帰り道に、海へ告げること
幼い頃、夏の終わりには
胸の中で、海にお礼を言っていました。
波と遊び、砂に足跡を残し、
夕暮れが近づくころになると、
「今日も岸まで戻してくれて、ありがとう」
そう静かに唱えていたのです。
誰かに教わった言葉ではありません。
けれど子どもの私は、海がただの遊び場ではないことを、
身体のどこかで知っていたのでしょう。
海も、山も、深い森も、
私たちを好いたり嫌ったりはしません。
願いを聞いてくれるとも限らず、
善い人だけを守ってくれるわけでもない。
ただ、人間の物語よりもずっと大きな時間の中で、
そこに在り続けています。
だからこそ、自然の前では
魂が少しだけ裸になるのかもしれません。
怖さと美しさは、
案外、同じ光から生まれます。
すべてを理解しようとしなくてもいい。
名前をつけられないものに出会ったなら、
ただ静かに頭を垂れる。
祈りとは、何かを叶えてもらうためではなく、
自分が世界の中心ではないと思い出すためのもの。
今でも海を離れるとき、
私は心の中でそっと伝えます。
今日という命を、
もう一度こちら側へ運んでくれて、ありがとう、と。
