日本建国2688周年と聖書とユダヤ人
日本のはじまり、建国はBC660
神武天皇即位紀元
神武天皇即位紀元は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする日本の紀年法である。『日本書紀』の記述に基づき、元年を西暦(キリスト紀元)前660年としている。
通常は略して皇紀という。
その他、紀元、神武紀元、皇暦、神武暦、日紀等の名称がある。
※以降、西暦(キリスト紀元)前をBC、後をADと表記します。
1|BC660(皇紀元年)にあった聖書中の大事件とは何か
まず、聖書年代を知るために、聖書中にある年代記述で最も確実なルカ3章にある年代を用います。
※引用が長いので、太字の部分のみ参照ください。
【ルカによる福音書 3章1-22節】
皇帝テベリオ在位の第十五年、(略)であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。
彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。
(中略)
さて、民衆がみなバプテスマを受けたとき、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
皇帝テベリオとは、ローマ皇帝ティベリウスです。
皇帝ティベリウスの在位第15年に、イエスはバプテスマを受け、天から「わたしの心にかなう者である」と宣言されたこの時が、イエスが神に是認された時、つまり、キリスト到来の時でした。
そして、この年は、西暦28年(AD28)であることが分かっています。
西暦28年(AD28)は
イエスのバプテスマがあった年で
キリスト到来の年です
この年を基準に考えていきます。
年代を算出するにあたって、聖書中からヒントを得ます。
ダニエル書に、次の記述があります。
【ダニエル書 9章1-25節】
(略)、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。
(中略)
それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。
①「エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年である」とは、バビロン捕囚から神殿再建命令まで、70年であるということ。
②「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週ある」とは、神殿再建命令からメシア(キリスト)到来まで、483年であるということ。
※(7週+62週)×7年=483年
これらを合わせると、①70年+②483年=553年です。
キリスト到来の年であるAD28の553年前は、BC525です。
※BC525+AD28=553年間
この年に70年間のバビロン捕囚が始まったのです。

さらに、BC660(皇紀元年)まで遡ります。
バビロン捕囚が始まったBC525とBC660の差は、
660年-525年=135年あります。
バビロン捕囚の開始年から135年を遡ります。
次の表をご覧ください。
聖書記述から抽出したユダ王国の王の在位年数を表しています。表の「滅亡の年」の翌年からが70年間のバビロン捕囚です。

バビロン捕囚の135年前は、ユダ王国の第13代ヒゼキヤ王の治世第6年になります。
【135年を逆算する】
①滅亡の年~第14代マナセ王までが、111年。
※1年+11年+0年+11年+0年+31年+2年+55年=111年
②第13代ヒゼキヤ王の治世を135年になるまで遡ります。
治世第29年が、112年
治世第19年が、122年
治世第9年が、132年
治世第8年が、133年
治世第7年が、134年
治世第6年が、135年
BC660(皇紀元年)は
ユダ王国ヒゼキヤ王の治世第6年です
この年に何があったのか。
聖書に書かれています。
※引用が長いので、太字の部分のみ参照ください。
【列王記下 17章1-6節】
ユダの王アハズの第十二年にエラの子ホセアが王となり、サマリヤで九年の間、イスラエルを治めた。彼は主の目の前に悪を行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。
アッスリヤの王シャルマネセルが攻め上ったので、ホセアは彼に隷属して、みつぎを納めたが、アッスリヤの王はホセアがついに自分にそむいたのを知った。それはホセアが使者をエジプトの王ソにつかわし、また年々納めていたみつぎを、アッスリヤの王に納めなかったからである。そこでアッスリヤの王は彼を監禁し、獄屋につないだ。そしてアッスリヤの王は攻め上って国中を侵し、サマリヤに上ってきて三年の間、これを攻め囲んだ。
ホセアの第九年になって、アッスリヤの王はついにサマリヤを取り、イスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々においた。
【列王記下 18章10節】
三年の後ついにこれを取った。サマリヤが取られたのはヒゼキヤの第六年で、それはイスラエルの王ホセアの第九年であった。
ユダ王国のヒゼキヤ王の第6年、北イスラエル王国のホセア王の第9年に、北イスラエル王国の首都サマリアが攻め取られたことにより、北イスラエル王国は滅亡しました。
つまり、BC660(皇紀元年)は、北イスラエル王国滅亡のまさにその年であったことが書かれているのです。
なんと!BC660(皇紀元年)は
北イスラエル王国の滅亡の年だった!
ユダ王国(南王国)と北イスラエル王国(北王国)とは……
旧約聖書において、現在のパレスチナ一帯に存在したとされるイスラエル人(ユダヤ人)の国家。当初はヘブライ王国(イスラエル王国)と呼ばれる統一王国であった。
後にユダ王国(南王国)が分離したため、分離後の「イスラエル王国」は(分離前の統一王国と区別するため)北イスラエル王国(北王国)ともいわれる。
イスラエル人には、12の支族(部族)があり居住地域が決まっており、北王国には10支族が、南王国には2支族(ユダ族とベニヤミン族・レビ族)が居住していた。
北イスラエル王国はBC660に、ユダ王国はBC526に滅亡した。

2|史実か、創作か
以上に述べたことは、聖書の記述から事実を積み重ねたものです。聖書の記述を信じない人には無用のものでしょう。しかし、聖書の記述を信じる人には、この事実を受けて考察する価値があります。
日本書紀の記述は、史実なのか、創作なのか、何かを伝えようとしているのか
この記事の冒頭に、皇紀元年の年代は、日本書紀の記述に基づいていると書きました。日本書記は、現存する日本最古の書物のひとつで、AD720年(8世紀)に編纂されたとされています。
編纂当時から遡ること1380年前(AD720+BC660)の初代天皇の即位を史実として書かれたものだと言えるでしょうか。
確かに、今、1380年前の史実を書くことは可能です。しかし、それは当時の正確な資料があればという条件が付きます。
今から1380年前というとAD645です(AD2025現在)。大化の改新の時代です。何の資料もなく史実を正確に書けるはずがありません。
編纂当時にその1380年前の資料がもしかしたらあったのかも知れないが、現存はしていない。現存していないからと言って、なかったとは言えない、という意見もありそうですが。
どうでしょうか。どのように感じますか。
次の表は、初代神武天皇から平安京遷都(AD794)を行った第50代桓武天皇までの在位期間と没年齢を示したものです。
保存、発掘等された資料で実在が確実とされているのは、第26代の継体天皇以降とされています。

皇紀元年がBC660とされたのは、即位の年が「癸卯」の年と書いてあったためですが、干支が60年で一巡することを考えれば、60年単位でズレる可能性を含むことになります。
在位期間が60年ちょうどの天皇が三人いますが(第9代、第12代、第13代)、即位の60年後は同じ干支になりますが、即位と退位が同年であっても同じ干支になります。
また、在位期間が60年超とされる天皇が七人いますが、これら十人分で最大600年のズレが生じる可能性があります。
第16代の仁徳天皇以前の没年齢を見ると、初代から第16代までについては、100歳越えは当たり前で、この点でも「史実なのか」疑わしく思えます。
確かに、聖書には長寿の記録が記述されています。しかし、紀元前10世紀以降の平均寿命は70~80歳に落ち着いており、聖書にもそのような記述があります。
【詩篇 90篇10節】
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
神武天皇と同時期のユダ王国の王の在位年数では、最長で55年間(マナセ王)ですので、異なる環境下で平均年齢や在位期間を単純に比較はできないですが、初代から第16代までの天皇の在位期間と没年齢は、極端に長期間かつ長寿であり史実を表していない可能性が高いと言えます。
七十人訳聖書の事例
翻訳聖書で有名な七十人訳は、紀元前2~3世紀にエジプトの学術都市アレクサンドリアに住んでいた72人のユダヤ人の長老が、ヘブライ語の聖書をギリシア語に翻訳したものです。
新約聖書においても七十人訳聖書から多数引用されており、当時権威のあった翻訳聖書と言えます。
この七十人訳聖書には、アダムからテラ(アブラハムの父)までの年数について改ざんが確認されています。
これは、多民族が集まり学術的な権威を誇る都市アレクサンドリアにおいて、民族についてその歴史が古ければ古いほど偉いというような風潮があり、ユダヤ民族の歴史を誇りたいユダヤの長老たちは、ギリシア人にユダヤ教の聖書をアピールするため、そうです、古さを誇るために1234年のかさ増しを行っているのです。
また、別の改ざんでは、多神教のギリシア人に迎合するため「神」を「神々」と訳出している箇所もあります。
※七十人訳聖書は、LXX(=70)と表記され、セプトゥアギンタ(70の意味)と言われます。

日本書紀ではどうだったのだろう
では、日本書紀ではどうだったのでしょうか。
初代から第16代までの天皇については、実在していたのか、していなかったのかは、もはや分かりません。
実在していたのかもしれませんが、その在位期間をかさ増ししていたのかもしれません。
日本書紀が編纂されたAD720の頃の日本は、既に秦氏の影響を大いに受け、初代天皇の古さ(日本建国の歴史)を周辺国に誇るため、天皇の在位期間をかさ増しした可能性は排除できません。
3世紀に渡来したとされる秦氏一族は、ユダヤ人の末裔(ユダヤ系キリスト者)であり、旧約聖書に精通しており、現代で言えば優秀な官僚的(裏方)能力を持っていたであろうと想像できます。
年代的にも、七十人訳聖書を知っていたはずです。
イスラエル10部族の離散の聖書記述や伝承を利用して、日本建国の歴史の始まりを、北イスラエル王国の滅亡の年(BC660)に合わせるための帳尻合わせを行った可能性は、その能力的にも十分あり得ます(その頭脳には、レビ族の末裔が含まれていただろう)。
秦氏(はたし・はたうじ)とは……
秦を氏(姓)とする有力な氏族(一族)。
『日本書紀』によれば、応神天皇14年(AD283年)に百済より百二十県の人(数万人)を率いて渡来し帰化したと記される弓月君を祖とする。弓月君とは、ユダヤ人の末裔で原始キリスト教国とされる弓月国(現・中央アジア付近)に居住していた者とされる。「秦」の氏(姓)は、仁徳天皇の代に賜ったとされる。
平安京(AD794)の建設用地や建築技術を提供したのは秦氏一族とされ、7~8世紀以降、八坂神社(AD656)、松尾大社(AD701)、伏見稲荷大社(AD708-715)などを創建した。八幡宮(八幡神社)には応神天皇(八幡神)が祀られており、現在全国に約44,000社ある。
※八幡=ヤー・ハタ
「ヤー」は、神の名ヤハウェの略称。「ハタ」は、秦氏のハタ。八幡は「秦氏の神ヤハウェ」の意が含まれている(俗説)。
また、ヘブライ語で「ユダヤ」をヤフダ(yahudah)と言い、ヤフダ=ヤハダから「ヤハタ=ユダヤ」(俗説)。
※稲荷=INRI
ラテン語で「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」。日本語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意。朱色の鳥居が、出エジプトの過越しを思わせる。
また、「異也=異なる者なり」、つまり渡来人である、とも言われる(俗説)。
レビ族とは……
レビ族は、ヤコブの子であるレビを祖とするイスラエル12部族の一つ。
レビはヤコブの12人の男児の1人であるが、祭司の一族として特別な役割を与えられ継承する土地を持たなかったため、レビ族はイスラエルの12部族には数えない。出エジプトで有名なモーセは、レビ族であった。
古代イスラエル王国(ヘブライ王国)が誕生すると、第2代ダビデ王の子ソロモン王の治世に神殿が建設され、レビ族の神殿礼拝は政治と結びつくようになった。
その後、イスラエル王国が北イスラエル王国とユダ王国に南北分裂(BC920)してからも、レビ族はダビデ王家(ユダ族)に忠誠を尽くし、北イスラエル王国に居住していたレビ族はユダ王国に移住し、ユダ王国滅亡まで続いた。
バビロン捕囚(BC525~456)以降は、レビ族の立場が確立されていった。
後に、ヘレニズムの時代はハスモン朝、ローマ帝国下にあってはヘロデ王家の関係のもとに大祭司が任命されていった。AD70のローマ軍によるエルサレム陥落によるユダヤ滅亡以降に大祭司は任命されていない。
3|何を受け取るか
渡来したユダヤ系の秦氏一族は、有力な豪族となり朝廷に仕えました。渡来した数万の人々とその子孫は、やがて日本人に溶け込んでいきました。
7~8世紀(第40代天武天皇後)において、古事記(AD712)や日本書紀(AD720年)を編纂した者たちは、秦氏一族(ユダヤ系キリスト者の帰化人の子孫)の影響を当然に受けており、旧約聖書の知識はもちろんのことギリシア神話やエジプト神話など他の伝承を取り入れつつ、初代天皇の始まりを、北イスラエル王国の滅亡の年(1380年前のBC660)に見事に合わし付けたのだと思われます。
それは、当時の日本人らが、数百年前に渡来した数万のユダヤ人を平和的に(様々な風習や文化や言葉などあらゆるものを)受け入れ、既に融合し同化した民族となっていることから、いずれ日本人は、渡来人で帰化したユダヤ人と融合し同化したことを忘れてしまうだろうから、それ(日本民族は同化したユダヤ人の子孫でもあること)を忘れないように仕掛けを書物に施し、後代の人々に示そうとしたのではないかと考えられます。
建国2688周年
ユダヤ系キリスト者、秦氏一族の知恵のお陰(?)かどうかは、さておき。
BC660が初代天皇の即位年であり日本建国の年であるとすれば、AD2028は、建国2688周年となります。
2688は、28×24×4=2688となります。
👉28は、7×4 ※7は完成 ※4は全体 ※28は完全数で、一月(太陰暦)を表す。
👉24は、12×2 ※12は神の民、12部族、12使徒、24人の長老を表す。
これは偶然なのか、意図的なのか、神の知恵なのか、単なるこじつけなのか笑。
もしかしたら、建国2688年は、終末期の西暦2028年を告げる日本人へのメッセージなのかもしれません。
私はこれを、受け取りました。
おまけ
①偶然か、必然か、660と言う数字に意味はあるのか?
北イスラエル王国の滅亡の年と日本の初代天皇の即位の年が、偶然一致したのか、意図的に一致させたのかはともかく、その年がBC660であったことに興味がそそられます。そうです、660と言う数字が気になってしまいます。
北イスラエル王国滅亡の135年後に、ユダ王国が滅亡します(BC526)。
バビロン帝国のネブカドネザル王によってユダ王国の首都エルサレムは陥落し、神殿が破壊されました。ユダ王国の指導者層や有力者、職人などが捕虜としてバビロンに連行されました(バビロン捕囚=70年間)。
ネブカドネザル王は、神を知らぬ高慢な王であり、高さ60キュビト、幅6キュビトの金の像を造り、すべての人々に拝むことを命じました。
後に王は、神の裁きを受け獣のように生きましたが、最終的に神を知り回心したとされます。
📍ネブカドネザル王については、こちらの記事をご覧ください。
②660という数字は、バビロン王ネブカドネザルを想起する(ゲマトリア考察)
【ダニエル書 3章1-7節】
ネブカデネザル王は一つの金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトで、彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。
(中略)
時に伝令者は大声に呼ばわって言った、「諸民、諸族、諸国語の者よ、あなたがたにこう命じられる。角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く時は、ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と。
そこで民らはみな、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くや、諸民、諸族、諸国語の者たちはみな、ひれ伏して、ネブカデネザル王の立てた金の像を拝んだ。
聖書において「6」は、神が完成とした「7」より一つ少ない数字。
七日目に悪魔は封じられるが、六日間は、悪魔の惑わしがある期間であることから、不完全や未完成や人を表す数字と言われます。
ヨハネの黙示録に登場する「666」が有名ですね。
ネブカドネザル王の造った金の像は、高さが60、幅が6でした。
「660」は、600+60=660、また、(60+6)の10倍です。気になりますね。
では、660のゲマトリアを見てみたいと思います。
【660を示すゲマトリアの一例】
adolf hitler(アドルフ・ヒトラー)
elon musk(イーロン・マスク)
christmas(クリスマス)
president(大統領)
covid vaccine(コロナワクチン)
osama bin laden(オサマ・ビン・ラディン)
rockefeller(ロックフェラー)
rooster(ルースター、雄鶏、フランスの象徴)
nine one one(911)
「660」は、あまりいい数字ではなさそうですね。
ところが、ネブカドネザル王は、イエスと同じ「888」を示します。
nebuchadnezzar(ネブカドネザル)
イエス(Jesus)のギリシャ語 Ιησους は、
10+8+200+70+400+200=888となります。
なんと、ドナルド・トランプ米国大統領も「888」を示します。
donald j trump(ドナルド・トランプ)
しかし、トランプ氏は、ドイツ系米国人でドイツ名don drumpf は「666」を示します。
さらになんと、敬宮愛子内親王も「888」を示しています。
toshinomiya(としのみや)
なにか、意味があるのでしょうか。
ゲマトリアは奥深く、深掘りしては、きりがないのでこの辺にしておきます。
お読みいただきありがとうございます
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