[神社] 居場所を見つけるのは難しい(穴門山神社:岡山)
みんな,居場所を探して右往左往している。 多くのひとが、自分を見失っている。居場所がなくて絶望している。 苦しくなったら,訪れてみたらいい場所がある。その場所は、岡山県にある穴門山神社だ。
昔、この神社に天照大御神のみたましろである八咫鏡が、四年間祀られていた。 これは、今からおよそ二千年前、大和朝廷の第十代崇神天皇の時代のこと。 天照大御神が、この鏡を私だと思って祀りなさい」と、皇孫・瓊瓊杵尊に授けたのが、その始まり。
八咫鏡は、あるものをあるがままに、曇りなく映し出す。 その鏡を神の御魂として祀るとはどういうことか。 それは、邪念なく、私心なく、あるがままに物事を見つめなさいという、正直の徳こそがもっとも大切であるというメッセージだ。
この大切な鏡を祀るに相応しい場所はどこか。神の御魂でさえ、安住の地を求めて各地をさまよった。

その旅の途中、八咫鏡は四年間、この穴門山神社にあった。 鳥居をくぐってから拝殿まで、およそ1,800メートル。道中は、美しい自然に囲まれた参道になっている。

拝殿の左手にある洞窟に、鏡は一時的に祀られていたと伝わっている。

こんなに清らかで美しい場所であっても、鏡の安住の地にはならなかったのか。私たちは神社の美しさに驚くとともに,安住の地を見つけることの難しさに気づく。鏡はまたこの穴門山神社をあとにして、次の旅を続けることになった。
神の御魂が宿るや八咫鏡でさえ、最終的な居場所を見つけるのに、80年という長い月日を必要とした。 あなたが今、居場所を見つけているなら、それは素晴らしいことだ。しかし,見つけていなくても、それは決して絶望することではない。 私たちの一生は、自分という名の鏡を磨き、真の居場所を探す旅なのだから。八咫鏡が自分のいるべき場所を見つけるのに80年かかったように,私たちに生きることを許された80年ほどの時間。この限られた時間のなかで,私たちは自分の居場所,自分がこの世になんのために生きてきたのかを探す。
わたしたちはどこから来て,どこへ行くのか。私たちは何者なのか。そんな問いを探すことのできる幸せ。生きていることはすばらしい。
そんなことを気づかせてくれる岡山県にある穴門山神社。 帰り道には、明日もがんばってみようという、揺るぎない力が心にあたたかく灯っていることに気づくでしょう。

