舞台人形はまだほどけない|短編小説
午前零時過ぎ。狭いワンルームの一室で私は虚空に向かって喋りかける。
「皆さん、こんばんは。今夜も舞台の裏側にようこそ。踊場歩です。
今日は最近完成した衣装についてお話できればと思います。楽しんでいってくださいね」
私がぺこりと頭を下げると、パソコンの画面に映るキャラクターも同じように頭を下げた。
私は半年ほど前からVtuberとして、インターネットで二次元のキャラクターの姿を借りて動画配信をしている。
配信は大学の講義や宿題が終わった午前零時頃が多く、活動頻度も週に一回くらいだ。
配信の際は一応身バレに配慮して、ボイスチェンジャーを使って男性の声にしている。画面に映る私の姿も二十代くらいの男性だ。
ライブ配信をすれば、三、四人観客が集まればかなりいい方だ。今日は画面に映る視聴者数は一人だった。
「あっ、つむぎさん。こんばんは。今日もありがとうございます」
コメントで『踊場さん、こんばんは。今日のお衣装も楽しみです』と流れてきたので挨拶を返す。
「つむぎさん」は、活動初期から見守ってくれている常連さんの一人だ。洋服が好きなようでずっと配信を見てくれている。
「今回は執事衣装に挑戦しています。トルソーしかないので、上着だけですが。私が配信者になろうと思ったきっかけの方が執事さんだったんですよね」
たとえ見てくれている人が一人でも、立派な観客だ。流れるように言葉を紡いでいく。
「その方はいろいろあってもういらっしゃらないんですけどね。あの頃憧れていた気持ちを衣装に込めたくて配信を始めました。ようやく技術が追い付いてきたのでお披露目です」
「それではどうぞ」という掛け声とともに、つくった衣装の画像を配信画面に載せる。シンプルな執事服は、上着だけだが細部までこだわってつくった。
瞬間、画面に文字が踊った。
『もしかして踊場さんが推してたのって、御辞儀さんですか?』
私の息が一瞬止まる。久しぶりに見たその名前。
「そうです。よくわかりましたね。つむぎさんもお好きだったんですか?」
『彼のファンでした。急に卒業されたので、残念で』
「たしかにすごい人気でしたもんね」
私はこの日いつもより長くつむぎさんと御辞儀さんのことや衣装について話して配信を終えた。
御辞儀さんは、私の憧れの人だった。物腰は柔らかく、長身の身体に執事服をまとった姿はまるで本物の執事のようで私に夢を見せてくれた。
だから、御辞儀さんが出した動画がいわれのない誹謗中傷で炎上した時は愕然とした。
御辞儀さんの卒業は、ある日所属事務所から一枚の白い画像として機械的に知らされただけだった。
あの日から私は御辞儀さんの亡霊を探している。
つむぎさんとはあの日以来、DMでやりとりするようになった。
忘れて行ってしまう記憶を留めておきたくて、御辞儀さんの話をよくした。そのうちに私たちは個人的な話をするようにもなっていた。
『実は私も踊場さんと同じように洋服をつくっています』
『つむぎさんもお洋服作ってるんですね。ぜひ見てみたいです』
つむぎさんはわたしと同じように御辞儀さんのファンだったようで、突然いなくなってしまったことを私以上に悲しんでいた。
『あんな風に引退してしまって本当に悲しいです。踊場さんはできる限り続けてくれるとうれしい』
私はふとその時思った。
同じようにぽっかりと胸に穴が空いたままのつむぎさんとだったら、御辞儀さんのことを見送れるかもしれないと。急いでキーボードに指を躍らせる。
『つむぎさん。今度会いませんか?』
つむぎさんは私の突拍子もない提案に二つ返事で了承してくれた。
『私もどこかで区切りをつけたかったので』
その一言をきっかけに、私たちはカラオケ屋さんで御辞儀さんの最後のライブ映像を鑑賞するために集まることにした。
当日はあいにくの雨。
私は御辞儀さんのイメージカラーである黒いワンピースに白いレースの着け襟をつけていた。見送るにふさわしい服装を選んだが、靴には雨が染み込んできている。
カラオケ屋の前で待っていると、つむぎさんからメッセージが来た。
『カラオケ屋の前に着きましたが、踊場さんはもう中に入った?』
『いいや、今ちょうど店の前で待っていました』
「ああ、踊場さんはじめまして」
頭の上から声がして、思わず頭上を仰いだ。年齢不詳だが、私よりも年上の男性が目の前にいて驚く。
つむぎさんって、男性だったのか。驚く私に対して、つむぎさんの表情は変わらない。
「じゃあ行きましょうか」
あまりにもつむぎさんが自然なので戸惑ったが、もしかしたら私が意識しすぎなのかもしれない。
エレベーターで部屋に向かう最中、私はつむぎさんの背中を見て思わず声を上げた。
「つむぎさん、もしかしてそのシャツって手作りですか?御辞儀さんのアニバーサリー衣装がモチーフですよね?」
問いかけると、つむぎさんは少しだけ口の端を上げてうれしそうに「そうなんです」と頷いた。
「踊場さんだって。そのワンピースについている着け襟はご自分で編んだレースでしょう」
「わかるんですか」
「わかりますとも。これでも一応服で生活しているからね」
服の話で打ち解けた雰囲気はあったが、カラオケルームではなんとなく端と端に座った。御辞儀さんのラストライブ映像が部屋に流れる。
つむぎさんに会ったら話そうと思っていたことが全部この映像に溶けていく。
ライブが終わって画面が真っ暗になった途端、つむぎさんが泣いていることに気が付いた。
あまりにもきれいで静かな泣き方だったので、まるで人形が泣いているようだった。見てはいけないようなものを見てしまった気分になって、机の角に目を向ける。
「つむぎさん、大丈夫ですか」
「すみません、御辞儀さんの最後のライブだったと思うとなんだか悲しくて。あまりにも寂しい終わり方だったなと思いました」
「もう大丈夫です」と言われてつむぎさんの顔を見ると、そこに涙の跡は残っておらず、相変わらず人形のように微笑む顔がこちらを見つめていた。
カラオケルームの時間終了までは残り二十分ほど残っていた。何となく落ち着かない気分になって、もぞもぞとワンピースの膝のあたりを握って時間をやり過ごそうとした。
部屋の隅から私に向かって穏やかに言葉が飛んでくる。
「そういえば、以前私のつくった服が見たいと言っていたね。今度アトリエを見に来ませんか」
私はただ頷くことしかできなかった。
私とつむぎさんの予定が合わず、アトリエ訪問まで時間がかかってしまった。カラオケ屋での一件から一ヶ月ほど経った休日のお昼にそれは実現した。
つむぎさんのアトリエは都内の郊外にある一軒家だった。誰も住まず空き家になっていた親戚の家をもらい受け、手を加えてアトリエにしたらしい。
アトリエからは木の匂いがしてどこか時が止まったようだ。
「どうぞ。踊場さんが気に入ればいいけれど」
短い廊下を抜けてドアを開けると、複数のマネキンと目が合った気がして息をのんだ。
よく見ると頭のないマネキンで、目が合ったと思ったのは壁一面に設置された鏡に映った自分の顔だった。
「こんなにマネキンがたくさん……。それに衣装もすごくきれいです」
圧倒されて月並みなことしか言えなかった。これ以上、この部屋の奥に進んでいいのか悩んで足がすくむ。
「私はマネキンのことを世界一美しい人形だと思っていてね。だからマネキンのことは『ドール』と呼んでいます」
つむぎさんがそっと私の背中を押す。導かれるように私は『ドール』の前に立った。頭のないマネキンが私を裁くように見ているようだ。
いくつかポロポロと思いついたことをそのままにつむぎさんに問いかけた。時々『ドール』に触れるつむぎさんの手はどこまでもやさしく見えた。
「どうしてそんなに自分が作ったものを好きでいられるんですか?」
鏡に囲まれた部屋で私の声が響いた気がした。つむぎさんがマネキンから私に視線を移す。
「私にとって作品は、自分自身を映す鏡だから。私は、私たちは自分の作品を世界で一番愛さなきゃいけないんだよ」
そう言って、つむぎさんは私を部屋の隅に呼んで一冊のポートフォリオを見せてくれた。
それはつむぎさんのつくった衣装をきた『ドール』の写真集で、実際に見るよりも生々しく今にも動き出しそうな凄みを感じさせた。
ページをめくる手が止まらない。私の背中にそっと美の化身の囁きが落ちる。
「トルソーだとどうしても近くなるんです。ほら、ドールなら同じ顔なしでも、不思議と笑っているようにも泣いているようにも見えるでしょ」
頷いて『ドール』をまた見た。写真の中と実際では見え方が違うが、つむぎさんの言っていることがわかった気がした。
私の口はまるで操られるように勝手に音を発していた。
「つむぎさん、私のことをプロデュースしてくれませんか?」
つむぎさんに私の配信のプロデュースをお願いしてしまった。慌てて取り消そうとしたが、つむぎさんの言葉の方が早い。
「いいですよ。でも、それなら踊場さんもここで『ドール』のための服を作ってください。合鍵を渡すのでご自由にどうぞ。
二階が倉庫なので、そこだけ立ち入らなけらばいつ来ても大丈夫」
合鍵までもらってしまっては、もう後には引けない。私は合鍵を受け取る時に初めて自分が拳を握りっぱなしだったことに気が付いた。
つむぎさんのアドバイスと撮影によって、私の衣装は見違えるように完成されたものになった。
視聴者が少しずつ増え、以前より洗練された衣装を褒めてもらえることが増えた。
配信を見てくれるファンが一定数増えた頃、私たちは作業の合間にファンネームについて話をしていた。つむぎさんと二人でアトリエの隅の椅子に腰かける。
「踊場さんのファンネームか。御辞儀さんのときは『ぺんぺん草』でしたね」
平坦な声でつぶやいたつむぎさんを見つめて、私はずっと温めていた言葉を今だと思ってぶつけてみた。
「ファンネームは『ドール』でどうですか。つむぎさんがあまりにもマネキンのことをドールって言うから移っちゃいました。私たちで舞台をつくるんです」
つむぎさんがまた仮面のようにきれいに微笑む。
「舞台、いいね。そうしようか」
つむぎさんのプロデュースで順調に「踊場歩」の舞台裏を覗きに来る視聴者は増えた。
特に、トルソーからマネキンに変えた衣装紹介はかなり人気が出て改めてつむぎさんが『ドール』にこだわる理由を感じた。
つむぎさんはマネキンに衣装を着せた写真を撮るのが抜群にうまい。今では配信に載せる衣装の写真はつむぎさんがすべて撮っていた。
アトリエで行うようになった配信の事前打ち合わせでも、言葉遣いから笑い方までつむぎさんに指導されて私はその通りに画面の中で演じて見せた。
私は「踊場歩」の人気が出てきたことを喜ぶ一方で、まるで私自身がどこか遠くに行ってしまったような気がしていた。
ある日、配信中に最近の私の配信がつまらないというコメントを見てしまった。昔の方がよかったと。
それは一瞬のことだが、私の心は揺れて声に感情が出てしまった。
配信終了後、そっと息を吐いた。今日も一幕が終わった。
「踊場さん、今日は動揺していたようだけど、何かあった?」
私の背中に追及の礫が投げられた。真っ黒い画面を見ながらなんでもない風に声を吐き出す。
「配信がつまらないってコメントを見てしまって。昔の方がよかったって」
「そう、わかってないね。今の踊場さんの美しさをわからない人のことは気にしなくていいですよ」
それって、昔の私は美しくなかったってこと?
キーボードの上に乗せていた手のひらに力が入り、握りこぶしに変わる。背筋が勝手に伸びるのを感じた。
「美しさだけで判断することってどうなんでしょうね」
「それが正しいということだよ」
すぐに返ってきた答えに私はやっぱりと思った。いつも正しさと美しさでこの人は武装している。
「おままごとみたいだと思ったことはありませんか。美しさと正しさしかないなんてつむぎさんは本当に信じているんですか」
少し視線を上げると、磨き上げられた鏡越しにつむぎさんと目があった。あなたが望んでいる踊場歩はいったい何?
「観客が私たちのやり方で喜んでいるのは確かじゃないか。それが答えです。感情はしまって一番美しい姿を差し出さなければ価値なんてない」
「私もあなたの作品の一つなんだね。わかった、一番きれいに踊らせてよ」
初めてつむぎさんが怪訝そうな顔をしたのが見えた。
「何を言っているんですか?踊場さん」
「私、もうすぐ就活に入らなきゃいけないからVtuberは卒業しようと思ってたの。
つむぎさんに「私」をあげるから、代わりに引退配信では二人で衣装をつくりたい」
身体ごと振り返ってまっすぐつむぎさんの目を見つめた。つむぎさんは諭すように私を見下ろした。
「理解できない。踊場さんが始めた物語なんだから、あなたが責任を持って終わらせてくれなきゃ。
あなたが踊場さんなんだから。御辞儀さんみたいに逃げないでほしい」
『逃げないでほしい』か。その祈りは誰に向けられたものだろう。
「つむぎさん、気づいてないの?もうこれはつむぎさんの物語だよ。
つむぎさんだってもう御辞儀さんのことは気にしてないじゃん。じゃなきゃそんな風に笑えない」
私の言葉に鏡張りのアトリエでつむぎさんは自分の顔を確かめたようだった。短く息を吸う音が聞こえる。
つむぎさん越しに鏡に映る私の顔はいつの間にか泣き出しそうに歪んでいた。もう耐えられない。
「私だけが御辞儀さんの、つむぎさんの影を追いかけてるんだ。お願いだから、私を殺さないでください」
沈黙が私たちのアトリエを支配する。
「わかりました」
私は黙って頷いた。本当は受け入れてほしくなかった。ここで、私の手で「踊場歩」ごと葬り去ってしまいたかったから。
だから、つむぎさんが続いて口にした言葉にどこかほっとした。
「私からもお願いがあります。今の踊場さんが一番美しい。あなたのために私から服を贈らせてください。
あなたは生きている。その服を着てあなたの最後の配信を録ってほしい」
ああ、この人は壊れている。
私は急に目の前に立つ男の美という仮面をはぎ取りたくなった。
「つむぎさん、やっとあなたのことがわかった気がする。マネキンになりたかったんだね」
途端に鋭い視線が私を射抜く。ようやく私を見てくれた歓喜と自分の言葉の危うさに身体が震えた。
「今日はもう帰りなさい」
初めて聞いた震えるように絞り出された一言に抗うように、私はつむぎさんの目を覗き込んだ。
「また来てもいい?」
つむぎさんは何かを言いかけてやめて、二階の倉庫に引っ込んでいった。
最終配信に向けてつむぎさんが私のためにつくったのは、白と黒のパッチワークでできたクラシックな印象もある足首まで隠れるワンピースだった。
バルーンスリーブで袖口はきゅっと絞られていて、まるで本当に私が作品になったかのようだった。その衣装を着てパソコンの前に座る。
私たちの、いいや私の最後の舞台だ。人形遣いとして笑わなきゃ。
3,2,1。配信開始の灯りがともる。
「ドールの皆さま、こんばんは。深夜零時の舞台裏にようこそ。踊場歩です。
本日の衣装はこちら、二人の夢の迷い子に贈る喪服です。十歳ほどの子供服と同じくらいのサイズになります」
私とつむぎさんで作った二体の子供サイズのマネキンが画面に現れた。一体は黒いギャザーワンピースに白いレースの着け襟。
もう一体は、黒いジャケットに白い詰襟のシャツが覗くトップス。半ズボン。どちらも黒いローファーを履いていて、袖口には特徴的な金ボタンがあしらわれている。
まるで手をつないで歩きだすように見えた。配信画面に賞賛のコメントが降り注ぐ。
「いつぞやか皆さまにはお話させていただきましたが、私にはかつて憧れていた配信者さまがいました。
その方の卒業を受け止めきれませんでしたが、今宵この衣装に惜別の念を託して私は前に進みたいと思います」
今日に限ってはつむぎさんと配信で話す内容を打ち合わせていない。久しぶりになる地図のない白紙の配信だが、不思議と言葉がすらすらと口から出てくる。
無事に衣装の説明を終え、最後の挨拶をした。
「夢を見ることは苦しくも尊いことです。その影ごと自分の中に受け入れることで、私たちの道は光に照らされることでしょう。それでは皆様、良い夢を」
私は洋服をつくることを嫌いになりたくなかった。だから、この選択は間違っていないのだ。
夢を託した相手にはもう手が届かないけれど、私は私の道を行く。
ある夜。一人の男が鏡張りの部屋でパソコンに向かって優雅に頭を下げた。
「ドールの皆さま、こんばんは。舞台裏から演者として少しだけご挨拶を。今後、機械は通さずに私の声でお届けさせていただきたいと思います」
