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【オトナになることのうた】Ado●大人になる前に唄った「うっせぇわ」

近日は……大いにバタバタしてました。
お盆休みの間も原稿を書き(滞った案件も)、ゲラをチェックする日々でしたが。

これまでに、まずはザ・カレーズが企画したイベントに参加。

また、雨の中、旧友とお盆飲み会を実施。
そしてザ・ゲスト・リストというマンチェスターのバンドのインストアイベントに行き、その足でEnfantsのライヴも行き。


で、昨日はサマーソニックの東京2日目に行きました。ふー。

そして今回はサマソニでライヴを観たAdoの「うっせぇわ」について書きます。
これまた「そうだ、あの曲をまだ書いてなかった」のうちひとつですね。ちょうどステージを見た直後のタイミングであります。

ド迫力だったサマソニでのAdo


昨日、参加したサマソニ東京2日目について、ここで詳しくは書かない。簡単に触れると、ステージを見ることができたのは、こうしたアクトである。

エルミーンと藤井風の共演は、間近で見ることができた。別次元の快感だった。


とくに最後のデヴィッド・バーンは、自分が10代の時から聴いてきたアーティストなのにライヴを観る機会を損ねていたこともあり、感動が大きかった。多くの人たちが書いているように、デヴィッド・バーンのパフォーマンスは本当に素晴らしかった。もともとパンク・ロック界隈から出てきた人が、その時代の曲を現在の音楽性とリアルとともに刺さるパフォーマンスに昇華できるのは、とんでもなかった。

昨日はこのバーンを観ることを早くから決めていたので、タイムテーブルの関係上、スタジアムでのAdoは前半の何曲かまでと決めて動いた(現在74歳のバーンのステージは今後体験できるチャンスはそう多くないだろうという事実もある)。

そのためAdoのライヴは、移動する準備をした状態で臨むことになった。そうしたら、その最初の何曲かでの彼女は、とんでもない迫力とともにパフォーマンスを見せてくれた。

まず、1曲目がカバー。それがメタリカの代表曲「エンターサンドマン」だったのである。


僕のいたスタンド席には老若男女あらゆるお客さんがいて、とくに目についたのは幼い子供たち、それも女の子だった。親に連れられて、一緒にAdoを聴きに来ていたのだろう。あっちでもこっちでも、その子たちはAdoの登場に大喜び。で、この歌を聴きながら「これは洋楽のカバーじゃない?」と子供たちに話している親御さんもいた。

この曲に入る直前、Adoのステージのヴィジョンには、SNSから拾ったと思われる声がたくさん掲示されていた。詳しくは覚えていないが、<洋楽のフェスなのに>とか、<ヘッドライナーの格>がどうとか。つまり、サマソニの舞台の大トリにAdoがふさわしくない、という意見を反映させた映像だった。
彼女はそれに対抗する姿勢を示すためにメタリカの有名なこの曲をカバーしたのだろう。
そのパフォーマンスには怒り、そして反骨心がみなぎっていた。それがとんでもない熱量となって、スタジアムに降り注ぐ形になった。

この時耳にしたAdoがシャウトする声はかなりドスがきいていて、激しい響きをしていた。近年この人が唄う曲やパフォーマンスをネットやテレビを通じて聴いていた限りは、かなりダイナミックな発声になっていて、僕はデビューの頃の彼女の唄い方と違った印象を持っていた。おそらく相当に唄い込んで、ヴォーカルそのものの研鑽を積んできているのだろう。
しかし、それも当然のことだとも思う。何しろAdoは今や世界的なレーベルに所属し、世界ツアーを行うほどのシンガーなのだ。

話がそれるが、僕は毎年、アーティストのサエキけんぞう氏(パール兄弟)による獨協大学での講義に呼ばれている。今年も10月に登壇させてもらう予定になっているのだが、何年か前の授業で、Adoがゲフィンレコードを契約を結んだエピソードを本当に驚きを持って話されていたのを覚えている。「あのゲフィンレーベルと!」のような、強い口調でである。
それはそうだろう。とくにサエキさんのように70年代のロック全盛期をリアルタイムで体験されたような人には、ゲフィンのような歴史あるロック・レーベルは非常に大きな存在に違いない。
そして、そこと契約を交わしたのが、日本の若い女性シンガーなのである。その時のサエキさんの口調には、これはほんとに革命的にすごいことだ!という興奮が感じられた。

話をサマソニのAdoに戻す。
ここで、メタリカのカバーに続いて彼女が2曲目に唄ったのが、「うっせぇわ」だった。
さらに叫ぶAdo。その歌とシンクロしながらステージのヴィジョンに映る「うっせぇわ」の歌詞。最初に映し出されたのは、この曲のこの言葉だった。

<ちっちゃな頃から優等生/気づいたら大人になっていた>

現在23歳、大人になりつつある自分を見つめるAdo


「うっせぇわ」がリリースされたのは、2020年の10月23日。Adoのメジャーデビュー曲で、世間的に大きな話題を振りまきながらヒットを記録した。


この歌は、とくに年が明けて2021年になってからさらに数字を伸ばした印象がある。その頃はネットはもちろんテレビやラジオなどでもしょっちゅうこの歌が流れて、社会現象のような状態になった。
僕はこの年の春頃、神宮球場に野球を観に行った際、スワローズのマスコットのつば九郎がフリップ芸で不満をぶつけるところで「うっせぇわ」を流して怒りを表現した光景を覚えている。

ただ、この曲を書いたのはボカロPのsyudouで、つまりAdoの作詞作曲ではない。彼女が書いたわけではないのだ。

そして当時のAdoはまだ17歳。リリースの翌日に18歳になる年齢だった。
そう思うと、<気づいたら大人になっていた>という歌詞は、現実とはやや異なる。Adoというまだ10代後半の、社会にも出ていないシンガーが、そうした歌詞を唄ったというわけである。

この曲については当時からかなり語られ、解析もされている。果たして、この歌詞が占めるものは?

いくつかのインタビューを探ってみた。

まず、ふたつの記事は2021年、まさにこの曲が大ヒットしている段階のものである。最初のこちらは3月リリースの記事。


――「うっせぇわ」は幅広い年齢層のリスナーに受け入れられています。その理由はどこにあると思いますか?

Ado そうですね…。かなり強くて攻撃的で、“心の叫び”みたいな激しい曲だと思っていて。サビの“うっせぇうっせぇうっせぇわ”と繰り返すところが耳に残るし、小さい子も口ずさみやすいのかも。

――「うぇせぇわ」って言いたい!という気持ちは誰しもあるでしょうし…。

Ado そうかもしれないですね(笑)。もともと、作詞・作曲をしてくださったsyudouさんの曲が大好きだったので、書き下ろしてもらえたことがすごく嬉しくて。こういう激しくて強い曲を作れる方は、なかなかいらっしゃらないと思うんですよね。WOOMAさんが描いてくださったMVの女の子のイラストも、すごく好きです。

――曲の主人公は社会のルールに対する鬱憤をぶちまけていますが、Adoさん自身も共感できる部分がある?

Ado 怒りには共感できるところがありました。社会人のルールやマナーはまだ経験してないので、「きっとこういう感じなんだろうな」と想像しながら歌って。学校の中にもルールはあるし、私も苦しんだり悩んだりしていたので、そういった部分では共感できますね。

当時のAdoは、おおよそこうした内容の受け答えをしている。
次は同じく2021年の5月の記事だ。


―正しい振る舞いばかりを意識してると、「うっせぇわ」の主人公みたいに窮屈になることはないですか?

Ado 窮屈になったとしても、行動に出したらすべて終わりですし(笑)。もちろんたまに「ああ大変だな」と思うところもありますが、自分の立場や周りのすべてが変わってしまったわけではなくて、身内や友人は自分が有名になっても今まで通り普通に接してくれているので、その人たちに救われてる部分はあります。なので特に窮屈に感じることはありません。

―これからどういう大人になりたいと思いますか?

Ado もうちょっと責任感を持ちたいです……(笑)。

―先ほどの発言からは十分自分の行動や発言に責任感を持たれているなと感じました(笑)。

Ado まだ甘えてる部分があるので(笑)。自分を甘やかさないようにしたいです。

―逆に、どういう大人にはなりたくないなと思いますか。

Ado 自己中心的にはならないようにしたいです。無意識に自己中心的な考えになってしまうことがあるので、そういうのはだんだんなくしていきたいですね。いろんな人に「10代なんてあっという間だよ」「20代前半はあっという間だよ」とか言われるんですけど、あっという間に過ぎていく中でそんな想いを抱えているのはまずいなと思い始めて、今の内に、幼稚な部分を直していきたいなと思っています。

―お話を聞いていると、「うっせぇわ」の主人公とは真逆くらいの発言だなと(笑)。

Ado あははは(笑)。でも「うっせぇわ」の歌詞に共感する部分はあるので。“つまみ易いように串外しなさい”とか“社会人じゃ当然のルールです”とか、そういったことは経験していないのでわからないですが、怒りという感情は自分にもあるので、自分が経験してきたことや思ったことと重ねて歌いました。

―それは、どういう怒りですか?

Ado 人に対する怒りもありますが、一番は自分に対する怒りですね。「なんで私こんなにバカなんだろう」「愚かなんだろう」って、そう思うところが多かったので。

―今も、自分に対する怒りは大きいですか?

Ado むしろそれしかないです。計画性がなくてギリギリに何かを提出するだとか、何も考えないでやって後悔するだとか、そういうことが多くて。「なんで直せないんだろう?」「なんでまだこうなんだろう?」って思う気持ちが大きいです。

これも、似たような内容をほかのメディアでも話している。怒りの感情はたしかにあって、この歌ではそれに置き換えて唄っている、と。
また、当然だが、インタビューが18歳当時のものなので、まだ大人になってはいないという前提で話がされている。

では、最近の発言はどうなのか?

最後に紹介するのは、今年の3月のインタビューだ。こちらは媒体自体がちょっと独特なもので、記事もほかのものとは違う視点から構成されている。
日本ではすでにトップアーティストのひとりで、もはや世界レベルを見据えて活動している、23歳になったAdoの言葉である。彼女の半生をベースにした小説の発表にあわせての取材である。


「私は小さいころから伝記が好きで、ヘレン・ケラーやココ・シャネルなどさまざまな人の生き方に影響を受けて育ってきました。自分が伝記の登場人物側になったという表現が合っているのかは分かりませんが、自分の半生をもとにした小説が出るのは面白く感じます。

大人になった今だからこそ『あのとき本当はこう感じていたんだな』と、当時は無視してしまっていた気持ちにあらためて向き合えて。これまでの人生は今の私自身を形成する大事な時間だったと思える瞬間がたくさんありました」

小説では、いつもピンク色の服をまとって“プリンセス”のように溺愛されていた幼少期から、早く大人になりたいと願いつつも、大人になるのが怖いとも感じながらすごしていた10代。そしてメジャーデビュー後から今に至るまで、Adoさんがこれまで見て、感じてきた光景が鮮明に描かれています。23歳で自身も大人となったAdoさんは今、かつて葛藤していた“大人”という存在について、どう感じているのでしょうか。

「私が10代のころに思い描いていた大人とは、なんでもこなせて、自分の足でちゃんと立って、颯爽と堂々と歩ける存在。まだ100%そうなれているとは言い切れませんが、紆余曲折しながらも少しずつ理想に近づけているのかなと思います」

「私は小さいころから夢見がちな人間でした。ですが、信じて願っているだけじゃ何も変わらないということも学びました。苦しくてもちゃんと進むことが何より大事なんだなと。進めば結果が出るかといわれたら、現実はなかなか難しいかもしれません。ですが、行動することで夢はつかみやすくなると思っています。

そして、その決断に年齢は関係ありません。かなえるのに年齢が関係する夢もあるかもしれませんが、人の願いそのものに年齢制限はないと思います。どんな世代であっても、自分が抱いた夢を信じて行動してほしいと思います」

「大人になった今だからこそ」と語っている。そして、かなり客観的に自分を捉えているような発言がある。
おそらくこの人は、曲がいきなり大ヒットして、その後も顔を見せないままだったこともあり、さまざまな憶測や意見を耳にしながら活動してきたのではないかと思う。そこで自分自身を振り返ったり、省みたりすることも多かったのではないだろうか。

また「まだ100%そうなれているとは言い切れませんが、紆余曲折しながらも少しずつ理想に近づけているのかなと思います」とか、「人の願いそのものに年齢制限はないと思います。どんな世代であっても、自分が抱いた夢を信じて行動してほしいと思います」という言葉には、成熟しようとしている思考や意志が感じられる。

こう考えるのはちょっと早計かもしれないが……Adoは、自分が大人になりつつあることを受け入れ、それを自分という存在のポジティヴなことへと転換しようとしているようにさえ思える。

そうしてみると、昨夜マリンスタジアムで「うっせぇわ」の絶叫を聴けて、良かった。
あのシャウトには、そんな今の彼女の姿の一端が表現されていた、ということだろうから。



中華料理 菜香菜 新宿店にて
ラーメン、660円。
ほんとは2H飲み放題付きの
食べ放題Aプラン《全128品》、
4400円を注文したので、
あくまでこれはそのひとつ。
雨の夜、食べすぎたっちゅうねん

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