宇多田ヒカル『Mine or Yours』 - 矛盾と共存するという選択
こんにちは、Yoshiです。
最近話題になっている宇多田ヒカルさんの新曲『Mine or Yours』の歌詞について、自分なりの思いを綴ってみたいと思います。
私は彼女の大ファンで、昨年の「SCIENCE FICTION」ツアーにも(運よく)参加できました。宇多田ヒカルさんの音楽には、人生の節目節目で何度も救われてきました。SNSで「彼女は天上人のようでありながら、心の深いところではつながっている感覚がある」といった言葉を見かけたことがありますが、まさにその通りだと思います。
そんな宇多田さんの新曲に、夫婦別姓を連想させる歌詞があったことで、一部の人たちから「もう聴かない」といった声が上がったのを目にしました。そのときは正直、悲しさと驚きを覚えました。でも今では、この曲自体が、そうした意見の違いをも含めて「矛盾とどう向き合い、共存していくか」をテーマにしているのだと気づきました。
Apple Musicのインタビュー内容から
『Mine or Yours』は、Apple Musicのインタビュー(43:45あたり)でも語られています。インタビューは英語ですが、彼女はこんな趣旨のことを話していました。
インスタライブで、「人生の中での重要な決断」に関する質問が多く受けた。
この曲は、人生における矛盾(パラドックス)とその対処について謳っている。
選択には常に「もう一方を選んだらどうだったか?」といった不安がつきまとう。
選択は自分ひとりではなく、他者も関わるため、複雑である。
でも、「AかBか」を決める必要はなく、「時にはA、時にはB」であってもいい。さらには共存できることもある。
この話を踏まえて、改めて歌詞を読んでいきます。
歌詞から見えるメッセージ
まずは1番の歌詞より。
昨日の僕は
僕が思う僕とはかけ離れていた
素直になれず君を泣かせるやつには
失望している
自分を大事にできるようになるまで
なんにも守れない
なにが食べたい? 店探すよ
元気出るまでダラダラしよう
なにか飲むかい? お湯沸かすよ
君はコーヒー 僕は緑茶、いつもの
まず大前提として、彼女の歌はフィクションでもノンフィクションでもないということです。これは、アルバム「SCIENCE FICTION」の由来とも一致します。
つまりこの歌詞も、ある種の空想の世界で描かれる物語です。
この出だしでは、「君」と「僕」、という二人の関係性において、「昨日の自分」を悔やみながらも、「君」に優しく寄り添う姿が描かれています。そして印象的なのは、ふたりはそれぞれ「君はコーヒー」、「僕は緑茶」という日常で小さな異なる選択をします。
続いて2番。
どの道を選ぼうと
選ばなかった道を失う寂しさとセット
令和何年になったらこの国で
夫婦別姓 okay されるんだろう
冷めたら温め直せばいい
不安材料も味付け次第
ずっと一緒にいたいけれど
毎日一緒はしんどいかも
なにかいるかい? 買って行くよ
君はコーヒー 僕は緑茶、いつもの
ここで話題となった、夫婦別姓に触れる歌詞が登場します。
ただ、これは作者の特定の主張というよりも、「価値観の違いとどう向き合うか」という例の一つだと私は解釈しています。
事の大きさは違えど、コーヒーか緑茶かの選択と同じことで、そんな好みや価値観の異なる他者と、「一緒にいたいけど、毎日はしんどいかも」といった葛藤も描かれており、人間関係における現実的な「矛盾」が丁寧に表現されています。
さらに2番の冒頭では、「選択」についてより直接的に触れられています。
なにか人生において大小問わず選択を迫られ、どちらかを選んだとしても、選ばなかった道を失う寂しさが常に伴う。それは誰に対しても、どんな事にも言えると思います。
ラストの歌詞より。
I love making love to you
掛け違えたボタン
一つ一つ外す
恐る恐る
自由に慣れれば慣れるほど
不自由だって、どうして誰も
僕らに教えてくれなかったの
君はコーヒー 僕は緑茶、いつもの
掛け違えたボタンを一つ一つ外す。異なる選択をした他者との掛け違いを、恐る恐る共存しようと歩み寄る。そんな行為を愛しているという描写から、自分と異なる選択をする他者を受け入れようとする「愛」が表現されているように思います。
そして、上記のインタビューにおいても、彼女は曲の最後にはいつも、その曲で伝えたい事を強調してくれるフレーズを置くと言っています。
特に印象的なのが、「自由に慣れるほど不自由」というフレーズ。最初は「なぜ”慣れる”なんだろう?」と思いましたが、慣れるは変化を表し、もともと何かしらの制約があった状態から、それを取り払われて自由になったと一時的に感じている。そして、「自由」が当たり前になっていくほど、無数の選択肢に悩まされるというパラドックスが表現されているように思います。
違いを否定せずに、共に生きる。
結局、この曲は「君はコーヒー、僕は緑茶」というフレーズに込められたように、異なる価値観を否定せず、それでも一緒にいたいと思う気持ちを描いています。
誰かと違う意見を持つこと、選択が異なること。それ自体は悪いことではありません。
大事なのは、どうやって共存するか。そしてその“矛盾”とどうやって向き合うか。この曲を聴くたびに、少しだけ優しい気持ちになれる。そんなふうに感じています。
もしかすると、この記事を書くこともまた、私にとっての「掛け違えたボタンを外す」行為だったのかもしれません。
