隣の芝生はクソ青いけど、うちにはそもそも芝生がない
書評を書きたいと思っていた。書けるもんなら。
本が好きだと言うと、「文章も書ける」と言われることがあるのだが、それは、中華料理が好きだという人に、「中華料理を作るのが上手なんですね」と言うのと同等だと個人的には思っている。全くの別物だ。もしそうだとしたら、和食も洋食も中華も、地面に落ちて3秒経過していないものなら全て美味しく食べられる私のような人間は、超天才的な料理人になってしまう。そして、なんとかの一つ覚えで「本が好きです」と言い続けている私は、今頃、芥川賞を28回くらいは受賞できているはずだ。小説を書いた、ことはないが、今年も一応、受賞作の発表日には携帯を手元に置いていた。しかし受賞の電話はかかってこなかった。一体何故だろう。
先日、初めて文学フリマへ出掛けた。noteで追っている人たちのブースにはなんとなく目星を付けていたのだが、それ以外は全く何の下調べもせず、なんとなく歩いていれば気になるものがあるだろうという綿菓子くらい甘く軽い考えで当日を迎えた。
綿菓子どころではなかった。甘過ぎたし、軽過ぎた。日頃から、繊細さを追求して動かさないようにしている私の筋肉は歩き始めて数分で悲鳴を上げ、日頃から、”私の部屋” というダニから見ると広大な大地でのみ生存している私は、人間から見るととんでもなく広大な文学フリマという世界に恐れおののいた。・・・広すぎる。何を見たらいいのかを見失い、広い会場を彷徨い始めた。人生でしか彷徨ったことがない私からすると、現実を彷徨うことなど珍しい。
そんな時、ふっと前日目にした好きな歌人のSNS投稿を思い出した。
「瀬戸夏子さんのブースには寄ろう」
私も寄ろう。
疲労で重くなった足と、いつ付けたか記憶にない脂肪で重くなった身体を引きずって辿り着いたブースで、全く内容を知らないまま手にしたのが『あなたからの手紙』だった。
本書の裏表紙を閉じて、床の上で丸くなった。無意識に現実逃避をしようとしたのか、他の本を手に取って読み始めた。数行読んでその本を置くと、また手を伸ばして『あなたからの手紙』を開きなおし、ため息をついた。
丸くなった私は一見Yogiboに見えるかもしれないが、かろうじて人間だし、一歩も動かずに全ての物に手が届いているのは、効率化を図って身の周りに全ての物を集約しているためで、片付けるのが面倒だから周囲に物が溢れているということではない。
あぁ、こういう書評が書きたかったなぁ。
豊富な読書経験と、緻密な知識と、圧倒的な文章力。読者にその本を読んでみたいと思わせる力。
私には、豊富な皮下脂肪と、曖昧な記憶と、圧倒的な家庭内軍事力と、読者に本の感想すら書いてねぇじゃねえかと思わせる力はあるが、上記のものは一つもない。一体どうやったら、こんな書評が書けるのだろう。私は人生で82,125回目の壁にぶつかった。
noteで文章を書くようになって、隣の芝生が青いと感じることが本当に多い。青いどころかクソ青い。そして、そもそも隣ですらないのかもしれない。
ちなみに自分の芝生はどうだろうと思って足元を見ると、芝どころか植物が何一つ生えていないことにびっくりする。たまに動物のウンチだけが転がっていたりして、更にびっくりする。まぁ、人には向き不向きあるように、大地にも芝生とウンチがあるのだろうとは思うが、私の足元には雑草が生える気配すらないのは一体どうしたことだろう。芝を植えた記憶も、植物を育てる努力もしていないのだから当然なのだが、何処かから飛んできた芝が奇跡的に定着して、育ったりはしないものだろうか。
最近の私は、"まぁウンチは肥料になるから、足元の大地は肥沃な土地に生まれ変わるかもしれないしな" とアラレちゃんスタイルで、ウンチをツンツンしながら『あなたからの手紙』の読了後を過ごしている。とはいえ、肥沃な土地に生まれ変わるのにあと数十年かかったら、私自身が生まれ変わっている可能性も否定できない。
あなたからの文才の種、いつでもお待ちしています。
みなさま、台風は大丈夫でしたでしょうか?
ご無事であることを願っています。
