舞台 「wowの熱」 観劇レビュー 2025/03/29


公演タイトル:「wowの熱」
劇場:新宿シアタートップス
劇団・企画:南極(旧:南極ゴジラ)
作・演出:こんにち博士
出演:端栞里、ユガミノーマル、和久井千尋、九條えり花、ボクシン・トガワ、古田絵夢、揺楽瑠香、こんにち博士、瀬安勇志
期間:3/26〜3/30(東京)
上演時間:約2時間15分(途中休憩なし)
作品キーワード:青春、SF、劇中劇、舞台美術、熱量
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆
今小劇場演劇界隈で最も勢いがある若手団体といっても良いほどの注目を集める、こんにち博士さんが作演出を務める「南極ゴジラ」改め「南極」の第7回本公演を観劇。
今作の『wowの熱』は、「南極ゴジラ」が法人化して「南極」に改名してから初となる公演で、本多劇場グループである新宿シアタートップスにも初進出の作品となっている。
「南極」の公演は『怪奇星キューのすべて』(2023年8月)、『(あたらしい)ジュラシックパーク』(2024年3月)、『バード・バーダー・バーデスト』(2024年9月)と観劇しており4度目の観劇となる。
物語は一人の男(ユガミノーマル)が、一人芝居をする所から始まる。
ブラウン管テレビが一台あり、そこからオーパーツを取り出そうとするがブラウン管テレビは壊れて失敗する。
そこへ演出家と思われる男(こんにち博士)がやってくる。
その演出家は分厚いベンチコートを着ていて、どうやらそこは極寒の南極のようである。
演出家は男がやっていた一人芝居があまりにも寒い芝居すぎてアシカも寒がっていると言う。
そんなネタを二人の男はコンビを組んで披露していたが全く売れず、芸能事務所に所属したい旨をとあるスーツ姿の男(ボクシン・トガワ)に言う。
しかしその男は事務所の人間ではなくセールスマンであり、カバンを押し売りしてくる。
このカバンの中に入れば、今は寒い二人であっても温かいメンバーに出会って戻って来れると。
二人の男はセールスマンの言われるがままにそのカバンの中へと入っていくが...というもの。
1年半以上前の『怪奇星キューのすベて』から拝見している身であるが、劇団としての成長を凄く実感することが出来て、ずっと「南極ゴジラ」を見守ってきて良かったと素直に喜べる公演だった。
『怪奇星キューのすベて』を拝見した時は、シーンによって客席移動をして芝居を観たり、ラジオを持参して特定の周波数帯に合わせると音が流れるなどトリッキーな演出も多くて、これはこれで尖っていて良かったもののこの先どんな団体になっていくのか案じていた。
しかし、東京で公演を重ねる毎に作品自体はどんどん観やすくなっていって良い方向にシフトしたと感じた。
もちろん観やすくなっても、「南極ゴジラ」が持っているオリジナリティはずっと維持していて、自分たちの演劇というものが地に足をついた感じを受けて安定したから良いのだと思う。
今作は、メタ構造を持った何重にも重ねられた劇中劇で構成されていて、この構造が非常に素晴らしかった。
今までこんにち博士さんの演出は、小劇場演劇らしい良い意味での粗さや、トリッキーな演出と舞台美術に強みがある印象があって、戯曲の構造や演出構成的な部分にはまだブラッシュアップの余地あるように思っていたが、そこが良い意味で洗練されたように感じた。
このメタ構造的な劇中劇は、演劇というものがフィクションとノンフィクションを繋ぐ媒体だからこそ意味をなすものになっている。
私たち観客は、今作を観劇することで「南極(旧:南極ゴジラ)」がここまでの道のりを辿るにあたってぶち当たってきた困難と苦悩を追体験し、そして今があることを暗に教えられている気がした。
そして、現実として「南極」がここまでの劇団になれたからこそ心動かされる作品に仕上がっていると思う。
とても巧みな劇中劇の活用の仕方だった。
そして今作では生演奏はなかったものの、そこまで作り込まない舞台美術の雑多さを活用して様々なシーンを作り上げる演出力が見事で、それだけでもちゃんと世界観は伝わるのが良かった。
新宿シアタートップス特有の奈落の活用の仕方も素晴らしかったし、自動車を想起させるシーンの迫力も素晴らしかった。
舞台音響のBGMの選曲も抜群に良くて昔のSF映画を観ているようなシーンもあったり『テネット』のような今のSF映画を観ているようなシーンもあった。
舞台照明の使い方も素晴らしかったが、やはりこんにち博士さんの戯曲の一番の得意分野である青春劇を今作でも盛り込んでエモーショナルに仕立て上げられていたのが素晴らしかった。
出演者も全員「南極」の劇団員だが皆素晴らしかった。
特に主人公のワオ役を演じた端栞里さんが輝いていた。
平熱が45度あるという特殊な少年の役だが、まさにそうであるかのような熱量を持った演技が素晴らしかった。
端さんが過去のどの作品よりも燃え上がるような演技で憤っているように感じた。
そしてそれこそが、演劇の根源なのだと痛感させられた。
ユガミノーマルさんも今回の作品で大活躍で、序盤の一人芝居のシーンから良い意味で目立っていた。
「南極」が、コロナ禍からずっと悪戦苦闘しながら演劇活動を続けてきて、だからこそたどり着いたこの場所で、このような感動的な演劇作品が観られて私はとても満足した。
小劇場演劇が大好きな人は必見、そうでない方も今後売れていくであろう「南極」の存在をいち早く知るためにも貴重な観劇体験となるに違いない。
【鑑賞動機】
「南極(旧:南極ゴジラ)」は『怪奇星キューのすべて』から拝見していて、ずっと応援している劇団だから。特に一作品前の公演『バード・バーダー・バーデスト』(2024年9月)は非常に評判が良くて劇団としてブレイクするきっかけにもなったので、ますます今後も注目していきたい団体だと感じたから。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
「1番 ユガミノーマル」という電光掲示板のようなものが表示される。男(ユガミノーマル)は、ブラウン管テレビからオーパーツを取り出す一人芝居をしている。石の斧でブラウン管テレビを叩き割ろうとしたりしている。そして結果的にブラウン管テレビは壊れる。
「2番 こんにち博士」と電光掲示板で表示される。演出家(こんにち博士)が、南極でよく着られている分厚いベンチコートを着て俳優(ユガミノーマル)の元にやってくる。先ほどの一人芝居はダメダメだと酷評する。ここは南極で沢山のアシカが見ているが、そんな寒い芝居をしていたらアシカも余計に寒がると。そして俳優は石の斧を振りかざす所からやろうとする。そして、二人はアシカの真似などをし始める。
「3番 ボクシン・トガワ」と電光掲示板で表示される。一人のスーツを着た男(ボクシン・トガワ)の前で、お笑いコンビ「ナンキョクズ」の今野(こんにち博士)と野毛(ユガミノーマル)がこんな南極のネタをやってますが芸能事務所に入れて下さいと懇願している。そのスーツを着た男は芸能事務所の人間でなくカバンを売るセールスマンだった。このカバンを買えばきっと売れると言い出す。そのカバンに入れたものは温かくなって出てくると。二人もこのカバンの中に入れば、温かい家族を迎えて出てくることが出来ると言う。「ナンキョクズ」の二人は、カバンの中に入っていくことにする。
「4番 古田絵夢」と電光掲示板に表示される。マンモスのマストドンたちが現れる。マストドングランマ(古田絵夢)の元には、孫のマストドンたちが集まってくる。マストドングランマの家には、セールスマンに二人のお笑い芸人がカバンを買わされる絵画が飾られていた。マストドンたちはランチを始める。
「5番 和久井千尋」と電光掲示板に表示される。ここは、高級ブランドGucciの社長の部屋。社長である江口(和久井千尋)は広告ディレクターと新しいブランドの話をしている。その新ブランドとは、マストドンのランチをイメージしたブランドだった。江口は口を開く。デザインは要素を削ぎ落としてこそ良いものが出来るのだと言う。みんなで星空を見上げる。
「6番 揺楽瑠香」と電光掲示板に表示される。火(揺楽瑠香)は、他の原始人たちと共に、星空の下で楽器を叩きながら踊っている。原始時代の巨大なスクリーンを周回しながら、楽器を持って原始人たちは楽しく踊る。
「7番 井上耕輔」と電光掲示板で表示される。ジョーイ・ジャネラ(井上耕輔)は、原始時代をテーマにした音楽と共にゴングに上がり、レスリングのような格闘技を始める。
「8番 九條えり花」と電光掲示板で表示される。ルルビアン・ルート(九條えり花)は、GOLFⅡに乗って荒野をドライブする。ラジオからはレスリングの試合中継が流れている。アメリカ西部の広々とした荒野を走り抜ける。
「9番 瀬安勇志」と電光掲示板で表示される。温室の男(瀬安勇志)は、人工知能の研究者であった。彼はヒーローものが好きで、ヒーローものをブラウン管テレビで見ることを娯楽としていた。今は、ルルビアン・ルートが荒野をGOLFⅡでドライブする映画を観ている。
そこへルポライター(ユガミノーマル)がやってきて温室の男を取材しようとする。彼が今人工知能の研究で目指していることを解説する。そして、彼はアルバイト(揺楽瑠香)を雇っており、彼女と共に研究を行っていた。アルバイトがやってくる。そしてくまのぬいぐるみにマシーンを装着し実験をする。その様子をルポライターは取材する。
「10番 端栞里 wowの熱」と電光掲示板で表示される。ワオ(端栞里)は学校のクラスメイトと雑誌「ムー」に連載されている温室の男について読んでいた。結論、人工知能もマイナンバーも少子化も全部陰謀論だと結論づける学生たちだった。
ワオは、平熱が43〜45度ある特殊な少年だった。普通の人間はそんなに平熱が高いと死んでしまうのだが、ワオだけは特別に平熱が高かった。
クラスメイトは水泳の授業でプールに向かう。生徒たちが、バイクの免許をいつ取ったかについて競り合っていた。その時、ワオは誤ってプールに転落してしまう。するとプールはどんどん熱くなっていく、そこへワオだけでなく他の学生もプールに入るがまるで銭湯のようにプールがなっていった。これは一大事だとお大騒ぎする。
ワオはプールから上がると凄い髪型になっていた。ミヤコ先生(揺楽瑠香)に診察してもらうワオ。そして、この湯気の立ったプールは銭湯として営業することでお金になるのではないかと、観光地化する計画が始まるのである。
こんにち博士(こんにち博士)が登場して、一旦劇中劇を止める。そして音響と照明がないのですっ飛ばして、数ページ飛んだ所から再開する。
ステージの後方にあった白い布でかけられた装置は布が取り外され、観光地化した銭湯の「WOW」が出現していた。そこにはヘリコプターや取材リポーターたちも次々にやってきた。
こうして、ワオのおかげでプールは銭湯となって町は盛り上がった。みんなで銭湯に入ってくつろぐ。そしてそのままカラオケやったりする。
劇中劇は終わり、こんにち博士はこの後、ワオはこの日を境に平熱に戻ったと口頭で話して物語を終了した。これにてリハーサルは終わる。役者たちはバタバタと食事したり諸々片付けの準備に入る。役者同士で役のことなど色々話している。ここでしか集合写真撮れないのでと、集合写真を撮る。
突然ワオ役を演じていた端栞里は、自分はこのラストは納得できないから変えて欲しいとこんにち博士に依頼する。こんにち博士は、もう明日から本番だし難しいと言う。しかし端は折れない。この後、ワオはカラオケからこっそり抜け出してプールに戻って飛び込むという設定にして欲しいという。これで終わりにしたくないと。
暗転する。端は夜、ベッドで目を覚ます。しかしこの場所は端にとって見覚えがない。するとここは病院であることを知る。なぜ自分が病院で眠っているのか知らない端はパニックになって病院を抜け出す。
端は九條(九條えり花)に連絡する。自分が気がついたら病院にいたと、どうなっているのかと話す。九條は、端が本番初日当日意識不明になって病院に運ばれたからだと言う。公演は中止となって、昨日撤収が終わった所だと。もうあれから1週間が経ったと言う。
端はそのままマクドナルドで九條と合流する。二人はそのままユガミノーマル(ユガミノーマル)にも連絡し、端の意識が無事戻ったことを伝える。端は本番当日に急に平熱が高くなったらしく病院に運ばれた。これはワオが端に憑依したのではないかと話す。
ユガミノーマル(ユガミノーマル)とも合流する。演劇をやっていると、自分は今現実の自分なのか役の自分なのか分からなくなると話す。「コント 面接」とか「コント コールセンター」とかやって現実のことを何でもコントにしてしまうと、現実世界で起きていることが全てコントなのではないかと錯覚して、真剣に生きられなくなってしまうと。
九條は一冊の雑誌を見つける。そこには、物語を現実に浸透させる儀式について書かれていた。ただの占い師が記載している内容なので信用して良いのか分からないが。端は、この方法を用いて台本の最深部から自分が大事にしているものを取り出したいと言う。
雑誌によれば、自動車を用いることで物語に入り込むことが出来るようである。二人は駐車場で自動車を見つける。物語に入り込むことを逆行、物語から現実に出ることを順行というらしい。ユガミが映画『テネット』みたいだと言う。早速自動車に乗り込んで逆行し物語の最深部にまでいき、一人芝居の役者がブラウン管テレビから取り出そうとしていたオーパーツを取り出す。そして、そこから順行で現実世界へ戻っていく。ユガミと端と九條は、この物語に入り込んだり出てきたりで非常に苦戦したが、何とか元の世界に戻ってくる。
しかし、3人が去った後、自動車からは温室の男が飛び出してしまいどこかへ消えていく。
瀬安(瀬安勇志)がビデオカメラを回しながら、本番を迎える劇団員たちを取材している。こんにち博士が皆の前で、『wowの熱』の脚本について解説している、何やら難しい抽象的な話をしていて皆は理解していなそうだった。こんにち博士が話し終えた後、劇団員たちは、これを演じろというのかと驚くが、そういう裏設定があるよと理解しておけばいいんじゃねと言う。瀬安は引き続き一人一人劇団員をビデオカメラで取材する。
そのまま、瀬安が一人になった所を黒い布を被った何者かに襲われる。瀬安だけでなく、井上耕輔もボクシン・トガワも次々と襲われる。彼らを襲った正体は、温室の男だった。
端、九條、ユガミ、そして制作の和久井で劇団の会議をしている。和久井は、先日の公演が本番初日に中止になってしまい、劇団の口座に貯金が全然なくてこれでは存続の危機だと言う。もう一度、『wowの熱』を再演したいと言っても空いている小劇場はないしと。
そこへ、こんにち博士がやってくる。『wowの熱』の脚本のラストを書き換えたと。これなら絶対みんなに面白いと思ってもらえる自信があると言う。しかし和久井はもう予算が残っていないから難しいと言い、劇団同士で取っ組み合いになる。
そこへ、温室の男が現れる。和久井は凍らされてしまう。ワオを新宿の浄水場に突き落としに来たと温室の男はいう。それによって再び「wowの熱」を起こそうとしている。温室の男たちと劇団員たちでぶつかり合いが始まる。
しかし、周囲にいた人々はこれを演劇の一部だと思って写真撮影などをしていた。これは演劇やイマーシブシアターではありませんと言って、撮影を止めさせるように言う。
新宿の浄水場で、温室の男と劇団員たちは最後の決闘を繰り広げる。結果、端は浄水場に飛び込んでも沸騰することはなかった。温室の男たちは警察に逮捕されて撤退していく。
劇団員たちは、素舞台となった新宿シアタートップスで演劇を作り上げていく。端はモノローグで語る。私の平熱は45度を軽く超える。だからこそ、5年前の感染症が流行った時はどんな飲食店からも追い出されてしまう存在だった。しかし、周囲の人間たちにプールに飛び込んでみろ、「ワオ銭湯」を作ってくれと言われるようになった。自分の平熱がそんなに意味のあるものだったとは今まで思っていなかったから嬉しかったと思ったと述べる。ここで上演は終了する。
観劇した上で、改めて戯曲を整理するとこの脚本が素晴らしい構成を持っているなと実感する。要素が沢山ありすぎるので、やはり上演という形に落とし込むと戯曲では描かれていた要素を観客が受け取れきれなくて伝わらなかった箇所もあったが、それでも非常に作品を楽しむことが出来た。
今作は何重もの劇中劇で構成されていて、1番から10番まで全て劇中劇になっているという点にも驚かされる。上演中は、関連性が薄い箇所もあったので果たしてそうなのかな?くらいの温度感で観ていたのだが、戯曲を読むと全て繋がっているんだと再認識して壮大に感じた。また、映画『テネット』をパロディとして順行と逆行で物語→現実、現実→物語を行き来する設定も面白かった。現実と夢を行き来する映画『インセプション』の要素もあってクリストファー・ノーラン監督っぽさを作品から感じられた。
この設定だけを活かして演劇を作ろうとすると陳腐なものになりかねないが、そこに必然性を感じられたからこそ作品として素晴らしかった。やはり物語は現実世界なくしては成り立たない。物語を見ながら現実世界とリンクするからこそ人々は感動する。それが、「南極」の劇団が辿った軌跡があるからこそなおさらグッとくるものがあった。
その現実世界と物語のリンクが劇中劇で上手く活かされているからこそ、こういうSF的な設定も受け入れられるし、演劇の熱に人々は熱狂されるのだと思う。詳しくは、考察パートで触れることにする。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
「南極」としての世界観を残しつつ、脚本・演出構成的にブラッシュアップされたものに感じられて素晴らしかった。良い方向にシフトして観やすくなったものの、決して「南極」としてのアイデンティティは保持したまま唯一無二の世界観を築き上げ、小劇場演劇の良さを詰め込んだものになっていた。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置について。
序盤では、ステージ後方に白い布で覆われた巨大なセットが置かれている。また下手側にダンボールのようなものが縦に積み上げられていて、その最上部がスクリーンの役割を果たしている。それ以外固定されている舞台セットはなかった記憶であり、ステージ後方の白い布で覆われたセットは、序盤は南極の氷山のようにも思えてくるが、ワオがプールに飛び込んだ後は「WOW」という照明器具によってピカピカと照らされた看板が設置された岩石のオブジェが出現する。この巨大な舞台セットが見事だった。標識が岩石内に埋め込まれていたり、何であるかを特定できないような舞台セットになっていた。
それ以外の舞台セットに関しては、シーンによって運び込まれて出現するセットになっていた。ワオが飛び込む水泳の授業の時の、プールと飛び込み台の舞台セットもそのシーンになって登場していた。自動車で物語と現実の順行と逆行を行うシーンも、自動車らしき舞台セットが持ち運ばれた。
ラストシーンで、ほぼ素舞台になって終わるのは面白い演出だと感じた。ラストは、「南極」が劇団として新宿シアタートップスで公演を行うというシーンで終わる。まさに私たちはその舞台を観ている訳だが、ラストの劇は本当に現実世界と演劇の世界の境目が曖昧になった感覚にさせられて、まるで観客が順行、逆行をこの作品を通してさせられている感覚になった。
また、新宿シアタートップス特有の奈落の活用の仕方も上手かった。序盤でセールスマンから与えられたカバンにお笑いコンビが入っていくというシーンがあったが、まさにその奈落に入ってカバンの中に入るという表現をするのが上手いと感じた。セールスマンから、このカバンに入れば温かい家族に出会えると話していて、ちゃんとワオたちと出会って面白い家族=劇団として活躍していくという伏線にも感じられて素敵だった(実際に「南極」たちがリハーサルの後に集合写真を撮っていたが、その写真がセールスマンが持っていた写真であったりするのだろうかと思った)。また、ワオが飛び込むプールや新宿浄水場を奈落を活用して再現する演出も良かった。
次に映像について。
映像は、冒頭の1箇所と、野球の電光掲示板のような内容の2箇所。冒頭の1箇所は、ステージ後方にかけられた白い布をスクリーンとして、「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。」と流れる。改めて思ったが、今作は別に「南極」の劇団のことについて描いた作品ではなかったということなのだろうか。もちろん、忠実に事実を再現してはいないと思うけれど、元になった事実はあるんじゃないかと思ってしまった。
あとは、登場人物一人一人が野球選手のように「1番 〇〇 xx」みたいな電光掲示板を模した映像で流れるの良いなと感じた。初見の観客は、これである程度役者の名前を覚えることが出来るかもしれない。また、前半の劇中劇の多重構造は、徐々に出演者が増えていく形で構成されているのも面白かった。また、その一つの劇中劇では初めて登場する劇団員が中心となるシーンで構成されていて、誰がメインとかではなく全員にフォーカスの当たる演出になっていたのが良かった。誰が主役とかではなく全員安打的なチームプレーを感じる構造になっていた。
次に衣装について。
端栞里さんのワオの衣装が格好良かった。スーパーヒーローみたいな格好に感じた。観ている人は分かるかもしれないが、音楽劇『愛と正義』の一色洋平さんの衣装に近しいものを感じた。
また、ユガミノーマルさんの髪型が奇抜で目立った。まるでモヤっとボールのようなトゲトゲした髪型に目を引いた。
井上耕輔さんが演じていた格闘戦士のような衣装も攻撃力高そうで目立っていた。
次に舞台照明について。
前回公演の『バード・バーダー・バーデスト』(2024年9月)の舞台照明の格好良さは衝撃的だったが、あの作品は機材が凄く良いものだったというのもあったと思う。今作は、新宿シアタートップスで出来る範囲での照明だったが、照明の当て方や色合いなどの演出は本当に見事だった。
例えば冒頭のユガミさん演じる俳優と演出家演じるこんにち博士さんの二人のシーンは南極でのシーンということだったが、その凍えるような寒さを舞台照明で上手く形作っている感じがあって素晴らしかった。青白い冷たい照明を絶妙なバランスでステージに当てて、確かに舞台の役者たちは寒そうだと感じさせる演出が素晴らしかった。
また、劇団員たちで話し合うシーンで、上手くシーンによって照明を切り替えながら演出している感じも見事だった。
また劇中劇が多いというのもあって、客席まで照明をつけて、一瞬舞台は終わってしまったのかな?と思わせるくらい日常感あるステージを作り上げるシーンもあって良かった。そこからシームレスにそれが劇中劇である、まだ物語の世界であるということを違和感なく演出していく点も非常に見事だった。
次に舞台音響について。今作においては生演奏はなかったものの、「南極」らしいSF的なBGMが至る所で使用されていて、その使われ方が「南極」のオリジナリティを上手く引き出していたと思った。
ワオの水泳の授業のシーン、温室の男のシーン、自動車を使って物語と現実を行き来するシーンなど、SF的展開や緊迫したシーンになると流れる音楽は、昔のSF映画を想起させるレトロ感あって好きだった。
また効果音も非常に迫力があって好きだった。例えば、自動車で順行と逆行をするシーンに関しては、自動車が何かにぶつかる時に物凄い音がして、その音が小劇場に響くくらいインパクトはあるものの不快感を与えない程よいバランスがあって良かった。
最後にその他演出について。
奈落を銭湯として表現することで、そこからスモークマシーンで湯気を立たせる演出が良かった。まるで劇場ステージに温泉が出現したのではないかと思わせる。そして、役者たちの汗が、まるで彼らも本当に温泉に入っているんじゃないかと思わせるくらい濡れていて、その敢えて演出していないけれどそうなるというのが上手い活かし方だと思った。
ブラウン管テレビのインパクトは最高に良かった。序盤登場した時から、「南極」らしい演出だなと感じた。ブラウン管テレビでどこが映っているかはよく分からなかった。しかし、あの薄緑色の感じや古いレトロな感じが凄く作風と合っていた。
舞台セットや衣装などが沢山あるので、新宿シアタートップスの舞台裏がどれだけ広いかを思い知らされた。あれだけのセットを裏に隠しておけるだけの広さがあるのかと思った。
「times」だけはリアルなの良いなと思った。こういうリアルなものが要所要所に差し込まれているから想起しやすかったりもする。
細かいが、劇中劇を撮影しにくるお客さんがいて、これ劇でなくて現実なのですと説明するユガミさんが、イマーシブシアターでもありませんと言っているのは笑った。そこで改めて、現実と演劇の境って?と考えさせられた。
実際に、リハーサルを終えたという段階の劇中劇で、「南極」のスタッフさんもステージに上がって撤収作業をしていたのが良かった。そういう演出があるからこそ、観客もこの世界は物語なのか現実なのかと錯覚させるトリックになっていて効果的だった。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
『バード・バーダー・バーデスト』は、ロロの亀島さんや岡本ゆいさんなどの客演の方が出演されていたが、今作は全員劇団員で挑む新作公演ということで、熱量も揃っていて素晴らしかった。
特に印象に残った役者について見ていく。
まずは、ワオ役を演じた「南極」の端栞里さん。端さんの演技は、「南極ゴジラ」の過去公演で3回演技を拝見している。
端さんはいつも思うが、わんぱくな少年主人公役がとてもよく似合う。『(あたらしい)ジュラシックパーク』(2024年3月)でもそういった童心を持った主人公役がとても似合っていた印象だった。
今作では、平熱が43〜45度と一般の人よりも高い特殊な人間という設定だが、演技自体がパッションのないものになってしまうと台無しとなってしまう設定である。そこを上手く乗り越えて、端さんだからこそ出来る熱量で全力で演じられていたのが印象深い。
ワオという存在自体が演劇そのものだよなと思う。一般社会よりも熱量を持っていて、排除されがちなもの。そうやって憚られてしまうけれど、だからこそ人々に良い影響を与えることが出来る存在である。演劇だって、特にコロナ禍の時は散々社会から除け者扱いされて排除されてきたけれど、そういう特殊な存在だからこそ逆に劇場という場所さえ与えれば人々に絶大な影響を与えるよなと思う。
最後のモノローグも格好良かった。あのモノローグを最後に聞けて、改めて涙を唆られそうになったし、演劇でしか起こっていない世界の話のように見えて実は現実を投影しているよなと感じさせられた。
次に、序盤のシーンの俳優などを演じたユガミノーマルさん。ユガミさんも「南極ゴジラ」の過去公演で3回演技を拝見したことがある。
序盤の一人芝居のシーンは、最初登場した時はキツイなあと思って正直観ていた。やろうとしていることは面白いけれど、もっと演技力磨こうよとさえ思った。しかし、それがそもそも演出だったとは!と後続のシーンで知ることになる。下手に演じることがそもそも演出だったのかと思って印象に残った。
またユガミさんは凄くSF映画に登場しそうな役者だよなと思う。映画『テネット』のシーンのような自動車で順行、逆行するシーンは非常にハマっていた。
次に、温室の男役を演じた瀬安勇志さん。瀬安さんも「南極ゴジラ」の過去公演で3度演技を拝見している。
最初、温室の男が順行によって現実世界にやってきてしまったという設定だと気が付かず、戯曲を読み直して気がついた。今作の中では明確に悪役でそれだけで目を引いていたように感じた。瀬安さん演じる悪役は、とても良い意味で痛い感じがあって役になりきっている感じがあった。
あとは『バード・バーダー・バーデスト』でもそうだったが、劇団員のシーンで必ずビデオカメラで収録しているのは、何か「南極」の活動として関係があるのだろうか。いつも稽古場で収録係なのかと思った。
最後に、こんにち博士さん。こんにち博士さんも「南極ゴジラ」の過去公演で3度演技を拝見している。
こんにち博士さんは、今作がもっとも活躍シーンの多い作品になったようなイメージを持った。2番目に登場する時点で出演数多いし、劇中劇では『wowの熱』のリハーサルなど演出家として重要な役割を果たすシーンがいくつもあるので、自ずと目立つ存在になっていたように思う。
この作品はフィクションなので現実がどうなっているのか知らないが、「南極」として公演を打つときはいつもこうなのかなと思ったりする。こんにち博士さんが脚本についてのこだわりなどをペラペラ喋って、役者たちがポカンとしたり、劇団としてはお金はないのに、この作品は絶対にみんなに面白いと思ってもらえるという熱意をぶつけて上演に踏み切ったりしているのかなと感じた。
演劇を通じて、そういう演劇を創作する立場の裏側を見せる演出も良かったし、おそらくこんにち博士さん自身もそこまで役作りをしたという感じでやっている訳ではなく、いつもの自分でやっている感じを受けるからこそ今作の良さが引き出されるんだなと思った。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、今作の戯曲について私なりに考察していこうと思う。
今作は上記で触れたように、13重?くらいにもなった劇中劇である。その劇中劇が、あたかもクリストファー・ノーラン監督映画の『インセプション』や『テネット』のように、現実と夢の世界を行き来したり、時間軸を行き来したりするように、劇中劇の中と外を行き来する。まずこの設定だけでも非常に面白そうでワクワクさせられる。
しかし、今作が素晴らしいのはそういった多重にもなるメタ構造を活かして、演劇というものについての本質を掘り下げている点に素晴らしさを感じる。
劇中のシーンで非常に記憶に残る会話がある。役者たちはワークショップに参加して、そのワークショップでは与えられた役をこなして演技をする訳だが、その帰りの時間というのはもちろん現実世界なので、そのワークショップでの役ではないはずなのに、まだその役でいる時があるという話をしているようなシーンがあった。これは私のような観客だとそういうことあるのだろうか?と思ってしまうが、役者をやられている方であれば心当たりがあるのではなかろうか。
よく2.5次元俳優の方のトークを聞いていると、その俳優が演じているキャラクターの癖が現実世界でも抜けなくて、キャラクターのようなリアクションをとってしまうという悩みを聞いたことがある。役になりきるということは、きっと現実世界でもその役から戻りきれなくなることがあるということは往々にしてあることなのかもしれない。
面白いと感じたのは、その次のシーンの台詞である。「コント 面接」や「コント コールセンター」のように、物語の世界で現実でありそうなことを演じて茶化していたら、現実世界を真剣に生きられなくなってしまうのではないかという危惧である。これはとても興味深いなと思った。こんな悩みは役者をやっていないと打ち当たらない壁だと思う。
結果的に、端は演じ手としての大事なものを手に入れるために物語を現実に侵食させる儀式を行うことで『wowの熱』の最深部に辿り着こうとした。この描写から、今作は一体どのようなメッセージ性を残そうとしているのだろうか。
演劇というのは、世間一般的にはフィクションでしかないと思われている。どんなに演劇で辛い描写が描かれていたとしても、それはフィクションだからと思って仕舞えば距離を置いて観ることが出来る。演劇はやっている人々や観客に快楽を与えるものかもしれないが、あくまでフィクションであるからこそ、軽く扱われるものでもあると思う。
コロナ禍において、緊急事態宣言が発令された時代では演劇は不要不急のものとされて虐げられてきた過去がある。所詮演劇は、世間的に見ればそういう扱いをされる。
しかし、演劇を上演する人間までがそう思ってしまったら演劇はお終いである。現実が物語に浸透してしまうというのか、そういう現実の圧に飲み込まれてしまったら演劇は失われてしまう。そうさせないためにも、物語であるからこそ得られるものを現実に浸透させていくしかないのだと思う。それが『wowの熱』の最深部にある演じ手として大事なもの、つまりオーパーツなんじゃないかと思う。
今作では、そのオーパーツ的なものをワオが持っていた。平熱43〜45度という普通の人間よりも高い平熱、つまり普通の人間が持っているものでは決してない特筆性をワオは持っていた。そうであるが故に、ワオはお店などから虐げられていた、つまり社会的に虐げられていた。これは、ワオという存在が演劇そのもの、演劇として大事なものであるとすると、演劇で良しとされている特筆性を持っているが故に、社会からは排斥される立場にあったということのメタファーなのかもしれない。これはコロナ禍を経験している演劇関係者からすると共感を生む部分だと思う。
しかし、そのワオが持っている平熱によって「ワオ銭湯」が出現し地元は盛り上がり活気に満ち溢れるのである。つまり、社会的に排斥されてしまう演劇で良しとされる特筆性というのは、演劇として上演されて人々の目に止まることになれば、人々に良い方向に影響を与えるものになるということである。
その演劇としての本質を「wowの熱」の最深部から端栞里という役者が取り出して、新宿シアタートップスで『wowの熱』として上演するまでを描いている劇中劇なのである。
今作を通じて、私たち観客が感動し良い方向に影響を与えられていれば、今作はメタ構造のある演劇として完結する。結果的に世間では今作は大変の評判になっているので、観客がいて初めて今作は多重のメタ構造を持った演劇作品として成立するのである。端栞里という役者を通じて、『wowの熱』という物語の最深部にある演じ手の大事なものを取り出し、物語の世界から現実の世界に浸透させたことによって、私たち観客は演劇の熱に魅了され良い意味で影響を与えられたと言って良いであろう。
メタ構造を活かして、ここまで観客を巻き込んだ演劇を観るのは稀である。非常に素晴らしい脚本と演出構成だったと上から目線になってしまうが思う。今後の活躍が楽しみである。「南極」の本多劇場公演も遠い未来ではないのかもしれない。
↓南極過去公演

