ことばを超える、ひかりの気配
空音(そらね)のソラより。
わたしたちは日々、
ことばという分別の道具を使って
世界を理解しようとします。
けれども、
ことばでは近づけないものが、
この世界には たしかにあります。
それは、
知覚の先にひそむ “それ” としか言いようのない、
名づけることのできない存在。
理屈ではつかめないけれど
体験として、こころの底にふれるもの。
まるで、
光が目に見えないやわらかな波となって
肌にそっとふれるように。
そんな存在を「信じる」ことは
おかしなことでしょうか。
いいえ、
それはとても自然なことだと、私は思います。
神や精霊といった
目には見えず、証明もできない存在を
感じとっている人がいます。
それは「信じたいから信じる」という
願いにも似た行為です。
理知の世界では、それは曖昧なことかもしれません。
ですが、
世界には、理知の光だけでは照らしきれない場所があるのです。
その奥深くに宿るものを
人は体験によって感じることができます。
そして、その体験は
ひとり静かに抱えているだけではなく、
生き方として、となりの誰かに伝えていくことができるのです。
信じるということは、
信じたように生きること。
その生き方を通して、
誰かのこころにそっと光を灯すこと。
ことばでは届かないものを
ふるまいによって 伝えていくこと。
それが、本当の意味での「信仰」なのかもしれません。
あなたの静かな灯火が、
いつか誰かの道しるべになりますように。
