「いびつさ」こそが、子供が主役の証。私が学校行事で「完成度」を敵視する理由。
もうすぐ「6年生を送る会」のシーズンです。
体育館で行われる各学年の出し物。 よどみない構成、笑いあり涙ありの演出、一糸乱れぬ群読……。
見ていて「すごいな」「感動したな」と思うかもしれません。
でも、私はあえて言います。
その「完璧な発表」は、危険です。
なぜなら、その非の打ち所がない完璧な流れは、ほぼ100%「教師の手」によって作られたものだからです。 それは子供たちの発表ではありません。大人が子供を使って演じさせた「ショー」です。
1.「統一感」の正体
6年生を送る会などの学校行事で、私が違和感を抱くのは「完成度が高すぎる」ことです。 特に、発表全体が一つの壮大なテーマで貫かれているような場合、私は警戒します。
なぜか。
「統一感がある」ということは、一人の人間(多くは担任教師)の頭の中で構成された証拠だからです。
数十人の子供たちが、自分たちでああでもない、こうでもないと知恵を出し合えば、意見は割れます。 やりたいこともバラバラになります。
だから、本当に子供たちが主体的に作った発表は、必然的に「つぎはぎ(オムニバス形式)」になります。 場面ごとのつながりが少し不自然だったり、唐突にクイズが始まったりする。 「いびつ」で「ごちゃごちゃ」している。
これこそが、子供たちが悩み、ぶつかり合いながら作った「本物」の証であると私は思います。
逆に、美しいストーリーで統一された発表は、子供たちを「演者(コマ)」にしてしまいます。 そこに子供の思いを乗せる隙間はありません。 だから「やらされている」と感じてやる気がない子がいたり、過剰な練習で本番前に気持ちが切れてしまう子がいたりするのは、当然のことなのです。
2.教師の役割は「脚本家」ではない
もちろん、子供たちに任せることは怖いです。
放っておけば、グダグダになったり、内輪ウケで終わったりするリスクもあります。
だから私は、子供たちに最初にこう宣言します。
「先生もアイディアがないわけではありません。みんなが手を抜いたり、諦めたりするなら、先生のアイディアを採用します。先生の言った通りに動いてもらいます。それでみんなは良いのですか?」
子供たちの表情が変わります。「自分たちでやりたい」というスイッチが入ります。 そこからが、本当の教育(特別活動)のスタートです。
教師の役割は、脚本を書くことではありません。子供たちが気づけない視点を与える「アドバイザー」に徹することです。
「流行りの歌を替え歌にするのは面白いね。でも、マイクがないと体育館では歌詞が聞こえないよ。どうする?」
「ダンスをするのはいいけど、ダンスが苦手な子はどう参加する? 簡単な振り付けを考える?それとも役割を分ける?」
そうやって問いかけ、子供たち自身に解決策を選ばせる。 そのプロセスこそが、行事を通した成長です。
3.「待つ」という名の、教師の苦行
しかしながら「子供たちに任せる」 と言葉にするのは簡単ですが、実行するのは「地獄」です。
一般的に、教師の手が多く入れば、見栄えの良い「完成度の高い発表」は容易に作れます 。 私たち教師はプロですから、どう構成すれば感動的になるか、その「正解」を知っています。
だからこそ、あえて手を出さずに見守る時間は、猛烈なストレスとの戦いです。 5分で解決する問題を、子供たちは3日かけて悩みます。
「そこはこうすればいいんだよ!」と喉まで出かかった言葉を、何度も飲み込みます。 失敗すると分かっていても、あえてその道を行かせる。
「指導力不足だと思われないか」「本番までに間に合うのか」
そんな不安と戦いながら、じっと口をつぐんで待つ。 この「待つ時間」こそが、子供の自律を育むための代償であり、教師の覚悟が試される瞬間です 。
4.「不格好さ」の先にあるもの
私がそこまでして「完成度」を捨て、子供たちに委ねる理由。
それは、学校行事を「子供たちが自律するための最大の好機」と捉えているからです 。
教師が敷いたレールの上を走らせれば、失敗はありませんが、子供たちの主体性は失われます 。 逆に、自分たちの提案が形になる経験は、「自分たちでできる」という強烈な自己効力感を育みます 。
私は5年生の実行委員の子たちにこう語りました。
「4月になればみんなが最高学年。下の学年にはまだ学校の中にお兄さん、お姉さんがいます。しかしみんなにはもう上には誰もいません。みんなの中からクラブの部長も委員会の委員長も出さなければならないし、縦割り遊びはみんなが担当しなくてはいけません。自分たちで何とかするしかないのです。だからこそ、この会で『自分たちで決めてやり遂げた』という自信を手に入れてほしいのです。」
その時、子供たちの表情は責任感で引き締まりました 。
悩み、議論し、自分たちで選び取った発表は、大人から見れば不格好かもしれません。 しかし、その「不格好さ」や「粗削りな部分」こそが、誰の真似でもない、子供たち自身の「自律の証」なのです 。
5.「いびつさ」こそを愛してほしい
学校行事はショーではなく、子供の成長を促す教育の場です。
大人から見れば多少見劣りするアイディアであっても、子供たちの思いを尊重し、採用し、実行させること。このプロセスを通した経験こそが、「自分たちでできる」という自己効力感を育みます。
ですから、この記事を読むお子さんを持つ保護者の皆様、そして先生方にお願いがあります。
子供たちの発表を見て、 「あれ? 話がつながっていないな」 「ちょっと間延びしたな」 「なんだか不思議な構成だな」 と思ったとすれば
どうか、その「いびつさ」を評価してください。
その「隙間」や「ズレ」こそが、教師のレールを拒否し、子供たちが自分たちの頭で必死に考え、悩み、作り上げた「自律の証」である可能性があります。
完成度の高さ(大人の仕事)に拍手を送るのではなく、 不格好でも自分たちでやり遂げた子供たちの「意思決定のプロセス」に、心からの拍手をお願いします。
