見出し画像

忘れたくないけど忘れたい日

※※いつもと異なり気づきも学びもなくて、しかも内容が重いです。
いや、最後に一応自分なりの気づきを入れた。

深夜テンションで書き上げるある日の思い出。
それは「友人がいなくなった日」のこと。
どこかで書いておかないと忘れてしまいそうだからnoteに書く。
ただ、忘れたほうが幸せなのかもしれない。

いつものように深夜、京都の一乗寺でラーメンを食べていた。
そのころは週1ペースでラーメンを一緒に食べて、グダグダと話し込むのが普通だった。
「じゃあまた」
「また」すぐに会えると思っていた。

それはゴールデンウィークの初日。
研究室も休みだったので、私はお昼すぎまで寝ていた。
当時ルームシェアをしていて、ルームメイトは起きていた。

突然チャイムが鳴り、友人がやってきた。
友人はルームメイトと話している。
私はまだ布団の中にいた。
ただ、何となく嫌な予感がした。

友人はルームメイトと話し続けている。
「〇〇のことで・・・」
そんな声が聞こえた。

あぁ、これは聞いてはいけない。
聞きたくない。
そう思って布団の中に私はいた。
起きたら時間が動き、現実を知ってしまうと思ったから。

ただ、時すでに遅し。
もう間に合わない。
あとは事実を聞くしかなかった。


そこから先、自分が何を話してどんなことをしたかは覚えていない。
ただ、見慣れたはずの風景は強烈に覚えている。

大学前の百万遍交差点。
学部生の頃に住んでいた元田中駅。
理学部がある北部キャンパスに向かう今出川通の微妙な坂。

気がつけば私は休みのはずの研究室にいた。
「彼」とは関係ない空間に身を置きたかったのかもしれない。

休みの研究室は静かだった。
その日は教授も准教授も来ていなかった。

ただ、そこに自分と同じテーマの先輩だけがいた。
当時コミュ障だった自分に対して優しく接してくれた先輩。

いま振り返ると、そのときに先輩一人しかいなかったのは私にとってものすごい幸運だった。
「実は・・・」

この人になら言ってもいい、というか言わないと自分が壊れる。
お昼にあったことを先輩に話した。
「いつでもいいから話を聞くよ」
そう言ってくれた。

そして諸々が収まった日に先輩は時間を取ってくれた。
18時くらいから夜中3時くらいまで付き合ってくれた。
本当にありがたかった。
いまでもその先輩には頭が上がらないし、自分ができることは何でもしようと思ってる。


当時の私はコミュ障で、友達は少なかった(いまもだけど)。
ただ「自分のことを分かってくれる数少ない友人がいればいいや」と思っていた。
だけど、友人が数少ないと失ったときのダメージが本当に大きい。

いまでも自分は「自分のことを深く理解してほしい」と思っている。
だからnoteのような不特定多数が読める媒体にこんな文章を書いたりしている。
でも、やっぱりリアルで会う人に理解されたいし、人を深く理解したい。

人を理解しようと思ったら、深いところに突っ込むほどダメージを受けるリスクもある。
それでもやっぱり理解したいし、理解されたい。
そのために、少なくとも「人と誠実に関わろう」と心がけている。

「過去の経験の学び」とかいう安っぽい言葉でまとめたくない。
ただ一方で、この経験が自分の行動指針に大きな影響を与えているのも事実。

だから私はあの日は忘れたくないし、彼のこともいつまでも覚えていたいのだ。

いいなと思ったら応援しよう!