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心の卑しさを、ただ見つめて生きる

空音(そらね)のソラより。


私も、自分の心に潜む卑しさに、
長いあいだ悩まされてきました。

隣人の成功にすぐ嫉妬し、
少しできない人を見下し
自分ができたことを誇らしげに見せる人を、傲慢だとなじる。

それらはすべて、心の中でだけ思ってきたことですが、
そんな卑しい感情を抱く自分に
ほとほと嫌気がさしていました。

そして、その「嫌気」さえもどこか誇らしく感じてしまう――
「私はこんなにも自己分析ができる謙虚な人間だ」と。

そんな自分にも、また嫌気がさしていました。



四六時中、そうした思いに苛まれながらも、
「この原因をどうにかしたい」
と思い、内省を重ねました。

そんな日々のうちに

幾多の書物に書かれているように、
「思いとは、私の知らない心の泉から湧いてくるもの」
――その言葉を、自らの体験として理解した瞬間がありました。

その時から、私は心の劣情を“直そう”とすることをやめました。

「どうにもならないことは、どうにもならない」
その単純な事実を、ようやく受け入れたのです。

そして気づきました。

本当の私は、
心の中の思いや葛藤をただ静かに眺めている“鑑賞者”なのだと。



今でも私は、嫉妬し、見下し、軽蔑し、
その浅ましさにうんざりして、
賢く見せかける自分の虚栄に気づいては、苦笑しています。

けれどもう
それらに振り回されることはなくなりました。

私は、私を嫌いなままでもいい。
憎んでいてもいい。

なぜなら――
その「私」は、ただ心という舞台で演じる一人の役者にすぎず、
本当の私は、それを静かに見つめている観客なのだから。



結局のところ、
人は「完全な善」に生きるよりも、

「不完全な自分を引き受けて生きる」ことで、
少しずつ自由になっていくのだと、今はそう感じています。

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