<書評>『言葉と物―人文科学の考古学―』
注:原書に合わせて長文になっています。
『言葉と物―人文科学の考古学―Les Mots et Les Choses』ミシェル・フーコー Michel Foucault著 渡辺一民・佐々木明訳 新潮社 1974年初版 1978年第6刷 原著は、フランスのGallimard社から1966年に出版。

本に付いている帯の表側には、「構造主義とは、現代の知の不安の意識である。――ルネッサンス以来の西洋思想史を精密に分析批判し、また今日の人間諸科学の冒険的試みを統合して、画期的認識論をうちたてた名著。サルトルの『存在と無』以来の革命的思想書!」と紹介されている。
また裏側には「認識や理論は何から出発し、可能となるのか。思想の基盤はいかに形成されるのか。 ――十七世紀、ベラスケスの名画『侍女たち』は人間の不在を表現している。その大胆な美学的、存在論的分析に始まり、古典主義時代における生物学、経済学、文法の三領域に着目、やがてそれらが、十八、十九世紀をへて二十世紀にいたり、精神分析学、文化人類学、言語学へ変遷していく過程と必然を、豊富な実証と精密な論理で説く。
その間、独自の発展をとげた文学は、サド、マラルメ、アルトー、カフカ、バタイユ、ブランショらが、また哲学の分野では、ニーチェ、フッサールらが、神の死による人間の復活、新しい言語による認識の統合を目指していた。今日、レヴィ=ストロース、ヤコブソン、ラカンたちによる人文科学の変革、ヌーヴォー・ロマンの旗手たちによる言語を中心にした人間認識への試みが果敢に行われるなか、本書はこれら人文科学の成果を統合し、今後の方向を指示するものである。」と宣伝されている。
本書は、私が二十歳の頃に、図書館で居眠りしながら夢の中でも読んでいた本であり、冒頭のベラスケス「ラス・メニーナス(侍女たち、女官たち等多種の翻訳あり)」の解説に、眼から鱗が落ちるように驚愕し、その後は難解な文章に悪戦苦闘しながら、どうにか読み終えた苦い思い出のある本である。そして、今二十歳の頃と比べれば、少しは教養や経験を積めたので、それを元手に改めて挑戦しようと思い、今回再読した。なお、本書を購入した理由は、大学の「芸術概論」の授業で先生が、レヴィストロースの『野生の思考』及びメルロポンティの『眼と精神』とともに読むべき本として推薦したことが契機となっている。私はこの先生から、「芸術とは、とても古いもの、それまでにない新しいもの、自己を真似ていないもの、これら三つのいずれかが条件である」と教えてもらったことを今でも記憶しているが、残念なことにお名前は覚えていない。
ところで、参考までに記しておくが、著者のミシェル・フーコーは、その独特の禿頭と同性愛者(しかもHIV/AIDS、いわゆるエイズで1984年に亡くなっているが、これはフランスの最初の死亡事例となった)であることが、何かと注目されている哲学者である。また、『狂気の歴史』、『監獄の歴史』、『知の考古学』、『性の歴史』シリーズ(未完)などがあり、特に「精神病が社会に病気として認識されたのは、後から作られた精神病院に精神病者を隔離したからであり、それまでは一般の社会人として普通に生活していた」という主張は、画期的なものであったと評価されている思想家である。
本書を読む前に、翻訳していないカタカナ表記がいくつかあるので、その意味を予め知っていた方が良いと思う。これらは、翻訳者にとっては、翻訳以前の周知の用語または翻訳不可能な用語なのかも知れないが、一般の読者にとっては日本語で表記してもらわないと、容易に理解できないと私は思う。
マテシス:学の統一
タクシノミア:分類学
エピステーメー:知識
ラティオ:理性
プレシオジテ:気どること(訳者解説文にあるもの)
今回再読して改めて思ったのは、翻訳者の解説にある通り、本書は二十世紀を代表する歴史的名著、しかも哲学という分野に限定せず、人類の知の遺産としての名著であるため、引用したいところが沢山あったことだ。従って長文になってしまうが、以下に引用ささせていただく。翻訳語にカタカナのルビがあるものは( )で表記し、原註及び訳註も含めて引用した他、わかりづらい用語には補足的に(注)を付した。また、文末に<参考>として、私の理解したことを箇条書きに記した。なお、引用文が長く続く場合は、原文とは異なってしまうが、適宜改行しておいた。
自画自賛になるかも知れないが、この引用を読み進めることによって、本書が主張するポイントを把握できるのではないかと思う。実際、私は<参考>を記す過程で、より理解が深まる経験をした。
P.33 第1章 侍女たち 一
歳老いたバチェコがその若い弟子ベラスケスにあたえたという忠告を、裏返しにして、しかも文字どおり、ベラスケスは適用したわけだが、それにしても奇妙な適用ではないだろうか?セビリヤのアトリエで仕事をしていたバチェコはこう言ったのである。「イメージは枠から外へ出なければならない」と。
<参考>
この「ラス・メニーナス(侍女たち、女官たちなど多様な翻訳あり)」の絵画は、絵画の枠から外へ出るのではなく、絵画の中へとイメージが追求されるように描かれている。しかし、そこからまた内から外へと向かうイメージが最後に浮上する。

P.33 第1章 侍女たち 二
ベラスケスが絵を制作している。この絵のなかでは、自分のアトリエかエル・エスコリアルのサロンで二人の人物を描いている彼自身が表象されており、マルガリータ姫が傳育係(デュエーヌ、注:女官長)、侍女、朝臣、小人につきそわれて、その様子を見にきたところなのである、と。この一群の人物にもひじょうに正確に名をあたえることができる。言いつたえによれば、そこにはドーニャ・マリア・アグスティナ・サルミエンテ、手前にはニエト、前景にはイタリヤ人の幇間ニコラゾ・ペルトゥザトが認められるという。これに、すくなくとも直接姿を見せず、鏡のなかに見ることのできるにすぎない、画家のモデルである二人の人物が、疑いもなく、スペイン国王フェリペ二世と王妃のマリアーナだとつけくわえれば、それでもう充分であるにちがいない。
(中略)
だが、言語(ランガージュ)と絵画との関係は無限な関係である。といっても、言葉(パロール)が不完全で、可視的なものをまえにしていわば欠損状態にあり、たとえ可視的なものととらえなおそうとつとめても空しいということではない。両者はたがいに他に還元しえぬものであるということだ。つまり、自分の見るものを語ろうとしても空しいし、自分の見るものはけっして自分の語るもののなかに宿らないし、例え隠喩(メタファー)や比較によって、語りつつあることを見させようとしても無駄なのである。
<参考>
絵画と言語とが並行関係にあり、また相互に影響しあっているところに、人間の思考形式が存在している。
P.54 第2章 世界という散文 二 外徴
記号(シーニュ)とは、《別種の》類似、最初の相似に隣接しているがそれとは別のタイプの相似、そして、最初の相似を認知させるのに役だつがそれ自体第三の相似によってあきらかにされるような相似なのだ。いっさいの類似が外微を帯びているが、この外微もまた、おなじ類似というものの中間的形式にほかならない。
(中略)
記号(シーニュ)に語らせてその意味を発見することを可能にする知識と技術の総体を解釈学と呼び、記号(シーニュ)がどこにあるかを見わけ、それらを記号(シーニュ)として成り立たせているものを規定し、記号(シーニュ)同士のつながりと連鎖の法則との認識を可能にする知識と技術の総体を、記号学と呼ぶことにしよう。十六世紀は、解釈学と記号学の相似という形式のなかで重ねあわせていた。意味と求めるとは、たがいに類似したものとは何かをあかるみに出すことである。記号(シーニュ)の法則を求めるとは、たがいに類似した物を発見することである。諸存在の文法は、すなわち存在の釈義なのだ。そして、諸存在の話す言語(ランガージュ)によって語られるのは、まさしく諸存在を相互につなぐ統辞法にほかならない。
<参考>
解釈学も記号学も、相似という定義で共通し、また言語によって成立している。従って、もっとも重要なのは言語の研究となる。
P.58 第2章 世界という散文 三 世界の限界
十六世紀末に大きな場所を占め、さらにおそらく十七世紀中葉まで見うけられる「自然魔術」の企ては、ヨーロッパの意識における何らかの残滓のあらわれではない。それは――カンパネラがはっきりと述べているように(原註:T.カンパネラ『物の意味と魔術について』フランクフルト、1620年)――復活されたものであり、それも、知の基本的布置が標識を相似とをたがいに関係づけていたというその時代特有の理由によって、復活されたものにほかならない。魔術という形式は認識の仕方と不可分であったのだ。
<参考>
魔術とは何かという問いに対する、フーコーの答えがある。それは世界を認識する仕方ということになるが、同時に世界を変えようとする部分も魔術にはあるはずだ。
P.61 第2章 世界という散文 四 物で書かれたもの
言語(ランガージュ)は、埋もれた啓示であると同時に、いやましていく光のなかですこしずつ本来の姿を回復する啓示でもあるのだ。
その本質的形態において、すなわちそれが神によって人間にあたえられたとき、言語(ランガージュ)は、物に類似しているがゆえに、物の絶対的に確実で透明な記号(シーニュ)であった。名は、力が獅子の身体に、王者の威厳が鷲のまなざしに書き記されるように、あるいは、惑星の感応が人々の額に刻まれるように、相似という形態をとって、その指示するもののうえにおかれたのである。この透明性は、人間を罰するためバベルの塔において破壊された。諸言語(ラング)が分化し、たがいに両立せぬものとなったのは、言語(ランガージュ)の最初の存在理由だったこの物との類似が、まず消え去ったからにほかならない。
われわれの知っているあらゆる言語(ラング)を、われわれはいま、この失われた相似の基底として、それが消え去ったあとの空虚な空間において話しているのにすぎない。ただひとつの言語(ラング)だけが、この失われた相似の記憶をとどめている。それは、この言語(ラング)がいまでは忘れられたあの最初の語彙から直接派生したものだからであり、バベルの懲罰が人間の思い出から消えることを神が望まなかったからであり、この言語(ラング)が神とその民との古い<契約>を語るに役だったにちがいないからであり、そのうえ、神はその声に耳を傾ける者たちにまさしくこの言語(ラング)で語りかけたからである。だからヘブライ語は、元初における命名の痕跡を名残りとしてとどめている。
<参考>
ヘブライ語が、(少なくとも地中海世界の諸語における)原型・原点であることを主張している。日本人としては、サンスクリットという同じくらい古く、人間が話し始めた言語の原型・原点に近いものがあると言いたくなるが、ここはフーコーの主張にいったんは耳を傾けたい。
P.64 第2章 世界という散文 四 物で書かれたもの
神が世界のうちに残したのは書かれた言葉であり、アダムは最初の名を獣たちにあたえたとき、これらの可視的な無言の標識を読んだのにすぎない。<律法>は人間の記憶にではなく、<石の板>にゆだねられた。真実の<言葉(パロール)>は、書物のなかにこそ求められなければならない。ヴィジュネールとデュレ(原註:ブレーズ・ド・ヴィジュネール『暗号文字論』パリ、1587年、クロード・デュレ『言語の歴史の宝庫』)はこもごも――それもほとんど同一の言葉で――自然においてはもちろんのこと、おそらくは人間の知においてさえも、書かれたものは語られたものにつねに先行すると述べている。というのは、バベルより以前、<大洪水>より以前に、おそらくは自然の標識そのもので合成された文字があり、それらの文字は、物に直接はたらきかけたり、それらを引きつけたり、斥けたり、あるいはそれらの特性、美質、秘密をかたどったりする力をもっていたと思われるからだ。
それこそ本来自然から生じた文字であろう。そしておそらく、ある種の秘教的な知、とりわけカバラ(訳注:聖書の神秘主義的解釈の伝統)は、この文字の記憶を断片的に保存しており、はるかむかしから眠りつづけているその力を再把握しようとしているのだ。十六世紀における秘教的学問は、書かれたものにかかわる現象であり、話された言葉にかかわる現象ではない。いずれにせよ、話された言葉はその力を奪われているのであって、ヴィジュネールとデュレによれば、それは言語(ランガージュ)の女性的部分、いわばその受動的理性にすぎず、<書かれたもの>こそ、言語(ランガージュ)の能動的理性、「男性的原理」なのである。<書かれたもの>のみが真理を保有しているのだ。
<参考>
話された言語よりも書かれた言語の有利性をここで説いている。その理由としては、神との契約あるいは、神が石板に書いたものを原初の人間が読むという行為から、人間が物にたいして話すことよりも、石板に書かれた神の言葉が先行し優先するということなのだろう。そこから、カバラや魔術の世界への関心が派生していく。
P.105 第4章 語ること 一 批評と註釈
古典主義時代以後、註釈と批評とは深い対立関係におかれる。表象と真実性の用語で言語(ランガージュ)について語ることによって、批評は言語(ランガージュ)をその存在(エートル)の侵入にさらしたまま、それがもつ秘密に向って言語(ランガージュ)に問いかけることにより、註釈は先住するテクストの急峻な斜面のまえで足をとめ、その誕生の過程をみずからのうちで反復するという、不可能な、しかもたえず更新される任務をみずからに課す。註釈は言語(ランガージュ)を神聖化するのである。言語(ランガージュ)が自己とのあいだに関係を設ける際のこの二つの仕方は、これ以後たがいに拮抗することとなり、今日のわれわれもそのような状態から脱けだしてはいない。それどころか、この拮抗はおそらく日々強まりつつあるのだ。
すなわち、マラルメ(注:十九世紀フランスの象徴派の詩人)以来、批評の特権的対象である文学は、その存在(エートル)自体における言語(ランガージュ)にふたたび接近をつづけ、そうすることによって、もはや批評ではなく註釈の形態をとる二次的言語(ランガージュ)を誘発しているのである。そのうえ、実際のところ、十九世紀以来のあらゆる批評的言語(ランガージュ)は、古典主義時代の釈義が批評的方法をとりいれたのにいささか似て、釈義の作業を引きうけている。しかしながら、われわれの文化において、言語(ランガージュ)の表象にたいする依存が解消するか、すくなくとも回避されないかぎり、あらゆる二次的言語(ランガージュ)は批評から註釈かの二者択一を迫られるであろう。そしてそれは、不決断のまま無限に増殖をつづけるにちがいないのである。
<参考>
マラルメの象徴派(サンボリズム)の詩に、言語の原点に向かうベクトルをフーコーは見ている。しかし、言語そのものに迫る行為(創作)は、言語により成立する文学以前のものに近似してしまうため、さらにもう一度そこから文学的創作活動をすることになる。しかし、そうした生まれたものは文学ではなく、(言語に対する)批評あるいは註釈になってしまうと、フーコーは言う。そこに現代文学の不毛性があるように思う。
P.128 第4章 語ること 四 分節化
さらに音節以下の文字そのものまでも検討するならば、そこでもまた命名の原基が採集できるであろう。クール・ド・ジュブランはきわめて巧みにそれをおこない、それが、きわめてはかないものだったとはいえ、彼の最大の名誉となった。「唇の接触はもっとも容易であり、もっとも柔らかく優雅でもあるので、人間が知る最初の存在、彼を取りかこみ、彼がそれらにすべてを負うところの存在を指示するのに役立った」(パパpapaとかママmamanとか接吻baiserとか)。
反対に、「歯は唇が柔らかくしなやかであるのとおなじほど固く、そこから出る響きは、強く、大きく、騒々しい。・・・《雷が鳴る》(tonner)、《鳴り響く》(retentir)、《驚かす》(etonner)は、歯の接触によって発音され、《太鼓》(tambours)、《ティンパニ》(timbales)、《ラッパ》(trompettes)もおなじようにして指示される。」母音もまた孤立させられると、慣用によって忘れられていた太古の名詞の秘密を明かすだろう。Aは所有(持つavoir)、Eは実在(existence)、Iは力(puissance)、Oは驚き(まるく見開いた眼)、Uは湿気(humidite)、したがって体液(humeur)をあらわす。(原註:クール・ド・ジュブラン『言葉の博物学』1816年)
<参考>
ここには古典主義時代の言語研究の面白さが紹介されている。しかし、この事例はフランス語に限定したものであり、広く世界の言語にそのまま適用できるものではない。他方、f音やp音は、風の音を表現することでほぼ共通しており、フランス語を基にして世界の言語と比較してみることは可能だろう。
P.131 第4章 語ること 五 指示作用
したがって人間は、他人が発するのを聞く叫びやその顔に知覚される歪みに、それまで何度か彼自身の叫びや動作にともなって生じたことのある同一の表象を結びつけることができるであろう。彼はそうした仕ぐさを、他人の思考の標識および代替物として受けとることができる。つまり、記号(シーニュ)となった身振りや音に通常結びつけている感覚、欲求、苦痛を、相手のうちに生じさせることもできるだろう。すなわち彼は、他人のまえで、ある対象に向って、故意に叫びや純然たる感投詞を発するわけである。記号(シーニュ)のこうした意図的用法(それはすでに表現である)とともに、言語(ランガージュ)のような何ものかが生れかけるのだ。
<参考>
ここには、人間の言語の発生過程についての考察がある。言語は、他者の発する音とその反応を記憶することにより、自ら同じ音を発して同じ反応を他者に理解させることから始まったのかも知れない。
P.138 第4章 語ること 六 転移
十八世紀に定義されていたような進歩というものは、根源において、歴史の内部におけるひとつの運動ではなく、空間と言語(ランガージュ)との基本的関係の結果なのだ。「言語(ランガージュ)と文字表記の恣意的な記号(シーニュ)は、人間にたいして、自己のもつ観念を確認し、それらの観念を、各世紀の発見によってしだいに増大する遺産とともに他人に伝達する手段を賦与する。そして、起源このかたの人類は、哲学者の眼には、各個人とおなじく、それ自身幼年期と進歩とをもつ膨大な全体と映るのである。」(原註:テュルゴ『人間精神の継起的進歩の表』1750年)言語(ランガージュ)は、時間のたえざる断絶に空間の連続性をあたえる。
そして、言語(ランガージュ)が時間をとおして物の認識を連続させる力をもつのは、まさにそれが表彰を分析し、分節化し、裁断するからにほかならない。言語(ランガージュ)とともに、空間の雑然たる単調性が区分され、他方、継起的事象の多様性が統一されるのだ。
<参考>
十八世紀における進歩の意味とは、(我々が一般的に理解している)歴史の中の運動ではなく、言語を通して空間と物を区分し、また統一し、さらに継続していくことであると、フーコーは述べている。
P.146-7 第4章 語ること 七 言語(ランガージュ)の四辺形
いまや、古典主義時代の経験における言語(ランガージュ)の強固で緊密な統一性が何であるか、把握することができるだろう。言語(ランガージュ)とは、分節化された指示作用の仕組みによって、類似を命題的関係のなかにおさめるものである。つまり、《ある(エートル)》という動詞を基礎とし《名》の綱目によって顕示される、同一性と相違性の体系のなかにおさめるのだ。古典主義時代における「言説(ディスクール)」の基本的任務は、《物に名を付与し、この名において物の存在(エートル)を名ざす》ことである。二世紀にわたって西欧の言説(ディククール)は存在論の場であった。つまりそれは、表象一般の存在(エートル)を名ざすとき、哲学、すなわち認識の理論及び観念の分析であり、表象された個々の物に適切な名を付与し、表象の場全域にわたって、「よくできた言語(ラング)」の綱目を張りめぐらすとき、学問――すなわち、名称体系と分類法――だったわけだ。
<参考>
物に名を付すととともにそれらを分類することが、そのまま認識及び分析となり、そうして作り上げたものが学問となっていたのが、古典主義時代の思想であったとフーコーは述べている。
P.183 第五章 分類すること 七 自然の言説(ディスクール)
自然は名称の格子をとおしてしか与えられない。そして、そのような名がなければ無言で目に見えぬままにとどまるはずの自然は、自然を知にたいして提供し、それを言語(ランガージュ)によってすみずみまで貫通されたかたちでしか目に見えるものとしない、この碁盤目の彼方にたえず現存しながら、それらの名のはるか背後できらめいているのだ。
古典主義時代の博物学が生物学として成立することができなかったのは、おそらくこうした理由にもとづくのであろう。じじつ、十八世紀末まで、生命というものは実在しない。ただ生物があるのみだ。生物は、世界のあらゆる物の系列のなかで、ひとつの分類階級、というよりむしろいくつかの分類階級を形成している。
<参考>
十八世紀末まで、(人間の言語概念には)生物はあっても生命はなかったという。その理由は、自然に対して言語によって名称を付与する行為が不十分だったということにあると、フーコーは述べている。
P.210 第6章 交換すること 四 担保と価格
スペインの失敗はこうした説明がつくだろう。つまり、おおくの鉱山を手に入れたため通貨量――その結果として物価――が急激に上昇し、この原因からこの結果が生ずるまでのあいだに、工業、農業、人口が、それに釣りあうだけ発展し増加する余裕がなかったのである。アメリカの金がヨーロッパに拡がり、そこで商品を購入し、製造業を発展させ、小作地を豊かにする一方で、スペインがかつてないほど悲惨な状態におちいったのは、まさに避けがたいことであった。これに反してイギリスでは、たとえ金属を誘致したにしても、それはつねに、住民のたんなる奢侈ではなく労働を益するため、すなわち、いかなる物価高騰も起らぬうちに、自国の労働者数と生産量を増大させるためであった。
<参考>
大航海時代に覇者となったスペインが、新大陸からの大量の金貨(金属)を得たのにもかかわらず、その後没落してしまった理由は、我々は学校の教条的な歴史教育によってたんに大英帝国との戦争に負けたためと教えられている。しかし、私はこの理由にずっと満足できないものがあったが、このフーコーの説明によって初めて納得のいく説明が聞けた。つまり、スペインは金貨の効率的利用に失敗したが、大英帝国は労働者数と生産量の増大にうまく使ったため、トラファルガー海戦は、海軍力ではなく経済力によって勝敗が決まったのだ。
P.224-5 第6章 交換すること 七 全体的な表(タブロー)
古典主義時代の思考にとっては、博物学の体系および貨幣あるいは商業の理論を可能ならしめる条件は、言語(ランガージュ)そのものを可能ならしめる条件と同一であると言うことができるだろう。これは二つのことを意味している。第一に、古典主義時代の経験にとって、自然界の秩序と富の秩序とは、語によって顕示される諸表象の秩序と同一の存在様態をもつということ。第二に、物の秩序をあきらかにするという点で、語は充分に特権的な記号(シーニュ)体系を形成しており、博物学はできのよいものとなった場合にのみ、そして貨幣はよく調整された場合にのみ、言語(ランガージュ)と似た機能をはたしうるということだ。記号(シーニュ)、そしてとりわけ語は、《タクシノミア(注:分類学)》にたいして、代数学が《マテシス(注:学の統一)》にたいして占めるのとおなじ位置を占める。すなわちそれは、物の秩序を成立させ、それを明瞭なかたちで顕示するのである。
<参考>
古典主義時代に隆盛を見た博物学と貨幣及び商業の飛躍的な発展の根底には、言語と記号という二つの概念が重要であったと、フーコーは述べている。一見博物学も商業も、言語とは無関係なものに思えるが、それらを構成し前進させるものの基盤は、言語であり、言語の発展なのである。
P.276 第八章 労働、生命、言語 二 リカード(注:デヴィット・リカード。十八から十九世紀に活躍した英国の経済学者。近代経済学の創始者とされる。)
労働のなかに、そしてその労働のきびしさそのもののなかに、基本的な欠乏を否定し、一時的に死に打ちかつ唯一の方法を指示しもする。経済の実定性は、このような人間学的窪みのなかに宿るのである。《ホモ・エコノミクス》とは、彼自身の必要、そしてその必要を満足させる品物を、みずからのうちで表象する人間ではない。さし迫った死から逃れるため、その生涯を通し擦りへらし失っていく人間にほかならない。それこそ有限の存在なのだ。
カント以後、有限性の問題が表象の分析(それはもはや有限性との関係において派生したものでしかありえない)よりより基本的なものとなったのとまさしくおなじように、リカード以後、経済学は、多少とも明瞭なやり方で、具体的諸形態を有限性にあたえようとこころみる、ひとつの人間学に基礎をおくわけである。十八世紀の経済学は、可能なあらゆる秩序に関する一般的学問としての《マテシス(注:学の統一)》とかかわったが、十九世紀の経済学は、人間の自然的有限性についての言説(ディスクール)としての人間学に依拠することになろう。
<参考>
経済学と言えば、哲学や言語学とは遠い別の存在に思えるが、一方では、人間の自然的有限性に関する学説としての人間学によって成立していると、フーコーは主張する。結局、どんな学問であれ人間が行うものは、その根底には哲学と言語学が必要になるのだと思う。
P.320-1 第八章 労働、生命、言語 五 客体となった言語(ランガージュ)
言語(ランガージュ)の水平化にたいするもっとも重要な、またもっとも思いがけない最期の代償は、文学の出現である。つまり、現にあるようなかたちでの文学のことだ。というのは、ダンテ以来、いやホメロス以来、まさしく西欧世界には、今日われわれが「文学」と呼んでいる言語(ランガージュ)の一形態が実在してきた。しかし、「文学」という語は、新しい日づけを持つものであって、それはちょうど、われわれの文化のなかで、その固有の様相が「文学的」であることにほかならぬ独異な言語(ランガージュ)の分離が、最近のことであるのと同断である。
つまり、十九世紀のはじめ、言語(ランガージュ)が客体としての厚みをもつにいたり、はしからはしまでひとつの知によってつらぬかれた時代に、言語(ランガージュ)は他の場所で、その誕生の謎に折りかさなり、書くという純粋行為に完全に依拠する、近よりがたい独立した形態のものに再構成された。文学、それこそ文献学(とはいえ文学はその双生の形象である)にたいする異議申し立てであって、文学は言語(ランガージュ)を文法から話すというむきだしの力につれもどし、そこで野生の傲然たる語の存在(エートル)に出会うのだ。
<参考>
フーコーは、ここに現代文学の誕生を見ている。現代文学は、「野生の傲然たる語の存在」に出会うことで、文学は言語を文法から引き離すというのだ。文法から引き離された言語のひとつの実験として、後段でフーコーは、サンボリズムとシュールレアリズムを提示する。
P.328 第九章 人間とその分身 二 王の場所
十八世紀以前に、《人間》というものは実在しなかったのである。生命の力も、労働の多産性も、言語(ランガージュ)の歴史的厚みもまた同様だった。《人間》こそ、知という造物主がわずか二百年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったく最近の被造物にすぎない。けれども《人間》は、すみやかに老化したがゆえに、数千年のあいだ物陰でおのれのついに認識されるであろう照明(注:原文通りだが、「証明」の間違いか?)の瞬間を待ちつづけていたかのように、容易に想像されるのであった。
<参考>
先に「生命」という概念がなかったというのと同様に、ここでは「人間」という概念も二百年前に誕生したのだと、フーコーは述べる。「人間」とは、現在の我々には自明なもの――例えば、デカルトの「我思う、故に我有り」と同様のもの--であると見られているが、実は、言語によって創造された新たな概念であり、また後述するように、人間が作り上げたものであるために、その消滅も早いということになる。
P.331 第九章 人間とその分身 二 王の場所
本質的帰結は、表象と物とに《共通な言説(ディスクール)》としての古典主義時代の言語(ランガージュ)、その内部で自然(ナチュール)と人間の本性(ナチュール)とが交叉する場としての古典主義時代の言語(ランガージュ)が、「人間科学」となるであろうような何かを絶対に排除したという一事であろう。このような言語(ランガージュ)が西欧文化のなかで語りつづけるかぎり、人間の実存がそれ自体として問題とされることは可能ではなかった。言語(ランガージュ)のなかで結びつけられていたのは、表象と存在だったからである。言説(ディスクール)は――十七世紀に、それを企てる者の「われ思う」と「われあり」をたがいに結びあわせたあの言説(ディスクール)[訳注:デカルトの『方法叙説(ディスクール・ド・ラ・メトード)』のこと]は、目に見えるかたちで、古典主義時代の言語(ランガージュ)の本質そのものでありつづけた。正当の権利をもってそのなかで結ばれていたのも、やはり表象と存在だったからだ。
<参考>
ここでは、「表象」と「存在」が「我思う」と「我有り」として、結び付けられていると、フーコーは述べている。そこに、古典主義時代の言語の限界があったようだ。
P.338 第九章 人間とその分身 三 有限性の分析論
実際のところ、さまざまな知のレベルにおいては、具体的人間と、その実存にたいして指定することのできる経験的諸形態とから出発して、有限性がつねに指示されるとしても、ひとつひとつの知の歴史的で一般的なア・プリオリ(注:先験性)を発掘する考古学的レベルにおいては、近代の人間――肉体をもち、勤勉で、話すという実存として指定されうるあの人間―-は、有限性の形象としてしか可能ではあるまい。近代文化は、有限のものをそれ自身から出発して思考するがゆえに、人間を思考することができるのである。
<参考>
ここで、「人間」という概念を認識するためには、その「有限性」を出発点にしなければならないと、フーコーは述べている。そして「有限」であるということは、永遠に継続することはなく、いつかは消滅する運命にあると見なせる。
P.342 第九章 人間とその分身 四 経験的なものと先験的なもの
つまりわれわれは、最近あらわれたばかりの人間というものの明白さにすっかり盲目にされてしまっているので、世界とその秩序と人々が実在し、人間が実存しなかった、それでもそれほど遠くない時代を、もはや思い出のなかにとどめてさえいないのだ。ニーチェが、切迫した出来事、<約束=威嚇>という形態のもとに、人間はやがて存在しなくなるであろう――超人のみが存在することになるのだと告げたとき、ニーチェの思考がわれわれにたいして持ちえた、そしてなお持ちつつある震撼力が、いまは理解されるであろう。
それこそ、人間はすでにだいぶ以前から消滅してしまい、現に消滅しつづけており、人間についてのわれわれの近代の思考、人間にたいするわれわれの心づかい、われわれの人間主義(ユマニスム)というものは、轟きわたる人間の非在のうえで、のどかに眠りほうけているという一事を、<回帰(注:ニーチェの「永劫回帰」思想)>の哲学のなかで言おうとしたものにほかならない。
<参考>
ここに、フーコーのニーチェ論がある。ニーチェの「永劫回帰」思想とは、もともと存在していなかった人間が作り出された後、現在は既に消滅しているのにも関わらず、人間という概念に固執することから飛躍する――超人に進化する――ということになる。
P.346 第九章 人間とその分身 五 コギトと思考されぬもの
したがって現象学は、西欧の古い合理的目標の回復というよりははるかに、十七世紀と十八世紀の曲がり角で近代の《エピステーメー(注:知識)》に生じた大きな断絶の、きわめてはっきりとして辻つまのあった公正証明にほかならない。現象学につながっていくものといえば、それは生命と労働と言語(ランガージュ)の発見であり、また、人間という古い名のもとに、いまからまだ二世紀とたっていない以前にあらわれたばかりの、あの新しい形象であり、人間の存在様態とその思考されぬものへの関係とについての問いなのである。
<参考>
ここには現象学とは何かに対する、フーコーの一つの答えがある。生命と労働と言語、そしてそれらを行う人間を発見した歴史を掘り起こし、人間とは何かとその有限性の先にあるものは何かを考察することであると、フーコーは述べている。
P.347 第九章 人間とその分身 五 コギトと思考されぬもの
思考されぬものは(それにあたえられる名がどのようなものであれ)、人間のなかに、縮まった自然として、あるいはそこに層をなす歴史として、宿るのではない。それこそ、人間との関係においては<他者>なのである。人間から生まれたのでも人間のなかに生れたのでもなく、わきに、同時に、同一な新しさ、どうにもならぬ二重的存在として生まれた、兄弟で双子の<他者>である。
<参考>
「思考されぬもの」とは、人間の有限性の外にあるものの意味であろう。それは、「兄弟で双子の」他者であるとフーコーは言う。他者であるということは、自ずと我=自分と相対している存在になり、また我を自立させる対象でもあるから、この「思考されぬもの」は、自ずと人間が人間として存立するために必要なものとなるだろう。
P.348-9 第九章 人間とその分身 五 コギトと思考されぬもの
思考が思考するやいなや、思考は傷つけるか和解させ、近づけるか遠ざけ、分離させ、結びつけるか結びなおす。それは、解放し、そして隷属させざるをえないのである。未来を指定し、素描し、なさねばならぬことを言う以前にさえ、思考は、その実存とすれすれのところにあって、もっとも初期のその形態をとるやいなや、それ自身行動――危険な行為――となるのだ。
サド、ニーチェ、アルトー、バタイユは、そのことに無知であろうと望んだすべての人々にかわって、そのことを知っていた。しかもまた、ヘーゲル、マルクス、フロイトも知っていたことはたしかだ。政治的選択なしに哲学はなく、あらゆる思考は「進歩的」か「反動的」だと断言する人々は、ぬきさしならぬ愚かさゆえそのことに無知であると言えるであろうか?彼らの愚劣さは、いかなる思考もひとつの階級のイデオロギーを「表現する」と信じて疑わぬことにある。彼ら自身気づかぬその深淵さは、彼らがはっきりと思考の近代的存在様態を指示しているところにあるのだ。表面的には、人間についての認識は、自然の学と異なって、もっとも曖昧な形態のもとでさえ、つねに倫理ないし政治とつながっていると言えるかもしれない。しかし、基本的には、近代の思考は、人間にとっての<他者>が人間と<同一者>になるにちがいないあの方向へ歩んでいるのである。
<参考>
「人間と他者が同一の者になる方向」となんだろうか?「他者」が「有限性」と解釈すれば、人間が有限性の彼方へ行くということになる。しかし、その人間自体は既に消滅しえいるのだから、有限性の彼方に進む存在はいないということになってしまう。
P.363 第9章 人間とその分身 八 人間学的眠り
人間学の場を横切り、それが言表するものから出発してそこから身をはなし、純化された存在論、あるいは存在に関する根源的思考を再発見することが問題になろうと、あるいは、心理主義や歴史主義のほか、人間学的偏見のあらゆる具体的諸形態を回路のそとにおくことによって思考の諸限界を問いなおし、そうして理性の一般的批判の投企とふたたび結びつこうとこころみようと、ともかく、あらたに思考するためのすべての努力が、まぎれもなく人間学の「四辺形」を攻撃するという一事だけはあきらかなのだ。現代の思考がたぶんそこに捧げられている、<人間学>のこの根こぎの最初の努力は、おそらくはニーチェの経験のうちに認めなければならないだろう。文献学的批判をとおして、生物学主義のある種の形態をとおして、ニーチェは、人間と神とがたがいに相互のものとなり、後者の死が前者の消滅の同義語であり、超人の約束がまず何よりも人間の死の切迫を意味する、そのような点を再発見したのであった。
<参考>
ニーチェが、有限性の向こうへ行くための存在として、超人を発見したということになる。そして超人とは、神と人間が相互の存在になったものと規定している。しかし、神は既に死に、人間は消滅しているのだ。そこから先への道のりを担うのが、超人なのだろう。
P.369 第10章 人文諸科学 一 知の三面角
「人間学化」は、今日、知の内部における最大の危険なのだ。人間がみずからは創造物の中心にも、空間の真中にも、おそらくは生命の頂点とその最終的段階にさえもいないということを発見して以来、人間は自分自身から解放されたのだと、人々は容易に信じこんでいる。しかし、人間がもはや世界の王国の至上のものでもなく、存在の中央にももはや君臨しないとすれば、「人文諸科学」は、知の空間における危険な中間物であるにちがいない。けれども実際のところ、こうした立場そのものが、人文諸科学を本質的不安定性に捧げているわけだ。
<参考>
人文諸科学――具体的には、哲学と文学だろう――は、危険な中間物であり、それ故に本質的不安定なものになっていると、フーコーは言う。また、「人間学化」を担うのは、人文諸科学であるから、そこには不安定な危険しかないということなのだろうか。
P.374 第10章 人文諸科学 二 人文諸科学の形態
人文諸科学は、人間は本性において何であるかの分析ではなく、むしろ、人間がその実定性においてそうであるところのもの(生き働き話す存在)と、そのおなじ存在にたいして、生命とは何か、労働の本質とその諸法則とは何に存しているか、どのようにして話すことができるのか、知ること(もしくは知ろうとつとめること)を可能にするものとの、その二つのもののあいだを覆う分析である。したがって人文諸科学は、生物学、経済学、文献学を、人間の存在(エートル)そのもののなかでそれらに可能性をあたえるものから引きはなす(もっともこの三者に結びついているわけだが)、あの隔たりのなかに位置を占めている。
<参考>
人文諸科学の立ち位置をここでフーコーは説明している。つまり、生物学、経済学、文献学を人間の存在から引き離すその「隔たり」の中にあると言うのだ。神は死に、人間が消滅したのなら、これらの学問を担う人間は不在となってしまう。しかし、不在であるからこそ、これらの学問は不在の人間から引き離さねばならないのかも知れない。
P.401 第10章 人文諸科学 五 精神分析、文化人類学
なぜなら、文化人類学と精神分析は、人間のなかにおいて意識のしたにあるものに到達するからではなく、人間のそとにあって、その意識にあたえられるものは何か、その意識を逃れるものは何か、実定的知によって知ることを可能にするものを目指しているからである。
(中略)
精神分析と文化人類学は、そんなわけで、他のものと同列におかれる人文科学ではなく、人文諸科学の全領域を通覧し、その全表層にわたってそれを活気づけ、あらゆるところにみずからの概念を広め、あらゆる場所にみずからの解読の諸方法と諸解釈とを提示することができる。いかなる人文科学も、この二つを免れ、この二つが発見しえたものから完全に自立し、どのようなやり方にせよ、この二つにたしかに依存しないと確信することはできない。
<参考>
フーコーは、消滅した人間というの概念の代わりとして、精神分析と文化人類学に期待しているようだ。この二つの学問は、それほど強い力を持つのだろうか?おそらく、本書が書かれた当時には、そうした期待感があったのだろう。しかし、二十一世紀の現在では、この二つの学問も、人文諸科学の世界で衰頽しているように見える。やはり、死んだ神と消滅した人間に代るものは、超人しかいないのではないか。そして、超人とは、精神分析も文化人類学も及ばない領域にあるのではないか。
P.405―6 第10章 人文諸科学 五 精神分析、文化人類学
今日の文学が言語(ランガージュ)の存在(エートル)によって魅惑されているということ――それは終焉のしるし(シーニュ)でも、根源化の証拠でもない。それこそ、その必然性を、われわれの思考とわれわれの知のすべての脈網の描かれている、ひじょうに広大な布陣のなかに根づかせている一現象にほかならない。
(中略)
言語(ランガージュ)として経験され踏破される言語(ランガージュ)の内部から、その極点にまで伸ばされたその可能性のたわむれのなかで告示されるもの、それは、人間が「有限なもの」であり、ありうべきあらゆる言葉(パロール)の頂点にいたるとき、人間が到達するのは彼自身の中心にではなく、彼を制限するところのものの縁、すなわち、死がさまよい、思考が消滅し、起源の約束が無制限に後退していくあの領域にである、ということだ。
文学のこの新しい存在様態は、アルトーやルーセルのそれのような作品のなかで――しかもアルトーやルーセルのような人々によって――解明されなければならなかった。(注:アントナン・アルトーは、二十世紀初頭のシュールレアリズムの詩人・小説家・俳優・演劇家で、革新的な演劇を創造したが、常時精神病に悩まされていた。レーモン・ルーセルは、十九世紀末から二十世紀初頭の詩人・小説家で、ダダイストやシュールレアリストに作品が高く評価された。)
<参考>
フーコーは、アルトーやルーセルの作品に、文学としての新たな言語の領域を見いだしている。しかし、フーコーの慧眼とは裏腹に、アルトーもルーセルも、現在では忘れられた存在になっている。やはり、そこには多くの不可能事が存在しているようだ。
P.409 第10章 人文諸科学 五 精神分析、文化人類学
かつて人間は、言語(ランガージュ)の二つの存在様態のあいだにおける一形象にすぎなかった。というよりもむしろ人間は、表象の内部に宿り表象のなかに解消させられたかに見えた言語(ランガージュ)が、細分化されたかたちにおいてのみ表象から解放されたとき、はじめて成立したものにすぎなかった。
<参考>
人間とは、言語の内部において、表象から解放されたときに成立した概念だと、フーコーは述べる。また、言語が表象から解放されることとは、人間がそれ自体として認識されることだろう。しかし、人間と言語が密接につながっていることは動かしがたい。そして、その人間が消滅することは、同時に言語も消滅することになり、そこから先の文学の世界は、人間も言語もない世界となってしまうだろう。現代文学が不毛である所以は、ここにあるのかも知れない。
P.409 第10章 人文諸科学 六
人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。
もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれがその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが十八世紀の曲り角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば――そのときこそ賭けてもいい、人間は浪打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。
<参考>
本書の結語は、「人間が消滅することの予言」で終わっている。一方、ここまで本書を読み解いていくと、「人間は既に消滅している」のだと読み取れる。一体、フーコーはどちらを言いたいのだろう。私は、「既に消滅している」という理解を取りたい。それは、とっくにニーチェが神の死とともに宣言しているからだ。ただし、それは形而上学だけの話とすれば、形而下の現世界で人間が消滅するのは、これから先なのかも知れない。
そう考えると、二十一世紀に入ってからのコンピューターの発展、とりわけ人間にとって代わるAIの存在と、強度が増すばかりの人間のAI依存傾向を見ると、今現在こそ、形而下での人間の消滅が起きている瞬間なのだと思える。そう二十二世紀には、人間は名実ともに消えているのだ。
*最後に、書評とは関係ないかもしれないが、ベラスケスの「ラス・メニーナス(侍女たち、女官たち等多種の翻訳あり)」についての、私論を述べさせていただく。
本書冒頭の「侍女たち」の章における、このベラスケスの絵画を分析するフーコーの手腕は見事なもので、若い頃の私も、この箇所でフーコーに敬服してしまったのだが、今改めてこの絵画を見ると、昔とは異なった感想を持つようになった。
簡単に言えば、奥のドア付近にいる臣下の一人と中間にいる道化師と臣下は、この絵を描いているときにいた人物をリアルに描いていると思うが、しかし、前景に描かれているマルガリータ王女と侍女たちは、その身体の姿勢や視線、絵の具の乗り具合から考えると、後から、つまりこの絵画を完成させた後に、別に描いておいたデッサンを基に描き足したのではないかと思う。一方、一番前にいる茶色の犬は、臣下や道化師と同様に最初からその場所にいて描かれていたと思う。
従って、この絵を完成させる前に描かれた国王夫妻の絵(つまり、ベラスケスが本来描いていた国王夫妻をモデルにした絵だが、ウィキペディアによれば、該当する絵は見つかっていない由)を描いたときに、画家とともにいたのは、犬と道化師と臣下二人だけだったのだ。しかし画家は、国王夫妻の絵を完成させた後、自らの愉しみとしてこの絵画を描こうと考えた。そして、当時は対象に王家の者がいない絵画は認めれられない(画家は王の庇護にあった)から、後から王女と侍女たちの姿を描き足したのだ。
しかし、もともと自らの愉しみに描いた作品であるから、敢えて王家の者(タイトルになり得るのは、「マルガリータ王女」であろう。なお、ウィキペディアによれば、目録には「家族」という名で記録されていた由)を対象にしたということに言及せずに、「侍女たち」という題名に故意にしたのではないか、と私は考えている。題名に王家の名を入れなかったことに、画家としての矜持(プライド)が示されているのだ。そう、そのプライドとは、ベラスケスが、自身を画家という「人間」として発見したことに起因するのかも知れない。
<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、論文などをまとめたものです。>
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