誰も教えてくれなかった経営のはなし──会社は、突然ではなく、少しずつ壊れていく。第14話:何も決まらない会議
第14話 何も決まらない会議
毎週月曜日、午前九時。
会議室のドアが開くと、八人の幹部が席についている。部長三人、課長四人、そして社長。
テーブルの上には、各部署が用意した進捗報告の資料が並んでいる。A4の紙が一人あたり二、三枚。合計で二十枚ほど。
この会議は、一時間半かかる。
そして、何も決まらない。
白石建設は従業員三十人ほどの総合建設会社だ。年商は十二億円。公共工事と民間工事の両方を手がけている。
社長の白石孝一は六十二歳。現場上がりの叩き上げで、若い頃は自分で重機を動かしていた。現場の厳しさを知っている社長だと、社員からは一目置かれている。
だが白石社長には、一つだけ変えられないものがあった。
この月曜の定例会議だ。
白石社長が社長に就任した十五年前から、毎週月曜に幹部が集まって会議をしている。先代の頃からあった会議で、白石社長はそれをそのまま引き継いだ。
「月曜の会議は大事だ。幹部が顔を合わせて、現場の状況を共有する。それがうちの経営の基盤だ」
社長はそう言っていた。
その考え自体は、間違っていない。
問題は、中身だった。
会議の流れは、毎週同じだった。
まず、工事部の田中部長が、進行中の工事案件の進捗を報告する。
「○○邸の新築工事、基礎が完了しました。来週から躯体に入ります」
「△△ビルの改修工事、予定通り進んでいます。特に問題ありません」
報告が終わると、社長が「ご苦労さま」と言う。質問はない。
次に、営業部の佐藤部長が、見積や受注の状況を報告する。
「先月の受注は三件でした。見積は五件出ています。来月に二件ほど結果が出る予定です」
社長が「頼むよ」と言う。質問はない。
次に、総務部の広瀬部長が、資金繰りと経理の状況を報告する。
「先月の入金は予定通りでした。今月の支払いも問題ありません。源泉所得税の納付は済んでいます」
社長が「わかった」と言う。質問はない。
その後、各課長が順番に報告する。同じ形式で、同じテンポで。報告して、社長が頷いて、次に移る。
一時間半。
八人の幹部の時間。
合計十二時間分の人件費。
それだけの時間を使って、決まったことは何もなかった。
新しく課長に昇進した中野直樹は、この会議に出るようになって三ヶ月だった。
三十五歳。工事部の現場監督から、工事管理課の課長に昇進した。現場の仕事には自信がある。だが幹部会議に出るのは初めてだった。
最初の一回目は、緊張した。幹部が集まる場で、自分も発言しなければならない。何を報告し、何を提案すればいいのか。
だが、二回目にはわかった。
この会議では、提案は求められていない。
報告だけでいい。
問題があっても「検討します」と言えばいい。
誰も突っ込まない。誰も反論しない。誰も提案しない。
三回目には、中野は会議の間にメモ帳に現場のスケジュールを書いていた。会議に出ている間にも、現場は動いている。この一時間半を、現場の段取りに使えたらどれだけ楽か。
四回目。中野は、隣に座っている営業課の河村課長を見た。河村はじっと座っているが、目が泳いでいる。手元の資料を何度もめくっている。明らかに退屈している。
だが河村も、何も言わない。
向かい側の総務課の松井課長は、ペンを回している。聞いているのか聞いていないのかわからない。たまに頷くが、それは同意ではなく、眠気を振り払う動作に見えた。
部長たちも似たようなものだった。
田中部長は真面目に報告するが、報告が終わればスマホを膝の上に置いている。佐藤部長は自分の報告以外の時間、窓の外を見ている。広瀬部長だけが最初から最後までメモを取っているが、何をメモしているのかは誰も知らない。
八人がこの部屋にいるのに、会話は一方通行だった。
報告する人と、聞いている(ふりをしている)人。
議論はない。質疑はない。決定もない。
中野が違和感を覚え始めたのは、五回目の会議だった。
その日、工事部の田中部長が報告した。
「○○町の公共工事ですが、地盤の問題で工期が一週間ほど遅れる見込みです」
社長が聞いた。
「対応は?」
「現場で調整しています」
「よろしく頼むよ」
それで終わった。
中野は思った。
工期が一週間遅れる。それは工事部だけの問題ではない。営業部にも影響する。次の案件のスケジュールが詰まる。総務部にも影響する。外注先への支払い時期が変わるかもしれない。
本来なら、その場で三つの部署が連携して対応策を話し合うべきだ。
だが、工事部長が「現場で調整しています」と言った時点で、会議は次に移った。
営業の佐藤部長は何も聞かなかった。工期の遅れが営業にどう影響するか、聞くべきだったが、聞かなかった。
総務の広瀬部長もメモを取っただけだ。支払いへの影響があるかもしれないが、確認しなかった。
社長も「よろしく頼むよ」で済ませた。
中野は、この会議が何のためにあるのか、わからなくなった。
六回目の会議の後、中野は私のところに来た。
月次の打ち合わせの後に、少し時間をもらいたいと言った。
「先生、月曜の幹部会議について、聞いてもらっていいですか」
「どうぞ」
「あの会議って、何のためにやっているんですか」
直球だった。
「中野さんはどう思いますか」
「正直に言うと、報告会です。進捗報告の場であって、何かを決める場ではない。議論もない。部署間の連携もない。工事部で起きた問題が営業や総務に共有されない。全員がいるのに、全員が自分の報告だけして帰る」
中野の指摘は正確だった。
「それと、コストが気になるんです」
「コスト?」
「はい。部長三人、課長四人、社長。八人で一時間半。月に四回で六時間。年間で七十二時間です。一人あたりの時間単価を考えると、年間で数百万円分の人件費をこの会議に使っています。その割に、決まっていることが何もない」
中野は現場監督出身だ。現場では、無駄な待ち時間がコストに直結する。その感覚を、会議にも当てはめていた。
「先生、この話を社長にしてもいいんでしょうか」
「中野さんが言いたいなら、言えばいいと思います。ただ、この会議は十五年続いています。先代の頃からのものです。社長にとっては、会社の伝統のようなものです」
「伝統……」
「変えるなら、否定ではなく提案の形がいいでしょうね。『この会議をなくしましょう』ではなく、『この会議をもっと使える場にしませんか』なら、社長も聞きやすいかもしれません」
中野は少し考えてから頷いた。
「わかりました。次の会議で、言ってみます」
翌週の月曜日。
いつもの会議が始まった。
工事部の田中部長が報告し、営業の佐藤部長が報告し、総務の広瀬部長が報告した。
いつもと同じ流れだった。
課長たちの報告が一巡し、社長が「他に何かあるか」と聞いた。
いつもなら、誰も何も言わない。「ありません」で終わる。
だが今日は違った。
中野が手を挙げた。
「一つ、提案があります」
会議室が少し静まった。課長が「提案」をするのは珍しいことだった。
「この会議で、毎週一つだけ、何かを決めるようにしませんか」
白石社長が中野を見た。
「決める?」
「はい。今の会議は、各部署の進捗報告が中心です。それは大事なことです。ただ、報告だけなら、資料を共有すれば済む部分もあると思います。せっかく幹部が全員集まっているのだから、この場でしか決められないことを一つ、毎週決める場にできないかと思いました」
会議室が静かだった。
田中部長がペンを止めた。佐藤部長が窓から目を戻した。松井課長がペンを回すのをやめた。
全員が中野を見ていた。
「たとえば先週、○○町の工事で工期の遅れが報告されました。あのとき、営業部への影響や総務部の支払い調整について、この場で話し合えたはずです。でも、工事部が『現場で調整します』と言って終わりました」
田中部長の表情が少し硬くなった。
「否定しているわけではありません。現場で対応してくださったのは事実です。ただ、せっかくこの場に全部署がいるのだから、もう少し使い方を変えてもいいのではないかと思いました」
白石社長は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
長い沈黙だった。
沈黙を破ったのは、意外にも広瀬部長だった。
「中野くん、それは——ここでは言いにくいかもしれないが——正直、私もずっと思っていました」
会議室がざわついた。
広瀬部長は続けた。
「この会議は十五年続いています。先代の頃から。でも、先代のときは、この会議で案件の配分を決めたり、職人の手配を調整したりしていました。報告だけではなかったんです」
「いつから変わったんですか」と中野が聞いた。
「……いつからだろう。気がついたら、報告だけの場になっていた。誰かが変えたわけではない。ただ、誰も何も言わなくなった。何も決めなくても会議は終わるから、何も決めないまま続いてきた」
白石社長が口を開いた。
「広瀬さん、お前もそう思っていたのか」
「はい。ただ、社長がこの会議を大事にされているのは知っていたので、言えませんでした」
社長はしばらく天井を見ていた。
「……俺は、この会議が幹部の一体感を作ると思っていた。毎週顔を合わせて、現場の状況を共有する。それが経営の基盤だと」
「その考え自体は間違っていないと思います」と私は口を挟んだ。
「ただ、社長、共有と決定は違います。今の会議は共有はしていますが、決定がない。決定がない会議は、共有の場としても弱くなります。なぜなら、共有したことが行動に変わらないから。報告して終わり。聞いて終わり。それが十五年続いている」
白石社長は腕を組み直した。
「中野、お前の提案は具体的には何だ」
「まず、報告は事前に資料を共有して、読んでおくことにする。会議の場では報告の読み上げはしない。その分の時間を、今週決めるべきことの議論に使う」
「たとえば?」
「先週の○○町の工期遅延なら、営業部の次の案件にどう影響するか、総務部の支払い調整が必要か、外注先にいつ連絡するか。この三点を、十五分で決められたはずです」
白石社長は中野を見た。
「お前、会議に出て三ヶ月で、ずいぶん見えたんだな」
「現場にいたときは、待ち時間はコストだと教わりました。この会議の待ち時間は、部長三人と課長四人と社長の時間です。もったいないと思いました」
白石社長は少し笑った。
「もったいない、か。現場の人間らしい言い方だな」
翌週の月曜日。
会議のやり方が、少しだけ変わった。
報告資料は金曜日までに共有されるようになった。月曜の会議では、報告の読み上げはしない。代わりに、「今週決めること」をホワイトボードに書き出すことにした。
最初の週は、ぎこちなかった。
ホワイトボードの前に立った中野が「今週、決めることは何ですか」と聞くと、しばらく沈黙が続いた。
十五年間、何も決めてこなかった会議で、急に「決めろ」と言われても、何を決めていいのかわからない。
だが佐藤部長が、おずおずと切り出した。
「来月の入札案件、担当をどうするか決めたいんだが。いつも後回しになって、直前にバタバタする」
「いいですね。それを今日決めましょう」
十五分の議論で、入札の担当と準備スケジュールが決まった。
以前なら、佐藤部長が一人で悩み、社長に相談し、何日もかけて決めていたことだ。
会議が終わったのは、四十五分後だった。
いつもの半分の時間で終わった。
しかも、一つだけ決まっていた。
三ヶ月後。
月曜の会議は、まだ完全には変わっていない。
読み上げが復活することもある。議論が空回りすることもある。ホワイトボードに何も書かれない週もある。
十五年間の習慣は、三ヶ月では変わらない。
だが、一つだけ確実に変わったことがある。
会議の中で、質問が出るようになった。
「田中部長、その工事の外注先は決まっていますか。決まっていないなら、今決めましょう」
「佐藤部長、その見積、いつまでに出す必要がありますか。工事部と先に調整した方がいいのでは」
以前は誰もしなかった質問だ。
報告を聞いて、頷いて、終わり。それが十五年間の形だった。
その形が、少しずつ崩れ始めていた。
中野は最近こう言った。
「先生、まだ全然ダメです。でも、少なくとも前よりは会議に出る意味が出てきました」
私は思った。
何も決めない会議は、会社の時間を使った沈黙だ。
だが、一つでも決める会議は、会社を動かす力になる。
たった一つでいい。毎週一つだけ、何かを決める。
それだけで、会議は変わる。
会議が変わらない会社は、何も変えられない。
だが、会議が変わり始めた会社は、少しずつ動き出す。
『誰も教えてくれなかった経営のはなし』第14話・了
Kのつぶやき
毎週、幹部が集まっている会社は多いです。
でも、「今日は何を決めましたか」と聞くと、答えに詰まることがあります。
報告は大事です。 ただ、資料で共有できる報告に、幹部全員の時間を使いすぎていないでしょうか。
せっかく全員が集まっているなら、小さなことで構いません。
毎週一つだけ、何かを決めてみてください。
会議が変わると、会社が動き始めます。
