祝福する女
目を疑った。
半年前に別れた彼が、そこに映っていた。
披露宴のウェルカムカード。
私は印刷会社でウエディングの制作業務をしている。
最近は式だけ挙げて、身内だけで食事会するケースも増えた。
結婚自体が減っていることもあって、あの頃の忙しさが嘘のようだ。
それでも、かき入れどきはある。
ジューンブライド。
一生に一度の晴れ舞台。
人の幸せに携わる仕事は、喜びも一入。
と同時に、緊張もある。
間違いは、絶対絶対絶対あってはならない。
発注が相次ぐと、残業なんて当たり前。
労基?知ったこっちゃない。
「幸せの忙しさ」というエナジードリンクを飲み続ける。
締切はどんなことがあっても守る。
忙しいときほど、ミスが起きる。
文字の大きさ、フォントの種類、レイアウトなどなど。
間違い探しの本と違って、正解を教えてくれない。
とにかく人の目で徹底的に潰すしかない。
冠婚葬祭では、人の名前が鬼門。
来賓リスト。
御両家の苗字がたくさん並ぶ。
髙橋家のタカは、ハシゴダガだったとする。
でも、新郎友人の高橋は普通のタカだったり。
渡辺のナベだけでも、十種類以上はある。
しんにょうの点が一つか二つか。
棒線一本、点一つが命取りの世界。
私は制作なので、基本、校正はやらない。
チェックしてもらう立場だ。
校正チームにブツをまわすと、赤入れが戻ってくる。
赤ペンの丸は、テストと違って間違いの印。
修正をして、また戻す。
白紙回答になると、百点満点だ。
制作チームは私と後輩くんの二人体制。
去年、多良先輩が寿退職したが、人員の補充はされなかった。
その代わり、新しいモニタを一台買ってもらった。
画面をバタバタ切り替えては、複数案件を同時にこなしている。
後輩くんはまだ半年で、危なっかしい。
私が入社した十年前なら、校正チームに総スカンだろう。
結局、校正に回す前に、私が後輩くんの赤入れをやっている。
私が戻すときは丸じゃない、二重丸だ。
「ここ、校正で落ちるよ」の事前合図。
今日も、次々と新郎新婦の写真と来賓リストが送られてくる。
年に何度か舞い込んでくる、ビッグニュースがあった。
若いイケメンと、おばさまのカップリングだ。
校正チームのおばちゃんたちの喜びようがおかしい。
でも、みんな茶化したり、詮索したりはしない。
私たちはお客さまから幸せをお裾分けしてもらっている。
ご馳走様です。
二十一時。
残りあと一件。
日付を跨ぐ前に帰らないと。
コンビニで買って来た、サンドイッチを食べながら、メールの添付ファイルを解凍した。
えっ。
目を疑った。
半年前に別れた彼がそこに映っていた。
嘘でしょ、まさか。
鈴木明大、三十五歳。
間違いない、本人だ。
女性に目がいく。
佐藤幸子、二十七歳。
知らない人。
ツーショット写真は見ていられなくて、すぐに閉じた。
頭の中が大混乱した。
「大丈夫ですか?」
後輩くんに声をかけられるまで、私は完全に止まっていた。
「う、うん、ちょっと気分が……」
「ごめん、この鈴木様、お願いしてもいいかな」
「そっちのワタナベオールスターズ、私がやるよ」
ワタナベが三種類ある難易度が高い案件。
彼の成長のために振ったんだけど、私はそれを引き継いだ。
そして、データを消しても意味がないのに、あれをゴミ箱に入れた。
二十三時過ぎ。
フロアには、私と後輩くんだけが残っていた。
いつもなら、後輩くんに、
「いいわよ、後はやっておくから」
と声をかけるところだけど……
私もこの道十年のプロ、仕事だと割り切らないと。
「鈴木様の件、進捗どう?」
「入力終わったので、あとはチェックだけです」
「もう遅いから、私がチェックするよ」
「いえ、僕がチェックしてからでないと……」
「ワタナベ様の仕上げもまだ少しあるの、先帰っていいよ」
「わかりました」
「では、お先に失礼します」
後輩くんが帰った後、ゴミ箱から例のデータを取り出した。
ウェルカムカード用のプロフィール原稿を開く。
新郎
趣味:ドライブ、サッカー観戦
新婦
趣味:ドライブ、助手席に乗ること
真っ先に、アキヒロと河口湖までドライブしたことが蘇ってくる。
幸せにあてられることは、日常茶飯事だけど……
データなのに、ただの文字なのに、フォントが滲んでいる。
DPIがおかしい、発色がヘンだし。
私は大切に使ってきた古いモニタにケチをつけた。
時計の針は日付を超えていた。
ひとりオフィス。
吹っ切った言葉が、繰り返し聞こえてくる。
タクシーを呼ぶ右手が動かない。
突然の別れ
大いなる裏切り
見抜けなかった悔しさ
得意げに運転する横顔
すぐに冗談を言って、笑わせてくる
愛おしくて、しょうがなかった
情けないほど、夢中だった私
忘れようとしていたのに
どうして?
たった半年前だよ
よりによって。
そんな、偶然ある?
河口湖でのプロポーズ
リゾートホテルに泊まったあの日
ふたりの未来を描いたノート
頭おかしい、人として
こんなこと、ありえない
ふざけてる
絶対絶対絶対
許せない
プロとしての責務は果たす。
そのつもりだった。
翌日。
私は少し遅めの出社をした。
昨日仕上げたブツは、校正チームに回されていた。
一回目の校正で、赤入れが戻って来た。
円卓位置が二箇所、ほんの少しだけズレていた。
校正リーダー佐々木さんの赤入れには、毎回恐れ入る。
私は円卓のズレを一つだけ直し、校正チームに直接持って行った。
ほどなくして、佐々木さんがやって来た。
「ここ残ってたよ、珍しいね」
「あ、ほんとだ、すみません」
「これ直して、そのまま出しちゃいます」
「オッケー、お疲れさん」
私は席次表のデータを開き、新郎新婦の名前を書き換えた。
明大を、明太に。
幸子を、辛子に。
すぐに保存して、zip圧縮して、パスワードをかけた。
印刷所宛のメールを作成し、それを添付した。
印刷所は誤植に気づかず、このまま印刷するだろう。
そして納品日。
アキヒロはこれを見ることになる。
式場からは、大クレームが来る。
私の責任問題に発展する。
どう打ち間違っても、アキヒロが明太、サチコが辛子にはならない。
完全なる悪意。
職場のみんなには申し訳ない。
この後、辞表を出す。
式前の大騒動が目に浮かぶ。
めちゃくちゃになってしまえ。
本当にこんなことをしていいのか。
この業界ではもう食べていけないだろう。
でも、私はもう人の幸せを祝福できない。
宛先と本文を入れた後、指が動かない。
ずっと「送信」ボタンの画面を見つめている。
ー 河口湖のホテル
「ねぇ、私、自分で席次表もウェルカムカードも作るから」
「本職だもんな。任せたよ」
「でも、安くならないでしょ?」
「なるかもだけど、さすがに言いづらいな」
「でも、一番上のプランの台紙にする」
「そのくらいなら、出してくれるかも」
「それで、席次表はさ……」
ホテルのノートに、二人で席次表を書くことにした。
私が簡単な図面を描いて、そこに呼びたい人の名前を書き込んだ。
「新郎新婦は一番上で、名前は縦書き」
新 新
郎 婦
明 幸
大 子
「俺たちの名前、辛子明太に見えなくない?」
「大を太いに、幸を辛いに」
「ほんとだ!うける」
「そうだろ!」
「でも、こんなの笑いものだよ……」
「いや、言われないと、案外気づかないよ」
「俺は幸子を笑わせようと、いつも考えているからさ」
「じゃぁ、二人だけの秘密」
「絶対絶対絶対、人に言わないでね」
私は引き出しから、自分の名刺を一枚取り出した。
幸の文字を、大きな二重丸で囲った。
マウスに手を置く。
新しいモニタへ画面を切り替えると、もうひとつの「送信」ボタンを押した。
Subject:お元気ですか。
