もうひとつの藤圭子伝説について(その7)
前回は、1999年に、ヒカルさんが、はなばなしく活躍する中で、圭子さんは歌手を封印し姿を隠してしまうところまでお話しをしました。圭子さんは、ヒカルさんがブレークするまで、一家の大黒柱で、圭子さんの地方営業で家族は食いつないできましたが、娘ヒカルが一躍スターになると、お役御免とばかりに存在を表に出すことを制限され、自分が歌を歌う場さえ奪われてしまったのでした。
2000年 圭子さん49歳、ヒカルさん17歳、照實さん53歳
圭子さんは4回目となる離婚騒動を起こしています。この騒動では結局離婚はしませんでしたが、マスコミ各社を動員して照實氏の不倫相手に詰め寄る直前まで行きました。9月発行の文藝春秋にTVレポーターの梨元勝氏が書いた記事を紹介します。
「1月の末だと思います。僕が今出ているテレビ朝日の『スーパーモーニング』のスタッフルームに、藤圭子さんから電話がかかってきたんです。彼女はいきなり「宇多田さん(圭子さんは夫の照實氏をこう呼んでいます)が、家族で経営する事務所「U3 MUSIC」の事務所の女の子と浮気している」という。その女の子は去年の6月に知人の紹介で入ってきた。最初は家族3人でやっていた事務所ですが、忙しくなって経理のできる女の子を入れたんですね。非常にテキパキ働く子だっだらしい。
彼女が言うには、そういう女性がいるんだけれど、私(圭子さん)がいくら宇多田さんに言っても、邪推だ、思い込みだと言って取り合ってくれない。だから何とか裏付けを取りたい。取材してくれないか?と言うんです。「お金がかかるのか」と聞くので、「それは違う。僕たちは探偵事務所じゃないので、テレビで放送できるということなら取材します。あくまでも取材ですよ」と言ったんです。
女性の名前を仮にM子さんとしますと、彼女(圭子さん)は「M子さんが住むマンションに宇多田さんが来るんじゃないか」と言うわけです。僕が行くと目立つので、内輪の人間に頼んでその部屋に見に行ってもらった。結果的には部屋には誰も住んでいないんじゃないか、という返事でした。電気のメーターが回っていないんですね。それが1月の終わりから2月の初め頃の話です。
その後、2月7日以降のことですが、突然彼女(圭子さん)から電話がかかってきたんです。「私はもう絶対信じられない。宇多田さんは彼女(M子)と親密なんだ、私はその現場を見た」という内容でした。その時は言わなかったけれど、彼女は自らM子さんの部屋の前で張り込んでいたんですね。
2月7日、彼女はM子さんのマンション前でずっと張り込んでいた。そうしたらM子さんを送って宇多田さんが一緒に車で来た。もちろん、宇多田さんは自宅に帰ったんですが、彼女(圭子さん)はM子さんの部屋に行ってM子さんを問い詰めるんです。「一体どういうことなんだ」と。ましてや、M子さんは自分の会社の社員ですからね。そして家に帰って宇多田さんと大喧嘩になる。彼女(圭子さん)が家を飛び出した、というわけです。彼女(圭子さん)がはっきりそう言ったわけではありませんが、その後かかってくる電話の端々から、僕はそういう事情を知ったんです。
ヒカルは彼女(圭子さん)と一緒にホテルに移ったんです。というのは(圭子さんとの)電話で喋っている合間に、彼女(ヒカルさん)が「いってらっしゃい」なんて言うんですね。「今、ヒカルが椎名林檎のコンサートに出掛けたのよ」と。(ヒカルさんと圭子さんは、事務所兼自宅のU3 MUSIC」の事務所からM子さんが住むマンションに引っ越ししたようです)
しばらくすると突然、彼女がトーンダウンするんです。「あの時はもう自暴自棄になっていた、もうどうなってもいいと思ったけれど、ハッと我にかえったんです。私がいなければ、ヒカルの面倒は誰がみるの、ヒカルは駄目になってしまう。夫もどうなってしまうかわからない。それで私は何とか気持ちを取り直したんです」と言うわけです。彼女(圭子さん)の電話はいつも、前後の説明抜きで一方的に始まるので、こちらはリアルタイムではよく事情が飲み込めないのですよ。
じゃあこれで納まるのかな、と思っていたら、またすごい騒ぎになるんです。2月の後半から3月初めのことです。確定申告の時期がやってきた。「もう信じられない。宇多田さんが女性問題に続いて、また理解できない行動を取り始めた」と始まった。要するに、U3の経理問題なのですが、プロデューサーの印税は宇多田さんに振り込まれ、作詞作曲の印税はヒカルに振り込まれるはずだ。ところが、これ(ヒカルさんの作詞作曲の印税)が去年の2月から支払われていない。
「私は東芝EMIに行って全部調べた。一番わからないのが、歌唱印税だ」と彼女は言う。歌唱印税は新人歌手の場合、ヒットするかどうかわからないから、けっこうアバウトに決められるらしいんですね。これは事務所宛に振り込まれるのですが、これもどうなっているかわからない。「絶対おかしいわ」となるんです。それが数日間続く。
ところが確定申告の直前にまた電話がかかってきたんです。「梨元さん、ごめんなさい。あれは私の間違いだった。宇多田さんはヒカルと私のために一生懸命考えてくれて、最終的にそれは給料やボーナスの形でちゃんと振り込まれていた。私たちのためを考えてくれる素晴らしい人だったんだ」と言い始めるんです。その頃、僕たちは彼女の言に従って、宇多田氏の名前こそ出していないけれど、「宇多田ヒカルに印税問題が起こっているようだ」とテレビで報道しているんです。エーッてなもんですよ。
というわけで3月の後半に、いったん彼女の気持ちは宇多田さんのもとへ戻ってしまうんですね。その時はまだ、彼女が梨元と話をしているとは、宇多田さんは知りません。彼女は急に、「いろいろ聞いてもらったけれど、もう連絡しません。これを最後にしましょう」と電話してきた。なんだか別れ話みたいになっちゃったんです(笑)。
ところが4月15日にまたすさまじい事件が起きるんです。いままでのように電話がかかってきて、「梨元さん、聞いてください。私(圭子さん)は許せない。あの人(照實氏)が私に暴力を」と。数日後にわかるのは、4月の初めから1週間、宇多田さんはヒカルとニューヨークにレコーディングに行ったんですね。帰ってきたあと、数日の間行方不明になってしまう。連絡がとれずに東芝EMIも困ってしまう。この間、M子さんと一緒にいるんじゃないかと彼女は疑うわけです。
帰ってきた宇多田さんが後で言うには、仕事先の大宮で熱を出して入院してしまった、と。彼女はまだ疑っているから、事務所を出た宇多田さんをつけるわけです。宇多田さんは車で移動するかと思ったら、歩き始めちゃった。彼女も歩いていたら、永田町のあたりで隠れるところもないですから、すぐにバレてしまった。「おまえ、なんだ」と言うので、口論になって突き飛ばされた、と言うんです。
5月の31日に、僕が彼女(圭子さん)の携帯に電話したんです。そうしたら、「梨元さん、今日は私は本当に嬉しかった。ヒカルの卒業式だったんですよ」。僕は知らなかったんですが、『調布の森』というところで夕方からアメリカン・スクールの卒業式(小中一貫校の私立の女子校で清泉インターナショナルスクール)が行われたそうなんです。彼女も参加したし、宇多田さんも来てくれた、と。その頃宇多田さんは事務所に泊まっているなどと言いながら、彼女(圭子さん)とヒカルが生活するホテルには帰っていない。仕事の時にヒカルを迎えに来るだけなんです。ところが、「宇多田さんもとても喜んでくれた。家族の絆って本当に素晴らしいと、今日は実感しました。私たちは幸せなんです」と彼女は言う。
ほんの数日前には、「私たちの泊まっているホテルに宇多田さんの車が止まっていた。絶対に同じホテルでM子さんと会っていたんだ。許せない」などと言っていたんですよ。僕も疲れちゃったから、「わかりました。本当にもう円満にしてください」と言って電話を切ったんです(笑)。
そのうちに、彼女(圭子さん)が原因というわけではないけれど(笑)、僕(梨元氏)が肺炎で熱を出して入院したりして、6月の初めから3週間ほど大変でした。忘れもしない6月21日の夜。僕は病院で点滴を受けていたんです。もちろん携帯電話は切っています。でも虫の知らせか、電源を入れたらメッセージが1件残っていた。聞いてみたら彼女の声で、「梨元さん!」って、もう点滴の針が抜けそうな勢いなんです。
「見つけました!実は今、新宿の○○ホテルに来ているんですが、ここに宇多田さんがM子さんと一緒に泊まっていまして、部屋番号は4401です。今日は私、夜遅くまでここにいるつもりです。宇多田さんは今外に仕事に行っています。中にいるM子さんは中からロックしていてドアは開きません。こういうことで、二人は同棲しているとわかったので、もう肩の荷がおりました。離婚を発表します。二人を取材してほしいから、すぐに来てください」ということなんです。そうは言っても、クレージーキャッツ(昭和のコミックバンド:ハナ肇とクレージー・キャッツのこと)のコントじゃないんだから点滴刺したまま行けませんよ。...
彼女(圭子さん)はすでに、別のフロアにスイートルームを取って、部屋に入っていた。二人の部屋の前まで行ったけれど、フロアの責任者がきて、「ここは宇多田さんのお部屋ではありません。お引取りください」と言われた後だったんですね。別のスイートで、4401の部屋にいる人と連絡が取りたい、返事を下さい、とホテルの人と交渉し続けたけれど、M子さんが宇多田さんに連絡を取ったので、結局彼はそこに帰ってこなかったんです。「確証をつかんだのだから、もう離婚します。明日記者会見します」と彼女は言いました。
翌日、僕は『スーパーモーニング』でこの件について放送している。取材のために彼女がホテルから連絡を取ったスポニチは朝刊で「離婚」と報じている。昼過ぎに東スポ(東京スポーツ)が出たら、僕が「彼女から電話があった」と書いている。それはそうですよ。だって、彼女がそう言ったんです。ところが、その後彼女の気持ちはまた変わってしまうんです。
「東スポの記事を見て、宇多田さんがすごく怒っている。おまえがしゃべたんだろうって激怒しています。私が梨元さんに「宇多田が殴った」とか、いろいろ言っているから、本当に怒っていますよ。1回くらいなら喋ったと言ってもいいですけれど、後は自分で調べたということにしてほしかった。本人は私に、いまに見ていろ、おまえに復讐してやる、と言っています。すごく怖い人ですよ。おまえをクビにするのは簡単だ、給料もやらない、ツアーが終わったらおまえをどうにかする、と脅かしています。クビになったら私はどうしたらいいんですか」と言うんです。
ちょっと待って下さい、あなたは何も悪いことしてないんですよ、僕が言うのも僭越ですけど、これは宇多田さんの女性問題なんですよ、と言っても、「それはそうなんだけれど、怖いんです」と、完全に主客転倒しちゃってる。
しばらくしたらまた電話がかかってくる。
「さっきはちょっと言いすぎました。梨元さんは梨元さんで、私のためを思って書いてくれたと思いますけれど、私があまりしゃべっていると宇多田さんに知られて困ったな、と思ったんです。内容は別に間違っているわけではありませんし」と言う。もう何だかわからない。2,3日後、僕が正式な退院間際に地方で仕事をしていたら電話がかかってきた。結局はこういうことなんです。
「M子さんがあのホテルを出ました。今はもう二人がどこにいるのか、よくわかりません。私が言いたいのは、とにかく私は離婚したいのだけれど、宇多田さんが離婚したくないと言うんです。宇多田さんがまた怒ったら困るんですが、私としては子供のためにも考え直して3人でやっていきたいと思っていますので、どこかでそう伝えて言っていただければいいんですけど、宇多田さんには宇多田さんの考えがあって行動しているんだろうから、宇多田さんが好きなようにできるよう、サポートしていくのが妻の役目だと思っています」、「じゃあ、許すんですか?」と聞くと、そこは理路整然としていて、「許すということは認めることだから、嫌だ。ヒカルのためにも私がこれ以上追求しなければいいんだ」と言うんです。
「宇多田さんはタレントじゃないから記事を書かれてすごく苦しんでいる。私は何を書かれても慣れていますけど、彼は悪者に書かれて苦しんでいる。19年間、彼は私にはとてもいい人だったし、彼のおかげで人生、助けられたと思っていることがたくさんあるので。私がただヤキモチをやいて、離婚だって騒いだけど、忙しくて彼もイライラしていたんでしょう」、「タレントじゃないといったって、彼はインタビューを受けていますし、完全な一般人じゃないですよ」と僕が言っても、「いいんです。彼は今回のことで、みんなにひどいひどいと言われたけど、私たちのために10倍、20倍、30倍も働いてくれた。私たちのことを思っているとわかりました。宇多田さんとヒカルにめぐり合ったことを神様に感謝して生きてきたのに、こんなことぐらいで私が騒いで、宇多田さんやヒカルに迷惑をかけてしまった。宇多田さんのこと、もうこれからは何も言いません」と。
また違う日には「梨元さん、18歳になったら、子供は親を選べるんです。だからヒカルが18になるまで待てばいいんです。でも長いですよ」と言う。長いと言っても、あと半年かそこらですよ、と言うと、また別の日に、「ヒカルが20歳になるまで見守りたい。親子3人でニューヨークに行って暮らしたい」と言う。毎日のように気持ちが変わってしまうんです。ともかく、一貫しているのはヒカルのために我慢するんだ、ということですね。それから彼女独特の哲学があるんです。僕が「宇多田さんが彼女(M子)と別れればいいじゃないですか。ここまで家族を追い詰めて、彼は一体、何をやっているんですか」と言うと、「そうじゃないんです。私は、人が誰かを好きになるのは止められないと思っている。その人の気持なんだから、彼女(M子)と別れてくれとは言えない。でも、結婚していれば誰かが苦しむ。当然、私が苦しめられる。これは嫌だから、私と別れてほしい。私を解放してほしいんです」と。
「藤さん、これは宇多田さんの浮気なんですよ」と僕が言ったら、「男は浮気するでしょ。梨元さんは浮気したことないんですか」と逆に聞かれて、「いやいや、それはべつに」と黙ってしまいました(笑)」。圭子さんの言っていることが日によって全く変わってしまうので梨元氏も対応に面食らったと思います。圭子さんは照實氏の浮気でストレスフルな状況だったのでしょう。感情が不安定になっています。照實氏の浮気問題の渦中で、ある日には照實氏を非難していたのに、別のある日には照實氏を称賛しています」。
この離婚騒動ではヒカルさんもかなり精神的につらい状況に立たされたようです。2000年7月の週刊文春に宇多田家をよく知る知人が藤圭子から聞いた話が掲載されています。「知人」に藤はこんな秘話まで打ち明けていました。「杉並の自宅で生活している頃、ヒカルが何度も涙を流しながら、「私、ノイローゼになりそう。もう、どっちの言い分も聞きたくない」と、大きな声で訴えたことがあったんです。ホテルに移ってからも、3月初旬にバスルームで壁を叩きながら大声で泣いたことがありました。これは私達のことだけでなく、レコーディングなど、いろいろなストレスが溜まっていたのだと思います。(中略)ヒカルは「苦しいけど、自分のため、ファンのためにやっているんだ」と、外向けには明るく振る舞っていたんです。ヒカルのためにも、私は一刻も早く、落ち着いた生活を取り戻したいんです」。 ヒカルのためにも離婚騒動にケリをつけたいという母親としての藤圭子の思いがうかがえます。
このときの離婚騒動では、藤圭子はスポニチの圭子番記者である阿部公輔氏にも約半年間に渡って連絡を取っており、6月21日には照實氏の不倫相手がいるホテルに阿部公輔氏を呼び出しています。2013年8月27日のスポニチから引用します。
「毎日連絡があった。宇多田のデビュー翌年の2000年頃は1日に6、7回電話があり、時間の感覚を失っていたのか、午前4時ごろにかかってくることも。宇多田に「嵐の女神」という歌があるが、藤さんからの電話はまさに「嵐の前兆」で、家族など周囲への不満が爆発した時。ひたすら、なだめるしかなかった。それが噴火してしまうのが、2000年6月の離婚騒動。半年近く本人を説得してきたが「不倫現場をつかみました。離婚届に判を押します。阿部さんが来ないなら、ほかにしゃべる」と言うため、西新宿のホテルへ急行。すると、不倫相手がいるというスイートルームのドアを叩きながら「ドアスコープ」と呼ばれる小さなレンズをのぞきこみ「いるいる!」と叫ぶ。外から部屋の中を見ることはできないのに。でも、別部屋で落ち着かせて、しばらくなだめると「宇多田(照實)さんは自分を人生のどん底から救ってくれた人」と言う。生前、照實さんとの離婚回数を「書類上6、7回。実質は13回くらい」と明かしていた。
「人生のどん底」というのは、一時引退した1980年に一緒に暮らすはずだったジャーナリストの沢木耕太郎に裏切られたときのことを指しているものと思われます。(筆者は、人生の目的を失っていた時期にの意だと思っているのですが...)そのどん底状態を救ってくれたのが照實氏でした。藤圭子は照實氏の不倫現場を押さえて離婚宣言をしますが、その3日後に撤回しています。
宇多田ヒカルさんも、「笑っていいとも」(フジテレビ)の出演した頃のことでこんなことをつづっています。「 ありゃあアレだね、その日に親のことをいろいろ報道され始めたからだろうね。いろんな記事があってどこまでが事実でどこまでが嘘なのかもう把握できる範囲外って感じだけど、私よりも周りの人たちが気にしてるみたいでなんか悪いなー!私、自分の恋愛に親に口出ししてほしくないから、自分も親の恋愛には口出ししないようにしてるし、あんまり興味無いのね。(そういう考え方って変??私のおかしなモラルの中ではとても筋の通った哲学なんだが・・・)幼少時に積み重ねた経験のおかげで今となっては私離婚と再婚のプロだし(笑)感覚もおかしくなるわなそりゃ。(Hikaru Utada Official Website | MESSAGE from Hikki より)」と。
梨元氏は「彼女の電話はいつも、前後の説明抜きで一方的に始まる」と書いているように、藤圭子は相手の立場にたって、相手に気を使う、ということができなかったようです。同じようなことは石坂まさをもその著書『きずな』で書いています。ヒカルを歌手に育てるために日本と米国を往復しながら生活していた時、ヒカルに出国することになることを出国日の前日になってからようやく話した、というエピソードも納得できる気がします。
日によって感情が不安定になっていた藤圭子ですが、最終的には照實氏を理想化しています。藤圭子にとって照實氏は時々問題を起こすことがあったとしても、結局はパートナーとしての関係を続けていきたい大切な存在だったのでしょう。
また引用します。「すでに本誌(「噂の真相」)が昨年6月号(5月号?)の特集記事でも報じているように、宇多田ヒカルが大ブレイクして以降、その仕事を一手に仕切ってきた照實は藤をないがしろにするようになっており、その関係は破局寸前だったのである。「照實の浮気相手は、『U3ミュージック』で経理などを担当していたスタッフのMって女性なんだけど、ホテルでの"同棲"が藤にバレてしまった。それでキレた藤がマスコミを使って反撃にでたんだ」(前出・スポーツ紙芸能記者)
2000年頃、音楽評論家の小西良太郎氏は、藤から電話をもらったという。「会うと彼女は「私、事務所の副社長なのに、方向性を断片しか知らされていない。ヒカルと夫だけで話が進んでいって、仲間外れにされている」と愚痴るんです。しかも、お金を一銭ももらっていないというから、それはおかしいと言って弁護士を紹介しました。そうしたら1ヶ月くらい後に「ありがとうございます。解決しました」とお礼の電話があった。「良かったね、いくら入ったの?」と聞いたら「2億円」って言うから、あまりの額の大きさに絶句してしまいました」と。
2000年7月、宇多田のファーストツアーの札幌でのステージ。宇多田の「ママー」という呼びかけに応えて舞台に上がった藤さんは、娘(ヒカルさん)とともに「圭子の夢は夜ひらく」をデュエットした。その日は夫・照實さんの誕生日だった。会場にいた札幌在住の音楽ジャーナリスト・内記章さんは、藤さんの幸せそうな顔が脳裏に焼きついていると話す。「藤さんは娘の活躍が嬉しかったんでしょうね。当時、メディアにはほとんど出ていなかったので、突然の登場に驚きました。ヒカルさんは、藤さんが歌うのを、横から温かい目で見守っていました」。もしかすると、この頃が彼女の幸せの絶頂だったのかもしれない。夫・照實さんとは離婚再婚を7回にわたって繰り返した。
2001年 圭子さん50、ヒカルさん18歳、照實さん54歳
宇多田照實氏の元愛人と騒がれた事務所の元社員のMさん(当時27歳)が、実は人気AV女優 鏡樹里亜だったことが発覚します。 (東スポ、2001年)
2001年「宇多田照實氏は、ヒカルの威光をカサに愛人を作る。所属の東芝EMIには無理難題を押し付ける」ことを見かねて、芸能界の実力者が、圭子さんに音楽出版社を作ろうと提案。 “宇多田パパ外し”を画策しているという話しがでたのです。(2001年、東スポの記事 )また、東芝EMI関係者のコメントとして「愛人を作るのは勝手だが、 愛人の「お手当て」をレコード製作費でまかなうのはやめてほしい」、 照實氏はヒカルのシングルCDが出るたびに、5000~6000万円を要求するそうで 「曲が売れるのでメーカーは何も言えないのが実情。レコード製作費の一部が私物化している」と言い、この横暴を止めるべく、「不倫夫 宇多田照實外し」で圭子さんに音楽事務所を設立をもちかけ、まわりもその動きに賛同しているという話さえありました。
「6度の離婚、再婚を繰り返した藤さん夫婦ですが、このころ、藤さんは照實さんと娘(ヒカルさん)のプロデュースをめぐって何度も揉めていました。夫婦 としてはもう修復できない関係になっていました。ことあるごとに、ヒカルをここまで成長させたのは私よ!と言い出す母の姿を見て、母娘 関係も険悪になっていきました。ヒカルさんは照實さんと行動を共にし、母を避けるようになったんです」(音楽関係者)。そんな互いを支え合う父娘の姿を見て、藤さんは疎外感から、さらにヒステリックになっていった。 「ヒカルさんと照實氏はギリギリまで我慢していましたが、それがつに限界に達したある日、ついにヒカルが「出て行って」とブチ切れてしまったというのです。(ヒカルはついに母親に「もうこの場にはいないで」と絶縁宣言をしてしまったのだという。(その結果)莫大な「手切れ金」を得た藤(圭子さん)は、その「お金」のせいで人間不信になる。人間不信は孤独を招く。体調不良も追い討ちをかけた)。藤はこの一言をずっと引きずっていて、「家には帰れない。娘に嫌われているから」と繰り返していました。ヒカルは本当は話しかけたくても、母親のほうから頑なに没交渉だったのです」(芸能関係者)※AERA 2013年9月9日号
2002年 圭子さん51、ヒカルさん19歳、照實さん55歳
宇多田ヒカル 光 2002年年間オリコンランキング10位。ゲーム『キングダムハーツ』の主題歌。
宇多田ヒカル COLORS 2002年年間オリコンランキング3位。
この年、ヒカルさんは、藤圭子さんから独立し、別居することになります。
4月、まだ19才だったヒカルさんに卵巣嚢腫が見つかりました。左側の卵巣は直径5cmもの腫瘍で腫れ上がり、手術で左卵巣を全摘出した。手術に際し、宇多田の口から真っ先に出たのはこんな言葉だったという。「私、妊娠できますか?」。手術後は治療薬の副作用地獄が待っていた。ヒカルさんが行ったのは「偽閉経治療法」と呼ばれ、薬で女性ホルモンの分泌を抑え、閉経したような状況を擬似的に作り出し、卵巣の働きを抑える方法でした。だが、この薬の副作用により、宇多田は長年、頭痛や体のほてり、精神不安など、更年期障害と同じような症状に悩まされました。闘病中の2002年9月、ヒカルさん、紀里谷和明氏(当時47才)と結婚します。
紀里谷和明氏は、CM、広告、雑誌のアートディレクションなど幅広く活躍。撮影を通じて知り合った宇多田ヒカルと結婚。挙式・披露宴は行われていませんでした(2007年に離婚)。ヒカルさんは紀里谷和明氏(45才)と電撃入籍したが、これが、父娘の溝を深めるきっかけになった。「結婚後、ヒカルさんは自分の活動について、父ではなく紀里谷さんを頼るようになりました。面白くない照實さんは事あるごとに紀里谷さんの方針に口を出し、トラブルが続出して…。ふたりの間に板挟みとなったヒカルさんは苦悩して、以後、照實さんと距離を置くことになるんです」。(前出・ヒカルの知人)女性セブン2013年10月17日号
同時期に、ヒカルさんのコンサートを開く権利を無断で圭子さんが第三者に売ろうとしたことが発覚します。このようにヒカルさんを巡るプロデュース方針で社長の宇多田照實氏と副社長の圭子さんとの間で意見が食い違い、いつしか、圭子さんが立ち上げた娘ヒカルさんの所属芸能事務所でもある有限会社ユースリー・ミュージックから追放されることになります。
娘のヒカルが4年前(2002年)に紀里谷さん(紀里谷和明氏・写真家、映画監督)と結婚するときに、ヒカルの個人事務所(有限会社ユースリー・ミュージック)の役員を外れてほしいと家族に迫られたそうなんです。結局、役員は外れなかったそうですが、「家族からそんなこと言われると思わなかった。それから人間が信じられなくなった」と言っていました。(2006年11月2日の女性セブン)
圭子さんは、ヒカルさんのイメージに傷をつけないよう隠遁生活をおくりますが、あれだけエネルギーに満ち溢れた圭子さんですから、ヒカルさんへのアドバイスもできず意見さえ言えないことから、ギャンブルなどにはけ口を求めます。それでも音楽の興味は尽きていなかったようです。
圭子さんは、「夜の新宿2丁目ウリ専バー通い」で孤独を癒やそうと散財していたといいます。圭子さんの心の闇は、若い男たちとの夜遊びでは満たされなかったようです。「ただ、金離れはいいんだけど、自分のことはほとんど話そうとせずに、従業員のプロフィールを根掘り葉掘り聞くのが好きだったみたい。それで、興に乗ってくると説教が朝まで続くとか。さすがに、何人かの子は懲りていて、指名されるのにおびえていたようです」(前出・常連客)。
2003年 圭子さん52、ヒカルさん20歳、照實さん56歳
圭子さんは、ヒカルさんのプロデュースに口を挟まないことを条件に、手切れ金として多額のお金が支払われたいいます。実際、藤圭子の2004年の納税額は5966万円、推定年収は1億6800万円でした。(2003年)莫大な“手切れ金”を得た藤は、その金のせいで人間不信になる。人間不信は孤独を招く。体調不良も追い討ちをかけたようです。このころから、圭子さんの行方が分からなくなります。(恐らく2000年に得た「有限会社ユースリー・ミュージック」の副社長としての取り分の2億円と今回の「手切れ金」推定年収は1億6800万円を持って夫の宇多田照実氏のいう「直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら」出かけたのでしょう。
この頃のことを「残間里江子ブログ 駄目で元々雨、アラレ」では、「ヒカルちゃんが大ブレークした頃には、傍をウロウロすることに躊躇いがあり、いつしか少しずつ、疎遠になっていったのである」とありまた、「今考えれば、何故頑なまでに会わなかったのか、不思議な気もするのだが、娘のヒカルちゃんが、あれだけ大ブレークをしたことで、「物欲しげナ人間に思われたくない」という、見栄が働いたのかもしれない」と書いています。
2004年 圭子さん53、ヒカルさん21歳、照實さん57歳
宇多田ヒカル 「誰かの願いが叶うころ」をリリースします。映画『CASSHERN』のテーマソング。
その歌詞には「小さなことで大事なものを失った 冷たい指輪が私に光ってみせた 「今さえあればいい」と言ったけど そうじゃなかった あなたへ続くドアが音も無く消えた あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ それでもあなたを引き止めたい いつだってそう 誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ そのまま扉の音は鳴らない… 誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ みんなの願いは同時には叶わない」と書かれています。
ヒカルは、こうも言っています。「私が曲をつくる原動力って結局”恐怖”と”哀しい”と”暗い”なんですよ、全部」と。(思えば、宇多田ヒカルの歌声はどれもが悲しみに満ちています。彼女のヒット曲がダンスナンバーですらクールなのは、彼女の歌声のおかげです。生まれながらにして「ブルース」の声を持って世に出てきたアーティストはそうはないでしょう)
2005年 圭子さん54、ヒカルさん22歳、照實さん58歳
宇多田ヒカル 「Be My Last」をリリースします。映画『春の雪』の主題歌
その歌詞にはもっと素直に「母さんどうして 育てたものまで 自分で壊さなきゃならない日がくるの? バラバラになったコラージュ 捨てられないのは 何も繋げない手 君の手つないだ時だって」と書かれています。そしてこの年、「有限会社ユースリー・ミュージック」から藤圭子の名前が消えるのです。
さらに同年、宇多田ヒカル 「Passion」をリリース。ゲーム『キングダムハーツ2』の主題歌。
その歌詞には「思い出せば遙か遙か 未来はどこまでも輝いてた きれいな青空の下で 僕らは少しだけ怯えていた 懐かしい色に窓が染まる 前を向いてればまた会えますか」と綴っています。
2006年 圭子さん55、ヒカルさん23歳、照實さん57歳
宇多田ヒカル「Keep Tryin’」を2月22日にリリースします。iTuneの年間ダウンロードランキング1位(250万ダウンロード)。KDDI・沖縄セルラー電話『au LISTEN MOBILE SERVICE(LISMO!』のCMソング。その歌詞には「I don't care about anything どうでもいいって顔しながら ずっとずっと祈っていた 無い物ねだり ちょっとやそっとで満足できない だからkeep trying 10時のお笑い番組 仕事の疲れ癒やしても 一人が少しイヤになるよ そういうのも大事と思うけど」と。
ちょうどその年の3月3日に、 圭子さんが、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される事件が発覚します。米国司法省麻薬取締局による没収で、内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000カナダドル、5000オーストラリアドル(計約4900万円)でした。(機内に持ち込める現金やトラベラーズチェックは100万日本円や10,000米ドルまで)きっかけは、麻薬犬による検査で、現金からは微量の規制薬物が検出されたことから、米国司法省麻薬取締局は、現金が麻薬取引のためにすでに使われたか、あるいは使われる意図があったと結論付け、全額を没収したのです。
藤(圭子さん)は「麻薬とは一切関係がない」と完全否定しました。 大金を所持していた理由について「世界中を旅している。パリ、モナコ、アムステルダム、メルボルン、シドニー、コネチカット、ニュージャージー、ネバダ、カリフォルニア…。 ファーストクラスの飛行機代、ホテル代などで5年間で5億円は使った」。さらに「カジノでは現金所持が当たり前」と説明しました。藤(圭子さん)のパスポートには、モナコ、フランス、オランダ、オーストラリア、イギリス、カナダ、香港、及び日本への渡航歴が記されていました。
3月時点では、ニューヨークのJFK国際空港での事件後、消息が不明だった藤(圭子さん)ですが、当時の芸能関係者の間では、「ニューヨークの心療内科に入院している」といった噂も流れていた。消息不明の時期、藤とヒカルはほとんど会っていないと言いますし、「ヒカルさんは周囲に母と会うことを禁じられ、3年は会っていなかったようです」とも言われていました。(スポーツ紙デスク)
事件後ひっそりと日本に帰国していた彼女に会った知人のひとりがこう語ります。「今回の件に関して、藤さんは「JFKの職員はおかしい。私は世界各国を大量の現金を持って回っているけれども、どこの空港でもこんな目にあったことはない」といっていましたね」と。そんな圭子さんの憤りの一方で今回の事件では、押収品の中に他人名義の小切手も一緒に含まれていたことが明らかになっています。その名義人は、以前圭子さんのアシスタントを務めていたというA氏で、ニューヨークの捜査関係者が言うには、「彼は2005年に藤とオーストラリアに旅行に行った際、多額の現金を所持していたため、通貨法違反で現地当局に逮捕されているんです」と。圭子さんにとっては、現金をめぐるトラブルは今回の件が初めてというわけではなかったようなのです。それはともかく前出の藤の知人によれば今回の事件に関して、圭子さんが強く訴えたのは家族への不信だったと言います。(この小切手の名義人のA氏こそが、その後圭子さんが自死するマンションで同居していた人でした。)(参考:フジテレビ「スタ☆メン」)
「藤さんは「今回の件はすべて家族のせいだ」というんです。「旦那も冷たいし、家族とも疎遠になって、ほとんど一緒にいない。寂しいし、ほかにもいろいろあって人間不信になっている。だから現金を持って、好きなギャンブルをして歩いている」と、切々と訴えるんですよ」。ギャンブル放浪の日々、その原因は家族という藤(圭子さん)。また、今回の来日時に藤に会った芸能関係者は、崩壊のきっかけについてこう聞いたと言います。「娘のヒカルが4年前に紀里谷さん(紀里谷和明氏・写真家、映画監督)と結婚するときに、ヒカルの個人事務所の役員を外れてほしいと家族に迫られた そうなんです。結局、役員は外れなかったそうですが、「家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった」といっていまし た」。
つまり、「断絶は宇多田ヒカルが結婚した4年前から始まっていたというのだ。そして藤はその娘・ヒカルについて、感情を抑えきれない様子でこう続けたという。「ときには少し涙ぐむ様子で「ヒカルは冷たい」と何度も何度もいっていました。家族からもう完全に孤立しているという感じでした」(前出・芸能関係者)かつては仲の良いおしどり親子といわれた藤(圭子さん)と宇多田(ヒカルさん)。1998年、宇多田が15才で天才シンガーとして大ブレイクしたとき、藤はこう語っている。「最近は宇多田ヒカルの母親といわれています。それがすごくうれしいんです」。藤の恩師で作詩・作曲家の石坂まさを氏はこういう。「デビュー直前のことです。『ヒカルは天才だから、歌を聞いてくれ』っていうんで、青山のホテルで純ちゃん(藤圭子の本名)とヒカルくんに会ったんだよ。ほんとにふたりは仲が良くて、純ちゃんは常々、ヒカルくんのことを「天才だ、天才だ」といっていたんだけどねえ…」と。夫とも別居しているという藤(圭子さん)は娘(ヒカルさん)をとても頼りにしていたようだ。それだけに娘との距離ができてしまったことがこたえているのだろう。「藤(圭子)さんは「いまは現金がいちばん信用できる。家族が冷たいから現金を持ってギャンブルに歩くのよ」と寂しそうに何度も話していました」(前出・芸能関係者)
このような内容が公けとなるのが、10月のテレビ朝日のテレビインタビューです。
「テレビ局の代表電話に「藤圭子ですが、話したいことがある」と電話が入ったんです。スタッフが話すと本当に本人だったので急遽ロケバスの中でインタビューしました。「5年間世界を旅していたが、カジノで5億円は使った」などと話す。現金所持事件については「カジノでは現金を持っていて当たり前だ」などと、とにかく早口で一方的に話し、目の焦点があっていない。誰が見ても「危ない」状態だったので、まともに映っているところだけを使いました」という。このほか、インタビューでは体調不良を告白したほか、「私はもう藤圭子でもなんでもない。封印した」と本名の「純子」で取材に応じいる。
閑話休題
圭子さんは、何故このようなテレビインタビューを申し入れしたのでしょう。そして、「藤圭子ですが、話したいことがある」と申し入れ、「私はもう藤圭子でもなんでもない。封印した」と本名の「純子」で取材に応じていますが何故でしょう?。
事件は3月3日におきていて約半年後の10月に何ゆえのテレビ・インタビューなのでしょう。スポーツ紙芸能デスクが当時を振り返り、「アメリカから「日本のポップスターの母親が空港で麻薬取締局に現金を差し押さえられた」という一報が入ってきたんです。金を没収される際に藤(圭子さん)が大声を出すなど取り乱した様子だったということもあり、薬物についても疑惑が持たれました」と話している。そしてそのことが、思わぬ形で大衆の好奇の目にさらされることになります。それがギャンブルでした。つまり、「ミリオンヒットを連発する娘を金づるにしてカジノでバカラ豪遊をしていたわけです。彼女は手堅く儲けるという張り方ではなく、ずっと継続して打ち続けていたいタイプ。ベガスのカジノでは、真夜中にスロットマシーンと1人向き合っている姿を何度か目撃されていた。なんでも部屋で眠ることができず、賭場に下りてきて48時間もスロットに没頭したこともあるんだとか‥‥」(ベテラン芸能記者)と言う話しになってしまったのです。
筆者は、圭子さんがこの事件の善後策について夫の照實氏に相談したと考えています。そしてヒカルさんに迷惑がかからによう圭子さん自らが釈明会見をするようアドバイスされたものと考えています。それが約半年後のテレビインタビューになったものと推測しています。
このインタビューの焦点は、現金差押えの事実経過と「ギャンブルの旅」の原因を明かしていますが、そのほかに目の障害を告白したりしていました(「私はラッキーだと思っている。神様に助けられて。目は治らないけどね」と)。目の障害の状態は、網膜色素変性症が悪化して夜盲と視野狭窄が始っていたのだと考えています。ですから圭子さんのロケバス内のインタビュー写真は、「目の焦点があっていない。誰が見ても「危ない」状態」に見え、麻薬がらみの事件ゆえに、圭子さん自身も薬物中毒ではないかと言う好奇の目で見られてしまったと思うのです。
では、そのインタビューについて何を話したか整理をしてみたいと思います。まず「5年間世界を旅していたが、カジノで5億円は使った」と言い、それから、ニューヨークのJFK国際空港で米司法省麻薬取締局の麻薬犬が微量の規制薬物も見つけたことから、米ドルなど現金計約4900万円相当差し押さえたことについては、「違法なカネではなく、麻薬への関与は一切ない」と話し、さらに「私はもう藤圭子でもなんでもない。(藤圭子は)お金もうけのために、人からもらった歌を歌って、喜びも悲しみもわかちあって、10年で幕を閉じた」とも言い、(ここから引用)「今回の件はすべて家族のせいだ」というんです。「旦那も冷たいし、家族とも疎遠になって、ほとんど一緒にいない。寂しいし、ほかにもいろいろあって人間不信になっている。だから現金を持って、好きなギャンブルをして歩いている」と、切々と訴えるんですよ。…「娘のヒカルが4年前に紀里谷さん(紀里谷和明氏・写真家、映画監督)と結婚するときに、ヒカルの個人事務所の役員を外れてほしいと家族に迫られたそうなんです。結局、役員は外れなかったそうですが、「家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった」といっていました」(引用元・Yahoo!ニュース)。
この外にも、「原因不明ですけど、この20年間(1987-2006)、吐きまくりの人生」だったとのべていたり、「この世で一番憎んでいるのは母親と石坂まさを」と言ったり、「阿部家のお墓には絶対に入りたくない」とも言っています。
一見支離滅裂に見える圭子さんの言動ですが、それでも、1999年ヒカルさん16歳のときに、2月17日 Movin'on without youリリースのセカンドシングル。ミリオン達成。日産『テラノ』のCMソング。4月28日 First Loveリリース。このタイトルのアルバムが日本だけで860万枚以上売り上げ、日本記録としてギネス認定。11月10日 Addicted to Youリリース。ミリオンセラー。1999年オリコン年間ランキング6位。シングルセールスでは2番目。Sony Red Hotキャンペーンソング。と一躍スターダムに躍り出た最愛の娘ヒカルさんについて、圭子さんは「最近は宇多田ヒカルの母親といわれています。それがすごくうれしんです」と言い、ヒカルさんは一度だけ圭子さんに「(歌手を)やめたい」ともらしたときも、圭子さんは、平然と「じゃあ、やめれば?」と言っています。つまり、圭子さんは、後はヒカルさん自身が決めることだと考えたのだろうと思います。一方、ヒカルさんは。「さすが、藤圭子だな」と思ったそうです。
もともと宇多田ヒカルはアメリカからの帰国子女として売り出されたおり(今でこそ、1970年代に「怨歌」の歌い手として活躍した藤圭子の長女であることはよく知られていますが、これはデビュー後のマスコミ報道で明らかにされたもので)、当初、宇多田ヒカルの経歴の多くは明らかにされることはなかったのあり、これこそがプロモーションの戦略のひとつでもあったのです。
しかし、「宇多田ヒカル」歌手デビューに関する初めての記事が出てしまいます。当時宇多田サイドとしては藤圭子の娘であることは伏せたかったようで、のちに新聞社へ抗議したようです。記事のコピー(http://www5a.biglobe.ne.jp/~y-kinsan/BackNumber/1998.09.06.Nikkan.jpg)がアップされているのでどうぞご覧あれ!(日刊スポーツ1998/9/06)
宇多田ヒカルの日本での歌手デビューは、前述のとおり東芝EMIのプロヂューサー三宅彰氏から宇多田照實氏に持ちかけられたことからはじまっており、照實氏にとってもビッグチャンスだったに違いないのです。これまで圭子さんは、ヒカルさんがブレークするまで、一家の大黒柱で、圭子さんの地方営業で家族は食いつないできたのですが、こんどこそ「俺が」と思ったのでしょう。そのころ、東芝EMIがヒカルと藤の親子関係に触れられることを極度に嫌がっていことから、夫の照實氏の意向が働いて、圭子さんの芸能活動をを封印させたのである。すなわち、圭子さんに根深い「暴力団依存」体質が、ヒカルのイメージダウンにつながるからと照實氏が藤を説得した結果といわれています。
圭子さんは「藤圭子を封印」しても、宇多田純子としての「音楽活動」は続けられると思っていたに違いありません。しかしながら、宇多田ヒカルの二枚目のシングル「Movin'on without you」がミリオンになり、1999年3月のファースト・アルバム「First Love」が850万枚売り上げます。2000年5月、芸能人長者番付でも初登場1位、史上初の「現役女子高校生長者」が誕生します。ヒカルさんの納税額は2億6564万円となっています。ヒカルさんの所属事務である所有限会社ユースリー・ミュージックの社長である父親照實氏は約6000万円を納税、副社長の藤圭子さんも6200万円納税しています。家族そろっての億万長者になると照實氏も野心を持ち始めます。
そして、前述の2000年の離婚騒動、そして、2001年には「宇多田照實氏は、ヒカルの威光をカサに愛人を作る。所属の東芝EMIには無理難題を押し付ける」ことを見かねて、芸能界の実力者が、圭子さんに音楽出版社を作ろうと提案。「宇多田パパ外し」を画策しているという話しがでたのです。(2001年、東スポの記事 )また、東芝EMI関係者のコメントとして、「愛人を作るのは勝手だが、 愛人の「お手当て」をレコード製作費でまかなうのはやめてほしい」( 照實氏はヒカルのシングルCDが出るたびに、5000~6000万円を要求するそうで )、「曲が売れるのでメーカーは何も言えないのが実情。レコード製作費の一部が私物化している」と言い、この横暴を止めるべく、「不倫夫 宇多田照實外し」で圭子さんに音楽事務所を設立をもちかける一幕もあり、まわりもその動きに賛同します。
そのような流れの中、2001年、宇多田ヒカルのコンサートを開く権利を無断で圭子さんが第三者に売ろうとしたことが発覚します。これは、ヒカルさんの「お金」を守る精一杯の圭子さんの気配りでしたが、これを照實氏はヒカルマネーを巡る問題と矮小化し、またヒカルさんも父親の言葉に惑わされ、誤解し、2002年には、圭子さんと別居し距離を置くことになります。
そして同年4月ヒカルさんに卵巣嚢腫が見つかり、圭子さんは困惑します。そんな中9月にヒカルさんは、映像作家の紀里谷和明氏と結婚します。そして、ヒカルマネーが両親の諍いを生む元凶と思い、自らヒカルマネーの管理をしようと、夫となった紀里谷氏は、圭子さんに「役員を外れてほしい」と申し入れをします。結局2003年には、圭子さんは、ヒカルさんのプロデュースに口を挟まないことを条件に、手切れ金として多額のお金が支払われています。事実2004年の納税額は5966万円、推定年収は1億6800万円だったいいます。(莫大な「手切れ金」を得た藤(圭子さん)は、その「お金」のせいで人間不信になります。その上、体調不良も追い討ちをかけたようです。このころから、圭子さんの行方が分からなくなります。(恐らく2000年に得た「有限会社ユースリー・ミュージック」の副社長としての取り分の2億円と今回の“手切れ金”推定年収は1億6800万円を持って「ギャンブルの世界の旅」に出かけてしまうのです。
そして、2006年3月3日、 圭子さんが、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される事件がおこります。詳細は前述のとおりです。
翌年の2007年春頃、夫・照實と最後の離婚をします。以降、二度と再婚することはなかったと言います。圭子さんは「宇多田(照實)さんは自分を人生のどん底から救ってくれた人」と言い、生前、照實さんとの離婚回数を「書類上6、7回。実質は13回くらい」と明かしています。
圭子さんの結婚離婚の回数は、同棲し男女の関係になった時を「結婚」と考え、その関係が解消されたことをもって「離婚」と考えているように見えます。ですから、婚姻届の提出・戸籍に記載されたことをもって「結婚」、離婚届の提出し、戸籍から抹消され結婚前の戸籍、あるいは新戸籍を作ることをもって「離婚」という概念は余り無かった様にさえ見えます。
圭子さんの自死について、2013.09.05の宇多田ヒカルの公式サイトで「一連の記事で母の本名が誤って報道されていました。阿部純子ではなく、宇多田純子です。父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした」と書いていますhttps://www.utadahikaru.jp/from-hikki/。
私ははじめ、「正式な両親の離婚なら、「籍も父の籍においたままでした」と言うことはありません。離婚による場合、新戸籍をつくった上で氏を改めるかそのままかの選択があります。もう少し詳しく申しあげると、婚姻により氏を改めた人は、離婚をすると婚姻前の氏(旧姓)に当然戻ることになります(これを「復氏」といいます)。ただし、結婚時の氏を離婚後もそのまま名乗っていきたい場合は、離婚の日から3ヵ月以内に、戸籍法上の「離婚のときに称していた氏を称する旨の届」を出せば、結婚していたときの氏を名乗ることができます(これを「婚氏続称制度」といいます)。ですから「婚氏続称制度」に基づき「宇多田純子」を名乗ったと言うことになります」と書きました。そしてそのことは、何らかの意図を含んでいると考えていました。しかしながら、圭子さんの結婚離婚の考えが前述のとおりなら、離婚を宣言しても、離婚届の提出はしていないことも考えられることに気がつきました。
いずれにせよ、沢木耕太郎著の「流星ひとつ」で述べているように、圭子さんは、「阿部純子と藤圭子ということで言えば、デビューするとき、藤圭子っていう名前をもらったとき、(阿部純子から藤圭子に)生まれ変わったと思ったんだ」と言っています。ですから、「うん。もう、竹山純子には戻れないと思うよ」「歌を歌う、歌わない、にかかわらず?」「だって、いったん藤圭子に生まれ変わっちゃたんだから、戻ることはできないんだよ。…藤圭子をやめたいんじゃない、歌をやめたいだけなんだよ。藤圭子であるかぎり、何をしようと変わらないはずだよ」と言っています。
しかしながら、圭子さんが結婚し、一粒種のヒカルさん産んでからは、宇多田純子に完全に変わったのだと思っています。宇多田純子として生き、宇多田純子として死んでいるのですから、宇多田純子の戸籍は永遠に「藤圭子」ではなく、宇多田純子の墓標なのです。
少し先走りしますが、2006年10月のテレビ・インタビューの中で「この世で一番憎んでいるのは母親と石坂まさを」と言ったのは、いくら宇多田純子として宇多田ファミリーを支え、ヒカルさんのデビューと成功に導いても、「藤圭子は暴力団依存体質だ」と言うことで排斥され、さらに宇多田ファミリーの崩壊に繋がったことを怨んで述べたことで、実の母親と恩師石坂まさを氏には何も罪はないのです。後年、実の母親に詫びを入れたり、詫びを入れられずいた恩師石坂まさを氏には、「お別れの会」の前日、恩師にが名付けてくれた「藤圭子」とともに「殉死」し誠意を伝えたものと考えています。つづく
