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短編小説【雪守】

原稿用紙20枚
《あらすじ》

雪守という仕事をしていた亡き父。雪の降る日に、昔の記憶がよみがえった私は、雪守だった父の姿を思い出す。冬の日本海で、荒れ狂う風雪と対峙する父。雪に魅了され、自然と化していた父の姿。圧倒された私が見ていたのは、最後の雪守だったのかもしれない。


         『雪守』

 金曜の薄暗い夜道に、雪が舞った。雪の記憶を呼び覚ますように、珍しく東京に雪が舞った。コートに付着した雪を手で払おうとしたら、べたべたとした感触を残して水滴となった。べた雪だった。故郷に舞っていた雪も、べた雪だった。

 私の故郷は小さな漁師町だった。秋田県の北部にある、日本海に面した海岸線の、防風林が整然と並んだ一画にあった。空中写真だと、防風林が城壁のように集落を囲んでいるのがよくわかった。防風林を抜けると、深谷浜という砂浜があり、そこから遠望すると風力発電の風車が列をなしていた。もとより風の強い地域で、防風林が風を防ぐといっても、冬の季節風は容赦なく集落まで届いた。

 四十という年齢になり、父を重ね合わせると、父が四十だったときには、私は九歳だったのかと脳裏をよぎる。連日の残業だと、寝ても疲れが残る今の私にとって、四十だったときの父は、精力的に仕事をこなしていた。漁師だったが、冬だけの「ゆきもり」という仕事は、取りつかれたようにしていた。

 三年前、父は「ゆきもり」が原因で亡くなったと、地元でまことしやかにささやかれ、挙げ句の果てには、高齢者に過酷な仕事をさせるなんてと、家族まで槍玉に挙げられた。息子が帰省していたのにという言葉には、胸をえぐられた。

 雪を守る人。私の地元では、雪守と書いて「ゆきもり」と呼んでいた。地元を離れたら、誰も雪守を知らなくて、面食らってしまった。

 雪守は冬のあいだ、深谷浜に積もった雪をかくだけの、一見すると単純な労働だが、積雪があれば昼夜を問わず、海鳴りに襲われようとも、風がうなり声をあげようとも、風雪鋭く白い闇に陥っても、ただひたすらに雪をかき集めた。

 もともと、冬の禁漁期間に漁師が行う仕事で、漁師総出で雪をかく深谷浜の光景は、盛夏を思わせるようなにぎわいだったらしい。今はもう、その面影を見ることはできない。冬は集落を離れ、町で出稼ぎする者が多くなった。雪守は、割に合わない仕事だった。

 雪守がかいた雪は、内陸の農村に運ばれ、雪室に入れられた。雪が降る前に収穫されたニンジンやリンゴなど青果を貯蔵するのが雪室で、冷やすために地元の雪が重宝された。

 内陸に降る雪は乾いた雪で、人肌に触れるとすぐに消えてしまうはかない雪だった。その点、深谷浜に降る雪は、海に近いため空気中の水蒸気が多く、べた雪だった。雪というよりも氷に近く、積もったあとに気温が下がると、いてついた。内陸では、深谷浜の雪は素手で触ると熱いとまで言われ、冷気をまとった一級品と知られていた。雪室を極度に冷やす雪は、たいそうありがたがられた。それでも、冷凍技術の発達で、雪の恵みを欲しがる者はいなくなった。

 父は、ありがたがられたころでも、自慢することは一切なく、黙々と雪守をこなしていた。朴訥な人だった。欲しがる者がいなくなっても、そんなことは意に介せず、ひたすら雪をかいていた。

 需要がないのに、なぜ供給し続けたのか。白い闇に浮かぶ人影が、ちらちらとしながら、いつか消えてしまいそうな弱々しい影の父が、地上に落ちてくる雪と重なった。べた雪は勢いを増し、舞うことなく落ちてきた。

 雪は、ぼた餅のように空から落ちてきた。家路を急ぐが、地面がうっすらと白くなっている公園を目にすると、私の足が止まった。

 公園にある青色のジャングルジムが、まだ青いままで、銀世界に一つ浮かんでいた。風雪が勢いづくと、やがて白色に変わるだろうジャングルジムを想像したら、深谷浜の銀世界が、子供のころの記憶が、形作られていった。

 あの日、おそらく私が九歳のときだったか。十二月に入り底冷えする夜中に、こんこんと、風が窓を叩く音で目が覚めた。風の音の合間に、みしみしと床を踏みこむ音も交じり、それが覚醒を促し、おもむろに私は起き上がり、部屋の外に出た。青色の防寒着を上下に着こんだ父が、目の前を無言で横切った。父は、驚いて声が出ない私を一瞥すると、何事もなかったかのように静黙したまま、廊下の奥に消えていった。暗闇に吸いこまれていく父に不安を覚えた。

「お父さん、どこ行くの」

 自分でも驚くような、か細い声が口から出た。

「浜さ。行がねど、雪さ無ぐなる」

 こんな時間に、という私の言葉は音になることなく消えると、こんこんという音だけが廊下に響いた。

 まもなく、暗闇の奥からうなり声を上げた風が、一瞬だけ廊下を通った。父が玄関を開け閉めしたからだった。怒りに満ちたような風が、父を連れ去るのだと思ったらおじけづいて、暗闇の奥に進むことはできなかった。私には、夜が明けるのをおとなしく待つことしかできなかった。

 東の空が朱色に染まるころ、うとうとしていた私の耳に入る音はなかった。家は静寂に包まれ、両親の寝室では母が寝息を立てていた。私は、寝ぼけまなこをこすりながら、深谷浜に急いだ。

 防風林で微風がさわさわと音を奏で、打ち寄せる波の音が寝起きの耳に心地よく、風力発電の風車が響かせる重低音で眠気を覚ました。珍しく空は赤みを帯びていた。

 小高い丘から深谷浜を見下ろすと、浜が乳白色に彩られていた。背後の空が白み始めると、鉛色だった海は光を吸収し、本来の色を取り戻していった。空は刻一刻と変わり、二度と同じ色を見せることなく、朝に向かっていた。深谷浜の雪景色は、色彩が生まれたかのような輝きを見せて、陽光に照らされていた。

 しばし言葉を失っていると、銀世界に青い影が一つ浮かんでいて、目を細めると、きらめきの中から父が姿を現した。

「お父さん」

 私が腹の底から声を振り絞ると、影は私に近づいてきた。

「雪さ、えがった」

 浜に横付けされたトラックの荷台には、父がかいた雪が積まれ、まだいくらか余裕があるようにも見えた。影はまた私から離れ、父はトラックに乗りこもうとしていた。

「もういいの」

 私は叫んでいた。父は、はにかんでいるようにも見えた。遠目だったから、違うかもしれない。

「んだ」

 海風に乗って、父の短い言葉だけが届いた。

 父のいなくなった深谷浜は、役目を果たしたと言わんばかりに、雪景色をとどめることはなかった。風が浜に積もった雪を蹴散らしていった。

 私は肩をすくめながら、ところどころに砂地が露出した深谷浜を眺め続けた。私の目には、息をのんだ情景が、まだ余韻を残しながら映っていた。

 夜空に浮かぶ白銀の公園に、あの日の深谷浜がちらついた。昔の記憶をたどっているものの、時間はそれほどたっていないように思えたのだが、ジャングルジムはすでに白色に変わっていた。

 本当に空からぼた餅が落ちているのではないかと疑うほどの雪で、慌てて折りたたみ傘をさした。視界が雪に侵食されて、弱々しい電灯よりも降り積もった雪のほうが明るかった。ジャングルジムを通り抜ける風の音がうなり声を上げると、思わず身が縮こまった。

 今朝の冬晴れした雲一つない景色が、同じ日だったとは信じられず、目まぐるしく変化する故郷の天気が頭をよぎった。まさか東京の公園の片隅で、大人になって雪におののくとは思いもよらなかった。このまま雪に飲みこまれてしまうのではないか、私の足は公園にとどまっていたというよりも、すくんでいた。

 故郷の冬の天気は、忙しかった。曇りの天気予報でも、晴れ間がのぞき、青い空に誘われるように深谷浜に出ると、雲行きが怪しくなって、先ほどまでの青空が嘘のようになった。空が一面灰色の雲に覆われてしまうと、この重たそうな雲の上に青空が隠れているとは想像もできなかった。空と呼応するかのように、風も声を出し始める。波間のかなたに稲光が走ると、いよいよ空から雪がちらついた。

 初めは優しく舞っていた雪の粒も、いつからか成長したように大きくなり、荒れ狂ったように地上で踊り始める。白波が立ちあがった海も白々しく見え、深谷浜も、防風林も、風力発電の風車さえも色を失い、白くなった。

 これ以上白くしないでと、私が言っても、雪が言うことを聞くはずもない。雪はすべてを着実に消していく。それに抗うように、雪守はいた。ちらちらと動いていた青色の影が、点滅するだけになり、消えているときのほうが長くなった。薄目に映っていた父が、消えていく。このまま目を閉じると、すべてが消えてしまいそうで、意識も遠のいていくようだった。私が今見ているのは、浜なのか公園なのか。父なのかジャングルジムなのか。

 ジャングルジムの隙間を通り抜ける風の音が、ひゅうひゅうと、鳴いているようだった。現実に引き戻された。足が勝手に動いていた。気づいたときには、ジャングルジムに積もった雪を振り払っていた。雪に触れた素手は、冷たいと認識したのは一瞬で、すぐに痛くなり、熱いと錯覚したようだった。それでも振り払うのをやめなかった。視界から青色が消えないように、視界が白色に埋まらないように。私は、無我夢中で雪をかいた。雪は、ジャングルジムまでも奪うのか。

 あの日、深谷浜の光景に目を奪われてから、もう一度見たいと願った私は、雪が降るのが待ち遠しかった。けど、願いは叶わず、年を越した。季節風は相変わらず強く、天気も目まぐるしく変わり、雪も舞ったが、積もることはなかった。

 私は残念に思ったが、それ以上に父も雪をかくことがなく、さぞ残念だろうと思ったが、父の顔はこわばり、得体のしれないものと遭遇しているかのようなたたずまいだった。それは、残念がっているというよりも、父はもどかしいのだと思っていた。

 その日はきた。その日より前までは、平年に比べて雪が少ないという話だったが、自然は調整しているのか、その日、どか雪を降らせることで、帳尻を合わせてきた。

 普段と変わらない薄暗く彩りのない空から、純白の塊が落ちてきた。べた雪だったので、私は喜んで飛び跳ねた。いつも雪が絶景を見せるとは限らないのに。意気揚々と深谷浜に向かおうとした私は父にとめられた。

「家にいたほうがいいべ」

 父の言葉に従わず、駄々をこねた私に折れた父は、深谷浜まで私を連れた。高揚感が抑えられない私と違って、父は平然としていた。一言も言葉を発することなく、西の空をにらみつけていた。

 防風林の葉を、かすかに揺らす程度の風だった。寄せ返す波の音が呼吸のように絶えず聞こえ、風力発電の風車の音も、ささやきのようだった。

 父の雪守を手伝った。雪かきに、うまいもへたもないと思っていた私は、父の見よう見まねで雪かきをしていた。雪かきを、遠足のようだと勘違いしていたかもしれない。私はここにそぐわなかった。

「帰ったほうがいいべ」

 父が海の向こうの空を指差していた。西の空に夜が迫ってきたような黒色の雲が控えていた。もう青空を望むことはできなそうだったが、そんなこと私は知るよしもなく、目まぐるしく変わる地元の天気に希望を抱いていた。雪が降り、雪が積もり、雪がやむ。そして晴れわたり、深谷浜は輝きを見せる。それが雪の摂理だと思っていた。なにより父の動きに焦燥感が見られなかったのもあり、私は、父の言葉を気にせず、まだ雪をかき続けていた。

 雪は、ぼたぼたと落ちてきた。雨のような勢いで、大量の雪が空から落ちてくる。かいても、かいても、砂地が現れることはなく、白いままだった。少しでも手を休めると、スコップさえも雪に埋もれてしまいそうだった。

 もう子供の力では及ばなかった。空に期待したのに裏切られたようで、空を恨めしく見つめ、やがて観念した。私は、泣くのを我慢できず、深谷浜に立ち尽くした。それでも雪が減ることはない。泣いたあとは、むなしさに襲われた。

 薄目に映っていた父が、雪と対峙していた。海のさざなみが、防風林のざわめきが、風車のうめきが、聞こえない。雪を根こそぎ削り取るような、父の雪をかく力強い音が、周りの音を切り裂いて、私の耳に届いた。

 むなしさは現実逃避を生み、現実だとわかると、恐ろしくなった。

「お父さん、もういいんじゃないの」

 最後の力を振り絞り、わめいた。けど、父は破顔したように見えた。

「雪さ、すごいべ。力がみなぎるべ」

 父の声に呼応したかのように、地面がうなりをあげた。地吹雪が父の姿を隠すと、雪は四方八方に飛び散り、白い闇に包まれた。

「ああ、雪は待ってぐれね」

 父の声と、雪かきをする音が入り交じった。父の姿はおぼろげで、風雪に青い影が踊るように舞っている。雪の勢いが増すごとに、影は、はっきりとして、いよいよ私の目と鼻の先に現れた。

「これやらねど、雪に近づけね。雪になるだめの修行だべ。おれは、修行僧みだいなもんだ」

 父の存在感を反映したかのように、影は青く、濃い。白銀の世界にきらめく青い星のようだった。雪の猛威に飲みこまれそうな私のすぐ近くで、父は雪と同化していた。

「雪はすんげえ。おれも雪になるべ」

 喜々とした声だった。父の雪をかく音が、ざくりざくりと腹に響いた。

 目の前の人間が父ではなかったら、雪と化した得体のしれぬものとして、恐れおののいていたかもしれない。だが、これが本当の雪守なのだろう。荒れ狂う地吹雪の中でも雪をかく雪守は、狂気に満ちているかもしれないが、雪の営みを共有しようとしている父に、雪と共生しようとしている父に、私は、本当の雪守を見ていたのかもしれない。

 私は、帰ったほうがいいという父の言葉を聞かなかったことを後悔し、雪かきもできない自分を恥じ、ここで起きている雪の営みに、呆然としていた。

 緑色の群がりがうっすらと目に映ると、そこが出口のように見えた。はうようにして防風林にたどり着くと、いくぶん風雪は収まり、命からがら生還したような心地だった。深谷浜を振り返ると、なにもなかった。砂浜も海も空も、人影も、なにもなかった。

 ジャングルジムが青色を取り戻すと、私の頭も冷えたようで、振り払う雪がなくなったのに、いまだ動かしている手をとめた。雪が小やみになり、夜空を見上げると、激しく移動する雲の切れ間から、またたく一等星が見えた。目まぐるしく変わる天気は、故郷のそれだった。

 雪をかいたジャングルジムは青々として、うっすらと積もった公園に映えていた。雪に打ち勝ったと言わんばかりな面構えだった。こんなところで、父の残像がちらついた。

 最後に父と言葉を交わしたのは、三年前の正月休みに帰省していたときだった。みぞれだから、浜には積もらないだろうという私の言葉に、父は、んでねとだけつぶやいて、深谷浜に向かった。帰りが遅いと母が心配して私が様子を見に行くと、父は浜にうつ伏せになっていた。いつのまにか、みぞれはべた雪に変わり、音もなく降っていた夕刻、倒れた父の背中は白くて、浜はひっそりと雪を積もらせていた。

 慌てて父に駆け寄ると、体は冷たくて、背中に積もったべた雪を手で払おうとしたら、べたべたとした感触を残して水滴となった。深谷浜に降るべた雪は、やがて雨に変わり、景色は色を取り戻していった。

 あの年は、あれから深谷浜に雪が積もることはなかった。雪の季節は足早に通り過ぎて、春を迎えた。もう故郷に雪守はいなかった。父が最後の雪守だった。

 カーテンを開けると、台風一過のような青空だった。土曜の朝と降雪した朝とが相まったのか、街はしんとしていた。ただ、視界に白い色は見当たらなかった。家々の屋根から水滴がこぼれ落ち、路面はしっとりと濡れていた。今日の天気予報を確認すると、東京は晴れで、秋田は雪だった。

 昨日の夜、帰宅してふと見たカレンダーの土曜日が、青色を際立たせていた。公園のジャングルジムの色とそっくりだった。明日の天気予報で秋田が雪だと確認したら、新幹線のチケットを予約していた。

 新幹線は、山あいの県境を超えた。さらさらの雪が強弱を繰り返しながら断続的に降っていた。窓にへばりついて見た空は、一面くすんだ灰色で、故郷の方角を見やるも、空の色は変わらない。それでも、故郷に舞っている雪はべた雪だ。

 在来線に乗り換え、実家の最寄り駅に着いたころには、雪は湿り気を帯びてきた。コートに付着した雪を手で払おうとしたら、べたべたとした感触を残して水滴となった。べた雪だった。

 実家に着いて、仏間に置いてあった青色の防寒着を羽織ったら、案外窮屈だった。父が愛用したスコップは、倉庫の奥に眠っていた。雪守の記憶がよみがえるものは遠ざけていた。けど、雪守をするなら、父の力を借りたかった。

 雪守がなければ、父の命を奪うこともなかったかもしれない。だが、雪守があったからこそ、父は存在したのかもしれない。雪守がなくなれば、父の存在は、雪解けのように消えてしまい、忘れさられてしまう。雪が解けて春になれば、雪もまた忘れさられてしまう。雪も、雪守を求めている。雪守は、雪と化して、雪の光と影を、雪の存在を、私に知らしめる。

 故郷の冬の天気は忙しい。雲は急流に乗ったかのような早い流れで、東の空に去っていく。雲の隙間から見えた青い空が優勢になると、白銀の深谷浜が輝きを放ち始めた。うねったように光る浜は、茫洋たる白い大海原のようで、新しい船出を私に促している。スコップを強く握りしめた。雪かきが少し上手になったかもしれない。

(おわり)


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