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「灯をともす歌を、あなたに届けたい」


🏠音楽が“不要不急”と言われた日


音楽が切り捨てられた日。私は、生き直しを決めた。

「不要不急」──その言葉の中に、
音楽もエンタメも含まれていたパンデミックのはじまり。

私は、その現実がどうしても許せませんでした。

30代半ば、突然始まった家族介護に向き合いながら、
「もう一度音楽と向き合いたい」と静かに灯しはじめた想い。
やっとそのスタートラインに立とうとしていた矢先に、
世界中から音楽が消えていったのです。

でも私は、諦めたくなかった。音楽を、そして表現を。

音楽は贅沢品じゃない。
誰かの人生に寄り添える、かけがえのない営みのひとつ。

そう信じたからこそ、
私は “ 教育 ”という切り口から、
音楽の力を証明しようと思いました。

🌱保育士という選択は原点回帰


「保育士になる」という選択は、人生の原点への回帰だった

音楽の世界だけでなく、育ちや発達、
子どもたちの感性の世界に身を置く。

それが “ 音楽を守る ”ために今の自分ができることだと思い、
私は保育士の国家試験に挑みました。

保育士という道を選んだのは
ただ資格が欲しかったからじゃない。
むしろ、“ 気づいたらやっていた ”からでした。

👪父と母、そして私──幼少期のケア体験


「子育ては事業である」──それが、父の口ぐせだった

父は調達部門、母は営業部門。
家庭をひとつのチームのように捉え、 こと子育てに関しては、
母に対して感謝と尊敬の言葉を欠かさなかった父。

けれど、昼夜を問わない不規則勤務だった父の代わりに、
我が家の“営業責任者”はほぼワンオペ状態・・・

そんな中、私は自然と“ 小さな副店長 ”に就任しました。

寝かしつけで絵本を読んだり、 食事マナーのしつけをしたり、
お風呂上がりに弟の体を拭いて着替えをさせたり、
母に「お昼寝見てるから買い物行ってきて」と言って休ませたり、
外を歩くときは必ず手を離さなかったり・・・

気づけば、私は“ ヤングケアラー ”として
弟たちのお世話をし、家族を支えていました。

🔰気づけば始まっていた、私の“保育”


私が保育をするようになったのは、資格を取るよりずっと前だった

そうして育った私は、
「誰かをお世話することに対価が発生する」
という発想すら持っていませんでした。

だからこそ、保育士という職業に出会ったとき、
「これは仕事というより、私の人生そのものかもしれない」と、
どこかで腑に落ちたのです。

🔍音楽を“守る道”を探し続けて


音楽を離れていたわけじゃない。音楽を“守る道”を探していただけ

私は 大阪音楽大学短期大学部ポピュラーボーカルコースで学び、
卒業後はメジャーアーティストのバックコーラスや
メディア関連の音楽の仕事に関わったのち、
シンガーソングライターとして活動していました。

しかし、大きな愛を失うというショックな出来事をきっかけに、
表舞台に立つ音楽活動が精神的に困難となり、
その後は会社員として約10年間勤務。

勤務の傍らで、ボーカル講師や作曲コンペなど
裏方として音楽と関わり続けてきました。

それでもやはり、音楽はいつも私のそばにありました。
離れていたのではなく、
形を変えて守ろうとしていたのだと思います。

そして──
パンデミックが奪ったのは、
単なる「機会」だけではありませんでした。

音楽という文化そのものが「なくてもいいもの」
と位置づけられてしまった、
その現実に深い衝撃を受けたのです。

🎹ピアノ教育の危機と導入教育の必要性


音楽教育の現場で感じる危機感

今、特に日本のピアノ教育では、
講師が自身の成功体験を基準に
「これくらいできるよね?」
という感覚的な指導をしてしまう傾向
が見られます。

そのような指導は、
子どもたちが音楽から離れてしまう一因となっているのではないか
と感じています。

本来、ピアノは指一本で音が鳴る最高の楽器。
歌をはじめ、どんな楽器を選ぶにしても、
最初に触れる楽器としてこれ以上のものはありません。

でも、教育の進め方ひとつで、
その可能性をつんでしまうことがある。

たとえば──

◎からだの機能として、楽器を始められるレベルまで発達しているか?
◎親から離れてもレッスンできる気持ちが育っているか?

講師として、こうした『始めるタイミングの見極め』
できることが必要だと思うのです。

そして、まだ楽器が始められない段階であれば、
その“ 準備期間 ”としての導入教育があってもよいはず。

つまり、楽器指導以前の「音楽への導入」として、
何か提案できることが理想的です。

🎵子どもたちと音楽をつなぐ「リトミック」


子どもたちの発達を理解した導入教育として──リトミックとの出会い

では、子どもたちの発達に寄り添った導入教育として、
何がふさわしいのか?

そこで私がたどり着いたのが「リトミック」でした。

一部の音楽大学では履修科目として取り入れられているようですが、
ソルフェージュのような必須科目にはなっていません。

なかでも私は、リトミックとモンテッソーリ教育を、
どちらも“ 感覚教育 ”という共通項で掛け合わせた
プログラムを展開する、
リトミック研究センターの指導方針に深く感銘を受け、
指導資格を取得しました。

たとえば──

✅子どもたちが知っている動物と
 音符の長さを結びつけて感覚的に理解させる

✅音符の長さや「質量感」を、
 視覚や身体感覚を通じて身につける

こうした内容は、実は大人の“ 音楽の学び直し ”としても
非常に有効なのです。

私は、音大で学ばせてもらった立場として、
こうした現場の整備に少しでも貢献することも、
使命のひとつだと感じています。

🎼私が今、音楽家としてできること


最後に・・・

私の人生は、「ケア」と「表現」の交差点にあります。
誰かを想うこと。支えること。寄り添うこと。

そしてそれを、
音楽という形で昇華し、灯として届けること

それが、私にできる
“ 今の音楽家としてのあり方 ”だと信じています。

どうか、あなたにも届きますように💗

最後までお読みいただきありがとうございます✨

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活動内容や現在取り組んでいることは、
「はじめまして、Yui CareWorksです」

音楽歴や、これまでの経験については
こちらにまとめています。
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