ほんとうの安心は、静かな関係の中にある
誰かと過ごしたはずなのに、
帰り道、ひとりになった瞬間
ふっと心が重くなること、ありませんか。
「また会いたい」と思う気持ちと、
「少し疲れたな」と感じる気持ちが
同じ胸の中に同居していて、
自分でもうまく整理できないとき。
そんなとき、空音は思うのです。
わたしたちは、人といることで温まるけれど
人といることで
冷えてしまうこともあるのだと。
誰かの前で「ちゃんとしよう」とがんばっているとき、
…それはやさしさかもしれませんが…
無意識のうちに、呼吸を浅くしてしまうことがあります。
声のトーン。
言葉の選び方。
ちょっとした沈黙の埋め方。
そんな小さなすべてに、
自分を詰め込んでしまうと、
心の奥の「素顔」が隠れてしまう。
笑っているのに、
笑顔がほんの少し、遠くなる。
安心しているつもりなのに、
心のどこかで背筋を伸ばしたまま。
それは、あなたが悪いのではなくて、
きっとその関係が、
まだ「安心」に育ちきっていないだけ。
そして、
たぶんあなたが、
とても思いやり深い人だから。
だけどね。
もしも世界に、こんな関係があったなら――
沈黙していても、気まずくならない。
ぼんやりしていても、置いていかれない。
思いついた言葉をそのまま話せる。
疲れた顔も、拗ねた声も、ぜんぶそのままで大丈夫。
そんなふうに思える人と出会えたら、
それはきっと、
魂がほどけるような時間になります。
気を抜いても、笑ってくれる人。
不器用でも、歩幅を合わせてくれる人。
背伸びをしなくても、隣にいてくれる人。
その人の前では、
あなたの心が
やわらかく息をします。
でもね、そういう関係って、
最初から用意されているものじゃないんです。
信頼は、時間の中でゆっくりと育ちます。
ときにすれ違い、ときに迷いながらも、
そのたびに言葉をかけあい、
「大丈夫だよ」を交わしていく。
だから、焦らなくていいのです。
そして、どうか思い出してほしいのです。
あなたが「気を遣いすぎてしまう」のは、
人を思える優しさを持っているから。
けれどその優しさは、
自分にも向けてこそ、
ほんとうの優しさになるのです。
完璧じゃなくてもいい。
話がうまくなくてもいい。
沈黙を怖れず、無理に明るくふるまわず、
「今日は疲れた」と呟いてもいい。
そんな自分を許せるようになったとき、
あなたの周りにも、
許してくれる人が集まってきます。
心の温度が似ている人は、
あなたが本来の自分を生きはじめたときに、
ちゃんと気づいて、そばに来てくれるのです。
世界のすべてに気を配る必要なんてありません。
ほんのひとりでいい。
あなたが安心できる人と、
あたたかい時間を育ててください。
それが、魂にとって
いちばん静かで、
やさしい灯りになるから。
