【創作大賞応募作品】「大丈夫です」の正体―空回りする日本語の妖精―
「大丈夫です」って、YESですか?NOですか?
コンビニで外国人スタッフの表情がふっと固まった瞬間、私は初めて自分の日本語を疑いました。

インバウンドという言葉が定着して久しいが、コンビニで外国人スタッフを見かけるのは、もう当たり前の光景になった。
私の住むエリアはもちろん、前職場は都内の住民も観光客もたくさんいる地域だったので、その割合はさらに高かった。色々な国の方が、レジに立っていた。
日本語がまだあまり話せず、ほぼ無言で一生懸命接客する人もいる。
でも大半の人は、日本語で接客しながら、レジも華麗に操る。
レジを打つだけでなく、こんなこともしている。
タバコ番号、商品についての問い合わせ、公共料金、宅配便、レジ袋の有無、ポイントの使い分け....…
彼らにとっての外国語で。
どれだけ優秀なんだろう?と思う。
私ならできるだろうか?
・・・いや、できない。
ただ、日本語の「曖昧さ」は、時々彼らを惑わせるらしい。
ある日、レジで「レジ袋は入りますか?」と聞かれた。
私は思わず、いつもの癖で答えた。
「大丈夫です」
その瞬間、相手の表情が固まった。
——あ・・・!
考えてみれば、日本語には「聞こえのいい拒否」の言葉が異常に多い。
「大丈夫です」「結構です」「いいです」
この三兄弟、全部YESにもNOにもなる。しかも声のトーンや微妙な間で判断しろというのだから、日本語を母語としない人にとって無理ゲーにも程があるというもの。


日本語は「言わなくても分かるでしょ」が前提の言語だ。
察する文化。空気や行間を読む文化。
でも、その「察してね」が通用しない相手だっている。むしろ、外国人スタッフの「え、今のどっちですか?」という戸惑い顔こそが、日本語という言語の構造そのものを、正直に映し出す鏡なんだと思う。
そして気づいた。私自身、「大丈夫」を無意識に使い分けているだけで、本当は自分でもうまく説明できないのでは?
なぜこの一言がYESにもNOにもなるのか、この場面を迎えるまで考えたこともなかった。
これは私の例だが
トルコへ何度も一人旅行をして、トルコ語にも触れた。
言葉が通じず、「伝わらない」を何度も経験した。
だから私は、身振り手振りを交えながら、知っている単語を一つひとつ選び、「どう言えば伝わるだろう」と考えて話していた。
なのに日本へ帰ると、「大丈夫です」という一言で相手を混乱させている。
トルコ語なら(英語もだけど)、「はい」「いいえ」で終わる。
日本語だけ、急にクイズになる。
外国人スタッフに、日本語のことを教えてもらってしまった。

日本語には、こういう「多くは言わないけど察してよ」という空回りする妖精が、あちこちの部屋に住んでいる。
私たちはその存在に気づかないまま、彼らと一緒に暮らしている。
それ以来、レジ袋を聞かれたら「要らないです」と言いながら、首を横にフルフル振るようにしている。
シンプルで分かりやすい言葉+ジェスチャーでも補う。
それが、一番確実だから。
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