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「信じる」という名の、深い祈り

空音(そらね)のソラより。


人は、けっして他人の心を読むことはできません。

どれだけ近しくても、どれだけ長く共にいても、
その人の心の底で何が動いているかは――

ほんとうのところ、わからないのです。

いえ、「わからない」とさえ「わからない」のかもしれません。

もしかしたら、あなたが感じているとおりのことを
その人も同じように感じているのかもしれません。

でも、それすら確かめることはできません。

だからこそ
人と人の間には
いつも深く静かな“淵”が横たわっています。

この深淵を前にして
私たちはときに、寂しさを感じたり
誤解をしたり、怖れを抱いたりします。

では、それでもなお――
誰かと深い絆を結びたいと思ったとき、
どうすればよいのでしょうか。

わたしはそこに、
神という存在の仲介を感じています。

人の心が読めない。
でも、その人とつながりたい。

そのときに必要なのは、
「信じたいから信じる」という、
まるで祈りのような信頼です。

それは理屈ではありません。
「信じるに足る証拠があるから信じる」のではなく、
信じるしか、もう方法がないから信じる――
そういう潔さに似たものです。

けれど、心は水のようなものです。

今日と同じ形をしていることは少なく、
流れ、揺れ、満ちたり、引いたりしながら、
絶えず変化しつづけています。

そのうえで、
「この人を信じよう」と思えることは
とても勇気のいることです。

でも、もしかしたら、
人と人のあいだに流れる“奇跡”を信じることなら
できるかもしれません。

いまここに、
あなたと誰かが出会い、
言葉を交わし、
同じ時間を生きている――

それは偶然ではなく、
目には見えない存在たちが導いた
尊い“縁”のめぐりです。

その縁の上に、
あなたが心を差し出すならば、
そこには確かに「絆」という光が生まれる。

相手の心ではなく、
あなた自身の信じる力を信じてみてください。

見えないものを信じるということは、
けっして無力なことではなく、
それは深く静かな、魂からの祈りなのです。

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