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夜の声薬局 第三夜 名前のない癖

夜の声薬局は、
今日は「特に何もなかった日」の夜に、
たまたま現れた。

特に忙しかったわけでもなく、
誰かに嫌な言葉をぶつけられたわけでもない。

ただ、帰り道に少し遠回りしたくなり、偶然辿り着いた感じだった。

絵:クオ.ジェントル


彼女は、
申し訳なさそうに扉を開け、
「すみません」
と小さな声で呟くように入ってきた。

私は軽く会釈をして、
椅子を勧める。

その人は、
コートを脱がずに
遠慮がちに
そこに座った。

疲れてるんですか?と聞いたら
きっと「いえ、別に…」と答えるだろう。

だから、
今夜は会話もせずに
様子をみることにした。

自分の片付けに専念している時、
カウンターの上の紙を
一枚、床に落としてしまった。

彼女がそれに気がついて
すっと立ち上がり、
紙を拾う。

「すみません、落ちましたよ」

そう言いかけたが、
私の
「ありがとうございます」
という声が
ほんの少しだけ先に遮った。

ん?なんで、すみませんって
言おうとしたんだろう
そんな事を思いながら
紙を私に渡し、
また椅子に戻った。

店の中は、
何も変わらない。

それでも、
店の静けさが、
さっきより居心地よく感じられた。


この店では、
「すみません」よりも、
少しだけ
「ありがとう」が多い。


どちらが正しいわけでもない。
けれど、
「ありがとう」のほうが、
言った人も、
言われた人も、
ほんの少し、あたたかい気持ちになる。

ー 今夜の処方箋 ー

無理に直さなくていい。
少しだけ
「すみません」を
「ありがとう」にしてみよう



やがて、彼女は立ち上がり、
今度は、はっきりと会釈をして、
扉を出ていった。



家に帰り、
靴を脱いで、
灯りをつける。

今日一日を思い返しても、
反省するほどのことは、
何もない。

それでも、
さっきの一瞬が、
胸の奥に、静かに残っている。

言わなくてもよかった
「すみません」を、
たくさん積み重ねてきたこと。

それに、
気づいてしまった夜。

無理に直そうとは、思わない。
ただ、
次に同じ場面が来たら、
少しだけ、
胸を張れる気がする。

それだけで、
今日は、まぁ悪くない。

次の朝、
いつも通りにドアを開けようとすると、
「どうぞ」と、先にすすめてくれた人がいた。

彼女は
笑顔で、
「ありがとうございます」と言った。

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