【オトナになることのうた】沢田研二●年上の女(ひと)への恋、「危険なふたり」
<11月下旬現在、というか、このエントリーを投稿する前後から文字やリンク先の指定などが通常通りに反映できない事態が起きています。原因はわかりません。読みづらいところがあって申し訳ないです(ただでさえ長い回なのに)。状況を見て少しずつ修正していきますので、よろしくお願いします。
いつものように更新と修正がスムーズにできたら、冒頭のこの掲示は削除します>
取材仕事が続いたりで、落ち着かない日々でした。若干ですけど。
えーと、ライヴは……先週、イベントに行きました。新人シンガーのRol3ert、それにVivaOla 、DARDNが出演したものに。それぞれ、優れたアーティストです。
おかげで、洗練とは何か?ということを考えました。そのアーティストのバックグラウンド、育ちだったりの環境も関係している気がします。
後日、村井邦彦の作品を聴いていても、そんなことを思いましたね。
この連休は、家族で清澄白河から深川の方面に出かけたり。それからデフリンピックの卓球を観覧したりしました。平穏な日常に感謝です。
デフリンピックのdeafは聴覚障害者の意味で。イギリスのバンド、デフ・スクールの名前はそういうことなんですね。BOΦWY、とくに布袋さんが影響を強く受けたことでも有名なバンド。
あと、そろそろ2週間近く前ですが、獨協大学でのサエキけんぞうさんの講義『メディア社会とロック』にゲストで出た時(今年で15回目)のまとめを貼っておきます。サエキさん、今回もありがとうございました。
発売中の雑誌『昭和40年男』では、70年代ドラマ特集で書いています。僕が担当したのは『探偵物語』と『岸辺のアルバム』、それに個人欄では『赤い運命』(と『赤い疑惑』)ですね。ぜひご一読のほどを。

それから、マニが亡くなりましたね。悲しい。彼はローゼズ、それからプライマルでも、僕らを目いっぱい楽しませてくれたよ。本当にありがとう。安らかに。
https://rollingstonejapan.com/articles/43917
さて、18日の火曜日は、日本武道館に沢田研二を観に行きました。
今回はこのライヴのことから書きます。
ライヴのクライマックス曲!大人びた女の子、「ポラロイドGIRL」
沢田研二の日本武道館での公演は、2019年1月以来となる。先週このコンサートを観ながら、次の【 #オトナになることのうた 】はこのライヴのことを書こうと思った。ただし、その場で決めたので、レポート的なテキストはあまり書けないと思う。僕個人の所感に近いものだと捉えていただきたい。
それと、各曲について思い出すことが多く、ちょっと蛇足気味に書いている部分もある。そこはご容赦ください(そういう箇所は適当に読み飛ばしてもらえればと)。
僕はこのnoteの【 #年齢のうた 】で一昨年、さいたまスーパーアリーナ公演を元に沢田研二のことを書いている。彼について取り上げるのは、それ以来だ。
今回のライヴは、1月からずっと続いてきた全国ツアー「霜柱と蝋梅の森」の最終公演。セットリストはツアーを通じて同じで、これは最終日の武道館でもそうだった。
1. a.b.c...i love you
2. ダーリング
3. 憎みきれないろくでなし
4. 麗人
5. サムライ
6. PEARL HARBOR LOVE STORY
7. ISONOMIA
8. すべてはこの夜に
9. ジェラシーが濡れてゆく
10. 彼女はデリケート
11. ポラロイドGIRL
12. 君のキレイのために
13. LUCKY/一生懸命
アンコール:
1. 睡蓮
2. 甘いたわむれ
3. 鼓動
4. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!
5. 渚のラブレター
6. いくつかの場面
終演BGM 俺たち最高
一新されたバンドメンバーは、ドラムスが古田たかし、ベースが富倉安生、ギターは長田進と真壁陽平、そしてキーボードは斎藤有太。ツアー中の何公演かで、The Birthdayのフジイケンジが真壁の代役を務めることがあった。
いずれも実力者ばかりで、以前までの柴山和彦のようなファンになじみ深いミュージシャンはいない。しかしツアーを続けてきた彼らは、沢田と非常になじんだ演奏を聴かせてくれた。中でも古田の繊細なドラミングに、僕はヴォーカルへの気遣いを感じた。
ジュリー自身の声は曲数がかさむにつれて調子が上がっていった印象で、その唄いぶりはさすが!と思った。ただ、77歳ともなると若い頃のような発声はできないだろうし、また、今回のツアー中にはステージから転落するアクシデントもあっただけに、体調の管理には苦心をしているのではと推察する。それでも長旅を見事に完遂した沢田さんとメンバーたちには、心から拍手を送りたい。
千秋楽に武道館が選ばれたツアーだが、セットリストにはいつもの公演と同じようなバランスが感じられた。きっと多くの音楽ファンは、この中では「ダーリング」や「憎み切れないろくでなし」のようなヒット曲をたくさん聴きたいと思うだろうが、これはそういうライヴとは違う。演出面でもことさら派手な仕掛けはなく、あくまでツアーの一環としてのコンサートだったと思う。
楽曲のセレクトとしては、最新曲が2023年のシングル「LUCKY/一生懸命」。僕個人としてはどんなベテランでもなるべく新曲を出し続けてほしいし、それをステージで演奏してほしいと思うほうだが、かと言ってムリを言うつもりはない。その時々でアーティスト自身が全力を出せることが最も大切だと考えている。
今回のセットリストは70年代後半以降の楽曲から選ばれており、ライヴ映えするおなじみ曲以外は、80年代末、つまり『彼は眠れない』(1989年)以降からEMI期全般、プラス、自主レーベルの時代からのチョイス。つまりこの30数年に重きを置かれていた。
僕が最も気を引かれたのは、「PEARL HARBOR LOVE STORY」と「ISONOMIA」の連なりである。作詞はいずれもジュリー自身で、前者はパールハーバー、つまり世界大戦下における真摯な恋愛物語を創作し、題材にしている。もう1曲の「ISONOMIA」は原子力へのNOと人間の愚かさ、そして豊かな自然の素晴らしさに言及した歌だ。どちらにも、ひとりの人間としての彼の生き方が垣間見える。なお「PEARL HARBOR~」は亡くなってしまった朝本浩文の作曲。その元のアレンジと「ISONOMIA」の作曲とアレンジは、ムーンライダーズの白井良明だ。来年の沢田主演のミュージカルの音楽担当でもある彼の姿は、この夜、客席で見かけた。良明さんもどうか元気でいてほしい。
また、思えば「PEARL HARBOR LOVE STORY」では、ふたりの登場人物の年齢までが唄われている。その意味では【 #年齢のうた 】であって、今さらながら、前回ジュリーについて書いた時に取り上げてもいい曲だったなと思った。彼自身のリアルというよりストーリーに重点が置かれてはいるが、切実な感情が込められた歌だ。
この「PEARL HARBOR~」はアルバム『サーモスタットな夏』の収録曲で、本アルバムからはアンコールで披露された「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」も選ばれている。自分が沢田さんに最初にインタビューしたのがこのアルバムのプロモーション取材の場だったので、その時のことを一瞬思い返した。
取材の話で言えば、2度目の取材をリハーサルスタジオで行う際、レコード会社(東芝EMI)のプロモーション担当の方と待っている時に、その日の最後の練習曲でこの「マンジャーレ!~」が演奏されていて、僕らのいるロビーまで聴こえてきた。そこで僕はスタッフさんに思わず「この曲、いいですよね」と口にしたものだ。これも沢田という人の人生観が表された1曲だと思う。
それからポリドール時代としては、「甘いたわむれ」と「いくつかの場面」にグッと来た。
まるでアイドルポップのような「甘いたわむれ」は楽しいナンバー。それで思い出したが、Apple Musicのこの「通のための沢田研二」というプレイリストはじつに秀逸である。そして「いくつかの場面」である。沢田さんは本当にこの歌が好きなんだなと思う。重要なライヴの多くで唄われてきた曲だ。
「いくつかの場面」は僕も大好きで、以前【 #年齢のうた 】で河島英五を取り上げた時に、少しだけ触れた。
さて、今回のセットリストの中で、【 #オトナになることのうた 】としては、「ポラロイドGIRL」について書いておきたい。
「ポラロイドGIRL」は1989年、アルバム『彼は眠れない』をリードするシングルとして発売された曲で、きらびやかな沢田研二を再び全面に押し出した曲だった。作詞はパール兄弟のサエキけんぞう。そう、今日のこのエントリーの最初に触れた方だ。作曲はプリンセスプリンセスが大人気だった当時の奥井香(現在は岸谷香)である。『彼は眠れない』はほかにも忌野清志郎との共演や徳永英明、渡辺美里といったアーティストたちからの楽曲提供があったりと、新たな布陣でジュリーが復活!という背景を持つアルバムだった。
先だってNHK-BSでOAされたこの当時のコンサートは、その時のライヴの一発目(生中継もされた)。重厚なニューロックを聴かせた前年までのCo-coloに区切りをつけ、その間のシングル「Stranger」「muda」でのイレギュラーな時期を経て、JAZZ MASTERを従えての初ライヴだった。会場は今はなき東京ベイNKホールで、僕も現地のアリーナ席で観たものである。
「ポラロイドGIRL」はそのアルバムの火ブタを切るナンバーでもあり、以後のライヴで何度も唄われてきた。
ここでのサエキけんぞうの歌詞は<子供のまま深入りしている>と<大人びたポーズだけ ままで>と、まだ子供である子が大人を気取っていることを描いている。また、すっかり大人になったジュリーが、子供の年頃の相手を唄っているという刺激もあった。この歌詞は、ちょっとCMのコピーっぽくもある。
とにかくものすごくポップなラブソングで、しかもロック。ただチャート的にはスマッシュヒットであり、ファンとしての本音を言えば、もっと売れてほしかった。
なお、ポラロイドは当時人気のインスタントカメラの商品名であり、社名でもあった。おそらくはこのため、同年のNHKの『紅白』に出演した際にはこの曲ではなく、後日アルバムからのリカットシングルになった「DOWN」が演奏されている。さらに言えば、この『紅白』ではギターを柴山和彦が弾いていなかった。同時刻に、柴山がサポートする大沢誉志幸が年越しイベントに出演していたためである。
そういえば、さらに余談だが……「ポラロイドGIRL」は、シングルのジャケット上の表記が「ポラロイド・GIRL」(ナカグロあり)になっており、自分はかなり長い間、これが正式な表記なのかと思っていた。
それで何年か前、最初に書いたような獨協大学での講義のあとのカフェでのトークで、サエキさんに「<ポラロイドGIRL>のタイトル表記はナカグロありが正しいんですか?」と尋ねたことがある。そしたら「いやいや、ナカグロ、要らないですよ~。そのためにカタカナ(ポラロイド)と英語(GIRL)でつなげてるんですから」と返してもらったものだ。たしかに盤面(レーベル面)にはナカグロがない。となるとシングルのジャケットの表記は、デザイナーの早川タケジの独断ということか。
なお、僕はアルバム『ストリッパー』(81年6月発売)、シングル「ストリッパー」(同年9月にリカット)のジャケット上の表記(それぞれ『S/T/R/I/P/P/E/R』と「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」)も早川のセンスで決めたものでは、と読んでいる。当時のオリコンなどはジャケットの書き方をチャートにそのまま載せることになっていたようで、とくにシングルのほうが「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」と書かれることが多かったのは、そのためだと思う(レーベル面はナカグロなし)。
ものすごく閑話休題。失礼しました。
それにしても今回のセットリストにはJAZZ MASTER期の曲も多く、とくにサエキけんぞう作詞曲は「ポラロイドGIRL」と「a.b.c...i love you」(これが1曲目だとツアー「単純<シンプル>な永遠」を思い出す)、さらに「ジェラシーが濡れていく」と3曲も選ばれていた。
熱演の連続で、無事に終わった沢田研二のコンサート。主役たちがステージを去っても最後のSEで流れた「俺たち最高」は、この場に集ったオーディエンスを含め、その人生を讃えるかのように感じられて、それもすごく良かった。
「危険なふたり」に透けて見える<年上の女(ひと)>の存在
さて、沢田研二の膨大な作品の中で、大人の歌、大人になることについての歌はいくつか存在する。前回の【 #年齢のうた 】同様そのすべては網羅しきれないとして、気づくかぎり書いておこうと思う。
大人に言及したジュリーの曲で、最も有名なのは「危険なふたり」だろう。
1973年、沢田のソロ作品で初めてセールスチャートの首位を奪取した歌である。
中盤の<あなたは大人の/ふりをしても 別れるつもり>。ここである。
深い間柄をここまでで終わらせようとする女性側に対し、主人公の男は懇願するように自分の愛を訴える。僕はこの当時ラジオやテレビで耳にしていたが、なにせ小学校の低学年で、ピンとは来なかった。それはそうだろうと思う。そんな年齢で恋愛の機微などわかるわけがない。
しかし数年後にレコードを買って、あらためて浸ったこの歌は、安井かずみの作詞。彼女は当時の沢田と近い関係があったことが明らかにされていて、今の時代からはあれこれと詮索することができる。
そんな詳しい事情も知らない中学生になっていた自分でも、安井がジュリーとの関係を匂わせるような歌詞を書いていたことは、感覚的に理解できた。後年になって僕は、安井はあの加藤和彦のパートナーだったことを知るのだが、それもまた、何もかもが腑に落ちたように思えたものだ。
安井が亡くなったあと、沢田研二は<ZUZU Songs>という安井の作品を唄うコンサートを渋谷公会堂で開いた。その客席には加藤和彦も招かれていて、彼は僕の何列か前の席にいた。そして終演後、観客は加藤に向けて拍手を送り、沢田も舞台上から彼を紹介した。加糖はそれに応えて、笑顔で会場中に手を振っていた。
それにしても「危険なふたり」で、相手の女性の行動を<大人のふりをしても>と言って訴える健気(けなげ)さ、まっすぐさ。彼女に惚れている主人公は、とても大人になんかなれないよ!と叫んでいるかのようだ。そしてこれを歌詞という言葉の表現に書いてしまう安井の世界。
ポップでロックなこの曲で、年上の女性に恋をするような、ちょっとスウィートなイメージが沢田に強くなったのは間違いないと思う。
さて、この歌に続いて、沢田研二の【 #オトナになることのうた 】を探してみた。とはいえ、やはり膨大な彼のカタログ作品、現時点で見つけられたのはこのぐらいだ。
いずれも沢田自身の作詞である。
「つづくシアワセ」(2002年『忘却の天才』)
「MENOPAUSE」「greenboy」(2005年『greenboy』)
「黒いピエロと黒いマリア」(2007年)
また、TEE FOR THREEの「僕の空」(2000年)では、歌詞で大人と子供が混在している。この歌のみ、作詞は岸部一徳(作曲は森本太郎)。
ちょっと意外だったが、沢田研二は大人になってからのほうが、よっぽど大人についての歌を唄っている。それについて考察するのもありかもしれないが、今回はここまでにしておこうと思う。
僕にとって、ふた回り近く上の年齢である沢田さんは、ずいぶん昔から大人の存在だった。ただ、若い頃のさまざまな出来事や、歌手として、人としての歩みをたどってみると、決して収まりのいいままで大人になっていった人ではない。自分の生き方、やり方、居場所を探しながら、ずっと戦い、今もそれを続けている人だと思う。
彼は武道館のステージで、80歳までは唄うと言った。あと2年と7ヵ月。
僕は、この人はもっともっと唄い続けてくれるんじゃないかと思っている。

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カフェラテのアイス、690円。
深川公園のベンチにて、秋も深いのにアイスを飲み、
紅葉が進む葉っぱの上にお菓子と一緒に置いてみたよ
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