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美容は、ただきれいになるためのものじゃない|自分を雑に扱っていませんか?

「ちゃんとスキンケアしてるのに、満たされない」
そんな感覚、ありませんか?

美容というとどうしても、
見た感じ、触った感じ、といった
外側に意識が向きやすいものですが、

肌に触れるとき。
髪を整えるとき。
鏡の前に立つとき。

そのひとつひとつは、

「私は、私をどう扱うか?」

という、自分とのコミュニケーションでもあると感じます。

雑に扱うこともできるし、
丁寧に扱うこともできる。
急ぐこともできるし、
少し時間をかけることもできる。

その選択は、毎日のように繰り返されていきます。


美容って、
「外側を整える行為」に見えるけれど、
実際にはかなり、“内側への働きかけ”なんですよね。


自分を雑に扱っているときって、
多くの場合、無意識に

「このくらいでいい」
「どうせ私なんて」
「そこまでしなくてもいい」
「まぁいいや」

そんな前提がこころの奥にあったりします。

でも美容って、
そこに対して、

「ちゃんと扱っていいよ」

と、“行動”で上書きしていくことができると感じるのです。


しかも、“考えなくてもできる”のも嬉しいですね。

「自分を好きになろう」
「自己肯定感を上げよう」

そう思うほど難しくなることってありませんか?

でも美容は、

クリームを塗る。
髪をとかす。
お気に入りを選ぶ。

難しく考えなくても、
まずは手を動かすだけでいい。

すると不思議と、あとから感覚がついてきます。

だから美容って、

「自己肯定感を上げよう」としなくても、結果的に上がっていく。
「もっと自分を大切にしよう」と頑張らなくても、扱い方が変わっていく。
優しくなろうとしなくても、結果的に優しくなれる。

そういう、“逆ルート”のアプローチでもあると感じます。

言い換えるなら、
美容って、“自分を雑に扱わない練習”なのかもしれない。

もちろん、「自己肯定感を上げたくて美容を頑張る」も素敵ですよ。


ただひとつだけ、気をつけたいことがあります。

それは、

「他人からどう見られるか」

を軸にすること。

そんなふうに、自分の外側に基準を持つとき、
そのケアは自分よりも外側を大切にしている行為であって、
逆に、自分から離れていくことに繋がってしまいます。


同じスキンケアでも、

・正解に近づくため
・嫌われないため
・ちゃんとして見られるため

ではなく、

・今日の自分にどう触れるか
・どんな感覚で過ごしたいか
・どう触れると心地好いか

ここに軸があると、
美容は“自分を整える行為”になります。


自分を好きになれない日があってもいい。

でも、
自分を丁寧に扱うことは、今日からできます。

特別なことをしなくてもいい。
ただ、いつものケアを、ほんの少しだけ丁寧にしてみませんか?

ほんの少し、触れ方を変えるだけ。
ほんの少し、扱い方を変えるだけ。

その積み重ねが、

「なんだか前より、自分のこと嫌いじゃないかも」
そんな感覚につながっていきます。


美容は、
変わるための手段というより、

「私は、ちゃんと扱われていい存在だ」

と、自分に教えていく時間なのかもしれません。


そして不思議なことに、
そうやって内側との関わり方が変わっていくと、
結果として、それは外側にも表われてくる。

取り繕った“きれい”ではなく、
どこかやわらかく、自然な美しさとして。

外見って、
単純に顔立ちだけでできているわけではなくて、

自分をどう扱っているか、
どんな気持ちで日々を過ごしているか、

そういうものまで、少しずつ滲んでいく。

だから美容は、
外見を整えるためだけのものではなく、
“自分との関係性”を整えることでもあるのだと思うのです。


最近、

スキンケアをするとき。
鏡を見たとき。
服を選ぶとき。

あなたは、自分をどんなふうに扱っていますか?


自分を丁寧に扱うことって、特別なことではなく、“余白”を持つことにも似ているかもしれません。


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美結(みゆ)|“目に見えない関係性”を読み解く人 応援、ありがとうございます。いただいたチップは、執筆や対話・探究を続けるための活動費に使わせていただきます。