<書評>『構造主義』
『構造主義Le Structuralisme』ジャン・ピアジェ Jean Piaget著 滝沢武久・佐々木明共訳 文庫クセジュ Collection QUE SAIS JE? Nom,1311 白水社1970年 読んだのは1980年版。原著の発行年等は不明だが、クセジュ開始の1951年から白水社が発行する前年の1969年の間になる。

フランス版岩波新書といえる「文庫クセジュ(フランス語で「私は何を知っているか?」というモンテーニュの言葉)」の一冊。通番から見ると、文庫開始から数年後に発行したものと推測できる。本書は、20世紀後半にフランスから始まり世界的に大流行した(そして、21世紀初頭には流行が終わった?)構造主義について、『思考の心理学』などの著者ピアジェが、一般向きに書いたもの。なおピアジェの専門は児童心理学及び子供の発達心理学であり、理系的発想の研究成果と著書を多数発表している。
内容は、目次にある項目を紹介すれば、数学と論理学における構造、物理学における構造と生物学における構造、心理学における構造、言語学における構造、社会研究史における構造、構造主義と哲学とにわかれて、それぞれの分野における構造主義的思考を簡略に分析し、それらに対する意見を記述している。特に言語学に関しては、構造主義という考え方の出発点と言えるものだけに、フェルディナンド・ド・ソシュールとノーム・チョムスキーの二人について細かく紹介している。
そして、最後の哲学においては、クロード・レヴィストロースの『野生の思考』から、レヴィストロースの構造主義を好意的に紹介しつつも、これをピアジェ独自の観点から批判している。さらにミシェル・フーコーの『言葉と物』へ言及していくが、フーコーに対しては、「たんに歴史を発掘しただけで、全体としては低レベルかつ未熟な哲学」だと強く批判している。
全体としての印象では、ピアジェが構造主義の概観を手際よくまとめており、また何回も出てくるのだが、構造=構成という思考方法によって、構造主義への理解及び利用方法をわかりやすく解説しているように見える。しかし、(私はもともとピアジェがあまり好きではないのだが)結局は構造主義を一般の読者に紹介すると言いながら、(そうした形式を利用して)構造主義に関してピアジェ自身が主張したい一方的な解釈による言葉を並べているだけとしか、私には読み取れなかった。
こうした著述の仕方は、「ピアジェの哲学書」ということでは良いかもしれないが、手軽に「構造主義とは何か」を専門家でない読者に説明するというこの文庫本の主旨からは、大幅に逸脱しているといっても過言ではない。少なくとも私は、本書を読むことによって、「ピアジェの構造主義理論」を知りたかったのではなく、中立的立場かつ猿にもわかる容易さで「構造主義の歴史と概要」を知りたかったから、読後感は(予想していたとおり)虚しいものだった。
また、ピアジェの論理と文章というのは、翻訳者の文体も影響していると思うが、文系の哲学ではなく理系の哲学として記述しているため、ニーチェ、キェルケゴール、ハイデッカーのような(文系的な)豊かな想像力が働く余地がないため、私には正直言って読み辛い文章となっている(それが、ピアジェを嫌う理由でもある)。しかし、理系の哲学と言っても、例えば数字と数学を研究した古代ギリシアのピタゴラス派は、数字と数学にピアジェのような味気無さ(無味乾燥な媒体)を求めたのではなく、むしろそこに神秘的なものを求めた哲学集団だった。同じ理系でもピタゴラス派のような哲学であれば、私はもっと親しみを持って読めたと思う。
以上のように、私としては不本意な読書となってしまったのだが、レヴィストロースについて述べた、以下の歴史・知性・人間について言及した箇所は、なかなか味わい深かったので、引用して紹介したい。なお、(注)は私が付記したもので、《 》はピアジェの引用文である。また、私の理解の仕方として<参考>を付けた。
P.111
ただ、歴史がさまざまの変化をもたらす場合にも、やはりそれは《構造》の問題であって、その《構造》は今度は通時的(注:時間の流れ、または歴史)なものなのだが、人間の知性を変化させるものでは全くないのである。人間の知性にかんしていえば、歴史はたんに《何らかの構造―人間的なものであれ人間的でないものであれ―の諸要素の全体を調査するために不可欠なものにすぎない。事物を理解するための探求が結局は到着点として歴史に達するというのは大きな誤りで、逆に歴史こそ事物を理解するためのあらゆる探求の出発点なのである。〔・・・〕歴史はあらゆるものへ導いてくれる。だが、そのためには歴史を出なければならない》(『野生の思考』347-348頁)
<参考>
この文章について、歴史な出来事は最終的なゴールではなく、そうした出来事を研究するための道具であるという意味に私は捉えている。一般に構造という言葉は、「共時的(注:共有する空間、または同時代)」の文脈で使用されるが、それは同時に通時的でもあるということをここで言わんとしている、と私は理解した。
なお、『野生の思考』と『言葉と物』の二冊は、学生時代に読了しているが、当時の私の力量では十分に読みこなしたとは思えないので、近々に再読する予定でいる。そして、その後は<書評>をアップする予定なので、構造主義に関する理解をより深めたものを投稿したい。
<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、論文などをまとめたものです。>
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