「“普通に過ごせた日”は、偶然じゃない」
「“普通に過ごせた日”に、私は少し安心してしまいます」
私は「普通に過ごせた日」に、
少し安心してしまいます。
忘れ物もなく。
誰かを困らせることもなく。
特別な失敗もなく。
夜、家に帰ってソファに座った時、
「ああ、今日も終わったな」
と、ほっとするんです。
昔はそれが当たり前だと思っていました。
でも最近は少し違います。
当たり前だと思っていたことは、案外たくさんの小さなことの上に成り立っているのかもしれない、と思うようになりました。
家を出る前、私は何度も確認をします。
鍵。
財布。
スマホ。
最近ではモバイルバッテリーまで確認します。
一度確認したのに、
玄関を出て数歩歩くと不安になります。
「あれ、鍵閉めたっけ?」
さっき確認したはずなのに…
むしろ確認した記憶があるからこそ、本当に確認したのか分からなくなる時があります。
戻るほどではない…
でも安心もできない…
そんな中途半端な不安を抱えたまま駅へ向かいます。
旅行の前日はもっと大変で…
荷物を詰めて。
閉めて。
また開けます。
「充電器入れたっけ?」
「いや、入れた気がする」
「でも見た方が早いか」
そんなやり取りを、一人で繰り返したり…
そして確認したあとに安心するんですけど、
数時間後にはまた同じことを考えたりして…
我ながら面倒な性格だなと思ったり…。
「気にしすぎだよ」
そう言われたこともありますし
自分でもそう思います。
でも、やめられないんですよね…
たぶんずっと前から、そうだからです。
きっかけ…といえば多分…
小学生の頃のことです。
午後の授業でした。
窓の外は明るくて、校庭からは誰かの声が聞こえていました。
教室の中は静かで…
先生が黒板に向かってチョークを走らせる音だけが響いています。
私は授業の内容よりも、時計ばかり見ていました。
…お手洗いに行きたくて…
でも手を挙げることができませんでした。
今思えば、不思議です。
先生に
「トイレに行ってもいいですか」
と聞くだけのことなのに…
でも当時の私には、
それがとても難しいことでした。
みんなの視線が一斉に集まる気がしたんです。
先生に注目されるのも恥ずかしかったですし…
教室の空気を止めてしまうのも気になってしまって…
「あと少し」
そう思いました。
休み時間まで我慢すればいい。
あと十分。
あと五分。
あと少し。
時計を見るたびに、自分にそう言い聞かせていました。
机の下で足を動かしたり。
姿勢を変えたり。
ノートに視線を落として気を紛らわせたり。
小学生なりに必死だったと思います。
でも、その「あと少し」は小学生の私には思っていたより長かったみたいで。
気づいた時には、もう…
⸻
今でも覚えているのは、その後のことです。
床ばかり見ていたこと。
顔が熱かったこと。
誰とも目を合わせられなかったこと。
どうしたら今この瞬間が消えてくれるだろうと考えていたこと。
⸻
誰かに強く怒られた記憶はありません。
でも、自分の中では大事件でした。
たぶん人生で初めて、
「恥ずかしい」
という感情を強く味わった瞬間だったと思います。
⸻
そして同時に、
「ちゃんとしていれば防げたかもしれない」
とも思いました。
もちろん、今なら分かります。
小学生にそんなふうに考えさせる必要なんてなかったのかもしれません。
恥ずかしかったね、で終わる話だったのかもしれません。
でもその時の私は、
そうは思えませんでした。
⸻
あの日から少しずつ、
私は先回りする人になりました。
当てられそうな問題は先に見ておく。
何か任されたら事前に準備しておく。
旅行前には何度も確認する。
失敗しないように。
恥ずかしい思いをしないように。
不安にならないように。
そうやって過ごしてきました。
もちろん、それでも失敗します。
忘れ物もします。
準備したのにうまくいかないこともあります。
そんな時は思います。
「じゃあ、あの確認は何だったの?」
と。
でも不思議なことに、
私は次もまた確認をします。
最近になって気づいたことがあって…
私は
失敗をなくしたいわけではなかったのかもしれません。
不安を少し減らしたかっただけなのかもしれません。
普通に外へ出て。
普通に人と話して。
普通に笑って。
普通に家へ帰ってくる。
昔は、それを「何もない一日」だと思っていました。
でも本当にそうなのでしょうか。
鍵を確認して。
忘れ物を確認して。
時間を確認して。
少し不安になって。
また確認して。
そうやって過ごした一日の終わりに、
私は
「何もなかった」と言っているだけなのかもしれません。
もしかしたら、
何もなかった日ほど、
見えないところでたくさんのことを確認していたのかもしれません。
「気にしすぎだよ」
と言われるたびに、
少しだけ落ち込んでいました。
もっと気楽に生きられたら。
もっと気にしない人になれたら。
そう思ったこともあります。
でも最近は少しだけ考え方が変わりました。
気にしすぎる人は、
何も起こさない人なのかもしれません。
不安になるから確認する。
確認するから安心できる。
安心できるから前に進める。
それは格好の良い生き方ではないかもしれません。
効率も良くないと思います。
それでも、
そうやって
守ってきたものも確かにあった気がするんです。
これからも私は確認をすると思います。
鍵を見て。
持ち物を見て。
少し不安になって。
また前へ進みます。
大丈夫かどうかは分かりません。
明日も同じように不安になるかもしれません。
それでも夜になって、
「ああ、今日も普通に過ごせたな」
と思えたなら。
その「普通」の中には、
自分でも気づかないくらいたくさんの確認や準備が積み重なっているのかもしれません。
日々の小さな積み重ねがあるからこそ
それが普通として成り立っているのかなと…
普通であるという事は厳密に言えば普通ではないのかもしれません。
確認しながら進む人生も、時には失敗しても、
きっと悪くない。
それを経験として成長していけばいい。
最近は、そんなふうに思っています。
