知れない。

調べてみるとこの宮山に【野口神社】があった。
やはり、古代の祭祀場だったようだ。

今度はここに行ってみようと思う。

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