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他者に評価される時間こそ減らすべきと思う



最近、
「アテンション・デトックス」
という言葉を見かけた。


SNSの評価や視線から
距離を置く行動を指すらしい。


正直、「デトックス」という言葉には
昔から胡散臭さを感じている。


医学的な意味を離れて、
何でもかんでもデトックスと
言い出す風潮には懐疑的だ。




しかし、その記事を読んでいて思った。



言葉はともかく、
現象そのものは本当に
起きているのではないか、と。


私は音楽教室を営んでいる。


最近入ってきた若い女性の生徒は、
「仕事以外の時間のほとんどを
SNSに奪われていることに気づいた」
と言っていた。

そして、

「健康な趣味を持ちたい」

と思い、ギターを始めたそうだ。


また、別の学生たちからも似たような話を聞く。
LINEやSNSを極力使いたくない。

なぜか。

要約すると、彼ら曰く、
「学校でも競争させられているのに、
SNSでも競争させられている気分になるから」

だそうだ。





そりゃそうだよな。



学校には成績がある。
部活の実績がある。
受験がある。
就職活動がある。


そこへSNSが加わる。

フォロワー数。
いいね数。
再生数。
容姿。
交友関係。
旅行先。
趣味。
持ち物。

あらゆるものが数字化され、
比較対象になる。

昔はクラスメイトとの比較だったものが、
今では世界中との比較になった。


しかも比較対象は、背後に無数の
動画編集やマーケティング構成を考える、
プロフェッショナル達がバックについた
インフルエンサーだ。


疲れない方がおかしい。
比較対象が個人だと錯覚している。
そんなわけないだろ。


SNSは
「誰もが発信者になれる世界」
を掲げていた。


しかし実際には、多くの人にとっては
発信の場ではなく視聴の場だった。

大半の人は見るだけで終わる。

発信側になろうとしても、
ほとんどの人は埋もれる。

動画を作る。
投稿する。
再生されない。
反応もない。
また作る。
再生されない。

その繰り返しだ。

もちろん編集技術や文章力は向上しているかもしれない。

しかし本人に見えるのは数字だけだ。


結果として、
「失敗経験だけが積み上がる」
という感覚になる。

これは創作としてかなり
特殊な環境だと思う。

ギターなら違う。

昨日より弾けるようになった。
一曲弾けるようになった。
指が動くようになった。
他人に評価されなくても、
自分で成長を確認できる。

ところがSNSでは、多くの場合、
成長の尺度そのものが他者評価になってしまう。


私はこれがSNS離れの理由だと思う。



人間は他者評価だけでは生きられない。



もちろん、自己評価だけでもダメだ。

仕事にも評価はある。
社会にも評価はある。
しかし問題は量だ。

現代人は評価される時間が長すぎる。

学校で評価される。
会社で評価される。
SNSで評価される。
趣味ですら評価される。

四六時中、誰かの採点を受けているような状態だ。

その結果、
「評価されない時間」が
贅沢品になっている。

海を眺める。
散歩する。
読書する。
楽器を弾く。
旅行する。

こうした行為に共通するのは、
誰も点数をつけないことだ。

私は最近の若者の一部がSNSから
距離を置こうとしているのは、
SNSそのものが嫌いだからではないと思う。

評価されることに疲れたのだ。
そしてそれは極めて自然な反応だと思う。

SNSは実際、便利な道具でもある。

だが、あれは所詮は広告モデルに
よって成立しているサービス
だ。

人々の注意を集め、それを広告主に売る。

その構造上、利用者の時間を
奪う方向へ最適化される。

だからこそ意識的に距離を取る必要がある。

私自身は、
「デトックス」という言葉は好きではない。

だが考え方には共感する。
現代人に必要なのは解毒ではない。
他者に評価される時間を減らすことだ。

評価されない時間。
誰にも見られない時間。
何の数字にもならない時間。

そういう時間こそが、
人間を健康に保つのではないだろうか。



なにと、比べるまでもない。
生命は最早、それだけで美しいのだ。



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