入院日記:胆嚢摘出手術

■経緯

年末の健康診断で胆嚢がD判定。年始から一旦禁酒しつつ半年弱、検査に次ぐ検査を受ける。
胆嚢壁が3mm以上になっているという異変。乳癌の転移ではなく、膵胆管合流異常という内臓の奇形?的な理由で、膵液が胆嚢に逆流しているのであろうとのこと。
今後の癌化を避けるために胆嚢を摘出した方がいいだろうとの進言を医者からいただき、即手術に踏み切ることを決断。


■28日 手術当日 朝

昨夜、お医者さんからの合併症のリスクについての説明が怖くて、少し落ち込んでしまった。
明るい気持ちで手術に臨もうとしていた(もう人生で手術3回目)が、少し心持ちも表情もシリアスになった。
折角手術が上手くいっても、細菌感染や腹腔圧をかけたことで傷が開き腸がポロリと外に出たら元も子もない。調子に乗ってはいけない…
私、術後1ヶ月でダンスのステージに立てるのか…?

今日が寝たきりで、明日は復活できるのだろうか。
とにかく歩けと言われた。内臓同士の癒着を避けるために。

母も腸閉塞に晩年よくなっていた。それも癌の手術の影響があったのだろうか。「腸閉塞」という懐かしい言葉を聞いて、恐怖が増した。

今日が木曜日。
明後日の土曜日には、ダンス仲間がお見舞いに来てくれるかもしれない。元気で迎えたい…

天国の母へ。今回も、守ってください。


■28日 手術直後 父からのLINE(私は全身麻酔で爆睡中)

執刀医から電話有りました

・手術無事終了
・摘出した胆嚢内には腫瘍見られなかった
・顕微鏡検査で改めて確認する
・胆嚢管も目視出来る範囲では異常無し
・胆嚢管と膵管合流異常可能性有り(多分有る)
・摘出した胆嚢内を検査して膵液が混入してたら確定
・経過良ければ3日後31日(日)退院


■28日 全身麻酔からの目覚め 夕方

目を覚ましたら部屋のベッドだったと思う。もう慣れたことだが、この時点で私のほとんどの穴に管が繋がれていた。
そもそも手術は朝8時半入室で、父に執刀医から手術完了の電話があったのが午前中。
私はこの日1日、ベッドの頭の上下も操作できず(禁じられている)、苦しむこととなる。

特に問題は夜。
1日に使っていい吐き気止めと痛み止めのコンボを点滴で打ちまくる。目が冴えて仕方がない(睡眠薬も効かない)、永遠に続くかのように思われる夜だ。いっそ失神させてほしい。

10分置きにスマホの時計をチラ見して絶望。
吐きたいけど絶食していたから吐く中身さえなく、生唾を吐き出し続け、お腹の痛みを和らげる体勢を探すこと数時間(体勢の模索はマストで、一定寝返り打たないと内臓の癒着で腸閉塞など起こるからなるべく動いてとの医者オーダーがあった)。で、体勢変える度にお腹ゴポゴポ&痛み。自分が痛みなのか吐き気なのかどちらで苦しんでいるのか分からなかった。

スマホを見る余裕などないどころか見たくない。人とも話したくないし、考えることは、次の点滴で打つのを吐き気止めと痛み止めのどちらにするか、だけだ。

ひたすら夜の闇と身体の悲鳴に耐え続ける絶望の時間。部屋に唯一鳴り響く血栓予防の脚マッサージ機の空気音だけが均等なリズムを刻んでいた。
廊下の少しの会話さえ不快に思えた。女性棟を選んだのは大正解だ(私は女子校出身なのと、男に比較的苛つきやすい)。

説明するなら、ずーっと胃痛(胃のむかつき、生理痛のような腹膜炎的痛み)が一夜収まらない感じだ。消化不良でも無理矢理寝なくてはいけない時に似ている。

看護師さん「今どんな感じ」
私「お腹の中が、シッチャカメッチャカです」

しかも睡眠薬が全然効かない。看護師さんに懇願するも「私が見る限りは、hsさんが思っているより眠れている」と言われ、もうどうしようもない。寝れてないよ‼️

術後初夜が地獄のようであることは、手術の度に思い出す。
でも私の性格的に、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう。忘れてしまうから、また果敢に手術に挑んでしまう(それは良いこと)。

でも乳がんの方がやはり辛かった。胸を包帯でキツく巻かれて、傷口も広く、息のしづらさが半端ない。もう何もできん、死んだわ、と無力感に打ちひしがれたものだった。


■29日 術後翌日

乳がんの時にお世話になった看護師さんに再会した(と思う。本人確認はしていない)。でも多分同じ人。シャワー介助の時「メガネ取ったら雰囲気変わりますね」と言ってくれた若い方だ(2024年の話)。元気だったなら「どう変わりました??」と私も食い気味に行くところ、こちとら一人で洗髪する元気もない状態なので「はぁ…」で会話終了した後悔からよく覚えていた。

さて、私はというと、お小水の管を挿してるのに謎に排尿欲が出て、慌ててナースコールする朝だった。「私、今、挿さってますか…?」とマヌケな質問をした。正直、早く管を抜いてくれ、と内心感情的である。あらゆる管を、身体から抜いてくれ!!

その後希望通り管を抜いてもらい、点滴も内服薬に切り替わり晴れて立つとフラフラ。これはこれでしんどい。

そんな中、外科医の回診が来た。彼らは攻めの姿勢で、私が大丈夫と言えば今日にも追い出しそうな雰囲気だった。退院日の相談みたいな流れになり私「いや、自分としては31日(2日後)に退院するつもりで…」と主張。

医者「もう歩きました?😄」←んなわけ
私「いいえ…」
医者「痛みはどうですか?」
私「寝てる分には、全然…」
医者「痛み止め飲んで、どんどん動いてくださいねー😃」←鬼

外科医は攻めの姿勢を崩さないのであった(患者のため)。

点滴無しで歩けるようになったら直ぐに、レントゲン撮影へ行ってくださいとの指示を看護師から受けた。

最初ヨタヨタとしながら階下のレントゲン室へ一人向かおうとしていたら、ベテラン看護師に「顔色悪い」「無理することない」と止められ、結局車椅子で行くことに。

レントゲン室にて、私は胸上裸なのにドア開けっぱなしでおじさん技師が撮っていたことに対し、看護師さんは「普段はそんなことありませんからね」と怒っていたが、何でも良いから早く帰りたい私はまたも「はぁ…」としかリアクションできなかった。

ここの病院は、毎朝自力で体重を測りに行かなければならない(長廊下を歩く)のと、食事の下膳は杖をついている人も自分でやるというスパルタなところがある。それが筋力を落とさないための策になっているのだとは思うが。車椅子が甘えだったのかどうかは、未だに分からない。


■30日 術後2日目

今日は少しお通じがあって、日々の回復を実感している。前より背筋を伸ばして歩けるようになり、お見舞い客(父)とも会う元気が出てきた。昨日の私は老人のような歩き方をしていたけれど、今日は少しマシだ。早く美しい歩き方に戻したい。

ごはんはまだ完食できないが、果物は美味しく感じる。本能が抹茶アイスを求めていたので、初めて購買を利用し、ハーゲンダッツを買って一人中庭で食べた。食事が完食できないのは、お粥が食欲を落とすからというのもあるかもと思った。冷たい胡麻ダレサラダは美味しくて、もしかしたら冷たいものを身体は求めていたのかもしれない。

結局、膵胆管合流異常はおそらくあって、他の異変はないから、将来のリスク(胆嚢がんの発生)を下げられたであろう、という結果の胆嚢摘出手術だった。どうしてその選択をしたのだろうと後悔するほどの苦しみもあったが、これで良かったのだと思う。

podcastを聴く元気も出てきたし、今日からシャワーを浴びられる。右脇腹の穴からの出血?がじわじわと続いているけれど、それ以外は問題なく快方へ。

そういえば、コロナ禍で胆嚢摘出をした知人の知人は、術後1日半で追い出されたらしい。無理やて。そんなんまだお腹痛いよう。

明日が退院日。タクシーで父が家まで送ってくれる。感謝感謝…。


■31日 退院日

朝10時に退院。
12時に家で食事したら、手術以来初めてのちゃんとした便が出た。血便とも切れ痔とも分からぬ血が混じっていたが、下痢ではないことが嬉しかった。調子を取り戻してきている…!

ひとまず痛み止め内服薬を継続して飲んでいる。他にすべきことが分からない… 制作行くには無理しすぎな気がするし、恋リアは見飽きたし。

良い季節になったね。こんな日に、何も身体のことを気にせず散歩ができたら…

さて、私は明後日、乳腺科の外来へ行く。翌々週は、消化器外科のエコー検査。月2で病院へ行くペースで忙しい。

やることはあるけど動けない状態、気持ちばかりが先走る。美容院行きた〜い

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