見出し画像

<書評>『現代思想 特集=サルトル ある時代の終焉』

『現代思想 特集=サルトル ある時代の終焉』1980年7月号 青土社。

『現代思想 特集サルトル』

 1980年4月15日、ジャンポール・サルトルが死去したことを踏まえて、日本の様々な階層の知識人から、サルトルについての個人的思い出などを中心に短文を集めて編集したもの。その多くは、自分のサルトル体験を共産主義運動と絡めて述べている。その中でいくつか面白い箇所があったので、その大意を紹介したい著者名の次の( )は著者の肩書で、次の「 」が短文の表題である。


(1)阿部良雄(フランス文学者)の「主観的人間」

 1966年にサルトルとボーヴォワールが初来日する際に、フランスにいてその下(事前)準備をしたのがこの阿部氏であり、同氏はフランス政府(の在日大使館)から給費を得てパリに滞在していた。阿部氏は、(サルトルとボーヴォワールを招待した)日本の人文書院からの要請でサルトルとの接触を図ろうとしていていたが、なかなか接触ができなかった(一介の日本からの留学生が、フランスの著名人といきなり連絡が取れるはずはない)。どうにか苦労の末、「サルトルの娘」と接触できる(当時、サルトルに子供がいるとは誰も知らなかった)。彼女はアルジェリア出身の養女で、阿部氏の申し出を受けて、快くサルトルに取り次いでくれたそうだ。

 その後、サルトルからの返事の手紙が阿部氏の元に来たのだが、通常航空便にするものを二ヶ月もかかる(安価な)船便で送ってきたそうだ。つまり、サルトルはケチだった(あるいは、典型的かつ伝統的フランス人として、日本を馬鹿にしていた)のである。なお、サルトルは親しみやすい人柄であったようだが、ボーヴォワールは、高尚なフランス語を屈指するインテリで、しかも東洋人を明らかに見下していたそうだ。たぶん、彼女は日本へ行きたくなかったのだろう。

(2)高橋康也(英文学者)「サルトルとベケット」

 私は、サミュエル・ベケットを大学の卒論にしたくらいに大好きな作家なのだが、この高橋康成という人は、日本におけるベケット研究の第一人者で、多くのベケット論を出している。高橋氏の短文によれば、1928年頃、ベケットとサルトルはアルフレッド・ペロンの紹介で知り合っていたそうである。その由来は、1926年にエコール・ノルマル(高等師範学校)の優等生であったペロンが、フランス語講師としてダブリンのトリニティ・カレッジ(アイルランドでトップの大学)に来て、フランス語学ぶ学生のベケットと知り合う。その後1928年に、今度は優等生であるベケットが、英語講師としてエコール・ノルマルに来る。そして、ペロンとともにパリにいたジェイムズ・ジョイスの文芸サークルに入り、ここでサルトルと知り合ったそうである。

 その後、ベケットは、自作小説を雑誌レ・タン・モデルヌ(意訳:現代という時代)』を発行していたサルトルに送ったのだが、サルトルは関心を見せなかったそうだ。サルトルの文学観からは、ベケットは理解できなかったのだと思うし、サルトルの文学作品とベケットの作品はベクトルが全く違うから、理解されなくて当然だったと思う。

(3)川本三郎(評論家)の「六〇年代末期のサルトル体験」

 ここに紹介されている、サルトルの「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?」という問いに対して、当時学生運動に参加していた川本氏が愕然としたことが書かれている。そして、この問いに対して、大江健三郎が「ぼくは、<飢えた子供がいる時に・・・>という考え方の極に定住することはできないし、個人的な自己救済の極に定住することもできない。そのあいだをつねにフリコ運動しているという感覚が、ぼくにとってもっとも普通な作家としての感覚だ」と答えたことに、「ホッと一安心した」と書いている。

 当時の特に東大の学生の心境を想像することは、私にはとうてい無理だが、このサルトルの無理難題にしか思えない問いかけを、生真面目に受け取っていたことはある程度想像できる。無理難題と私が敢えていったのは、これは次元の異なることを同じ次元で論じている上に、さらに感情に訴えることを混淆している問いかけであり、これにまともに答えられる人はまずいないと思うし、いないのが自然だと思う問いだからだ(またここに、サルトルのいやらしさと欺瞞があると思う)。

 なぜなら、「飢えた子供」という前提は、なによりも即物的(形而下)な対象であり、形而上的な思索の対象ではない。次元が異なるこの問いかけに対しては、形而上的な回答は不可能であり、形而下のものとして回答するしかない。そのため、「何が有効なのか?」と問いかけるのであれば、その答えは「食物を与える」という以外にはありえない。それを、文学などの形而上的概念を持って来て、有効か否かと聞くことは全くのナンセンスである。

 この言葉足らずのナンセンスを、敢えて好意的に理解するとすれば、「飢えた子供に対して食料を与えること以外に、文学は有効なのか?」と演繹することはできる(しかし、これに対する回答は、どういうものであれ正論にはなりえない)。この前提を踏まえれば、文学を担う知識人や文学に親しむ学生にも、答えを考えるための問いかけに変換ができる。そして、食料を子供に配布する社会機構そのものに文学は直接関与していないのだから、この社会機構を運営している人たちに対して、文学は有効か否かという問いに変換していくことになる。

 ここまでサルトルの無理難題を展開できれば、なんとか答えを出しやすくなる。そしてそれは、「有効」という答えになると思う。文学の持つ力は、社会機構を運営する人たちに加え、その恩恵を受ける人たちにも影響することができる。今そこにいる飢えた子供に食料を与えることは、当然文学という概念からは即物的に不可能だが、文学が社会機構に影響することで、間接的に飢えた子供に食料を与える機会を多くすることは、十分可能だと考えるからだ。

 もちろん、文学とは、飢えた子供に食料を与えることや社会機構に影響を与えることだけが、その目的ではない。しかし、「社会参加する文学者」であるサルトルに対する答えとしては、以上の文脈から「出来る」と答えれば良いと私は思っている(当然、サルトルもそう考えて「社会参加」したのだと思うが、歴史はサルトルの無残な敗北を示しているのは、なんとも皮肉なことだ)。

(4)西部邁(経済学者)「サルトル雑感」

 保守の論客でもある西部氏が、文学者サルトルと政治家スターリンを同列に語るのが特に面白いので、その一部を以下に抜粋する。

「その否定の一貫ぶりは、自信たっぷりに断定する勇気が欠けている私には珍しいことで、そんな口吻になれるのはほかにはスターリンについての雑談の場合くらいのものである。」
「スターリンとサルトルの語り口はむろん正反対といってよい。両方の文体は余りの平板・簡明(注:スターリン)に対して余りの屈折・晦渋(サルトル)といったところであるが、しかし、メルロー・ポンティに悪乗りさせていわせてもらうと、ウルトラ・ボルシェヴィズムという点で同根と見えた。」
「サルトルの訃報を聞いて、彼の人生は空しいものであったと私は思う。」

 西部氏に言わせれば、サルトルは、スターリンと同様の厭うべき共産主義者であったということに尽きるのだろう。そうした理解に対して、私も親近感を持っているが、サルトルを単なる共産主義思想家とくくってしまうには、多くの文学作品があるのでなかなか難しい。また、『存在と無』という哲学書もあり、20世紀後半に流行した実存主義を研究した哲学者としての側面を併せ持っている。

***

 以上のような様々な短文が掲載されていたが、全文を読んだ感想としては、(サルトルについては今後さらに様々な評価が出てくるのだろうが)彼の主張した「社会参加(アンガージュマン)」については、私はどうしても同意できないということに尽きる。もちろん、政治活動家あるいは社会活動家ということであれば、当然社会参加は必須のものであるが、文学者・哲学者・学者・芸術家は、必ずしも社会参加を求められるものではないし、また自らの思想や芸術のために社会参加が必須であることは決してないと私は考えている。むしろ、社会から隔絶した書斎の中で読書と創作に勤しむ姿こそが、文学者・哲学者・学者・芸術家の本来の姿ではないかと私は思っている。

 こう考えると、サルトルとは、中途半端な社会活動家であり、また熟成できなかった文学者であったのではないか。それは、日本の戦後の知識人の多くに共通するように見えるのが、私には意外と面白いのだが、この「中途半端さ」は、現在では知識人以外のメディアに登場する多くの人種に蔓延しているのだから、この仮称「サルトル病」はかなり感染力の強い病気らしい。


<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、海外都市の印象をまとめたものです。>



いいなと思ったら応援しよう!

きーやん(木下裕治) しがない年金生活の一方、健康状態の関係から身体を使う仕事は難しいため、趣味と実益を兼ねてnoteに様々な投稿をしています。皆さまからの私の投稿へのご支援をいただけることは、今後さらに多種多様な投稿を継続していくことにつながりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。