芳一と平家物語④安芸の宮島・嚴島神社
壇ノ浦と赤間神宮のあと、
またレンタルサイクルで下関駅に戻り
今度は広島で途中下車。
宮島口からフェリーに乗り宮島へ。
平家が最も栄えていた頃の象徴とも言える
嚴島神社へ。
嚴島神社の御祭神は
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
天照大御神と素盞鳴尊が高天原で
剣玉の御誓(うけい)をされた時に
御出現になった神々で
御皇室の安泰や国家鎮護、
また海上の守護神として祀られている。
嚴島神社が創建されたのは
推古天皇御即位の年(593年)。
この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下り
天照大御神が高天原から連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと
御祭神と共に島の浦々を巡り
海水の差し引きするこの地を選んで
御社殿を建てたそうだ。
壇ノ浦の戦いの17年ほど前、
安芸守となった平清盛が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造したという。
神戸市兵庫区あたりの海岸にあった
大輪田泊の修築の際にも
法華経を書いた石を沈めて
人工島(経ヶ島)を作ったという話もありました。
これらは日宋貿易のため、と言われていますが
清盛は私財を投げ売ってこれらの工事に取り掛かっていますし、
大変信心深い人だったのでは、と思います。
経ヶ島の工事が嵐で難航する中、
三十人の人柱を立てるという案が持ち上がりましたが
清盛は反対したといいます。
それを松王丸という少年が一人で引き受け人柱となりました。
清盛は松王丸の供養のために来迎寺を建てています。
また高倉上皇とともに嚴島神社参詣の途中には
清盛は室津の賀茂神社にも参拝しています。

歴史上ではかなりの悪者として描かれていますが
それほどの悪人がこんなに信心深かったり
あれほど美しい嚴島神社を建てるかな…
しかし、やはりどこかで道を間違ってしまったのでしょう。
大輪田泊や嚴島神社で守られているはずの瀬戸内海で
平家一門は滅びていったのです。
ただ、これまでこの国が滅びてしまうようなことにならなかったのは
清盛がこのように神仏を手厚く祀っていたおかげかもしれないな、とも思うのです。



















最終回は、京都嵯峨野にある祇王寺をご紹介いたします。
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