<書評>『ドイツ農民戦争』
『ドイツ農民戦争Der deutsche Bauernkrieg』フリードリッヒ・エンゲルス 大内力訳 岩波文庫 1950年 読んだのは1976年版。原著は1850年ロンドン発行。

ドイツ農民戦争とは、1524年、主に現在のドイツ南部で発生した大規模な農民による反乱だが、そこにはマルティン・ルターによる宗教改革とイタリアから伝播したルネサンスの影響、そして中央集権化に失敗し領邦国家となっていく中での、民衆の反体制運動の総体を称している。
一方、本書の帯には、「農民戦争を分析批判し、革命勢力としての農民の役割を明らかにする。唯物史観の立場を具体的な歴史叙述に適用した点で優れている。」とあり、マルクス経済学者である訳者が、マルクス思想をひたすら絶賛・崇拝する前提で翻訳しており、巻末の解説もそれだけで論文になるぐらいの分量を費やして、本書がいかに優れているか、そして共産主義革命を如何に実現するかという主張が文脈に表れている。
このため、例えばアドルフ・ヒットラーの『我が闘争』がそうであるように、(狂信的に左翼思想を支持する人以外には)政治的には良書と言えないと私は認識している。しかし、私としては「なるほど、こういう偏向した見方もあるのか」ということを知るために、本書を読むことにした次第である。従って、本書に関する感想は、称賛する部分は皆無であり、ひたすらネガティヴに批判的に読んだ結果となっていることを予めお断りする。また念のために、私はマルクス思想を信望することは絶無である上に、共産主義政治活動には一切関係していないことを言明しておく。さらに、政治的立場としては反マルクス主義及び反共産主義であることを明記する。
以上のように、本書はカール・マルクスの盟友であるフリードリッヒ・エンゲルスが、十九世紀末における武力による共産主義革命という目的を達成するために、十六世紀の農民戦争という歴史を、プロレタリアートの武力革命参加という視点からのみ取り上げ、これをまるで正当な歴史分析及び歴史叙述(いわゆる唯物史観)のようにして書きあげたものである。従って、その叙述は中立的な立場や歴史家としての公平性は皆無であり、ただひたする自らが狂信する共産主義武力革命へ寄与することのみを目的として書いている。
繰り返しになるが、マルクス思想を崇拝する訳者は同じベクトルで翻訳しており、本書をもって日本における(武力における)共産主義革命思想を大衆に拡散させたい意図が、随所に見られる内容となっている。特に巻末の論文と化している「解説」では、ひたすら現代社会をブルジョア対プロレタリアートの対決という分断状態と見なしたい願望が前面に出ており、ブルジョアを支配し制圧するために、プロレタリアートが革命を起こし、農民たちは革命運動に加わることが歴史的使命であると主張している。それができなかったことが、農民戦争でプロレタリアート革命が達成できなかった理由にしているなど、共産主義革命達成のための論文としか見なせず、その政治的公平性は皆無である。
しかし、そもそもマルクスやエンゲルスが如何に優秀な頭脳を持ち、十九世紀ヨーロッパ社会の経済構造を当時としては画期的な視点で分析したとはいえ、彼らが主張するブルジョア対プロレタリアートという図式は、彼らが得意と主張する科学的なる方法、つまり現実にある材料を客観的に集めて、そこから当然に帰結する仮説を立て、それをまた現実の材料に当てはめて実証していくという作業をしているものではなかった。彼等は、自分たちの共産主義思想を正当化するために、またその目的だけのために、現実社会をブルジョア対プロレタリアートであるという自分たちの思想に都合のよいものとして、色眼鏡をかけて見なすことにより、そうした構造であると無理矢理決めつけただけだった。そして、この決めつけた現状認識を根拠として、農民たちがプロレタリアートの一員として革命に協力しないのは、歴史的に不当であったと一方的に非難するわけである。これは暴論以外の何物でもない。
もし科学的客観性を主張するのなら、彼らが作り上げたブルジョア、プロレタリアート、農民という対象は、それが現実には存在していない概念=イメージでしかないということを認識すべきだ。実際に生活している人々の大半は、社会革命などという教祖的なお題目のために生きているのではない。自分の周囲二メートル内の安全な生活と享楽という目の前のこと、つまり享楽的かつ刹那的な満足を得るために生きている。大衆と呼ばれる人々は、マルクスやエンゲルスが勝手に祭り上げたような、社会革命を至上の目的にするような立派な人格を持っているわけではない。極めて動物的レベルでしか生きていないと言っても過言ではない。
そうしたことを、例えばオルテガは「大衆」と称して、人類の目指すべき進化に対する躓きになると診断した。またこの「大衆」は、マルクスやエンゲルスが共産主義のプロパガンダとして利用したメディアの影響を強く受ける人々であるが、影響されるのは政治的なプロパガンダだけではない。むしろもっと下世話な、服装は何々が流行している、芸能人の誰それが結婚した、どこかで大惨事が発生して大勢の死傷者が出た等という、そうした極めて即物的なことに最も影響される人々である。こうしたことからは、十六世紀の農民戦争に参加した農民も、二十一世紀の大衆も、全く同じレベルで生活している人々だという結論になる。
以上が私の総論だが、以下に各論を述べてみる。
前述したように、本書は、共産主義武力革命の前兆としての視点から、十六世紀に起きた農民戦争の経緯をエンゲルス独自の視点によってまとめたものだが、実際に読み進めると、十六世紀という時代背景があるとはいえ、そのあまりの残虐さに辟易するものがある。
農民戦争の主役である農民の集団は、農民団と称しているが、その実態は農民以外の浮浪者や傭兵を含む雑多な集団であるため、その政治的な目的が共有されることはない。つまり、単なる乱暴な人々の集団でしかない。そして彼等の行った戦争の実態は、貴族の城や修道院を襲撃し、焼き打ちし、略奪することに終始する。当然、貴族や修道僧は残酷に殺害され、そこにある金品は無秩序に強奪され、城や修道院という文化遺産は、無残に破壊されてしまう。エンゲルスが、「プロレタリアートの前段階としての革命集団」などといくら賛美しても、その実態は有象無象の刹那的かつ無秩序の暴力的な集団が、いたるところで残酷かつ悪逆な強盗殺人を行っていたにすぎない。そこには、エンゲルスが見いだそうとする政治的かつ文化的な意味合いはまったく読み取れないし、農民団とはただひたすら動物的に反応していた人々の集まりという印象しかない。
また、農民団を鎮圧する側となる領主や貴族たちは、有効な武器を持ちまた訓練された傭兵たちを持っていたが、実際に戦闘を行った結果としての勝利は少ない。むしろ、農民団との偽りの休戦条約の締結とその裏切り、さらに農民団の個別の人間に対しての裏切り行為を持ち掛けるあくどいやり方で大半の勝利を収めている。そして、鎮圧に成功した後は、農民たちを捕虜にすることなく大虐殺した上に、首領クラスに対しては拷問をした上で残酷な処刑を行っている。こんなに次から次へと大勢の人々を殺害していれば、早晩ドイツには農民がいなくなってしまうのではないかと思われるくらい、領主や貴族は大量殺人を繰り返している、
エンゲルスによれば、ドイツが(特に人口的に)疲弊した理由は、この農民戦争の結果ではなく、次の(カソリック対プロテスタントの)宗教戦争と三十年戦争によるものが原因だと述べている。つまり、この三つの長期にわたる戦争(ドイツの内戦)では、農民戦争と同様のことが行われていたことが容易に想像できるから、どうやってもドイツの人口は激減せざるを得ないし、この延長上にナチスドイツの強制収容所があることが容易に想像できる。二十世紀半ばまでのドイツ(ドイツ文化圏)には、まるで古代世界のような勝者が敗者を拷問した上で虐殺する文化が、普通にあったのだと想像するしかない。
本書にはこうした残酷な記録が次から次へと書かれている一方で、農民戦争がドイツ各地に拡散し、それに対して領主たちが対抗していく様子は、まるでハリウッド映画のようなスペクタクル感を持っていることを、私は感じた。私は、自分でも知らないうちに、農民団の進撃とそれに対抗する領主たちの戦いぶりを、わくわくしながら読んでいた。これは自分でも不思議なことだと思ったが、その理由は、本書は、農民戦争という名称による一種の戦記物を書いているからではないかと考えた。そして、エンゲルスは、ドイツの共産主義武力革命ということに対して、戦記物のような期待を持っていたのではないかというイメージが、私の中に浮上してきた。エンゲルスは、ドイツ全土で農民戦争のような荒々しい戦争が起きるのを期待していたのではないか。
そして、エンゲルスが「農民戦争は、農民と領主のどちらも敗者だった。勝者となったのは、農民・貴族・修道院の領地を漁夫の利で得た封建大諸侯だった」と書いているように、エンゲルスはドイツ国内で農民を中心にした戦乱(内戦)が起こることによる(自分たちの政治集団による)漁夫の利を意図していたのだと、私は考えた。エンゲルス以降のドイツの歴史では、エンゲルスが期待したような戦争や内戦がドイツに起きたが、その漁夫の利を得たのは、エンゲルスの後継者たちではなくヒットラーであったのは、歴史の必然あるいは皮肉であったと言える。
<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、書評などをまとめたものです。>
いいなと思ったら応援しよう!
しがない年金生活の一方、健康状態の関係から身体を使う仕事は難しいため、趣味と実益を兼ねてnoteに様々な投稿をしています。皆さまからの私の投稿へのご支援をいただけることは、今後さらに多種多様な投稿を継続していくことにつながりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。