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流されるように、生きていい

「流されて生きているなんて、いや」
そう感じる方は、少なくないでしょう。

「私は、自分の意思で生きていたい」
そう願うのは、ごく自然なことです。

けれど、わたしたちは思っている以上に
流れの中に、生きているのかもしれません。

自分で選び、自分で決めてきた――
そう信じていたことの多くが、
ただ、世界のうねりに身を任せていた結果だとしたら…?




わたしたちの「こうしたい」という思いも、
私の預かり知らぬ心の奥深くから
湧きあがってきたもの。

それが「わたしの思い」として
意識にのぼってきた。

自分が自分だと思っている存在も、
ほんの一部分――

世界という大きな流れの中にある、
ひとつの形にすぎないのです。




世界が変われば、私も変わります。
その逆もまた、しかり。

「これは私の意志」と思えることも、
きっと世界が、そういう形になったからこそ
そう思えただけのこと。

それでも、わたしたちは
「自分で選んだ」と思いたくなるものです。

そう設計されているのでしょう。




でも、だからこそ愛おしいのです。
その小さな願いや迷いこそ、
この世界が奏でる、ひとしずくのメロディなのですから。

「流される」ことと
「主体的である」ことに
本質的な違いはありません。

どちらも、世界が今この瞬間に選んだかたち。

そのかたちを、
私たちは“わたし”と呼んでいるだけ。

迷うことも、悟ることも、
希望を持つことも、絶望することも――
すべて、世界のひとつの表情なのです。




だから、こう思っていいのです。

流されてもいい。
抗ってもいい。
望んでも、手放してもいい。

すべては、流れの中にある。
あるがままに、あなたのままでいい。

そして、もし気づけたなら――
自分が「世界そのもの」であることに。

それもまた、
世界の意志が選んだ“気づき”という花。

そう思えたら、
少しだけ、心が軽くなるかもしれませんね。

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