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【オトナになることのうた】Vaundy その1●10代の青さが突き刺さる「僕は今日も」と「napori」

今朝、今回書くアーティストのインタビューに向かう夢を見たのですが。その取材場所が、映画『地獄の黙示録』のようなジャングルの奥地にあるような掘ったて小屋みたいなところで。

しかもその小屋に入るには、泥水のような川をジャンプしないと扉までたどり着けないような作りで。意を決して思いっきり飛んだんですが、あえなく足元が泥の川に着地し。こりゃ飛び直さないとな、と気を引き締め直しているところで、目が覚めました。
そんな状況でのインタビュー取材は、経験したことがないですな。まあ足元ズブズブはフジロックをはじめ、何度もあるけど。

さて、過日。今年のわが家のサンタクロースは……あわてんぼうのはいなかったんですが、通常のと、のんびり屋さん、もっとのんびり屋さんと、3日連続でやって来ました。浦和のプレゼントを持ってきたのもいましたね。


そういえば僕、浦和にカネコアヤノの弾き語りを観に行きました。いやー素晴らしかった。
把握しきれないところが大きいアーティストは、それゆえに、よけいに魅力的。

会場の埼玉会館も印象深い建物でした。『砂の器』を見直したいところである。

今年は仕事納めが早かった人が多いと思いますが(主に日程の都合上かね)、僕もそうです。年末のライヴやイベントを急いで書かないといけない人もいるでしょうけど。
過去に、レコード会社の人が「レコ社は年末働いてなんぼ」と意気込んでた人もいましたが、まあ賞レースや年末~年越しのライヴがあったりすると、慌ただしいのでしょう。

今回からはVaundyです(ジャングルの奥地に会いに行った相手。夢で)。うちの家族は、今年はフジロックで彼のパフォーマンスを堪能しました。
最近のVaundyは大規模なライヴをやりながら、テレビの歌番組やドキュメンタリー番組によく出ていて、ネットや雑誌の記事も多くて。今日の数日後には『紅白』への3度目の出場もありますね。ただ、少し前にはインフルエンザにもなっていたので、心と身体に気をつけて頑張ってほしいです。

青い独白が赤裸々な「僕は今日も」


Vaundyの存在は、デビューしたばかりの頃から認識している。「東京フラッシュ」を初めて聴いた時は、とても鮮烈なものを感じた。
その時は、僕などはシティポップのニューフェイスが出てきたのかと思ったほど、音楽がよく磨き上げられていた。しかも彼がまだ10代ということにも驚いた。

デビューアルバム『strobo』のリリースは2020年の5月。当時はこのジャケットや当時のMVが示しているように、ビジュアルがつかみにくいアーティストだった。どんな顔なのか、どんな表情をしているのか。楽曲のクオリティが高い分、この人のことがよけいに気になるリスナーも多かったのではないかと思う。

本作までの段階で人気があったのは「不可幸力」や「怪獣の花唄」だった。彼のキャリア中でも重要な歌である。

とくに「怪獣の花唄」はうちの妻子も好きで、家でよく聴いていたものだ。


この『strobo』において、自分に引っかかったのは「僕は今日も」だった。アルバムから先行で配信された曲でもある。


Vaundyがまだ10代だというのに、その人生を、さらには自身の内面を独白しているかのような歌。とても生々しい。
この歌には<もしも僕らが生まれてきて/もしも僕らが大人になっても>という歌詞がある。そして、やがていなくなっても<そこに僕の歌があれば/それでいいさ>と続いていくこの歌は、Vaundyのアーティストとしての基本姿勢を唄っているとも言える。

また、彼が、自分はまだ大人になっていないという認識を表明している楽曲でもあり、その背景にはアーティストとしての自信を持ち切れていない節も感じられる。それはデビューしたばかりだから当然と言えば当然だろう。


――「僕は今日も」という楽曲は、Vaundyのテーマソングのように感じました。

Vaundy:去年の頭ぐらいに作った曲で。他の曲は動画を出しはじめてから作った曲なんです。すべてが事実ではないんですけどパーソナルな曲です。人のちょっと暗い部分を自分なりに解決する歌です。


母、父、それに彼女のことが描写されている曲。この歌は、ケンカをした時に作られたのだという。

「この曲は一番最初の頃の曲なので、今の僕からすると本当に子供っぽいなと思うというか(笑)。当時はその無邪気さがよかったのかなと思うんですけど、今の僕とはもうまったくの別人が作った楽曲だなという感覚ですね。やっぱり環境もこの時とは全然変わったし……ある意味、こういう曲が僕の居場所を変えてくれたのかもしれないですけど。自分の毒を切り売りしてる感覚ですね、この曲は特に」

(『MUSICA』2024年1月号より)

大人になった自分たちを想像するラブソング「napori」


さらに『strobo』には、アルバムの曲順としては「僕は今日も」の前の「napori」も気になる曲だった。
こちらは非常にピュアなラブソングである。


この曲の重要な箇所は<音になって/大人になって/思い出したんだ>、そして<君が/大人になって/思い出すのは/ぼくじゃないかな/いずれ>と続くところだ。
大人になった<僕ら>は、思い出す、つまり遠い存在になってしまっているという予測があるのだろうか。せつないような、悲しいような。


見方を変えれば、10代の段階でのVaundyはとてもリアリストでもある。若い頃の恋愛なんておおむね盲目的で、先のことなんてなかなか考えないようなものでありがちなのに。18歳の段階でのこの認識はどんなところから生まれているのだろうか。

「歌ってて、超気持ちいいんですよ。気持ちいいんですけど、今聴くと子供っぽいなっていう気がする」

「(曲の世界観として)大人なほうでした」

「はい、かなり背伸びしてました(笑)。それを経て“世界の秘密”とかが出てきてるんで。これ系はここからどんどんブラッシュアップしてます」

(『MUSICA』2024年1月号より)


この歌詞も背伸びをしていたのだろうか。そうであるとするならば、リアリストというより、盲目的になろうとしている自分を制しようとしていたところもあるのだろうか。

ただ、独白的な歌だけに、今、「僕は今日も」や「napori」を聴くとかなり青いというか、いかにも未成熟な若者の歌というイメージが強い。翻ると5、6年前の作品になるが、その後の彼の進歩というか、あらゆる面でのグレードアップが尋常ではないためなのか、隔世の感がある。

ともかく、『strobo』。ここからVaundyの物語は世に出て、多くの人の前に現れることになった。

<Vaundy その2 に続く>



神楽坂チカリシャスNYアマリージュの
生クリームシフォンケーキ、570円。
クリスマスケーキのように
ふんわり食べました


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