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コピペ出来ない言葉が欲しいし、独自の言葉を届けたい

もうすぐ2025年。
そろそろ年賀状の準備をしている人もちらほら。

私自身は一人暮らしが長くなり、SNSでのやり取りが当たり前になってから年賀状は書かなくなった。
せいぜいLINEで新年の挨拶をする程度、しかも相手から来たら返信する、という怠惰っぷり。

そんな私にわざわざ「あけおめ」連絡をしてくれる友人はありがたい。
でも一方で思うところもある。

それは「コピペできる」文章を送って来られてもなぁ、ということだ。
例えば「あけましておめでとう、今年もよろしく」だけとか。
つまり他の人にも使い回せる文章を送られたときにモヤッとするのだ。

コピペのお祝い文は嬉しくない

「わざわざメッセージを貰っているのに偏屈な」と思う人もいるかもしれない。
その点は「ごめんなさい」と(少しだけ)思う。
でも「コピペできる文章」に対する違和感は大人になる前からあった気がする。

振り返ってみると新年の挨拶以外にも節目節目でメッセージを送り合うことがあった。
例えば卒業式でのクラスメイトとの色紙交換とか、グループでの誕生日のお祝いとか。

そしてメッセージを受け取るたびに「どんな言葉を書いてくれたのかな」と内心ワクワクしていた。
で、「一緒のクラス楽しかった、また会おうね」などと書いているとガッカリした。

あとは「誕生日おめでとう、今年もよろしく」と書いているだけとか。
※私は1月生まれなのでこんな感じの文章が多い。

・・・
・・・
いや、もっと何か書くことあるやろ

学校なら数年間一緒の空間にいたはずだし、友人なら私の性格や個別のエピソードが一つくらいはあるはずだ。
少なくとも私は相手に対して個別のエピソードを語ることができる。

それなのに具体性がなく、コピペできる文章を受け取ると「これ、他の人にも同じ文章使いまわしているんじゃないか」と思ってしまうのだ。

なんとも偏屈な人間である。

更に偏屈さを深める話をすると、こういったコピペできる文章をもらうと感謝どころか「はいはい、どうもありがとう」と投げやりになってしまう。
私にとって「言葉」はそれくらい重要なものなのだ。

相手に合わせた独自の言葉を届けたい

そういうお前はどうやねん、とどこからか声が聞こえる。
私のなかで振り返ってみると、子どものころから必ずエピソードを入れていた。

具体的な場所や出来事を入れた旅行の話、相手が大事にしている価値観や性格、相手の発言や行動などを必ず入れていた。

例えば「〇〇くんといつも一緒で楽しかった」というありきたりな文章。
これも「学校帰りによくマックでずっとアホな話ししてたの楽しかった」と書くだけで個別エピソードになる。
少なくとも私はこういう文章のほうが嬉しい。

卒業式の寄せ書き、誕生日メッセージ、会社での送別会・・・
私は相手に合わせた言葉を必ず書くようにしている。
逆に言うと「コピペできる文章」しか作れないということは私が相手に興味がない、と思うくらい独自の文章を大事にしている。

これはお祝いに限らず、noteのコメントなどでも一緒。
たまにSNSでフォロワー増やしのために絨毯爆撃的にメッセージを送っている人を見かけるが、「本当に文章読んでる?」と思う人もちらほら。

相手に合わせた言葉を書かず、ただメッセージを送るだけってインプレゾンビと変わらないと思う。

言葉はコミュニケーションの手段であり、言葉を受け取る先には生身の人間がいる。
だからこそ私はこれからも相手に合わせた独自の言葉を届けていきたい。

・・・

一方で私は「あけおめ」LINEが来なかったら返信考えなくていいからラクになるな、とも思ってしまう怠惰な人間である。
生成AIがいい感じに返信文考えてくれないかな、とも思ったりとか。
(台無しだ)

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