もうひとつの藤圭子伝説について(最終回その3)
前回に続き、圭子さんにまつわる疑問、不思議を解き明かしていきます。
☆藤圭子の「放浪の旅」の中身について
藤圭子の「放浪の旅」について、照實氏はどのように説明しているのでしょう。「直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました。そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、「元気?」という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした」と圭子さんの自死後の2013(平成25)年8月26日付けヒカルさんの公式サイトにおいて宇多田照實名義で述べています。
つまり、圭子さんの「放浪の旅」は直近の12年間と言いますから2001年からはじまったと言っているのです。しかし、圭子さんの不遇は1999年からはじまっています。
宇多田ヒカルさんは、1997年、東京でレコーディングをしていたところ、この様子をたまたま見た当時の東芝EMIの三宅彰氏にスカウトされ、翌年の1998年末に15歳でCDデビューします。当初はヒカルさんの正体を隠して活動していました。無名の帰国子女との演出でしたが、1999年、藤圭子の実の娘であることが公表されると、照實氏や東芝EMIなどヒカルさんサイドの要請で、暴力団体質があった「藤圭子」を封印させます。
そしてヒカルマネーが入り出した頃に起きた照實氏の不倫にまつわる2000年離婚騒動を境に、圭子さんはヒカルさんは、とともに家を出てホテル暮らしをはじめます。
圭子さんは、ヒカルさんが稼いだ「お金」-いわゆるヒカルマネー-を社長の照實氏が独占しないように腐心します。しかし、ヒカルさんの音楽活動には窓口が照實氏だったため、2001年は、「ヒカルさんは依頼された仕事がこなす中、…圭子さんにヒカルさんが「出て行って」とブチ切れてしま」います。つまり、ヒカルさんの音楽活動に「藤圭子」が関ることを一方的に拒否するのです。
圭子さんはこの一言をずっと引きずっていて、「家には帰れない。娘に嫌われているから」と繰り返し、2002年は、ヒカルさんと圭子は別居し距離を置くことになります。
同年4月には、ヒカルさんに卵巣嚢腫が見つかった年でもあります。また、9月にヒカルさんは、映像作家の紀里谷和明氏と結婚しますが、この時も、夫となった紀里谷氏から圭子さんに「役員を外れてほしい」と切り出されます。そのときは、役員を外れませんでしたが、結局2003年に、ヒカルさんのプロデュースに口を挟まないことを条件として、圭子さんに手切れ金として多額のお金が支払われます。
圭子さんは、家族三人の音楽活動ができなくなり、やがて「夜の新宿2丁目ウリ専バー通い」で孤独を癒やそうとします。「藤さんはちょくちょくお見かけしましたよ。ちょうど10年(2003年)ぐらい前から2年間ぐらいかな。いつも黒い帽子をかぶって化粧っ気はまったくなし。ただならぬオーラがあって、じっと男の子を値踏みするんです。そして、気に入ったコがいると指さして、“泊まり”で連れて行きましたよ。そのほうが安上がりでしたからね」と常連客が話しています。(藤圭子「夜の新宿2丁目ウリ専バー通い」 2013年9月10日 Asageiplus)
それ以降の圭子さんの足取りは、2006年3月ニューヨークのJFK国際空港で起きた米司法省麻薬取締局による「現金計約4900万円相当の差押え事件」後に明らかになっていきます。
ひっそりと帰国した圭子さんは、フジテレビ関係者によると2006年10月に「テレビ局の代表電話に「藤圭子ですが、話したいことがある」と電話が入」り、スタッフが話すと本当に本人だったので急遽ロケバスの中でインタビュー」がなされます。そして、2006年10月22日放送の情報番組『スタ☆メン』(フジテレビ系)の放送の中で、圭子さんは「この5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅している。ファーストクラスのチケット代、(各国の高級)ホテル宿泊代などで、5年間で5億円は使った」、「カジノでは現金所持が当たり前」、「アメリカはカード社会や小切手社会とされているが、現金(の使用)が主流である」と話しています。つまり、2002年から2006年の5年間「5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅していて、ファーストクラスのチケット代、ホテル宿泊代など(カジノも含め)で、5年間で5億円は使った」と言っているのです。
そうなると、ヒカルさんと別居後、「放浪の旅」をはじめたことになります。蛇足ですが、圭子さんは「この5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅している。ファーストクラスのチケット代、(各国の高級)ホテル宿泊代などで、5年間で5億円は使った」と言ったのですが、何故か、圭子さんが「現金はギャンブルなどで得たもの」と言ったばかりに「この5年間(ギャンブル)で5億円は使った」ことになり「ギャンル狂」にされてしまいます。
圭子さんの話を時系列的に並べてみると、2002年に家を出てホテル住まいをして「夜の新宿2丁目ウリ専バー通い」で散在し、この5年間はほとんど日本に帰らず(ときどきは日本に戻っていたことになる)、世界中を旅し、ファーストクラスのチケット代、ホテル宿泊代など(カジノも含め)で、5年間で5億円は使った」と言っているのです。これらの収入源ですが、圭子さんは、歌手封印の直前まで「藤圭子」として歌手活動をしていましたが、ほとんどの収入は「有限会社ユースリー・ミュージック」に入り、藤圭子の活動費を除き、親子三人の生活費に充てられていたと思われます。
しかし圭子さんは歌手を封印させられますので歌手活動の収入はなくなりますが、母からは預金を出してもらえませんから、さほどの蓄えはなかったものと考えています。
そして、ヒカルさんが売れ出すと、「有限会社ユースリー・ミュージック」にヒカルマネーが入ってきます。しかし、副社長だった圭子さんには相応の報酬が払われないことから、2000年頃に音楽評論家の小西良太郎氏に相談し、弁護士を紹介され報酬を確保します。その額は「2億円」だったと言います。
そして、2003年には「ヒカルさんのプロデュースに口を挟まないことを条件に、圭子さんに「手切れ金」が払われたと言います。その額は、圭子さんの2004年の納税額は5966万円からの推定年収は1億6800万円であったと言います。これだけでも3億6800万円余りを手にしたことになります。
「放浪の旅」について、照實氏は直近の12年間(2002年から2013年)と言い、圭子さんは5年(2002年から2006年)と言っているのです。照實氏は明らかに、自死したマンション住まいの時期を含めていて、しかも、圭子さんも2006年以降の動向については必ずしも明確ではないのです。どうやら、ヒカルさんも照實氏の話しに異を唱えていませんから、自死したマンション住まいの時期も含め「直近の12年間好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送ってい」たと理解していたようです。もしかすると、圭子さんも、マンション住まいの時期にも「好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送ってい」たのかも知れませんね。
次に、共通の2002年から2006年の5年間の圭子さんの動向を考え、後に2006から圭子さんが自死する2013年8月22日まで考えて見たいと思います。
●2002年から2006年の5年間の圭子さんの動向について
2002年、圭子さん51歳のとき、ヒカルさんは、圭子さんと別居し距離を置くことになります。同年4月ヒカルさんに卵巣嚢腫が見つかり、圭子さんは困惑します。そんな中、9月に宇多田ヒカルさんは紀里谷和明さんとの結婚を正式に発表しています。宇多田ヒカルさんは当時19歳でしたので紀里谷和明さんとの年の差15歳差の電撃入籍でした。そして、ヒカルさんは、ヒカルマネーが両親の諍いを生む元凶と思い、自らヒカルマネーを管理をしようと、夫となった紀里谷氏から圭子さんに「役員を外れてほしい」と申し入れをします。結局、圭子さんは、役員は外れなかったそうですが、「家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった」と言っていました。「ときには少し涙ぐむ様子で「ヒカルは冷たい」と何度も何度もいって...家族からもう完全に孤立しているという感じでした」(芸能関係者)
2003年、圭子さん52歳のとき、ヒカルのプロデュースに口を挟まないことを条件に、圭子さんに手切れ金として多額のお金が支払われたといいます。莫大な“手切れ金”を得た圭子さんは、その「お金」のせいで人間不信になります。人間不信は孤独を招き、体調不良も追い討ちをかけました。いつしか、圭子さんは、消息不明になります。一方、「ヒカルさんは周囲に母と会うことを禁じられ、3年は会っていなかったようです」(スポーツ紙デスク)との話しもありました。
2004年2月3日 - 2月10日 Utada Hikaru in BudoKan 2004 「ヒカルの5」 5公演、2005年、日本国内の活動再開となる14thシングル「Be My Last」を9月28日に発売し、15thシングル「Passion」を12月14日に発売した。ヒカルさんと照實氏は多忙です。
ヒカルさんの「Be My Last」は「叶わぬ願い」を意味しているようです。2001年のヒカルさんの「突然の絶縁宣言」に、圭子さんは、当時付き合いのあった関係者に、「もうヒカルと は会わない」と漏らします。ヒカルさんの「Be My Last」には、もう「母とは手をつなげない哀しさ」に満ちています。
照實氏からの「ヒカルとの距離を置くよう」と言う言葉は、もともと、ヒカルさんとの親子関係が伏せるための「演出」でしたが、結果として圭子さんの「もうヒカルと は会わない」と言う言葉に繋がってしまいます。そして、その寂しさを紛らわし、孤独を癒やすために、圭子さんの「夜の新宿2丁目ウリ専バー通い」、「カジノ三昧」がはじまるのです。
ここからは、2006年10月の圭子さんが自ら語ったインタビューの内容や関連記事から足跡をたどってみましょう。
ニューヨークのJFK国際空港にて米国司法省麻薬取締局により多額の現金を差し押さえられた現金の内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000カナダドル、5000オーストラリアドル。(計約4900万円)藤(圭子さん)のパスポートには、モナコ、フランス、オランダ、オーストラリア、イギリス、カナダ、香港、及び日本への渡航歴が記されています。
上記の差し押さえられた押収品の中に他人名義の小切手も含まれていました。「その小切手の名義人がA氏だとささやかれているんです。A氏は彼女にとって家族同然の大事な相手であることは間違いないです」と当時を知る人物が話しています。
また2013.9.3Asagei+では、「藤は周囲に、こんなことを漏らしていたんです。最近交際している男性とは、関係は順調で「ラスベガスのカジノにも同行してもらっている」と。そしてその理由を聞くと、単なる交際相手という以外に、「自分1人でお金を持ってカジノに行くと、全て使い切ってしまう。だから彼に現金を持たせて使いすぎないようにしている」と言っています。
A氏とは、この騒動以前の「2005年に藤さんとA氏がオーストラリア旅行に行ったそうで、その時、A氏が多額の現金を所持していたため、通貨法違反で現地当局に逮捕され」れています(2013.08.22 17:38 NEWSポストセブン「転落死した藤圭子さん「家族から孤立していた」との証言も」より要約)。このA氏こそ、圭子さんの自死したマンションの「同居人」なのです。
そして、この現金差押事件が、違法な麻薬がらみの事件でないことを明らかにするため、同年10月に圭子さんはテレビインタビューで釈明するのです。
何故、半年も時間がかかったのでしょう。ここからは筆者の想像です。まず、圭子さんは当初簡単に嫌疑が晴れとと思っていたようで、現地関係者らによると、麻薬取締局の事情聴取に、圭子さんは「現金はギャンブルなどで得たもの。ラスベガスの慈善団体に寄付しようと考えていた」と説明したのですが、あまりに巨額のため一時差し押さえられたと言うのです。しかし、当時のアメリカでは「日本のポップクイーンの母が麻薬取締局と戦闘中」という見出しの記事とともに没収手続きの書類をネットで公開されてしまいす。
このことがやがて、日本の新聞やマスコミにも知られることになり、圭子さんは、これまでのいきさつを照實氏に相談したと筆者は考えています。2006年当時には、宇多田ヒカルの母は藤圭子であることが公表されていましたので、今回の事件は宇多田ヒカルの母、藤圭子の「醜聞」だったのです。そのため、圭子さんも照實氏も対応策は同じで、ヒカルさんの評判に傷をつけないよう、藤圭子自身が事件のいきさつなど釈明する必要があると考えて、「テレビインタビュー」となったものと思います。
●照實氏の言う「直近の12年間好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送ってい」たと言う2006年から2013年までの圭子さんの動向について
圭子さんは釈明テレビインタビュー後の動向については、少しですが報道があります。
ホテル業界に詳しい人物によると「6年ほど前(2007年頃)までは港区のホテル『X』の1泊数十万円もするスイートルームに住んでいました。ここには宇多田ヒカルさんも別の部屋を借りて、創作活動をしていました」。ただ、そこで目撃された藤さんの姿は異様なものだった。目撃者は「キレイとは言い難いラフな格好というんですかね。スイートルームに宿泊する人とはとても思えない服装で、ロビーを徘徊していたんです」と話す。藤さんは「X」だけでなく、目黒区にある高級ホテル「Y」にも部屋をキープしていた。ここには宇多田(ヒカル)も夫の照實氏も住んでいたと言います。2013年08月24日東スポWeb
では、圭子さんが自死したマンションにはいつ頃移ったのでしょう。手がかりは次の記事です。2013年8月23日のzakuzaku夕刊フジのWeb版では、「藤圭子さん“自殺の闇” 謎の同居男性、不可解な結婚離婚、奇妙な行動…」と題して、「...不可解なのは62歳の藤さんと30代知人男性の関係だ。少なくとも20歳以上の差がある。関係者によると、内縁関係はないとされ、ともに別々の部屋で寝ていたという。同居するマンションは2006年10月に竣工し、13階には9部屋がある。男性宅は約70平方メートルの2LDKとみられ、約6年前(2007年)からの付き合いを踏まえると、竣工ほどなく同居したことになる」と伝えています。
藤圭子と宇多田照實氏は2007年に離婚したことになっています。Asageiplus 2013年9月5日の中で、「「あの2人、6回の離婚と結婚を繰り返していてワケわかんないです」。宇多田ヒカルの発言に、世間が騒然となったのは2006年のこと。さらに翌年には7度目の離婚に踏み切った藤圭子と宇多田照實氏は25年の夫婦生活を完全に終えた」とあります。
しかし、これも大きな疑問があります。何故なら、2013年9月5日の宇多田ヒカル・オフィシャル・サイトに掲載されたコメントで「父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした」とあるからです。通常これを読むと、当人同士離婚を決意していたが、実際は離婚の手続きをしておらず、戸籍はそのままだったと受け取れます。
それにもかかわらず、日刊サイゾー2013.3.18では、2007年には夫の照實氏と離婚が成立、週刊誌デスクいわく「財産分与で娘の宇多田が稼いだ数百億円の財産の一部を手にしたそうだ」とあり、また、週刊文春 2013年9月5日号に「ベテラン芸能記者」 の話として、2007年に照實氏との「最後の離婚」で、宇多田ヒカルの利権(と親権)を照實氏が手にし、藤圭子はまとまったお金だけを受け取ったとあります。これとは別に「恐らく100億円は受け取っている」との情報すらあります。
ではどのように藤圭子さんの「7回離婚」が報道されたのかを考えて見ます。2018.4.18のAERA dot. (アエラドット)では「宇多田ヒカル2度目の離婚、母・藤圭子は7度も 離婚は遺伝する? 専門家が解説」 と題して、「シンガー・ソングライター宇多田ヒカル(35)の2度目の離婚は、いくつかのメディアで母・藤圭子さんが「7回離婚した」という情報とともに報じられた。理由も時期も不明なままだが、インターネット上では驚きの声とともに、一部で「やっぱり」という反応も」とある。藤圭子さんの「7回離婚」は、理由も時期も不明のまま事実化してしまっているようです。そもそも、圭子さん、照實氏ともに「圭子さんの醜聞」がヒカルさんに影響が及ばないように、離婚したように詐(いつわ)っていたら、「財産分与で娘の宇多田が稼いだ数百億円の財産の一部を手にしたそうだ」という報道も事実かどうか分かりません。
ここでもう一度、圭子さんの財産状況を見てみましょう。2006年以降ですが、ある知人には「今はもう2000万円くらいしか持っていない」と話していたようです。そして、2007年に夫の照實氏と離婚が成立します。週刊誌デスクいわく「財産分与で娘の宇多田が稼いだ数百億円の財産の一部を手にしたそうだ。(日刊サイゾー2013.3.18より)」また、週刊文春 2013年9月5日号に「ベテラン芸能記者」 の話として、2007年に照實氏との「最後の離婚」で、宇多田ヒカルの利権(と親権)を照實氏が手にし、藤圭子はまとまったお金だけを受け取ったとあります。( 週刊文春 2013年9月5日号の「ベテラン芸能記者」 の話より)これとは別に「恐らく100億円は受け取っている」との情報もあります。そしてその後、2009年ケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還が決定(計約4900万円)し、全額返還されます。どう見ても、お金に困って自死したとは考えづらいです。
ただ、本当に「財産分与で娘の宇多田が稼いだ数百億円の財産の一部を手に」できたのかと言う疑問は残ります。さらに、「宇多田ヒカルの利権(と親権)」とありますが、「宇多田ヒカルの利権」とは、作詞作曲の印税、歌唱印税、プロデューサーの印税を指すと思います。また、「宇多田ヒカルの親権」ですが、ヒカルさんは当時23歳ですので親権を渡したとは理解できないので、恐らくヒカルさんが未成年の時に管理していた財産を指すものと思われます。いずれにせよ、圭子さんが「最後の離婚」によって、手にできるとは考えられません。
また、離婚にともなう財産分与(婚姻中に夫婦が協力して築いた財産を離婚時に清算・分配することを「財産分与」といいます)が考えられます。 財産分与は夫婦に共有の財産がある限り、離婚時に必ず発生するものです。 また、離婚慰謝料とは異なり、不貞行為などの離婚原因を作った側からも請求することができます。もし、離婚にともなう財産分与だとしたら、「夫婦に共有の財産」として何が考えられるでしょうか。夫や妻が会社を経営している場合、預金や不動産など資産が会社名義となっているケースは、原則として財産分与の対象外です。しかし、会社の成長に対する貢献度が大きいと考えられる場合、会社名義の資産も分与が認められる可能性があります。事実上の個人資産と評価できる会社名義の資産は車や預金、不動産など、基本的に全てが財産分与の対象となりますが、会社の従業員や特許、許認可などは個人ではなく、会社に専属的に帰属しているため、そもそも分けることができません。そのためこれらは分与の対象外です。
このように考えると、 実際に「最後の離婚」をしたかどうかは別に、照實さんが圭子さんに支払ったという中身ですが、もともと「娘の宇多田が稼いだ数百億円の財産」の「財産分与」は対象外のようですので、筆者が考え得る照實さんが圭子さんに支払ったという中身は、以下のとおりだと考えています。
圭子さんが自死したマンションの13階の部屋の同居人名義人でしたが、金銭的なことは圭子さんが出していたと言われています。筆者の想像ですが、照實氏の言う「光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました」とありますので、ホテル住まいのときに、圭子さんに「マンションの購入費と月々の経費と同居人の報酬」を支払うことを条件に、マンショに移り以後必要以外の電話をしないことで合意したのではないかと考えています。
次に、支払いの形跡ですが、歌手を封印したはずの圭子さんについて、2013年10月14日(月)の照實氏のツイートでは「おはよう!藤圭子は引退していません。最後までu3music所属の専属artistでした。teruzane RT 」とあります。つまり、u3music所属の専属artistとして圭子さんに関する経費として支払っていたともの考えています。
報道によると、ケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還計(約4900万円)が決定した2009年以来、藤圭子さんの携帯電話がつながらなくなり、奇行が始まったと言われています。「携帯電話は勝手に解約しちゃうし、誰も連絡が取れない。北海道のすすきのや、四国の山中で目撃されたこともあった。娘の宇多田も母親の所在を把握しておらず、心配していた」(芸能プロ関係者)と言います。
これも事実なのでしょうか?携帯電話は誰が解約したのでしょうか。これも想像の域を出ませんが、「必要以外の電話」をさせないよう、照實氏と同居人の携帯電話でのやり取りに限定していたのではないかと考えています。圭子さんが直接照實氏に電話するときは、同居人をクッションになっていたのではないでしょうか。さらに、圭子さんの自死に際して、娘の宇多田ヒカルにもレコード会社を通じて連絡をとったと言うのですから、照實氏はヒカルさんの連絡先も知らなかったようです。つまり、ヒカルさんは照實氏に連絡を取る場合はレコード会社を通じて行い、圭子さんが照實氏に連絡を取る場合は同居人を通じて行っていたと推量できると思います。
さて、圭子さんが住まうマンションは、至る所に監視カメラが設置され、玄関ロビーにはコンシェルジュがいる所で、圭子さんが暮らしていた部屋は、約74平方メートルの2LDK、購入価格はおよそ6000万円ほどと報道されています。2007年頃に照實氏と「最後の離婚」をしてから亡くなるまでの最後の6年間、圭子さんはこの部屋で“監視役の男性”(同居人)と過ごしていたことになります。ほとんど外出することがなかったため、目撃談はわずかしかありませんが、「ハイヒールをはいたきれいな女性だった」と言う人もいれば、「年齢以上に老けこんでいて、もう面影もなかった」と両極端の証言があります。
そんな圭子さんですが、2010年にある行動をおこしています。
「週刊文春」(文芸春秋)によると、宇多田は現在、英・ロンドンで09年に交際が報じられた8歳年上の画家・福田天人氏と同棲中。ヒカルさんも結婚・離婚を経験し、3年前(2010年)に母親同様、突然無期限の音楽活動休止を宣言し、今は8歳年上の福田天人氏とロンドンに暮らしているという。「二人が同棲を始めてからのことです。ある夜、突然、藤さんがいらっしゃったんだそうです」と語るのは福田氏の祖母である。恋人の母親の急な来訪。当然、福田氏は驚いた。そんな困惑をよそに、こう藤は告げたそうだ。「娘を、よろしくお願いします」これだけ言うと、藤は帰っていったと言う。
3年前(2010年)、孤独に追い込まれた藤さんは、週刊文春誌上で藤三郎氏が言うのには、絶縁状態になっていた母、竹山さんの元を訪れて、3000万円を渡したことを明かしていています。2013年9月12日号 週刊文春から、竹山澄子さんの妹で藤圭子の叔母に当たる竹山幸子さんの話を引用します。「姉は2010年11月に亡くなりました。同じ年の2月、純ちゃんが「お母さん、今までごめんなさい」と言って突然訪ねてきた。1週間ほど姉の高島平のアパートに泊まっていたそうです。「親不孝してごめんなさい。お母さんと一緒に住みたい」。純ちゃんはそう言ってきたそうです。実際に純ちゃんが三田にマンションを購入して、母娘で生活する計画を立てていた。姉は当時すでに体調が悪くなっていて「住み慣れた場所から離れたくないけど、純子とも暮らしたい」と悩んでいました。私はずっと音信不通だった純ちゃんがそう言うのよ。住んだらいいじゃない」と言いました。姉はこのときに純ちゃんから西新宿のマンションに住んでいるとは聞いていた。自殺の時、同居していた男性についても、「宇多田さんから(純ちゃんの)マンションに一緒に住むように指示されていた人」だと言っていたそうです。純ちゃんの体調はあまり良くなかった。アパートで血を吐いたりしていました。鮮血を吐いたんです。あの子は1日にコンビニのおにぎり1個しか食べなくて、体も細かったから本当に体調が心配でした。私は「純ちゃん、まず体を治さないとだめよ」って声をかけました。医者に行きたがらないから。でも、姉が診てもらっている北里研究病院なら行くと言ってくれて。病院も近いという理由で三田にマンションを買うことになったのです。ところが1週間、姉と暮らしたけれど、「もういい」と気が変わってしまって帰ってしまった。当時も精神的に不安定なところがあったようで、それっきり連絡が途絶えてしまった」とあります。また、別の記事では、実は、母親が亡くなる数ヶ月前(2010年)には、純子も母親を訪ねて来ています。このほかにも、「お母ちゃん、これまでゴメンね」と詫びたそうです。和解の印なのか、3,000万円の現金を携え、それを母親に渡しました。しかし、母親は純子の言葉が信じきれなかったと言っていました。その予感どおり、純子は翌日、再びやってきて、「やっぱり、返して」と、現金を持って帰りました。」とあります。
この二件の話しは、まるで「藤圭子」の終活に見えます。
「2010年に宇多田(ヒカルさん)が無期限休養を発表します。活動を休止した理由のひとつには、行方不明の藤を探すという目的もあったと言います。しかし、「これは「引退宣言」ではありません!でも、「休養」でも「充電期間」でも無いんです」と明言し、「むしろ熱心に、そして謙虚に、新しいことを勉強したり、この広い世界の知らないものごとを見て知って感じて、一個人としての本当の自分と向き合う期間になると思います。それは「アーティスト活動」とは違う、「人間活動」かな、と。」と述べています。
同年11月04日に圭子さんの母竹山澄子死去。圭子さんは葬儀に出ていません。母竹山澄子さんは、4日午後5時30分、肝臓がんのため都内の病院で亡くなったと言います。
11月21日宇多田ヒカルは、東京・六本木でFM局・J-WAVEのラジオ番組「TOKIO HOT 100」の公開生放送に出演した際、「50歳くらいになった時、マネージャーなしじゃ何もできないおばさんにはなりたくなかった。イタイ大人になっていくのはかっこ悪い」とも言っています。暗にマネージャー(同居人)と共同生活を送っている藤圭子さんへの皮肉にも聞こえます。
このころ圭子さんは、「私は誰にも知られずに、消えてゆくように死んで行きたい‥‥」と吐露しているのです。
「残間里江子ブログ 駄目で元々雨、アラレ」によると、「2年ほど前(2011頃)だったろうか、照實さんと会って、いろんな話をしたのだが、この時夫婦は既に、何回目かの離婚をしていたのだが、「何といってもヒカルの母親だからね。純子(圭子さん)が望むことには出来るだけ応えて、サポート出来ることは、したいと思っているんだよね」と、保護者のような、あたたかな表情で、元妻を語る照實さんにも驚いた」とあります。
しかしその頃、圭子さんは、自死したマンションの中に孤独でいたはずです。同じマンションの住人によれば、「足元のおぼつかない藤さん(実際は自殺するまで藤とは気づかなかった)を男性が手を引いてエレベータに乗せていた。かなり足腰が弱っている印象だった」と話す。その住民によれば、親子のように見えたという。さらに、「藤圭子さんとは知りませんでしたが、13階に住んでいる女性は普通の主婦っぽくなくて目立ちました。目が少しうつろで、ボ~ッとしているようにも見えました。よく若い男性が手首を引いて「こっち! こっち!」とやっていたので“息子さんかな”と思いました」、また別の50代女性は「マンションの玄関前で、若い男性が「阿部さん、阿部さん」と呼んでいるのを見たことがある」という。M氏(同居人のこと)が普段、藤さんを本名の「阿部」で呼んでいたということは、2人が相当近い関係だったとみていいだろう。ある関係者は、2人の間で金銭的な関係があったとも指摘する。「現場のマンションは3LDKの分譲で6000万~7000万円程度。部屋の名義人はM氏(同居人のこと)だが、資金的な援助をしたのは藤さんといわれている」と報道されています。
去年(2012年)7月、圭子さんの誕生日には、ヒカルさんはツイッターでこうつぶやいています。「宇多田ヒカル@utadahikaru 2012年7月5日「面影平野」歌うカーチャンすごくかっこ良くて美しくて、ああくそどうにかあれダウンロード(保存?)しときゃよかった…」と。
2013年3月18日、恩師 石坂まさを氏(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二)が死去します。71歳。圭子さんは、母の葬儀に続いて、またも葬儀に出ていません。これらから推察すると、目が不自由になり、とても人前に出られる状態ではなかったかと思われます。
書きたいことはまだまだあります。3回で終える予定の最終回でしたが、次回「もうひとつの藤圭子伝説について(最終回の総括)」で本当の最終回にするつもりです。
圭子さんと照實氏との「最後の会話」を中心に圭子さんの自死についての疑問を明らかにします。 つづく
