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夜の声薬局第 10夜|ここに戻る夜

夜の声薬局は、
今日は「理由のない揺れ」が残った夜に、
静かに現れた。

その人は、
扉を開けると、
少しだけ戸惑ったように立ち止まった。

ここに来た夜は、
いつも、
どうにもならないことを抱えている。

店の奥に、
小さなブランコがあった。

その人は、
しばらくそれを見てから、
戸惑いながらも、
腰を下ろした。

ブランコは、
自分からは動かない。

足で地面を軽く蹴ると、
ほんの少しだけ、
揺れた。

前に進むわけでも、
戻るわけでもない。

ただ、
揺れる。

揺れては、
また戻る。

心が落ち着くわけでも、
答えが出るわけでもない。

それでも、
揺れている間だけ、
考えが、
少し緩む。

私は、
その様子を見ながら、
何も言わなかった。

揺れることを、
止める必要はない。

揺れても、
ここにいていい。

やがて、
ブランコの動きは、
自然に小さくなっていった。

その人は、
足を地面につけ、
静かに立ち上がる。

何かが終わった感じは、
しなかった。

ただ、
終わらせなくていい夜だった。

ただ、
ここに来る前より、
身体の重さが、
少しだけ違っていた。

前に進むための場所ではなかった。

どうにもならない時間を、
それでも、
越えてきた身体が、
ここにあった。

揺れて、
戻る。

それだけを、
繰り返してきた人生と、
よく似ていた。

その人は、
小さく会釈をして、
店を出た。

夜は、
来たときと変わらず、
そこにあった。



家に帰り、
灯りを落とす。

台所で、
湯を沸かす。

やかんが鳴く前の、
あの小さな気配を聞きながら、
その人は、
肩の力が抜けていることに気づいた。

子どもの頃、
夕方になると、
祖母もこうして台所に立っていた。

急ぐでもなく、
何かを考えるでもなく、
ただ湯が沸くのを待つ時間。

緑茶を入れて、
湯呑みに注ぐ。

両手で包むと、
少し熱い。

その熱さが、
今の自分には、
ちょうどよかった。

祖母はいつも、
湯呑みを両手で包み、
立ちのぼる湯気を、
そっと目に当てていた。

「目も、疲れるからね」

そう言った声だけが、
なぜか、今も残っている。

立ちのぼる湯気を、
同じように、
そっと目に当てる。

温度だけが、
そこにある。

言葉も、
理由も、
いらない。

揺れたあとに、
戻る場所があることを。

誰かに教わったわけでもなく、
身体が、
もう一度、思い出している。

夜の声薬局は、
ちゃんと傷ついてきた人へ、
今日も、
静かに灯っている。

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